公文式英語教室体験記1

2000年12月22日(金)「わぁ〜っ、公文のおばちゃんだ!」
 今日はあまりのよいお天気なので、久しぶりに歩いて買い物に出かけました。
我が家の子どもたちも通ったH小学校の子どもたちが黄色い帽子をかぶり、手に手に袋をぶら下げて帰宅していました。

 その中のひとりの少女が私を見つめて「わぁ〜っ、公文のおばちゃんだ!」と叫びました。 よくよくみると見覚えのある顔でした。
「こんにちは」「こんにちは」とお互いが挨拶しました。

 それから、また程なく歩いていると、にこにこ顔のふたり連れの少女たちが「こんにちは」と笑顔で挨拶をしてくれました。
「こんにちは、可愛いわね」と私は最高の笑顔を返しました。

 さらに、今度は公文教室で見覚えのある小学校5年生の女の子とばったり出会いました。
彼女は「わっ」と急に出会ったので驚きながら「こんにちは」と言ってくれました。

 ぽかぽか陽気に誘われて出かけたウオーキング兼買い物で、たくさんの笑顔に出会えて心まで温まりました。

2000年12月21日(木)「最初のアメリカ人教師に感激」
 いよいよ中学3年生、最終段階F教材に入りました。教材にはそれぞれテープテキストがあります。
さっそくF教材のテープテキストを聞いてみました。
 1847年冒険好きな若いアメリカ人Rabald MacDonaldさんが日本にやってきました。
当時、英語が分かる日本人がいませんでした。そこで彼は英語を日本人に教えたのです。
日本人の生徒たちは一生懸命英語を学んで、ペリーの通訳をつとめたそうです。

 それから、アメリカに帰国したラナルドさんは、日本を愛し亡くなる直前に、彼は「さようなら、愛する人よ、さようなら」と言いました。
当時の日本人の勤勉さ、そしてラナルドさんの心を動かした日本人の優しさ、そのことをずっと愛してくれたラナルドさんに思いを馳せとても感動しました。 

2000年12月19日(火)「E教材に思う」
 E教材もなかなか手強いものでした。
E教材を学習中に苦労話を何度か載せたので省きますが、自分でも分かったのかわからないのか、あやふやなのですがテストに合格してしまいました。

 E教材最終のプリント(E教材の復習)をやり始めたとき「受動態」の表現が怪しくなっていました。やはり、E教材終了テストでも間違いました。
自分の中では、この「受動態」は、いちばんよく理解していたつもりなのにです。ちょと、あなどったのでしょう。
そこでテスト終了後、自分の作った「要点ノート」を何度も読み返しています。効果があればいいのですが。

「少しは間違ってよ」とT先生がよくおっしゃる。
生徒にこんなことを言うのは変ですね。(?)
「間違うことでよく認識するのよ」(T先生弁)ということのようです。

2000年12月17日(日)「案ずるより生むが易し・・・学習とはあまり関係ないことですが」
 公文式英語を学ぶにあたって時間の設定にも散々苦慮しました。
なんと言っても仕事を離れて10年、時間配分が巧くできなくなっていました。

 学習日が週2回、しかも夕方なので食事の用意をする時間と合致するのです。
この時間をどのようにして作ろうか、無理をすれば長続きしないだろう。と始める前にはずいぶん悩みました。
「早めに下ごしらえして、帰ったらさっと作るようにしたらいいじゃない」とT先生は簡単におっしゃる。
『でも、そんなこともうできないよ。そんな無理したくないもん!』と声には出さず言い返しておりました。

 ところが、始めてみるといつの間にか日常の生活に馴染んで気づかないうちに家事をやりこなしていました。
『やれば、できるじゃ〜ん』と。・・・独白。

2000年12月14日(木)「公文式英語を学んで・・・こんなことに気づきました」
 公文式英語を学ぶことを考えたとき、いろんなことが頭をよぎりました。
「今行われている学習方法では絶対に子どもが有利だ」「新しい記憶が定着しない高齢者には無理だろう」「高齢者向きのプリントを開発してくれないかしら」などなど。

