公文式英語教室体験記3

2002年06月14日(金)「J教材に思う」
 J教材は、はっきり言って難しい。CDのヒヤリングも文字を追うだけがやっと、ましてその早さではリーディングは無理。限界を感じるこの頃です。 難しい単語、熟語や用法が続出。折角覚えても次々と、矢継ぎ早に現れるので私の頭には残ってくれないし、お手上げ状態です。

 そんな中唯一の楽しみは、ストーリーを苦労して読み理解していけること。 その物語は、英語教材を離れて、もはや人生訓だったり、歴史だったり、正義だったりでとても心に残るものです。

 こんな弱気なことをいいつつも、プリントの質問には燃えるのです。 忘れやすい分、いろいろ工夫をこらしながら、これからも挑戦していきたいと考えています。

2002年05月11日(土)「舞い戻ってGT,GU教材、HT,HU教材をやっています」
 今年度から公文式英語の大改訂がありました。私が学習してきた教材とはずいぶん様変わりしたようです。 “聞く”“話す”が重点的にとらえられるようになりました。(これは私の表現)

 「G教材の会話が楽しいわよ、やってみない?」と先生に勧められてやってみました。 ところが、英検の受験も控えてJ教材もG教材もというのでは、気分が分散してしまうのです。 G教材はひとまずおいてリスニング対策にHT,Uを学習することになりました。

 スペルをみないでリスニングしてみると、聞き取れない部分がかなりあることに気づかされました。受験まであと少しですが頑張ってみようと思います。

2002年05月11日(土)「ゆれる気持ち」
 英検3級を受験するため復習をやっていますが、今一つ緊張感に欠けています。英検3級受験のための学習書は案外と難しいのです。 筆記の方は何となくできそうなのですが、リスニングにいたっては正解率20パーセント。何度繰り返しても歯がたちません。

 ネイティブの発音には到底ついていけないのです。今まではスペルを見ながらリスニングをしていたので理解できていたようです。 こうなってはもう見込みなしとやや自暴自棄、放り投げてしまいたいような気持ちにおそわれました。

 連休も明け、昨日先生にもろもろの気持ちをうち明けました。そして先生は、その気持ちを受け入れ対応策を考えて下さいました。 さすが、公文教室で25年も指導にあたってこられた先生、私はすっかり気持ちを切り替えて、再度英検3級試験に挑戦しようと思うようになりました。

2002年04月16日(火)「原型をとどめないほどの変わり様」
 今日のプリントでの解釈で“no matter how”では「どんなに〜でも」となります。 “matter”を辞書でひくと名詞「1、事柄・事件・問題」とあります。 “no matter”「6、〈疑問文・否定文では〉大した事」となり、“no matter how”ここまでくると、 私の頭の中の許容範囲をはるかに超えてしまいそうです。

 もう一つ加えるならば“How can you expect〜?”「あなたはどのように〜を期待できるのか?」→「あなたは〜なんて思っているの?」になります。もう、お手上げですね。 ちなみに、このお話は「The Story of Doctor Dolittle」です。

2002年04月16日(火)「笑いましょう。こんな表現」
 最近の英文では、毎日が大量の新しい単語や熟語そして訳でいっぱいです。 その中でもおかしいのが、“off”の表現で“keep off”「〜から離れている」→「〜に入らない」、 “jump off”「とんで〜から離れる」→「から飛び降りる」に至っては、何で何でと言いたくなります。

 まだまだ笑えるのが“have no one left”「誰も残さない」→「誰も来ない」、こんなこと言われてもと言いたいところですが、、、。

2002年04月12日(金)「おまけがついてくる(ひとつの理解から興味関心を誘う)」
 今朝、新聞を広げてみていると【「クオーク星」発見か NASAなど 星の一生に新説】の記事をみつけました。 なんとタイミングがいいのでしょう。

 【物資をつくる基本粒子クオークでできた「クオーク星」とみられる全く新しいタイプの天体を発見したと、 米航空宇宙局(NASA)などの研究グループが10日発表した。星の一生をめぐる理論に新しい説を打ち出した形だ。】

