出発前の準備記録

出発までこのコーナーは、私の「旅の準備」についてお知らせして行きます。
まずは、「旅の準備」を自分の記録として残すことが第1なのですが、
併せて、これをご覧になっている方々にも参考になればと思っています。

by グランマ・ヘルメス


1997年 4月15日(火)・・・いよいよ出発前日

いよいよ出発前日になりました。ついに旅の準備は完了です。

昼頃、イギリスのグレイムさんから手紙が届きました。
辞書を引くまでもない簡単な英語で、広島での滞在のお礼とイギリスでの再会についてです。
ありがたいことです。

それでは、皆さんもお元気でね!!行って来ま〜す。

1997年 4月14日(月)・・・いよいよ出発前々日

荷物は思い切り少なくしました。それでも12sです。
泣く泣く置いていくことになった品々を見ると悲しくなります。

今日も1日忙しく走り回りました。
パソコン入力、T/C、$、購入、役所、そごう百科店、クリーニング店、スーパーなどなど。 

夜、イギリスの敦子さんからローマで落ち合う事の打診と
「よい旅を!!」のメッセージを電話で送って貰いました。グレイムさんからも手紙が届くそうです。
更に10:00pm。大阪の旬子さんからもエールを送って貰いました。
本当に皆さんにご心配をおかけします。みなさんありがとう!!

1997年 4月14日(月)・・・「街歩き資料」完成!

ようやく「街歩き資料」完成。当初のつもりとはだいぶ違った形になったようです。
形式も思いつきで一貫性は無いです。とにかく自分が見るためのものですから良しとしましょう。

 街歩き資料_1街歩き資料_2の紹介

1997年 4月11日(金)・・・航空券と鉄道パスを受け取る

朝、最近友人となったKさんから「出発前にぜひ会いたい!」と言って会いに来てくれました。
午後、HISから「航空券とパス」が揃ったと連絡が入ったので、受け取りに自転車を走らせました。
カウンターで全てに目を通し、航空券と鉄道パス(ユーレイル&東欧レイル)にサインをしました。
帰宅後、長男が確認をしてくれました。 
これで、旅支度は調いました。カウントダウン5です。
いよいよ、これから長い旅が始まる事になりました。

1997年 4月10日(木)・・・皆さん、どうもありがとう!

いよいよ出発の日が迫って来ました。1日がなんと早く経つのでしょう。
家を出る前にしておく事がありすぎて、目が回りそうです。
今朝も、パソコンデーと決めて1日入力しようと心に決めていたのに家事に追われて、
とうとう11時半となりました。

先日来のマイ・フレンドからの励ましや、Eメールでのエールを送って頂いて、
下降気味であった私の気持ちに再び旅への期待感が高まって来ました。
宮城の宮古さん、そして遠くベルギー在住の大山さんからEメールで、
うれしい情報と応援を頂いた事はどんなに私を力づけてくれたことでしょう。
皆さんに「ありがとう」のお礼を言いたいと思います。

1997年 4月 8日(火)・・・いろいろと

「もしもし」「もしもし」「もしもし」。
先日からこんな会話を東京、大阪の各所へと電話しています。
事の発端は「GIOクラブへ加入すれば便利なIDCカードの年間基本料金を負担ます」
とのふれ込みで私はGIOクラブ会員となり、即「IDCカード」会員にもなりました。
ところが、送られてきた海外からの電話の使用方法(マニュアル)が私には面倒でした。
そして使うのをやめようと思ったのです。

「IDCカード」の契約内容に1ヶ月基本料金300円を申し受けます、とあったので早速解約を申し入れました。
GIOクラブが年間基本料金を負担しますとあったのを、私は「IDCカード」の入会金と思い込んでいたのです。
ちぐはぐな受け答えで「もしもし」「もしもし」「もしもし」と舞い上がった私。
おまけに意地悪としか思えないような感じの相手の対応に、私は悔しい思いをしたのでした。
頼みの綱の「GIOクラブ」の諸々のサービスは、私のような旅の仕方の者には余り受けられなかった事です。
更に「ユーレイル・パス」の購入でも「GIO旅のパーツ」ならトーマス・クック時刻表、
トラベル・ダイアリーその他のサービス、が受けられると言うことでその気になっていたのですが、
送金料や東京へ電話で問い合わせるなどかなりの出費がありそうなので、これも中途から止めました。
 
もうひとつ、これはヴィザカードの「海外旅行中増額する」手続きをしました。
またまた、東京、大阪へと「もしもし、もしもし」の連続です。
「限度額」について、これも思い違いがあり、私はまたまた舞い上がりました。
本当に出発前になってあたふたやっています。
これもみんな私の思いこみが災いしたのだと息子たちに反省を迫られました。
「こんな事では先が思いやられる、思い込みをしない事、冷静に事に当たること、
 だまされる事がないように気を付ける事」等々、口を酸っぱく言い聞かされています。

