公文式英語教室体験記5

2005年09月03日(土)「O教材に思う」
 O教材に進級してから終了までに、丁度一年かかっていました。O教材のねらいは、


1,N教材より長いオリジナル作品を読む中で、さらに読解力を充実させる。 2,は、教材以外のオリジナルSTORYを自分で読み進める力をつける。

 いすれも私にとっては、気の遠くなるようなプリントとの闘いで、時には投げ出してしまいたくなったことさえもありました。でも頑張って終えることができました。 終了テストがあるので、パラパラっと作品に目を通してみると、その時には見えなかった構文がすっきりと見えてきて、あらっ!やっぱり力がついてきたんだなと改めて認識しました。

 これには、T先生の温かい励ましと、スタッフの方々の応援と、家族が関心を持ち支えてくれたことで、最後までやり通せたのだと思います。 みんな、みんなありがとう。

2005年08月30日(火)「燃え尽き症候群」
 8月27日1枚のプリントを仕上げて、とうとう高校最終教材が終了しました。なんと5年間という長い道のりでした。 何ともいえない、むなしさと脱力感が押し寄せてきます。

 「やるべきプリントがない!」これは問題です。本当はまだ終了テストが残っているので、復習はしておかなくてはなりませんけれど。 翻訳するのが問題ですから、すべてを覚えるのは不可能なことです。

 まあしかし、もう少し英語に浸っていられるわけですから、その後考えましょう。

2005年08月15日(月)「お盆にふさわしく」
 最終O教材「MACBETH」もいよいよ最終章となりました。この教材は40部あるのですが、あと10部を残すのみとなりました。 しかもその内容たるや、お盆にふさわしく霊たちが活躍する場面なのです。本当に気味悪い状況です。

 前を省きますが、マクベスはダンカン王を暗殺して王位を継ぎ、次々と殺人を犯し幻想を抱くようになる。 そこで予言者3女神に、霊を呼んで占ってもらう儀式に使用する数々の忌まわしい材料に鳥肌が立ちました。

 「ヒキガエル、コウモリ、および毒蛇、イモリの目や、犬の舌、トカゲの脚に夜鷹の翼、龍のうろこ、オオカミの歯、塩海に住む飢えたサメの胃、魔女のミイラ、 毒ニンジンの根、ヤギの胆汁、それにイノシシの肝臓、それに墓に根を張るイチイの木の切れ端、それに死んだ子どもの指」。

 それだけだに止まらず、これらを煮る大釜に、投げ入れるヒヒの血、自分の子を食べた雌豚の血、殺人者の絞首台からにじみ出た脂肪を投げ込むまでに至ります。 本当に怖い話です。「」内は公文の解釈から引用。テキストのタイトルは、 Charles Lamb (Tales From Shakespeare)

2005年08月07日(日)「きぼうの星」
「高校基礎英語認定テスト」後の学習日、T先生にご挨拶する早々、先日の受験の成果を問われました。
「今までよりも手応えがありました」と答える私。
「でもね、あなたには一度で合格しないで何度でも受験してもらいたいわ。期待の星だから」とT先生。

 これは、私のような年齢になっても、あきらめずにチャレンジし続ける姿を若い人たちに見てもらいたい。という意図のようです。 年齢からして「期待の星」はないでしょうけれど、「きぼうの星」にはなれそうかなとうぬぼれてしまいました。

 ちなみに「きぼう」という名の船内実験室がケネディ「国際宇宙ステーション」の実験棟に設置される予定だというニュースを8月6日付の朝日新聞紙上で読みました。

2005年08月04日(木)「第三回目の認定テスト」
 今回で三回目の「高校基礎英語認定テスト」を受験しました。当日小学生や高校生に混じって着席、周囲は緊張で張りつめた空気が漂う。 間もなくテスト用紙が各テーブルに配布されました。

 私ももちろん緊張していますが、三度目なので少々余裕がみられました。解答用紙に名前を記入して「はじめ」の声を聞いて、みんな一斉に鉛筆を走らせます。 私の隣の男の子は、コトコトコトと鉛筆の走らせ方が早いのです。私は心中焦りを覚えながらも取りかかりました。

 出題傾向がちょっと変わったように感じ、初めて手応えを感じて無事終了しました。 いつもなら、劣等感の固まりで頭を垂れて帰宅していましたが、昨日はデパートをハシゴして気分転換を図りました。結果や如何に?