 「そうなんですか」としか、いいようはありませんが、とにかく新しい形の星で新理論が発表されたようです。 ホーキンス博士も「私たちの宇宙像」の中で次のように述べておられます。

 「もし私たちが宇宙についての完全な理論を本当に発見するなら・・中略・・すべての人に大筋で理解できるようになるでしょう。・・後略 」 そんな日が近くくるのかなと、今度の新理論発表で思ったのでした。【】内は朝日新聞から引用。

2002年04月11日(木)「私たちの宇宙像から」(スティーブン・W・ホーキング氏)
 これまでに何度も取り上げていますが、英語の勉強をしながら更に新しいことを学んでいます。よほどのことがない限り天文学の本は開きません。 夜空を見上げては美しいと感ずることはあっても、星座のこととか、まして宇宙像などは空想の世界で私にはさっぱり分からないのです。

 今学んでいるホーキング博士の「私たちの宇宙像」の英文を読み解きながらもたくさんのことが分かりました。 私たちの太陽はほんの8光分離れているだけ、一番近い恒星は4光年(23兆マイル)だということです。 そして私たちの銀河は約1千億の恒星を含み、約10万光年でゆっくり回転しているのだそうです。

 いやはや、まだ話は続きますが私の頭では整理できません。 しかしながら、ほんの一部でも知ることができたのですからうれしいです。

2002年04月09日(火)「Our Picture of the universe.(私たちの宇宙像)」
 今教材で学んでいるタイトルです。スティーブン・W・ホーキング氏の「宇宙の認識の歴史を平明に語る」です。 天文学は、それこそ天文学的数字で語られているので、私が理解するにはますます難解な文章になっています。

 さて、その中で「科学者たちは宇宙が何であるかを説明する新理論を発展させるのに多忙です。 今日まで彼らのほとんどは、この問題であまりに頭がいっぱいで、なぜ宇宙が存在するのか問うことができないでいます。 なぜかと問うのは哲学者の仕事です。しかしながら、哲学者たちは科学の理論の進歩についていけないでいるのです。 (Philosophers have not been able to keep up with the advance of scientific theories.)

 と、いうことで私は、ここにも仲間?がいることを発見して安心しました。それは違うでしょうという声が聞こえてきそうですが、、、。

2002年03月03日(日)「しっくいを塗る」
 今習っているプリントは有名な「木を植えた男」、ジャン・ジオノ(1895―1970)の作品です。 舞台はプロヴァンス、かっては荒れ果てた乾燥地帯であったが、ひとりの羊飼いの男が黙々と木を植え続けて育ててきた。 今では、緑が茂り豊かな生活を村人たちが繰り広げているというお話です。

 その中に“plaster”[しっくいを塗る]という単語が出てきました。 その文章を読んでT先生に聞いてもらったところ
「ええ、ヨーロッパにも“しっくい”があるの?」と驚かれました。
「もちろん、ありますよ。その壁には聖画なんかが描かれてきれいでした。たくさん見てきました」と答えました。 次回の学習日には、それらの写真の数々をパソコンで絵はがきにして見せてあげたいと思っています。

 ちなみに、南プロヴァンスは訪ねた地方でもあり風土もよく理解できました。

2002年02月24日(日)「辞書でお散歩」
 最近のプリントは英文解釈に時間がかかります。いっときは、「こんなに時間がかかってもいいんだろうか」と悩んだ時もあり、 先生にこのことを話したこともありました。 「いいのよ、楽しんでやって下さい」と先生に励まされて気分を変えました。

 プリントの内容は、私にとっても興味のあるものばかりです。先日“identify”(特定する、見分ける)という単語が出てきました。 これは、ひょっとすると新聞でもよく使われているアイデンティティということばではないだろうかと思って辞書で引いてみました。

“identity”アイデンティティ(1)同一性、(2)特定の人[物]であること、 (3)自身の独自性、−have a sence of one's own identity− 自覚がある。