 ところが、最近こんな風に思うようになりました。
大人でなければ理解できない“ことば”“漢字”“発想”“経験”“臨場感”では、大人が絶対有利です。

 かって、学習してきたことのほとんどを忘れてしまっていましたが、すべてではなかったこと。
とくに、私は海外旅行で必要な単語はある程度覚えていたこと、自分の気持ちを伝えるために“ここでどのように表現したらいいのか”などが、 かなり記憶にあったので学んでいるとき“あっ、このように表現するんだったんだ”と、その表現法に出会ったときの喜びも味わいました。

2000年12月13日(水)「花まるをよろこぶ私」
 公文式英語は「時制」「文型」に入りました。
なぜか、よ〜く分かるのです。昨日も先生に「パーフェクト、素晴らしい」と言って、プリントに「はなまる」と「Good」を朱書きして頂きました。やっぱりうれしい。

 もうひとつ、自宅でプリントをやっている間BGMをかけています。
心地よい音楽を聴きながら「ながら族」しています。

 かつて、子どもたちがやっていましたが、あれで頭に入るのだろうかと疑問に思っていました。
果たしてどうでしょうか?集中したときには音楽は入ってこないようで、脳が勝手に取捨選択をしているようにも思えます。

 主に次の曲を聴いています。

 溝口肇「ESPACE」世界の車窓から他
 中村由利子「アトリエの休日」「風の鏡」
 エンヤ「ア・ディ・ウイズアウト・レイン」
 宗次郎「Early Times」

2000年12月12日(火)「呆け防止に公文がいいね」
 先週の教室で出会った社会人で英語を受講しているOさんと話が弾みました。

「このごろ、物事をよく忘れるね」とお互いが相づちを打つ。
「昨日ね、NHKのクローズアップ現代という番組でアルツハイマー性痴呆についてみたんですよ。ぼけるって怖いね!」と私。
「そう、ぼけるのが怖い」とOさん。
「そういう意味では、ここで英語を勉強するのっていいと思わない?」と私。
「私もそう思うからやってるんです」とOさん。

 公文式英語を続けることの意義について意見が一致しました。
ちなみに、彼女は多く見積もっても40歳前半、30歳代後半ではないかと思われます。

 それにつけても、私の記憶力低下について彼女には到底理解できないものでしょう。

2000年12月07日(木)「The home of Peter Rabbit」
 「ピーター・ラビットの故郷」を訪ねたのは3年ちょっと前のことでした。
今、その物語の作者“ベアトリックス・ポター”について公文式英語で学習しています。

 私がイギリスで最も気に入ったところでした。のどかで、美しい農園は彼女の貢献によって自然を破壊されることもなく残されたということでした。 そこを訪れるまでは、この地がナショナル・トラストによって残されていることを知りませんでした。
彼女が30年もかかって「ピーター・ラビットの物語」を書き続け、その収益でもって、ここを買い取りこの場所を残そうと大変努力したそうです。 あの優しい絵本からは想像もつきませんでした。

「Thanks to her, we can enjoy the same lakes today.」
 “彼女のおかげで、私たちは今日もその同じ湖を楽しむことができます。”

2000年12月06日(水)「現在完了も結構多機能です」
 1,完了...(〜してしまった)
 2,経験...(〜したことがある)
 3,継続...(ずっと〜している)
 「現在完了」は、こんなに多機能なのです。
はてさて、困ってしまいます。

 “alreaday”,“just”,“often”,“since”,“for”そして現在完了・疑問文では“yet”, “ever”,“How long〜?”,“How many years〜?”など“続々”、“ぞくぞく”、“ゾクゾク”とつづきます。

 私にはどれをとっても区別がつかないので困ります。現在完了は困った代物です。

2000年11月11日(土)「動詞は進化する(変化)もの、しないもの?」
 いよいよ受動態を学習するところまできました。動詞は原形、過去形、過去分詞形へと進化(変化)するようです。
例えば、私の解釈によると次のようになります。
(1)現状に甘んじ全く進化しないもの
   cut,cut,cut.
(2)少しは進化させようと試みたもの
   read, read,read.
(3)ちょっとだけ進化させたもの
   send, sent,sent. make,made,made. build,built,built.
(4)かなり進化させたもの
   buy,bought,bought. bring,brought,brought.
(5)進化させていないようでさせているもの
   sing,sang,sung.
(6)最もよく進化させたもの
   write,wrote,written. eat,ate,eaten. break,broke,broken.