2005年06月30日(木)「こんにちはぁ〜」
 この間から再三、公文メイトから可愛い挨拶を受けています。私の学習時間は幼児と小学生、そして中学生の来る時間帯です。顔見知りは、そんな年代の子どもたちとなります。

 自転車に乗って買い物に行く途中、気づかないでいると大きな声で私に挨拶をしてくれるのです。 先日は小学生の男の子ふたりに、今日は中学生の女の子ひとりに「こんにちは」と5〜6人いる友達の間から大きな声でいってくれました。

 挨拶を返すと子どもたちは、満面笑みをたたえて応えてくれます。 かなり年齢が離れている私なのに、同じ仲間だと思ってくれているなんてうれしいかぎりです。

2005年06月21日(火)「合格まであと一歩」
 5月に受験した「公文認定テストの結果が帰ってきました。
「判定 再A 合格まであと一歩足りませんでした。」とあり、「次回のテストで合格するためには、復習をしておくとよいでしょう」という学習アドバイスもありました。 T先生からも励ましの言葉を頂きました。

 これで、少しはほっとして再挑戦してみようという意欲も沸いてきました。 とは言いつつも、取りあえずはO教材を終了させることに専念しようと、テストのための復習は手がけていません。

2005年05月21日(土)「高校基礎英語認定試験」
 5月15日にあまり準備のないまま受験しました。これで2度目、2月にも急に受験する羽目になり準備なしの受験、結果はどちらも失敗。悲しいほどの不出来でした。 なんとなく手応えがありそうなので、受験してみてもいいかなと思えるようになったのですが、次第に得点が出来なくなっています。

 これって忘却が急速度で落ちているのではと、自分の頭を信用できなくなりつつあります。確かに4年から2年前に終了したプリントから出題されるので、 忘れてしまうのも無理はないのですが、英語を続けていれば実力は維持されそうなものなのにと、、、。

 自信を失いかけた私です。でも、O教材を終了するまであと少し、結果より過程が大事というなら、もう一踏ん張りです。

2005年04月13日(水)「身近な単語 4」
 そして「address」。この言葉は私たちの生活にしっかりと根付いた言葉ですけれど、プリントでは「他動詞」に話しかける、に(向かって)演説する、と呼ぶなどがある。 プリントでは「呼んだ」と解釈されています。

 このアドレスは、「住所」として定着した言葉ですが、これ一つ取っても一つの単語でいろいろな解釈があるのには驚きです。その分解釈が困難となるようです。 こうしてみるとIT世界では、多くの外来語が侵入しています。私にとっては脅威、もうお手上げですね。

 こうしてよくみると、昔からかなり多くの外来語が日本語の中に入ってきているのに、当たり前のように使っている日本人の器用さには感じ入るばかりです。

2005年04月05日(火)「身近な単語 3」
 次はスポーツで行っている「stretch」です。【伸ばす】伸ばす、広げる、張る、引き延ばす、引っ張る[手足など]を伸ばす 、[手]を差し出す、[人]を伸ばす、打ち倒す、 【精いっぱい伸ばす】精いっぱい使う、〔法律など〕を無理に解釈する、拡大解釈する、こじつける。 などもあり、あれ?この項は、どこかで聞いたようなことがありましたっけ!

 ここでは体を「伸ばす」と解釈されています。

2005年04月04日(月)「身近な単語 2」
 はじめに「sport」です。【気晴らし】娯楽、楽しみ、【戸外の気晴らし】〈集合的〉スポーツ、運動、(個々の)運動競技、狩猟、魚釣り、競馬なども含み、 注意日本での「スポーツの通念よりも範囲が広い」、【ふざけ】楽しみ、ふざけ、からかい、【からかいの対象】に至っては驚きです。 ちなみに「楽しみ」が解釈の中で使われました。「新グローバル英和辞典」三省堂より。