 今まで何度聞いても、意味がはっきりしない言葉でした。今日初めて理解できました。

2002年02月21日(木)「待望の和英辞典」
 私が英語の学習を始めたのが中学課程からでした。当初、中学課程で終わるつもりでしたから、それ相応の和英辞典を買いました。 英和辞典は高校課程に入ってすぐ購入しようと考えましたが、和英辞典では最近までその必要性を感じてこなかったのです。

 これからのことを考えて、昨日「新クラウン和英辞典・三省堂」を買いました。大型書店でかなりの時間をかけて比べ選んだ辞書です。 重要な基本語が色刷りされていることと、文字列の間隔が広くて見えやすいことです。

 「今回の改訂で初心者にも使いやすい、見やすい辞書になるように気を配ったつもり、、、」とありましたが私もそのように思います。

2002年02月19日(火)「面白いよ、様々な慣用表現」
 J教材に入ってよく出てくるのが、慣用句。 “make”は「作る」の他に「〜をする」という意味で様々な慣用句をつくります。以前にも、そのようなことを学んだような気がします。 ここではその用法をさらに進めて学習していきます。“ make it a rule to”「〜することにしている」。 私は、このフレーズが気に入りました。

 それから、さらに“out of〜”もいろいろな表現があり楽しくなります。 “out of breath”「息切れがして」、“out of place”「場違いで」、“out of reach”「手の届かない」、 “out of date”「時代遅れで」、“out of order”「故障して」などなど。

 今までの直訳から少しずつ日本語に近い解釈がされるようになるんだろうなと思います。

2002年02月17日(日)「T先生に励まされて」
 J教材に入ってからの顛末をT先生に話しました。 「確かに高校中級だから難しいよ、ヒヤリングを何度も繰り返し聞いて頑張って下さい」と励まされました。

 確かにヒヤリングでは、その速度についていけず敬遠していたように思います。 これまでにも、単語の発音も難しくなり先生の前で、きっちり発音できないことが多くなってきました。

 CDを何度も聞いてみよう、そして発音してみよう。そのように考えるようになり、実施しています。

2002年02月15日(金)「初めてのヒヤリング回答」
 高校中級課程に入った途端、階段を5〜6段飛んだ気持ちになりました。喜んでるのではありません。気落ちしているのです。 ヒヤリングでスペルを書いて回答するプリントは初めて出合ったものでした。

 それでなくても、最近高周波数的な音声が聞き取れない状態になっているのにです。 年齢を重ねると、早口と高音の話し言葉が聞き取れないことが多くて、ラジオでの聞き違いを家族に指摘されていました。

 長々と言い訳に終始していますが事実なのです。ましてや、高校中級課程のCDヒヤリングには、ついていけない早さです。 自分なりのスピードでないと発音できない状態になってきました。 これでは、もう、限界かな?と昨日はプリントをやる気も起こらず仕舞いでした。

2002年02月12日(火)「I教材に思う」
 I教材では分詞構文と仮定法過去を学びました。いずれも、今まで学んできた内容を深く追求するような学習でした。 したがって、割合スムーズに内容を理解できたように思います。ここでは、基礎的な学習でしたが、これからはだんだんに難しくなっていくことでしょう。

 中学課程で学んだ基礎英語が、現在の学習に生きている。 このように、ひとつひとつ基礎を築いてきた積み重ねがあったからこそ、この文章が理解できるのだと思うと、誇らしくもあり、よろこびでもあります。

 これからも、楽しみながら努力していきたいと思います。

2002年02月10日(日)「築かれる単語の山々に青息吐息2」
 話はがらっと変わるのですが、海外から帰ってくると、しばらくの間「Excuse me」という癖があります。 その都度「あら、しまった」と思うのですが。特にヨーロッパでは、この言葉をよく耳にします。 私も「ごめんなさい」「失礼します」いうように心がけています。その点日本では滅多にこの言葉が聞かれません。