2000年11月09日(木)「公文式英語進度に寄せて:D教材」
・・・もし合格したらどうしよう!・・
 今まで学習してきた中で一番複雑であり、面白かったところです。
かって、習った記憶は全く薄れて、むしろ習った記憶もなかったほどでした。

 そこで、新しいことを学習しているのに等しい感じでした。
D教材にについては、逐次HPに経過を載せてきましたので具体的なことは重複をさけて省きます。

 教材のおわりには必ず復習があります。そこをやってみるとまるで記憶していなかった。
「どうしよう」とあわてる私。
「あああ、こんなんでは先が思いやられる」と落ち込んでしまった私。
「あれだけ、夜中ふと目ざめると習ったパートが気にかかりプリントを眺めてまで確認したのに」と、悔しい気持ちでいっぱいでした。
「よし、復習だ」と気を取り直して再び取りかかりました。意外とそこが頭に残り終了テストは容易でした。
「先生、もし合格したらどうしようかしら、D教材は頭に残っていないんです」と弱気な私。
「まあ、できれば進んで見ればいいじゃあない」とT先生。

 進級テストで、こんな一幕がありました。  

2000年11月01日(水)「関心をもってもらえる喜び」
 私が英語を始めようと考えてから長男に相談しました。
ことのほか関心をよせてくれ、夢を抱かせてくれました。
それで、私の英語を学ぶ目標がはっきりしました。

 それから、機会あるごとに、私は教室でのこと、プリントの内容や進み具合などを保護者ならぬ長男に話して聞いてもらっています。
関心をよせてもらえることは、うれしいことで、なによりも励みになります。
これは、逆の立場を考えれば、親はこどものすることに関心をよせて、しっかり応援してやることの必要性を身をもって感じ取りました。

2000年10月17日(火)「不定詞はくせ者」
 いま現在「不定詞」のあれこれを学んでいます。
「もう、これ以上出てこないで」と言いたい心境の私です。
名詞の役割、形容詞の役割、副詞の役割と「な・ん・で・も・ござれ」と私をあざ笑うように次々と用法が出現します。

 [to +動詞]から[too・・・to〜][・・・enough to 〜] etc.
これで充分と思っていたところ、はたまた、[how+ 不定詞][what+不定詞][ where +不定詞][when+不定詞]etc.へ。

 これで私は[?・?・?・?・?・?]。その場限りの私の脳細胞では処理できかねます。
おぼつかない限りです。では、英語が嫌いになったかと言えばそうではありません。

 せっせと学習しています。
「ざるに入れよるようなもんじゃやのう」と長男は嘆いています。でも、応援はしてくれています。

2000年10月17日(火)「頑張れば頑張った分だけ、ちゃんと記録に表れる」
「君ならできる」小出義雄著・幻冬社 【ママさんランナーの時代到来】から抜粋。

【素敵なシューズを履き、格好いい短パンをはき、・・・中略。
 42.195キロを、たくさんの人たちの応援を受けながら、お母さんでも走れるのだ。
 それは、マラソンならではの快感である。
 しかも、頑張れば頑張った分だけ、ちゃんと記録になって表れる。
 自分の目標、自己ベストの更新、つまり夢の実現に向けてきた跡が、はっきりと分かるのだ。
 努力の成果を確認しながら、着実に夢に近づけるのである。】

 私は、公文式英語で、これと同じ経験をしていることを実感しました。
この喜び、この夢を実現するまで頑張ってみたいと思いました。

2000年10月15日(日)「不定詞は七変化する」
 いま、不定詞を学習しています。〈to+動詞の原形〉を不定詞という。
〈名詞的用法〉、〈形容詞的用法〉、〈副詞的用法〉といろいろへんげ(変化)するのですから、もう目いっぱい頑張って覚えようと努力しているのですが大変です。