2005年04月03日(日)「身近な単語」
 最近学習している文章の中で、私たちの生活の一部にもなっている英語が出現して、ある意味ではそれを楽しんでいます。

 ワシントン・アーヴィングというアメリカの小説家で、1783年に生まれ、1859年に没した人の「クリスマス・イヴ」という作品を原文そのままプリントしたものです。 なんとも古めかしい文章ではあるのですが、描写がとても美しく難しいのですが毎日取り組んでいます。

 それはさておき、その中の単語を一つ二つご紹介してみましょう。 「sport」「stretch」「address」などがあります。

2005年03月21日(月)「私の公文メイト」
 先日学習日にひとりのかわいい男の子が私の机の側にやってきました。

「試験通った?」と彼。
「不合格だったんよ」と私。何か言いたげな彼。
「あなたは通ったの?」と問う私に大きくうなずく彼。
「まあ、おめでとう」と私。
「うん、82点じゃったんじゃ、幼年優秀組なんよ」と彼。
「まあ、えらいね!頑張ってね」と私。

 実は2月に私は公文高校基礎英語認定試験を受けたのでした。見事不合格。 その時、今年一年生になる彼と小学生のお兄さん、お姉さんも受験に来ていて出合ったのでした。

 いつ出合ってもきちんと挨拶してくれる、かわいい彼らきょうだいです。

2005年01月26日(水)「aboutのまわりで考えた」
 昨日学習したプリントの中で、たった一つのセンテンスに二つの「about」が出現したのです。 この「about」と、あの「about」はどう違うの?と、頭は混乱するばかり。 勿論、訳文は入っているのですけれど「よく分からんね」とやり過ごそうとしたのですが、辞書を開いてみることにしました。

 驚いたことに、今直面している文中「As he is about to clasp her…」(まさに彼女を抱きしめようとする時、)ここでの「about」は、 「be about to 」(〈今しも〉…するところで)。「be going to」よりも改まった言い方で差し迫った未来に用いる。とありました。 もう一つの「about」は(周囲で)と普通の解釈でした。

 こうしてみると、なかなか侮れない「about」でした。まだまだ多くの解釈がなされていましたが、これ以上は省きます。 ちなみに、この解釈は過去出現したのに私が忘れただけかも知れません。 付け加えますと、世の賢い皆さま方はこんな事ぐらい百も承知でしょう。お笑い下さるな。

2005年01月13日(木)「volley & dodge」
 年末年始の慌ただしさからやっと解放されたので、今年初めての公文タイム。 O教材は初っぱなから手強い相手で、四苦八苦しながら学習を続けています。

 作者が100年前の人物ということもあってか、私が今まで学習してきた単語とはかけ離れたものが多く、その都度辞書を引いて対応しています。 勿論私が習った端から忘れてしまうことにも原因があるのでしょうけれど。

 とそんな中、今日は「volley」=(一斉射撃)と「dodge」=(さっと身をかわす)のふたつの単語に出合いました。 私が推理した通り球技の「volley ball」と「dodge ball」であることが分かりました。「へぇ、そうなのか」とひとり合点しました。

 こんなことで辞書を引きながら身近な単語を発見して、辞書の中で遊ぶことができるのも、せめてもの慰めでしょうか。

2004年09月10日(金)「N教材に思う」
 9ヶ月でN教材を終了しました。もちろん都合で教室をお休みすることもあるのですが、それにも増して内容が難しくなってなかなか前へ進めませんでした。 N教材の終了テストを受ける前には、1回ではとても受からないだろうと思っていたのですが、思ったより高得点で合格できました。

 T先生からのお励ましがあったからだと思います。
「そうか、私にはそんな力があるんだ!」なんて、私をその気にさせて頂いて進んでまいりました。
「Success!! スゴイ!! 合格」と終了テストの表紙に書いて頂き、そして
「ゆっくり進みましょうね」という言葉も頂きました。

 次に取り組むO教材で高校過程は終わりです。楽しみながら頑張りましょう。

2004年04月17日(土)「アンネの日記・再び涙」
 「またですか」と言わないで下さい。泣くことさえも許されない環境で、一生懸命に耐えているアンネの姿。 再び涙なしには訳すことができませんでした。