荷物の「パッキング」(JPEG 31KB)を実行しました。
これは、いつも旅を始める時、重い気持ちにさせられるのです。
持っていきたい物は沢山あるのに自分の体力に見合った分量しか持って行かれない事です。
今回も山のように積み上げた品々を、こわごわパッキングしてみました。
案の定、総重量16kgです。とても無理です。
とにかく5kgの減量を決行する事にしました。
断腸の思いで次々と落としていきますが、今の所、怖くてパッキングは出来ないでいます。
本当にどうしよう!!

お守りがふたつ(JPEG 15KB)になりました。
マイ・フレンドの中尾さんから前に1つ頂いていましたが、
先日また太極拳の先生から「旅の安全」のお守りを頂きました。
「何かと思ったのだけど、大事な生徒さんだから健康に気を付けてね」とそんな思いで下さった。
ひとつはザックに、ひとつは身に付けて行くことにしました。
その後、中尾さん親子が音楽のテープを「旅で聞いてね」とわざわざ家まで届けくれました。

イギリス在住の敦子さんから「ローマとイギリスで再会しましょう」と励ましの言葉を添えて手紙が届いた。
「旅に出る時はワクワクより、ドキドキの気持ち・・・
 いざその地に立ってみると緊張もほぐれて結構楽しい旅ができたので、
 きっと寿美江さんも楽しい旅行になりますよ!」と敦子さんも結んでいました。

春で沢山の花が咲いています・・・・・期待しましょう!!

1997年 4月 4日(木)・・・出発前の体調維持について4

歯科医院へ、予約時間に行って治療を受けた。
歯茎の腫れがまだ収まらないので、先生が長期間の旅を心配されて
もう一度4/7に行くこととなりました。 

1997年 4月 3日(木)・・・ついに航空券をゲット

今朝、旅行会社HISから航空券(シンガポール航空)が取れたと電話があったので早速入金して来ました。

*航空券:1年オープン往復券(往路:広島→イスタンブール、復路:マドリード→広島)・・・\149,800     
*イスタンブール初日1泊のホテル予約代と手数料・・・\7,000
*ユーレイル・パスと東欧レイル・パス料金・・・\226,900
*合計・・・\375,100也。

覚悟はしているつもりでも高額の出費で痛い。
現地に行ってもホテルは出来るだけ安く、しかも安全も考慮していいホテルを探すこと。
切りつめて無駄な出費をしないように心掛けることにしよう。

帰りにカセット・テープ(30分=太極拳のBGM用)1本、カメラ用のリチューム乾電池、
テープレコーダー用乾電池等を購入しておきました。
荷物の点検、トラベラーズ・チェック、外貨購入などして行くなど日に日に出発の日が迫り、
今はただ旅への期待より恐れの方が強く感じています。
「街歩き」もまだ未完成なので、急いでやっておかなくてはならないことのひとつです。

1997年 4月 2日(水)・・・出発前の体調維持について3

このところ軽い腰痛を感じるようになり、旅に出ればザック10sは背負わなければならないので
一寸不安がよぎります。
歯の治療も再度4/4にもう一度行くようになりました。歯茎の腫れがなかなか収まらないようです。
旅に発つ前になって体のトラブルが出て来て困ったものです。
ひょっとしたら、これは精神的な不安が体に出ているのかもしれませんね。 

1997年 4月 1日(火)・・・鉄道パスを申し込む

HIS(旅行業者)に「ユーレイル・パス・3ヶ月」と「東欧レイル・パス・1ヶ月・7日間」を申し込む。
航空券はまだ取れていないようです。

1997年 3月29日(土)・・・出発前の体調維持について2

体がなんとなく快復しかけてきたので、毎日「街歩き」のノートを作成しています。
しかし、以前のように夜までパソコンには向かわないように心掛けています。
なにしろ、今度は花粉アレルギーの再発に悩まされています。
止まらないクシャミと鼻水で、とうとう鼻声になってしまいました。
用心をして早めに就寝をしています。
気がかりな事も多く、気分はイマイチ晴れませんせんけれど、体は休んでいると思っています。

1997年 3月28日(金)・・・ブルガリアVISA取得(出発前のVISA取得完了)

今日、待望のブルガリアVISAが到着しました。
立派なシールとキラキラに光ったシールが、丁寧に台紙とそのシールを封印するように張ったありました。
先に取得していたハンガリーのVISAと併せて、これで出発前に取得すべきVISAは用意できました。

 ブルガリアのVISA(JPEG 14KB) ハンガリーのVISA(JPEG 13KB)