 先日もこんなことがありました。 スーパーのレジに並んでいる時、私の前ににゅっと手を伸ばして、あるものをとろうとします。若い男女連れの行為に「失礼な」と感じつつも黙っていました。 狭い通路をよけて通してあげているのに、無言で通り過ぎる人。体と体がぶっつかりあっても平気な人たちに憤りを感じます。

 日本人はこんなにマナーが悪かったのかしら?と。

2002年02月10日(日)「築かれる単語の山々に青息吐息」
 高1相当課程も終わりに近づき一度では覚えきれない程の単語の山々。そこで英和辞典をひもとく回数がぐっと増えてきました。 それはそれで、なかなかおもしろい発見があったりで“楽しくもあり”です。

 「Excuse me」を拾ってみました。
(1)失礼します,ごめんなさい,中座したり、道を開けてもらう時などの儀礼的な言葉;2人以上が失礼する時は“Excuse us”を用いる。返答は“Sure(ly)”など。
(2)(主に米)失礼しました,ごめんなさい,返答は“That’s all right”
(3)見知らぬ人に話しかけたり,相手の言葉をさえぎる場合など。

 私は今まで“Excuse me”の返答があることや“Excuse us”なんて言う言葉があることを知らなかった。 (3)の解釈のあることは何度か呼びかけられていたので、知っていたけれど辞書にのっていたなんて驚きです。

2002年02月02日(土)「私たちは、だ〜ぁれ?」
 このところ、寒い日々が続いていますが私は元気に教室に通っています。 当然、教室に通う子どもたちとの交流も続いています。先日こんなことがありました。

 私が教室に通い始めた頃、よくめそめそ泣いていた男の子がいました。 その彼と初めて、自宅近くの横断歩道でばったり出会ったのです。 「あっ!」、「あら!」、「こんにちは」、「こんにちは」とお互いにあいさつが始まりました。 「おうちは、この近くなの?」、「うん」、「さようなら」、「さようなら」といって別れました。

 次の学習日に彼と親しみをもってあいさつをしたのはいうまでもありません。 そこで、私は彼の名前を聞きました。そして、彼から同じ学年の女の子も紹介されました。 「ぼくの名前はYです」、「わたしはKです」とふたりが教えてくれました。 「そう、覚えておくね。でも、おばちゃん年だからすぐ忘れるのよ、メモしておくと忘れんよ」と。こんないきさつがありました。

 そして、昨日彼らと教室で再開しました。
「こんにちは!」「こんにちは!」とふたりは笑顔でそばに来てあいさつをしてくれました。 「こんにちは!」、「ぼくの名前を覚えとる?」、「Yくんでしょう」と答えると彼はにこにこ顔。 それから彼女の名前も伝えました。にこにこ顔がふたつ。

 この日、私はすがすがしい気持ちになりました。小学校5年生の彼らと友達になれるなんて素晴らしいことです。

2002年01月14日(月)「多くのことに気づかされた公文式英語」
 最近こんなことに気づかされました。インドの偉大な指導者「モハンダス・ガンジー」を含め、これまでにたくさんの英文の学習をしてきました。

 中学課程では、学習内容の把握に力を注ぐことに追われ、作品を楽しむ余裕など、さらさらなく一生懸命でした。 高校課程に進んで、物語や随筆、評論を読むようになり、笑ったり、喜んだり、感心したり、共感したり、教えられたり、 感動のあまり涙することもしばしばとなりました。

 「天気の知恵」は動物の不思議な行動、「オズの魔法使い」は楽しさ、「賢者の贈り物」は感動、「タイタニック号の悲劇」は悲しみ、 「20年後」(0.ヘンリー)では緊迫感、そしてモハンダス・ガンジーでは感動。

 英語の学習を通して、こんなに多くのことを学んでいたのだということが分かりました。

2002年01月13日(日)「The Greatest Leader of India ―Mohandas Gandhi―」
 現在、I教材(高1相当)で「モハンダス・ガンジー」の生涯を学んでいます。彼は裕福な商人の家に生まれました。 ヒンズー教のカースト制度に幼い頃から疑問を抱き、差別を受けている人々に同情を寄せていました。