 「太陽が輝いています。空は紺碧に澄みわたり、すばらしいそよ風が吹き、そして私はあらゆるものにあこがれています。 …会話、自由、友達、ひとりでいること、私はおもいきり泣きたい!私はまさに、はちきれてしまいそうです。 泣くことが救いになるのはわかります、でも、泣くことができません。私は落ち着きません。 部屋から部屋へと歩きまわり、窓枠の割れ目から深呼吸し、自分の心臓が鼓動しているのを感じます。」

 「I know crying would help, but I can't cry.」(泣くことが救いになるのはわかります。でも、泣くことができません) ()内の訳文は公文式プリントから。

 素晴らしい自然のたたずまいと彼女のおかれている環境との対比が、一層その悲しみを深いものにしました。

2004年04月16日(金)「単語で遊んでみました」
 N教材のプリント1枚の中で、次のような単語が出てきました。 [ingratitude](名詞・恩知らず)[ungrateful](形容詞・恩知らずの)と解釈されています。

 日本人である私は、なにもこんなにスペルの違う単語をわざわざ持ってこなくてもいいのにと思ったのでした。 と思いつつ、ふたつのスペルをよくよく見ると、[grate]の共通項が見えてきました。

 そこで、終了テストに合格するたびに、T先生から頂く[Congratulation](おめでとう)との共通点を思い出しました。 辞書を開いて[grate]を引いてみると、[grate.1]は、名詞で、(1)(暖炉などの)火格子、(2)(ドアー、排水溝などの)鉄格子。 [grate.2]は、他動詞(1)すり砕く(2)きしらせる。自動詞(1))きしる、(2)いらいらさせる。

 似ても似つかぬ意味です。なんで、なんで[grate]はこんな意味なんだ!と納得がいかないままに終わりました。

2004年04月13日(火)「Friday,24 December 1943」
 アンネが隠れ家に身をひそめて1年半が経ったときの日付です。

「I long to ride a bike, dance, whistle, look at the world, fell young and know that I'm free, and yet I can't let it show.」 (自転車に乗る、ダンスをする、口笛を吹く、世の中を見る、青春を味わう、自由を満喫する、こういったことに私はあこがれます。 それでも、その気持ちを外に表すことが出来ません。)

 普通ならば、なにげない日常生活のひとこまです。それが叶えられない辛さは、どれほどのことであったでしょう。 アンネの年齢に近い私には、戦時中を過ごした経験から、少しは、その重さが分かるような気がします。

2004年04月11日(日)「アンネの日記で涙を流す」
 先日教室日で「アンネの日記」の学習をしました。その文章を訳しながら涙が止まりませんでした。

「Hiding… where would we hide? In the city? In the country? In a house? In the shack? When,where,how…? 以後省略」
「身を隠す…でも、どこに隠れるのでしょう?町かしら?田舎かしら?家の中かしら?それとも小屋かしら? いつ?どこへ?どんなふうに…?これらは尋ねるのを許さてれいない質問でしたが、、、」

 姉マルゴー(16歳)へSS(ナチ親衛隊)からの召喚命令を受けて、一家が隠れ家に身を隠そうとしている時の情景を記しているのです。 訳しながら、涙が何度も私の頬を伝わりました。

 同時期に、イラクで日本人3人 が人質になり、私は最悪の事態を考えていたので、一層強く胸が痛みました。 今朝のニュースで、人質の3人が解放されるとことでほっとしました。

2004年04月07日(水)「アンネ・フランク」
 彼女の日記(英文)を読み始めて間がないのですが、いかに自由が大切で、ありがたいことかが身にしみてよく分かります。 ヒトラーの反ユダヤ的法のもとで、いろいろな制限を受け、不安や恐れを抱きながら過ごした日々を思うと気が重くなります。 ’97年にオランダを旅したときにも彼女の隠れ家を見学しましたが、生々しくて辛かったことを思い出しました。

 まだ「アンネの日記」を読んでいなかったので、今回読んでみようと「アンネの日記」(文春文庫・増補新訂版・深町真理子訳)を買いました。 帯封には、「21世紀に読みつがれるべき〈決定版〉と記されていました。

体験記1(2000/07/12〜) 体験記2(2000/12/25〜) 体験記3(2001/05/10〜)
体験記4(2002/06/17〜) 体験記5(2004/04/08〜)

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