ビザ取得にかかった費用を以下に記します。
*ハンガリー:切手代.\90  電話代.\320 往復送料代.\610+\540 ビザ料.\5000 合計で\6,560也。
*ブルガリア:切手代.\180 電話代.\100 往復送料代.\610+\540 ビザ料.\5800 合計で\7,230也。

旅行業者は1件につき、\17,000だと言っていましたので、結局併せて「\20,210のお得」となりました。
簡単なので皆様にもぜひおすすめです。
また、ハンガリーの職員の方の対応がよく、きっとハンガリーはいい所ではないかと想像しました。

「なぜ、ブルガリアに行くのですか?」と聞かれると「イスタンブールから近いから」と、
私は毎日、ヨーグルトを食べていますので「ブルガリア・ヨーグルトを食べに行きます!」
としか返答が出来ないような単純な動機です。

ある日、我が家にやって来た「世界38カ国を旅して来た」青年、Nさんと話す機会がありました。
ブルガリアなら「リラの僧院」と「バラの香水」が素敵ですよ。
それから、バラの谷はどこ?とガイド・ブックを紐解くのですがわかりませんどこでしょうね? 
行ってみてからのお楽しみ!!とこんな風に考えています。 

1997年 3月25日(火)・・・出発前の体調維持について

 以前より気になる脂肪種(良性)が歩行に影響を及ぼすので、3月14日に皮膚科で切除して貰いました。
その同じ日の夕食時、「歯医者さんにも行とった方がええよね」と長男に話した直後、
左奥歯の詰め物が“ぽろり”。「ええ!」と自分でもびっくりするほど驚きました。
やはり、歯医者さんに行くようにしむけられたんだ、と翌日の3月15日に、
いつも診ていただく歯科医院で受診した結果、その奥歯のひとつ手前の歯茎が腫れて膿みが溜まっていたのです。
勿論、詰め物も取れていました。

 午前中は皮膚科、午後は歯科へ通院して忙しく、肩こりと神経痛に悩まされました。
ようやく3月21日に皮膚科で抜糸、歯科の方も3月28日まで行かないですみました。

1997年 3月19日(水)・・・行程変更に伴う「旅ノート」の修正

 今日「私の旅ノート」を一部訂正しました。
東欧はまとめて9月訪ねることに決め、東欧のユーレイル・パスを購入しようと考えたからです。
パスはオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ポーランドとあり、
大変都合がよくコースを変えました。

旅ノート1(JPEG 74KB)旅ノート2(JPEG 81KB)旅ノート3(JPEG 71KB)旅ノート4(JPEG 23KB)旅ノート5(JPEG 50KB)・・・修正追加分
 最初のコースより、かなり日にち的に余裕が出て来て、思わぬところで 懐かしいスイスのグリンデルワルトとリヒテンシュタインに行くことが出きるようになりました。 グリンデルワルトではベラリーホテルに泊まり、宿の皆さんと再会を果たし骨休めする事と、 リヒテンシュタインではシャーンYHの近くにあった、素敵なレストランのオーナー(女性)に もう一度会いたいと思っています。

1997年 3月13日(木)・・・ブルガリアVISA申請とジオ・クラブ入会申し込み

@ブルガリア入国VISA申請書を出しました。
@ジオ・クラブ入会を申し込みました。
 以前からその存在は知っていましたが、その必要を感じなかったのですが、
 ジオ・クラブ会員用IDCカード(国際電話専用カード)のサービスを知り、
 便利と思い、両方を申し込みました。
 その他、パスポ−ト、運転免許証、VISA、YH会員証などのコピーを取っておきました。


1997年 3月12日(水)・・・ハンガリーVISA取得

ハンガリーからVISAが届いた。
はじめ旅の計画で6月入国を予定していたのですが、9月に変更しようかと思い、
有効期限内ぎりぎりに入国してもいいか(有効期限後の出国)を問い合わせたところ、
「よろしい」との返事をもらいました。


1997年 3月10日(月)・・・出発前の持ち物リストを作成

必携品
・パスポート     ○      ・海外旅行保険証と冊子    ◎
・ビザ        ○      ・免許証控          ○
・YH会員証     ○          ○印はコピー
・航空券往復     ○          ◎印は留守宅へ置く
・現金&T/C    番号控
・ビザカード     番号控
・ユーレイルパス   ○

小物類
・カメラ・・・リコー;R1s     ・洗面具(タオル2)&化粧品(ヘアーローション)
・カセットテレコ・・・SONY;TCM-55  ・洗用品(洗濯はさみ、洗剤、ひも、袋)
・フイルム&電池(単三)       ・薬品(葛根湯、三共胃腸薬、サビオ、サニーナ)
・磁石                ・ハンカチ&ウェットティッシュ、トイレットペーパー
・缶切り               ・サングラス
・ナイフ(スプーン&フォーク)    ・耳栓
・ミニライト             ・爪切り
・電卓