 成長してイギリスで法律を学んだ彼は、差別の撤廃に力を注ぎました。それは、南アフリカで、 そして大英帝国の支配を受けていたインドの独立を、彼自身敬虔なヒンズー教徒であったが、国内のヒンズー教徒とイスラム教徒の対立をなくそうと努力しました。

 彼の非暴力で闘う強い姿勢に心を打たれました。心に残ったひとつの文章をここに記します。
“They are not pariahs at all but sons of God who are burdened with the worldly sins on behalf of human being. God made them to purify this world” 「pariah (パリアーはインドの最下層民)」

2001年12月28日(金)「Ifの扱い、いろいろあるよ」
 I教材で、日本とアメリカの高校でスポーツの教育のねらいに相違があることを学んでいます。私には、このような評論とか随筆は少々苦手な部分です。 出てくる単語は今まで見たことも聞いたこともないような難解なものばかり、日本語で同じ意味なのにわざと違う単語を多用しています。

 確かに、この学習のねらいは分かるのですが、出てくる端から覚えきれず何度も繰り返して頭に入れようと努力しているのにです。全く頭に残りません。 やや、絶望気味、落ち込みもひどく、「賽の河原」を連想してあきらめ気分になります。そこで、ひとつのことを試みてみることにしました。

 文具店で見つけた「熊のプーさん」イラスト入りのポスト・イットに“if”の例文と要点を書きトイレに貼ってみました。 今まで何度も“if”に出会ってきました。その多様性にも驚くばかりです。

2001年12月18日(火)「はまっています分詞構文」
 O.ヘンリー 作「20年後」の物語で分詞構文の学習をしています。 話の内容に引き込まれながら、いつの間にか分詞構文の魅力にとりつかれたのです。 中学課程で学んだ不定詞、動名詞、関係代名詞、関係副詞などより頭に混乱をもたらすことなく、スムーズに理解できています。中学課程の段階がなくしては到底理解できないことでしょう。

「あなたはすごいですよ、普通の主婦ではこんな英文を読めないのだからね」と励ましてくださるT先生。
「そうかなあ?」と思いながらも、ほめていただくことはやっぱりうれしい。

 なによりも、うれしいことは、英文の物語が楽しんで読めるようなったことです。

2001年12月14日(金)「公文認定テスト・結果」
 “判定 合格 おめでとうございます。”今日、日本公文教育研究会事務局から、とてもうれしい知らせを頂きました。

 最近、覚えることより忘れることが多い年齢になりました。果たして学習効果があるのだろうかと半信半疑の出発でした。 そんな私が実りのある成果をあげられたことが、なによりもうれしい出来事です。

 公文式の素晴らしさとT先生のお励ましがあったからだと感謝しています。

2001年12月04日(火)「再び要点(KEY SENTENCE)をノートにとり始めました」
 I教材に進んで短編の解釈を楽しんでいます。そして、新しく「分詞構文」なるものを学習しました。 H教材に入った頃からノートをとることをやめていましたが、面倒でも書くことで学習を確かなものにできる。そんな思いから再開しました。

 結果はともかくとして、中学課程で学んだ事柄を知らず知らずの内に覚えて身につけていたのです。 記憶力がめっきり衰えた私にして、よくぞ!これほどまでと思える体験をしました。

 毎日少しずつの学習なので、ノートをとる時間もわずかですみます。それを就寝前にももう一度読み返してみる。そんなことをしています。 時間をおくと分かりませんが、今の段階では効果がありそうに思えます。

2001年11月22日(木)「Is there a Santa Claus ?(サンタ・クロースはいるのですか?)」
 これは、私が、今学習しているI教材です。この英文と訳を筆記しています。当初は、パソコンで入力をと考えたのですが、やはり、これも学習の一つと考えて変更しました。 始めてみるとスペルも自然と覚え、読んでいるうちに文章全体も把握できるなど効果はあります。