 ここまでくると、いまの私には習った記憶がありません。
「ええ〜とっ、さて、ここでは、こうでしょう!」
「そ・れ・か・ら・・・、ここでは、こうなって!」
「ああ・あ、こんどは、こうなるんだ!」

 などと、ひとりごとをいいながらプリントに取り組んでいます。

2000年10月07日(土)「比較級について思う」
  “er”“more”“est”“most”“good>better>best”“as〜as”などなど、 「わぁ〜っ、たくさん出てきちゃった。こんなに一度に出てきても困るよ。」と、昨日のプリントをしながら悲鳴をあげた私でした。

 さらに、追い打ちをかけるように、“big>biggest”“fat>fattest”“thinnest>”“early>earlier>earlist”、 比較級を作るとき“the”“than”をつける、“e”で終わるときは“r”“st”のみつけるなど違う表現が続々。

昨夜は地震の恐怖もあって時々目ざめました。
その度に「“as 〜as”、ほかになんだったっけ?」と頭の中を英語が駆けめぐりました。

2000年10月05日(木)「公文式英語進度に寄せて:C教材」
「なるほど、そうだったのか」とうなずく私。
「この用法は習ったかな?」と首をかしげる私。
「先生この用法は知らないのですが昔からありましたか」と質問。
「あったですよ」とT先生。
「あんたの時代にもこの用法あった?」とまだしつこく長男に尋ねる私。
「うん、あったよ」と長男。
「それじゃあ、あったんかね」とやや不信感を抱きつつ納得する私。

 「雲散霧消(物事があっさり消えてなくなること)」と完全に記憶から消え去ってしまったことや、 おぼろげな記憶を再確認したC教材でした。

2000年10月03日(火)「公文式英語に、はまった私」
 私の英語は「やり直し」ということもあって、短期間に階段をかけ登るように進度を進めてきました。
しかし、これは始めの方だけで今では、かなり速度が落ちてきました。
とは言いつつも、宿題のプリントの枚数はそのまま、したがって多くの用法が一度に押し寄せてきて頭に収まりきれないうちに、 どんどん入ってくるのですから消化不良を起こしそうな状態になってきました。
その分、時間をかけて学習している私に気づきました。

「これは、たまらん」と思いつつ、やめられない。決して苦痛ではないのです。
「もっと、知ろう、もっと分かろう」と自立的にやっているのです。

 でも、長男はストップをかけます。
「もう少し、枚数を減らしてゆっくりと進めなさい。時には息抜きをしてプリントをしない日もあっていいのではないの、2年くらいかけてね」 とT先生からも指導を受けました。

 これは、完全に「公文式英語に、はまってしまった」ようです。

2000年09月22日(金)「頭は、もう満載」
 私が今、学習しているところは、それこそ“さまざまな表現”がでてきます。
先日からの“will”“may”“must”“be going to”“have to”“do not have to” などなど。
こう矢継ぎ早に“さまざまな表現”がでてきては“頭は、もう満載”です。

 グチをこぼしていたところ、それを聞いた長男は、
「もう、定着するまで何度も繰り返してやるしかないわ」と。
「ええっ、そんなになんべんも同じことをしとうないわ」と私。

 と言いながらも、なんとかいい方法はないものかと考えている私です。

2000年09月22日(金)「娘とのメール交換に英文を加える」
 ほとんど、毎日のようにメール交換をいしている娘に挨拶やお天気の様子などを英文で送っています。
以前ならスペルがなかなかでてこなかったのですが、この頃は英語に親しんでいるので、すぐ、でてくるようになりました。
(間違うこともあり)

 現在、習っていることを紹介したり、習ったばかりの“さまざまな表現”を使ってみたりと楽しんでいます。
さらに、テレビやラジオで放送される英文も、すぐスペルに置き換えてみては自分でも“進化したぞ!?”と喜んでいるところです。