バック類
・トライバック40 IND インディゴ:モンベル・・・ポケットバッグはデイバッグとして
・ポシェット    紺色     SINA COVA
・スタッフバッグ     大中小 衣類、小物、薬品、食料入れ用
・貴重品袋     大小とフット用 各1
・ビニール製    洗面具、化粧品、筆記具、水着入れ用
・風呂敷      1〜2枚
・ザックカバー
・雨具:傘(青)&スパッツ(赤色)

服装&着替え
・ジャケット・・・レディースミスティパーカー ゴールド×パープル色
・フリースジャケット・・・パープル色 1
・ワンピース・・・1
・スパッツ・・・黒とねずみ色 各1
・パンツ・・・ウール1、ゴアテックス・ジーンズ 各1
・帽子・・・紺とえんじ色のリバーシブル(撥水加工)
・ソックス・・・ローナ・トレッキングショート 黒、紺色各1、
        ダクロン白色 2、フリース 2、ストッキング
・手袋・・・フリース
・ウールセーター・・・1
・ショート・パンツ・・・2
・シャツ・・・ダクロン&ポリエステル ピンク色チェック柄 2枚
・Tシャツ・・・長袖&半袖 各3
・肌着・・・各3枚
・靴・・・ゴアテック ・ブーティ茶色、布パンプス黒色
・スカーフ・・・1枚、ハンカチ5枚、バンダナ
・水着・・・花柄 1着

持参するガイドブック&本
・地図&時刻表・・・トーマス・クックのヨーロッパ地図、時刻表
・ガイドブック・・・ヨーロッパ、東欧、トルコ・ギリシャ編、YHガイド、現地危険情報
・旅ノート・・・ファイルA4、B5
・手帳・・・2冊(スケジュールと記録 メモ帳;切離し)
・文具・・・ビニールケースB6、シャープペンシル&ボールペン、サインペン、テープ
・9カ国語会話集、英和辞典
・文庫本00冊

 以上、持参する物についてリストアップしました。
このように羅列すると非常に多く感じられので、果たしてザックに入るかしらと不安になります。
持参するカメラを久々に出して見ましたが、使用法がサッパリわかりません。
「もう一度使用法を確認、そして持参するように!」とNコーチからきつく言い渡されました。
これらの情報は連日パソコンへ入力していますが(一太郎8)、なぜかいつもアクシデントに見舞われ、
今日も折角苦労したデータを「水の泡」よろしく消してしまいました。ガックリ!!
しかし、それにもめげず頑張っています。


1997年 3月10日(月)・・・出発前の安全チェックリストを作成

@調べておくこと
・旅券の残存期間(取得申請は早めにすること)
・査証の要・不要
・予防接種の要・不要(ヨーロパの場合はまず必要ない)
・渡航国の免税範囲と持込制限・禁止品
・現地の治安状況
・現地のお祭りや休日・見本市などの期間と宿泊状況

@用意するもの
・旅券と査証
・旅券用の予備の顔写真5枚程度
・航空券
・現金とTC
・CC(国際的なものをできれば2種類)海外旅行保険証と利用の冊子
・医薬品
・貴重品袋など(貴重品を持ち歩くための小道具)

@メモしておくこと
                                コピー
・旅券  / 番号      発行日     発行場所      ○
・査証  / 番号      発行日     発行期限      ○
・航空券 / 番号      発行日               ○
       予約搭乗便
       搭乗日時
・TC  / 番号      購入日     取扱銀行
       在ヨーロッパ地区緊急連絡先
       在日本の銀行連絡先(紛失時)
・キャッシュカード(持参して行く場合) / 番号
・運転免許証(パスポート紛失時の身分証明書として)/ 番号    ○
・旅行会社現地連絡事務所 / 住所・TEL
・海外旅行保険 / 海外旅行保険証番号
          現地連絡先・TEL
          日本緊急連絡先・TEL
・現地の友人知己 / 住所・TEL
・日本国内の友人 / 住所・TEL


1997年 3月 3日(月)・・・新パスポート受け取りとハンガリーVISA申請

家事を済ませた後、2/24に申請していたパスポートを受け取りに県旅客課に出向いた。
毎回同じ事ではあるが、5〜6kmの道のりをママチャリで走る。
結構の運動量にはなりそう、大きな橋の勾配は苦しい。
広島は川が多い街、沢山の橋をジグザグに縫いながら中心地へと進む。
自慢ではないが、四季折々土手を走る時に眺める風景はとても美しい。
極めつけは、広島城のお堀。
春になると、数え切れないほどの桜があたりをピンク色に染め、歓迎してくれるのである。
川の色も朝と夕方では違いを見せる。
街が迫る、山が迫る、川面に映る光、緑、影、毎日見ても見飽きない。
我が家もそんな川岸にある。
太田川は広島市民の水を恵む。
いや広島市民だけでなく呉市民もいやまだ多くの人の命を育んでくれている大切な川なのである。