 きっかけは、今度の学習日が祭日なのに宿題のプリントをもらい忘れ、学習のリズムをくずしたくない思いからでした。 そして、もう一つの目標は、孫たちへこの素晴らしい物語の内容を伝えたかったからです。

2001年11月14日(水)「I教材は楽しい」
 I教材に進んでから、短編の物語と取り組んでいます。“アライグマ・ラスカル”、“動物のイメージ”と、どれも楽しい。 ところで、結構訳し方が複雑になってきました。そして、昨日“ひとこと”をパソコンに入力していたところ驚きました。

 まるで、英文の組み立て方です。あわてて、削除して書き換えました。これからどうなるんでしょう?
「あなたには、大いに楽しんでもらいたいのよ」と、T先生はよくおっしゃるのですが。

2001年11月12日(月)「マーク・シート方式、初めての体験」
 昨日、中学英語認定テストを受けてきました。正否は別として、案外早く最終問題にたどりつきました。 ところが、最終の1問だけ答えは分かっているのに答え方が分からない。あせって、あせって、顔はほてり、それでも分かりません。 マーク・シート方式のせいにしてみたりしました。

 かなりの点数をむざむざと損してしまったようで、その悔しさといったらありません。 “頭(こうべ)を垂れて”とぼとぼと家路につきました。

 帰宅後、ことの顛末を家族に話すと
「それは、問題をよく読んでいなかったんだ」と。
「でも、何度読んでも答えの記入方法が分からんかった」と私。
「頭が硬いんよ」などなど。

 しっかり、覚えていた問題と回答欄に書いていたことを話しているうちに、回答の仕方が分かってきました。とても、残念です。 

2001年11月03日(土)「疲れました昨日のテスト」
 昨日のテストは、今までになくひどく疲れました。終わった後も緊張感が、いつまでもとれませんでした。こんな経験は久しぶりです。

 合格点が取れ、いつものように、先生から祝福の言葉を頂いたのですが、うつろな気持ちでした。その疲れは、今朝まで続いていました。 ああ、疲れたなあと思いつつも幸せを感じる私でした。

「あなたは幸せよ、こうして勉強できることは、健康だからこそできるのよ」と、いつかT先生がおっしゃってたけれど、その通りだと思いました。

2001年11月02日(金)「H教材に思う」
 H教材に取り組んで、旅行に伴う空白が3ヶ月ありました。普通ならこれくらいの間隔があくと、再開するのに気が乗らないと思うのですが結構やる気になっていました。

 楽しい物語を読むことができて幸せな気分にしてくれた教材でした。この教材のねらいの“過去完了”の理解は、今ひとつという気がしますが、 これからも楽しみながらマイペースでI教材を学習していきたいと思います。

2001年10月29日(月)「H教材終了テストも、もうまぢか」
 実をいいますと、テストを受ける自信がないのです。3ヶ月の空白と、今までと違って日常生活では見られない熟語や単語に出くわし、それを記憶できないもどかしさ。

 でも、その終了テストが次回の学習日となりました。復習、復習をと念じながら、片っ端から忘れていく速度の速さには、自分ながらあきれかえっています。

 とても、自信が揺らぎます。さあ、気を取り直して、おさらいをしましょう!

2001年10月17日(水)「いま、私は中学認定テスト受験生」
 公文式英語を再開して間もなくのことでした。
「励みにもなるし、中学認定テストを受けてみない?」とT先生にいわれました。
「でも、先生、すっかり忘れてしまっているでしょう」と私。
「それがね、案外残っているものなんよ」とT先生。

 と、いうことで受験することになりました。 ある意味では、旅を終えたばかりで、ひとりでやり遂げた自信に満ちていましたから怖いものなしです。

 先生から渡された模擬テストが合格点をとりました。そこで、またまた自信がつきました。現在、中学生英語の復習に取組中です。とてもいい勉強になっています。

2001年09月08日(土)「くもんメイト夏号のケイン・コスギさん」
 ケイン・コスギさんの活躍ぶりは、私もテレビやコマーシャル等で最近知るようになりました。 今の彼は日本語を上手に話しているので、今までアメリカの家庭でも日本語の教育を受けていたのだとばかり思っていました。

