堀田善衛 ほった・よしえ(1918—1998)


 

本名=堀田善衛(ほった・よしえ)
大正7年7月17日—平成10年9月5日 
享年80歳 
神奈川県鎌倉市山ノ内1367 東慶寺(臨済宗)



小説家。富山県生。慶應義塾大学卒。中国・上海で終戦。『広場の孤独』『漢奸』で昭和26年度芥川賞を受賞、〈いちばん遅くやってきた戦後派〉と称される。『方丈記私記』で毎日出版文化賞。49年日本アジア・アフリカ作家会議初代事務局長。『ゴヤ』『海鳴りの底から』『若き日の詩人達の肖像』などがある。






  

 岐路における選択の片方は、つねに死である。如何なる場合にも、人は生を選びえなければならぬ筈である。木垣には、一九五〇年の七月某日、喫茶店の椅子にぐったり腰を落しているのは、木垣幸二という特定の人物ではなくて、どこの誰でもいい任意の人物のように思いなされた。人は選ぶことによつて数学の単位のような任意の存在から、意味をもった特定の存在になるのである。彼の周囲では、選択は畳み込み追い込むように行われていた。新聞も経済も戦争の方に張り込み、輿論調査と称するものによれば、国民の大部分も決定をしたことになっている、たとえそれがかりそめの恐怖にもとづくものであろうとも。木垣は自分の手を凝っと見詰めた。彼の手も汚れているのだ。そしてその汚れこそが真に彼自身にほかならぬのだ。しかしその汚れを正当化し、口実をみつけるために選ぶこともまた、己れを裏切ることにほかならない。彼は再び、放出のコーヒーやチーズやバターを行商してあるく、近所に住む追放された党員のKを思い出し、また先夜の特需景気に酔った労働者を思い出した。絶対に手を清くする純粋の道徳----そんなものは存在しない。だとすれば、あの労働者の赭ら顔こそは健康なものであって、椅子の上に〈死んでいる〉木垣こそは、実に本当に死んでいるのではないか。
                                
(広場の孤独)



 

 〈近代小説というものは、私の考えでは、あらゆるものを相手にしていいけれども、とにかく「永遠」というやつだけは、直接相手にしないという約束の上に成立しているものだ〉と作家は書き記した。
 昭和52年から10年もの間スペインに住みながら、スペイン中を歩き、スペインを理解し、そしてスペインを書いた堀田善衛。国境を越えることの意味、重要性を、肌身を切って考えてきた。
 56年にインドを訪れて以来、世界人・国際人であり続けた彼も、晩年は逗子の高台の家で隠者のように暮していたそうだが、平成10年9月5日午前10時7分、横浜市内の病院で脳梗塞のため死去した。堀田善衛の鋭く強靱な詩的精神は、まだまだ必要だったと惜しまれてならない。



 

 大晦日の鎌倉詣では、20数年来の恒例行事となっている。一年で一番鎌倉らしい日だと密かに思っているのだが、鎌倉に来るたびにかならず訪れることにしている。
 ここ北鎌倉の東慶寺にも冴え冴えとした気配が満ちて、その年の最後の日が清爽な気持ちになってくるのだった。淡黄色の蝋梅の香が漂ってくる細長い寺領の奥まった谷間、俗塵を制するような墓域には数多くの叡智が眠っている。
 地形は緩やかに迫り上がって、深い。右手奥域、入り口石柱に「堀田」、裏側に善衛と夫人の没年月日、享年が記されている。堀田家の墓は白々とした五輪塔。何の標刻もない。ここに佇むと墓域全体が見渡せ、西洋庭園を思わせる整然と区画された生け垣の間から、苔生した宝塔が清々しい空を覗いている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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