話は大分脱線してしまったけれど、無事10年パスポートを取得出来た。
「旅の準備編」で、3月上旬にハンガリーのビザ申請をする予定にしていので、
旅券課のテーブルで早速申請書のパスポート欄を記入して、パスポートも同封、これで完璧と郵送して帰宅した。
やっと落ち着いたところで
「あれしまった!!パスポートの番号も期日も控えていなかったは 」とあわてん坊の私はまた失敗。
「急いては事をし損じる。」まさにその通り。
今朝、長男が「慌てる事はないけん、家に帰ってからじっくり内容を見て提出しんさいよ。」
「その場では舞い上がってしまうんじゃけん!」
と日頃の私をよく知っている長男の忠告を無視した結果であった。


1997年 2月26日(水)・・・「旅ノート」配布

@私の「旅ノート」を6部印刷して、次の人達へ配布する事にした。
 敦子さん、旬子さん、志津江さん、娘宅、次男・と自分用。
 敦子さんと旬子さん、そして娘宅へ、孫娘へも手紙を書く。
 敦子さんへは日本の香り、旬子さんへはお礼の気持ち、娘宅へは旅のコースを知らせ、孫娘へは返事を
 と、それぞれ内容はまちまちである。
@さっそく、旅券センターから「はがき」が郵送されてきた。
@「旅ノート」を更新した。


1997年 2月25日(火)・・・情報収集のまとめ

私の今回の旅に寄せられた情報をまとめてみた。

@横浜の栄子さんから・・ユーレイル・パスについての情報を尋ねた事への返事。
 「ツアーで出掛ける事が多いのであまり詳しくない事、
  トルコ、ポルトガルには弟が大感激して帰った所だそうです。
  どちらも温かな人たちが多くのんびりした所。
  イギリスの湖水地方がよかった。」

@敦子さんから・・「ヨーロッパ6ヶ月の旅はちょっと大変かもしれません。
  ニュージランドのように簡単に回れないし物価も高いし、・・・。
  3ヶ月位にしぼって行きたい所だけ行く感じにした方がいいかもしれませんよ。来年また行けばいいし。
  スコットランドのエジンバラは本当にステキな街で私の好きな所の一つです。
  あとブリストルに行く計画もちゃんと入れておいて下さいね。グレームと一緒に待っています。」

@旬子さんから・・彼女がパリで泊まったホテル名を問い合わせた事への返事。
 「あまり、ランク的には、いいホテルではありません。
  食事は付いていないし、電話とかもないですし、結構古いですし、
  ただ、位置的にとても便利な所にあります。
  ・・・ソルボンヌ大学の近くなので治安的には、大丈夫です。
  ・・・結論的には、もう少しランクの良いホテルの方がいいと思います。

 *地図をあらかじめ用意しておく事。
 *Summer Vacation YHはいっぱいなので、当日宿泊をとることが出来ないそうなので早めに予約を入れる事。
 *パリはトイレが有料なので気を付ける事。おすすめは美術館などに行った時にすませておくのがいい。
 *もし、美術館に行く予定がある様でしたら1日、1カ所だけにする事をおすすめ。
  又、休館日のチェックは忘れずに。
 *路線図は【!】で手に入ります。
 *メトロは乗り換えに時間がかかります。その点BUSは地上を走りますので景色を見ることが出来ます。
  バス停に、どこまではカルネ(チケット)何枚と表示されているので便利です。
  本数も結構ありますので、メトロより是非利用してほしい交通手段です。
  ・・・一言。「パリは怖い街」ではありますが それだけ魅力のある街であるのです。
 *路線図、メトロ、高速地下鉄、バスなどコピー一式同封されていた。

@なぎさんから・・(Eメールにて)治安に関することの情報を届けてもらった。
  マドリードの地下鉄乗り場や街歩きの際もスリやかっぱらいに注意するように。
  ポルトガルは田舎なら治安はいい、と言う事であった。

@敦子さんから・・2/18付けでU.Kからエアメールが届く。
  イギリスは思ったより暖かです。しかし、曇りや雨の日が多いです。
  寿美江さんがイタリアのローマを回るとき(日にち)決まっていれば一緒に滞在できるんだけど・・・。
  そこらへんの情報教えて下さいね。−−>早速、私の「旅ノート」をコピーして送ることにした。


1997年 2月24日(月)・・・パスポート更新手続き完了!