 「日本語はすぐにできるようになりましたか?」という質問に大変な努力があったこと。 それから、「でも、英語をマスターすることはたいへんでは?」の質問にも 「そして、なによりもたいせつなことは、言葉も文化も違う国に飛び込んでいく勇気ではないかと思います」と答えていましたが、 その言葉の重みをしっかりと受け止めました。

 私は、海外旅行で、まさにそのような環境に自分を投げ込んでいますが、とても大きな勇気がいります。 辛いことも多く体験しますが、それも、いつしか身について旅の楽しさを味わえるようになっているのです。

 くもんメイト夏号を読んで感じたことをひとこと書きました。

2001年09月07日(金)「3ヶ月ぶりの公文教室学習日」
 帰国後2度ほど、教室を訪問していたので、学習は3ヶ月ぶりですが、生徒たちは私を見ても何ごともなかったかのように、各々プリントに向かって熱心に学習していました。 私も席に座り、今日から生徒の一員となり再出発しました。初めて教室に入った時のような違和感は全く感じられず仲間入りできました。

 ちなみに、私が今、学習しているところは「トム・ソーヤーの冒険」物語です。

2001年09月07日(金)「とても新鮮だった公文式英語との再会」
 旅行で、きっかり3ヶ月お休みした公文教室行きを前に、それこそ久しぶりにプリントをやりました。

 なにが、怖いかって今日までの3ヶ月間、完全に遠ざかっていたプリントとの出会いです。 すべてを忘れ去ってしまったのではないかとの恐怖が先立ち、文房具は準備していながら出さずにいました。

 今日プリントに向かい声を出して読みながら問題を解いていきました。案外、頭の片隅に残っている感触をつかみうれしくなりました。 それ以上に、うれしかったのは学ぶことの新鮮さを再び味わえたことでした。

2001年06月06日(水)「公文メイトに出会って」
 公文式英語教室は旅をするので6月からお休みしています。 でも、教室に通う子どもたちと街角でばったり出会い「こんにちは」と挨拶を交わしています。

 多勢に無勢と教室では私の方がよく目立ちます。 子どもの方は私をしっかり認識していますが、私はどこかで見たような〜?って感じです。 子どもたちの目が笑っています。

 そうなんだ、公文メイトだと急いでこちらも挨拶をします。 普通この頃の世間では私のような年齢になると、幼児から高校生までの子どもたちと挨拶や話をするチャンスは失われてきました。 とても、うれしい現象だとよろこんでいます。

2001年05月16日(水)「まいにち、1〜2枚ずつするといいよ」
 これは、ちょっと前、次男が私にアドバイスしてくれたことばでした。 まもなく私の“チロルの旅”が始まるので4月から教室へは週1回通うように決めました。 ちょっと余裕ができて旅の準備ができるようになりました。

 学習が大変楽しくて、はまり込んでしまった私を家族は不安な目で見ていました。 いきなり学習をやめてしまっては、その意欲をなくしてしまうからとの計らいから、このようなことばをかけてくれたのでした。 それを守って、今でも少しずつ学習をするように心がけています。

2001年05月10日(木)「笑顔がいつまでも・公文教室の子ら」
 先の学習日にいつものように自転車ででかけました。 ところが歩道いっぱいに広がって歩いている中学生の集団に後方から出逢いました。

 「いやだなあ」と、とっさに思いました。これくらいたくさんいると彼らの間を通り抜けるのには勇気がいります。 ずいぶん以前に、そんな集団を通り抜けるとき嫌な思いをしたことがあったのを思い出しました。 ふと、いちばん後の中学生が私に気づいて道をあけてくれました。すると次々と道をあけてくれ、その中に公文教室に通う子どもの姿が見えました。

 「こんにちは」「こんにちは」と、ほかの子どもたちからも、にこにこ笑顔で挨拶され私も一緒に笑顔で挨拶を返しました。 その笑顔がそのまま私の顔に長い間残っていました。

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