2000年09月20日(水)「勉強の楽しみ」
 なんと言っても、その醍醐味は「わかる」ことのうれしさ。
ごく、最近は“may”“ must”を使った文章に出会いました。
なぜだか、ここの部分はあいまいな記憶しか残っていませんでした。

 海外旅行でよく耳にする言葉です。
「May be〜〜」と言われると、意味は分かるのだけれど、自分はどう表現したらいいのかしらと何度思ったことでしょう。

 こんなことで、今習っている公文式英語は、私の旅に即、役立ち海外の人たちとの交流に大きな力となることでしょう。
「It may be fine tomorrow.」、「May I ask a question.」と、これからは胸を張って言えます。 

2000年09月15日(金)「スクスク・クラブのみなさんといっしょにパーティ」
 今日、小さいお子さんといっしょに教室のパーティへ参加しました。
お子さんやお母さんの本読みを聞いたり、「あたま、かた、ひざ、ぽん」や「おかあさんゆび」の英語版の歌を歌ったり、 日本語(表)英語(裏)カードを使って反対語を言ったりするなどのゲームを楽しみました。

 画像も紹介します。 全員で集合写真ゲームの様子1ゲームの様子2

2000年09月13日(水)「公文式英語進度に寄せて」
 B教材で沢山の事柄を学びました。
否定文、疑問文、命令文、現在進行形、動詞の過去形の変化の仕方などなど。
どっと一度に、闇に包まれていた部分に光があたったような気がしました。

 長年、不確かだったことが理解できるようになり「やったぞベイビー」と叫びたくなるような気持ちさえしました。
ところが困ったことに、学んだ事柄すべてが、それぞれの持ち場で、はっきりと理解できたものの、 ちょっと持ち場を離れると資材がばらばらと、てんでに自己主張してくるようになり、 「えぇ〜と、ちょっと待った」と、それらの持ち場へ持っていく動作が鈍るようになってきました。

 おそらく、一度に分かるからと言って、古びた頭の中にたくさん入れ込み過ぎたように思います。
先生としては、私がプリントをこなしている範囲で理解しているものと判断されるのは仕方がないと思います。
昨日、教室で先生とそのことを話し合いました。

 「時間をかけて、ゆっくり進んで行きましょう。息切れしないようにね」と言うアドバイスを頂きました。

2000年09月10日(日)「高校生とおしゃべり」
 私が「公文式英語」に入会して丁度2ヶ月が経ちました。
先週の学習日のことです。
「Tお姉さん(私のこと)に、このプリントを渡して間違ったところをみてあげて」と、T先生が女子高校生に依頼されました。

 私が指摘されたところを訂正し終わると、彼女がいろいろと話しかけてきました。
今日、学校であったこと、「外国人と結婚するのが夢」などなど。
若い人と話すのは、結構楽しいものです。旅でも、よく若い人と話す機会があるけれど、こんな日常の場では、私ような年齢の者には若い人は話しかけてはきません。
敬遠しているのでしょう。でも、同じ学習の場で、共通部分があるので話しやすかったのかもしれません。

 小学生、中学生、高校生に混じって勉強するっていいですよ。

2000年09月09日(土)「私の学習法、方向転換」
 私が公文式英語で学習を始めたのは、中学1年生の初歩的なところからでした。
比較的みやすかったこともあって、とん、とん、とんと、階段をかけ登るようにしてプリントを消化していきました。

 始めた当初は、10枚のプリントを25分で仕上げました。
進度が進むに連れて、40分、50分、今日などは、60分と1時間もかかるようになりました。
かなりの時間、緊張の持続が要求されるようになったのです。

 しかも、プリントが終わって、その要点をノートに書き写したり、最近では単語表も作るようになりました。
そうすると、家事を終えてからの午前中を英語だけに時間を費やしている計算になります。

 ふと、「あれ!、これでは長続きしないよなあ」と、考えるにいたりました。
なにもかも、やりたいことをセーブしてまで、やらなきゃいけないことでもなし。
そう思えるようになりました。

「長い目で見て勉強して行かないと、壁にぶつっかた時、どう乗り越えられるかが真価を問われる時ですよ」と、T先生からのアドバイス。
「焦らないこと」と、最初から長男にも口を酸っぱくして言い聞かされてきました。