朝からいそいそと家事をこなし、パスポートを更新のため出かけた。
先日、県庁の旅券課にパスポート更新について問い合わせたところ、私の場合は既に1年を割っているので、
・住民票(本籍の記載のあるもの)1通、
・50円はがき、
・最近写した写真(パスポートサイズ)1枚、
・認め印、
・パスポート(現在持っているもの)
を持参の上、更新手続きして下さいと言われた。

旅券課の窓口さんが、私のパスポートの残存期間を1年以上あると勘違いしていたため、
意志の疎通を欠き、簡単な手続きにも関わらず予想以上に時間を費やした。

旅券受け取り(3/3以降)に必要なもの。
・旅券センターから郵送された「はがき」
・旅券受領証
・収入印紙
・手数料、\13,000
・広島県収入印紙、\2,000
・申請に使用した印鑑


1997年 2月24日(月)・・・「旅ノート」の修正、いちおう完了とする

今度は「街歩き」と題して、1シートに大きな都市や街を抜き出し、必要な情報を入れて行こうと考えた。
*主な事柄は地名は現地語で書く。
*現地のレート。
*主なホテル1ないし2カ所。(カード使用可否も)
*主な見所とアクセスの方法、その所要時間も。
*駅、街地図。鉄道、バス、トラム、地下鉄などの路線図。
*気をつけること。(安全)
*A4版とし、4つに折り畳んでポケットに入れて持ち歩けるようにする。(人前でも密かに見ることが出来る)
*余白にその場所を訪れた時の感想や変更などを記入する。


1997年 2月23日(日)・・・「旅ノート」修正、挫折する

昨日「旅ノート」を修正入力し始めたが、これが案外難しい。
私の癖が始まって、「もう面倒だ」。前回のままで行こうかと思ったりもした。
とにかく、その場に応じて対処しようと言うことである。
今までの旅で時刻表や宿名を書いていたが変更に変更で利用していない。
用心のためと思って「旅ノート」を作成したが、あまり使用しないのに無駄な時間を費やしたような気がする。


1997年 2月22日(土)・・・パスポート更新

@「旅ノート」を修正入力した。
@パスポートを、1年繰り上げて更新することにした。
 理由:ポーランドのビザ申請の条件にパスポート有効期間が1年以上必要であること。
    私のパスポートは、今月(1997/02/03)をもって1年を切るから。


1997年 2月15日(土)・・・S・Jさんより情報提供

以前、情報提供を依頼していたS・Jさん(93スイスで出会った旅仲間)から返事が届いた。
細かな情報をくれてありがたいと思った。パリをバスで走るなんて思いもよらなっかた。
 パリ市内のメトロ&バス路線図2枚
 ホテル案内
もろもろの注意点などが記されていた。・・・・感謝。


1997年 2月14日(金)・・・HISにて航空券を予約した

@「旅行参加申込書」に必要事項を記入。 注:航空券予約時には、パスポート持参をするとよい。
@航空券の種類、日程で次のようになる。
  7ヶ月の場合は、\126,800.-
  1年オープンは、\149,800.-
私の場合は8ヶ月なので1年オープンとなる。
\23,000.-の開きがあるので日程を短くすればよいのではと考えたが、
行きたいところをはしょるのも残念なので、結局1年オープンとした。

@「旅行予約手配書」の内容
 14 FEB 1997
 TONO/SUMIE MS
 特別航空運賃 1年オープン
 \149,800.-

  出発までの予定
 2月22日まで ・申込金\20,000.- パスポート持参する。
 3月16日   ・この日以降キャンセル料の対象となる。
 4月01日まで ・残金、海外旅行傷害保険の入金銀行振込。
 4月08日ごろ ・航空券引換証(バウチャー)お渡し。
 4月16日   ・ご出発、お気をつけて行ってらしゃいませ。

  航空便    出発日      出発     到着      出発   到着
  SQ 977   16 APR 1997   HIROSIHMA  SINGAAPORE    1140AM  455PM
  SQ 404   16 APR 1997   SINGAPORE  ISTANBUL     1130PM  705AM

  SQ 343   08 DEC 1997   MADRID    SINGAPORE    1050AM  815AM
  SQ 978   08 DEC 1997   SINGAPORE  HIROSHIMA    0130AM  840AM

担当は和田さんでした。


1997年 2月12日(水)-14(金)・・古川さんより情報提供

ホームページを見てもらった古川さんより、電子メールにて情報提供を受ける。
スペイン、ポルトガルの治安について、ありがたい情報をいただいた。


1997年 2月12日(水)・・・ようやく「旅ノート」完成する!

ようやく「旅ノート」を完成させました。
当初、行きたい街をリストアップして大まかな計画を立て、旅に出ようと考えていましたが、
「ユーレイルパスを使った方がいいのではないか?」という次男のアドバイスと、
3ヶ月間、効率よく回るために、綿密な計画を立てるに至りました。

旅の始まる国と終わる国では、”ゆっくり、のんびり”をモットーに、おだやかに過ごせる街を探していました。
それで、最初の国には、長男が気に入ったトルコを選び、
最後の国は、「夫婦でヨーロッパ」の旅行記を読んで、ポルトガルに決めました。

私の「旅ノート」では、ユーレイルパス使用の3か月間は、移動に次ぐ移動になっていますが、
自分の体調と相談しながら、また、アクシデントに遭遇した場合には「変更もやむなし」と考えています。
すべて柔軟に考えて、健康と安全に気を配りながら、楽しい旅を続けて行こうと考えています。

「旅ノート」では、トーマスクックの時刻表による鉄道での移動を表示してあるので、実際には、
その通りの移動(座ったままでは5時間ぐらい、寝台車でも連日では疲労する)は困難かと思われます。
宿泊地も、その都度考えて行く必要があるでしょう。
治安の問題も、今回いろいろの情報を得たところによると、かなり危険であるらしく、
そうした意味でも、初めての街で、宿をあまり探し回らなくても良い方法として、
「ホテルリスト」を作成して、持参するのも良いのでは、と考えています。


1997年 2月10日(月)・・・バックパックを購入

長らく懸案事項であった旅用のバックパック(モンベル製40リットル)を購入したので、紹介します。
このバックパックは、折り畳むとこのような普通のショルダーバックになります。
一方のチャックを開くと、結構しっかりとしたショルダーストラップが出てきます。
ストラップに豊富なアジャスター機能がついているので、しっくりと身体になじみます。

実際に背負ってみると、このような感じです。
これまで旅に使用していた登山用のバックパックは出し入れ口が狭いので、いつも不便に感じていました。
このバックパックはチャックでほぼ全開に出来るので、使い勝手には大変満足しています。
おまけに、小さいバックパックも付属しています。


1997年 1月30日(木)・・・旅の準備(英会話&太極拳と旅ノートの作成)

1月中・下旬から毎日、英会話ヒアリングと太極拳を自習することにしたので、これについて少し紹介します。

@英会話:NHKテレビ「3ヶ月英会話;4〜6月」のカセットテープを、毎日(1/16〜)聞くことにしました。
           「会話のやさしいテクニック」
 「泥棒捕まえて縄を綯う」ではないけれど、今回も旅が始まる直前になってテープを聞く羽目になった。
 ほとんど私の耳を素通りしてはいるけれど、気休めにはなるようだ。

@太極拳:昨年9月から週1回、N教室でたっぷりのストレッチと太極拳の練功十八法に汗を流しています。
 先生によると、高齢になると激しい動きは無理なので、ストレッチで身体全体を伸ばし、体力維持に心がける。
 おしゃべりをしながらリラックスする・・・
 こんなわけで、旅に練功十八法のカセットテープを持参して、現地で疲れた心と体をほぐすことにしました。
 練功十八法の演舞順序がなかなか覚えられないので、毎日テープに合わせて演舞することにしました。

 本家”猿岩石”にあやかって、現地の公園で空き缶を前に太極拳を演じてみるのも面白いのではないか?
 とひそかに考えています。

@旅ノートの作成:1/30現在、ようやく8月下旬・オーストリアのウィーンまでたどり着きました。
 還暦”猿頑石”ことグランマ・ヘルメスも、このように頑張っております。


1997年 1月20日(月)・・・VISA申請用紙届く(ブルガリア大使館)

ブルガリア大使館からVISA申請用紙が届いた。


1997年 1月16日(木)・・・VISA申請用紙届く(ハンガリー大使館)

ハンガリー大使館からVISA申請用紙が届いた。


1997年 1月16日(木)・・・HISで航空券の情報を聞く

Q:4月出発、11月帰国の長期間(オープン)のチケットは買えるのか?
A:OKである。

Q:イスタンブールに入り、リスボンから出られるか?
A:NO、リスボンから出るアジア系の航空機はない。しかしマドリッドからならシンガポール航空がある。
  この場合、期間の変更は出来るがコースの変更は出来ない。

  出発便;広島→シンガポール→イスタンブール(シンガポール航空)
   毎週(水)と(金)に出る。ちなみに’97年4月中旬は16日と19日

  帰国便;マドリッド→シンガポール→広島(シンガポール航空)
   毎週(日)と(火)に出る。ちなみに’97年11月中旬は16日と18日帰国の際には、
   マドリッドで1泊、そしてシンガポールで1泊する必要がある。
   マドリッド発が朝10:45と早いので空港近くに泊まる必要があり、シンガポールに着くと更に1泊要。

Q:いつ航空券の予約をすればよいのか?
A:出発1〜2ヶ月前に申し込む事。

今日の担当は 花本さんでした。


敦子さんからお礼の手紙が来た!