 そこで、時間省略のため、単語も辞書を見ることにして書き取らないことに決めました。

2000年09月03日(日)「公文式の価値(2)」木全徳裕を読んで、、、その1
 全体を通してご本人の熱意が感じられました。
「単純な計算が脳を活性化させる」2000年特別号で、『脳細胞と脳細胞のネットワークが密になり、 また、つながったネットワークが太くなることです。』と言う部分には大いに納得しました。

 私がこの度「公文式英語」を始めて強く感じることは、学習の中で 「ああ、こうだったんだ、霧の中で浮遊していた記憶が明るい日差しに照らされたように、はっきりと確認できるようになりました。」
僅か2ヶ月間という学習期間なのに、今までバラバラになっていた記憶(知識)がつながってきたようです。

 あとがきの「小さな変化に気づいてあげて、それを認めてほめ、励ます」ことは、確かに大人になってもうれしいことです。
その点でも、教室のT先生がいつも、明るく接し、ほめ、励まして下さることです。
更に、先生が物事をプラス思考で考え、なににでも関心を持ち続けていらっしゃることです。

 やっぱり、「公文式英語」を始めてよかったと強く思っています。

2000年09月02日(土)「進度に寄せて」
 私が2A教材を学ぶことで、あやふやになっていた複数(s、es)のつけ方がはっきりしました。
A教材では、人称代名詞の確認と3人称単数への(s)のつけ方がはっきりと理解できました。

 大人になって学ぶと理由づけが必要になります。
子どものような記憶力が旺盛なときなら「理屈より覚えてしまう」ことの方が容易です。
しかし、大人はそうはいかない。理屈があれば、比較的頭に入るのです。

 名詞に(s)をつけるのは理解できるのですが、動詞に(s)をつけることに納得ができかねるのです。
そこで、先生にも聞いてみました。

 「それは、決まりです」と先生。でも、私は納得できない。
こんなことが、次々でてきます。それだけ、複雑になってきたのでしょうか。

2000年08月23日(水)「私の文房具たち」
 8月も終わりに近くなりました。
子どもたちは、あと僅かとなった夏休みをどのように過ごしているのでしょうか。

 今、私は、自分自身のことを含め我が家の子どもたちが、この時期を過ごした古い昔を思い出しています。
こんな私には、縁が無くなったと思っていた文房具たちが勢揃いしました。
シャープペンシル一辺倒だった私が、2Bの鉛筆を買いました。
そして、鉛筆削りも買いました。ところが今ひとつつ、削りにくいのです。

 確か、どこかにあったはずと思い、かって子どもたちが使っていた「肥後の守」のナイフを探し出しました。
古くなった「肥後の守」が木部と芯を気持ちよく削ってくれています。
更に、筆箱は長女が中学生の頃使っていた「Hello Kitty」ちゃんです。
更に物差しも同じく「Kitty」ちゃんです。
その他、カセット・テープ・コーダー、ホッチギスなどは以前購入したものばかりです。
これらを空き箱に入れています。

 勉強は、もっぱら食堂の大きなテーブルについて、出来るだけ同じ時間帯にするように心がけています。
これは、私の文房具たちの画像です。

2000年08月17日(木)「効果あり、スペルがするすると!」
 正直言って、公文を始める前、その学習効果には半信半疑でした。
 これから成長しようとする子どもたちと、私とが同じプリントの学習方法でいいのだろうかと疑問に思いました。
そこで、先生にそのことを聞いてもみました。

 「取りあえず、始めてみよう」から出発。
何度も、何度も繰り返して、同じような文章と単語がでてきます。
これを読んだり書いたりと、プリントを進めていくのです。
「これでいいのかなぁ〜?」と思いつつ。

 始めた当初は、前に出た文章や単語を見ては、質問に答えていました。
が、いつの間にか、はっきりした自覚がないまま、スペルがするすると鉛筆を伝わって出てくるようになりました。
「効果ありを実感する」ようになりました。

 忘却度が激しくなった私ですが、少なくとも、そのプリントをやっている間は記憶に残るようになってきました。
そんなことで、苦手だったスペルがスラスラと書けています。

2000年08月08日(火)「小学生の先輩に、ご挨拶」
 公文教室通いも回を重ねて、まもなく1ヶ月になります。
「公文教室は、若いエネルギーがみなぎっていて、いいでしょう!」と先生。
「若い人に混じって勉強できるのは、うれしいですよ」と私。
「この子たちは、公文ではあなたの先輩よ」と先生。
「そうですよね」と私。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」と、目の前にいた小学生に挨拶しました。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」と彼女も笑顔を浮かべて可愛く挨拶を返してくれました。
 たとえ、小学生でも謙虚に接しなくてはいけなかったのですね。
 私は、ちょっと反省しました。

2000年08月05日(土)「思わぬ出会いと交流」
 昨日、私は教室で親しみを込めた眼差しで見つめられました。
なんなんだろうなと考えていると、その女性から声をかけられました。
その人は、30年前、長女と同じHピアノ教室の生徒さんでした。
「娘さんは、どうしておられますか?、それからT君(次男)と同じクラスだったのです。」
「まあ、そうなの、子どもさんは大きくなられ、変わるから分からないわね。」と、私。
小さなお子さんを連れて教室に通っているのだそうです。

 そのほかご近所さんにも出会います。
まだまだ、私を知っている小さな仲間がいるのではないでしょうか。
小さな子どもが珍しそうに、私に興味を示し関わろうとしてくれます。

 思わぬところで交流が生まれています。これからが楽しみです。

2000年07月26日(水)「公文教室のシルバー・シートをゲット!?」
 公文教室通いも昨日で5回目を数えました。
「このテーブルで教材をやって下さい。」と、T先生に言われました。
「どこでもいいんですよ」と、私。
「でもね、椅子に座布団があるからお尻も楽だし」と、さらに先生が続けて言って下さいました。

 それから、毎回私が教室に行くと、その席が空けてあるのです。
ひょっとして、私のために先生が空けて下さっているのかなと思いつきました。

 まさに、世に言う「シルバー・シート」です。

2000年07月15日(土)「公文式英語特別学習体験記2」
 とりあえず、私は2回目の教室に出席しました。
前回は、「すくすくクラブ」0歳から4歳までの幼児が学ぶ時間帯でしたが、今回は小学校低学年から高学年までの時間帯でした。
なんとなく、子どもたちの視線を浴びながら学習をしました。

 T先生から、学習の指導法や手順を聞いたり、「カーディ(=音声学習機)」なるものの使い方を教わったりと、 覚えることが次々と押し寄せるみたいで、「先生、一度には覚えられませんねぇ〜」と、言い訳やら、愚痴やら言いました。

 「そうね、まあ、そのうち学習のリズムにのるでしょう」と、T先生はおっしゃっていました。

 デジカメで撮影してきた、教室の学習風景です。

2000年07月12日(水)「公文式英語特別学習体験記」
 実は昨日「公文教室」で英語のテストを受けました。
新聞に挟んである「公文式教室」のチラシに目がとまり、数日間悩んだ末、意を決して訪れました。

 私は以前から海外旅行から帰るたびに英語力のなさに辟易して「よし、英語を勉強するぞ」と心に決め、様々な本のタイトルに踊らされながら、次々と購入してきました。
もちろん、テレビのテキスト片手に勉強もしてきました。
しかしです、今もって英語は上達していません。いいえ、全く前とは変わっていないのです。

 なぜなのでしょう?年齢かな、緊張感が足りないからかな、などなど。
やっと、昨年「やり直しの英語は中学英語で基礎を学びなさい」という本に出合いました。
そこで、さっそく中学3年間分の英語のガイドを買ってきて独習しようとしたわけですが、一度も本を開かずに終わりました。

 そんなことで、テストの結果中一の基礎からやり直すことになりました。
週2回の出席と高額な月謝にまだ、少し迷いがあるのでが、、、。

体験記1(2000/07/12〜)

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