敦子さんからお礼の手紙が来た。
そして、彼女が1/25、イギリスへ向けて出発する事も書いてあった。
昨年12月に彼女からその事は聞いていたが、これから1年間イギリスに滞在するとの事。
「グレームと一緒に、彼の地で待っています」と結んであった。

彼女は、一昨年、昨年とヨーロッパを6ヶ月間づつひとり旅をして来たのだが
「ヨーロッパは物価が高く、旅にはかなり気を使い疲れてしまった」ので
3ヶ月づつ、2年かけて旅するようにアドバイスしてくれた。

私も、今回ルートを作りながらかなりの国、都市、町を訪問するのでかなり厳しいなあとは思っている。
敦子さんの忠告はありがたいのであるが、若くない私には来年が約束されるかどうかわからない。
こう考えて現地で状況に合わせながら行動をして行こうと計画通り進める事にしている。


1997年 1月15日(水)・・・出発までにやることを整理しました

1.航空券購入と海外旅行保険加入予約・申し込み ・・・・・2月中旬
2.VISA申請 ・ハンガリー:6月入国 3月上旬(3/1) 申請
       ・ブルガリア:5月入国 3月下旬(3/17)申請
3.ユーレイルパス購入 出発10日前までにGIO CLUB必着 3/24
4.写真撮影  2/24までに完了
   パスポートサイズ:ブルガリア(1)
   4×4     :スロバキア(2)、ブルガリア(3)、チェコ(3)
   3.5×4.5    :ポーランド(2)
  ※.申請書の写真は、裏面にローマ字で氏名を書く(パスポートと同じサイン)
5.VISAカード増額申請 出発1〜2週間前に 3/31
6.出発までの日程表作成 1/15〜
  旅ノート作成に取りかかる 1/15〜
  旅ノートは、現地に着いたときに「頭の中が真っ白!」にならないための準備です

   | 日付  |移動 |訪問地(国、街)   │  発着  │  宿   │備 考 
───┼─────┼───┼───────────┼──────┼──────┼────
1日目|おおまかに|鉄道 |トルコ        |比較的便利な│現地でみつけ│    
   |     |航空機| 訪問する地名    │乗り物の発着│られなかった│    
   |     |船  | 観光する予定・場所 |時間    │時のため  │    

1997年 1月14日(火)・・・東欧諸国のVISA取得について

 HISに確認したところ、VISA取得の代行料金は、おおむね\17000前後であった。
「高い!」と思ったので、東京まで出向き、まとめて取得しようと考えたが、さらに高くつくことがわかった。
郵送という方法があることを知ったので、検討することにした。

  各国の、VISA申請に要する費用と写真、有効期間
 ブルガリア:\2000、パスポートサイズが1枚、発給後3ヶ月以内
 ハンガリー:\5000、4×4cmが3枚、発給後6ヶ月以内
 チェコ  :\3200、4×4cmが3枚、発給後6ヶ月以内
 スロバキア:\3200、4×4cmが2枚、発給後6ヶ月以内
 ポーランド:\6000、3.5×4.5cmが2枚

 郵送によると、パスポートも送らなくてはならないので、その往復にかなりの日数が必要となる。
有効期間が、発給から3ヶ月や6ヶ月となっているので、私のようにかなり先の入国では期限が切れてしまう。
そこで、出発前に取得する国は、ブルガリアとハンガリーの2ヶ国に絞り、郵送で申し込むことにした。
他の国は、発給後の有効期間が足りないので、オーストリアのウィーンで取得することにした。
そのため、必要数分プラスアルファの写真を持参して行くことにした。

 さっそく今日、VISA発給申請書を、返信用封筒+切手を同封してブルガリア大使館へ郵送した。
ハンガリー大使館は、電話で確認したところ、ダイレクトにこちらへ郵送してくれるらしい。


1997年 1月 9日(土)・・・鉄道パスと航空券と東欧のVISAについて確認

ユーレールパスについて、ダイヤモンド社(「地球の歩き方」出版社)のジオ・クラブに問い合わせた。
@クラブ会員でなくてもパスは購入出来る。
@購入後6ヶ月間有効なので出発の1ヶ月前がよい。新料金が2月位にわかる。

航空券の申し込み時期と東欧のVISA申請を、HISに確認した。
@昨年実績はイスタンブール往復で、アリタリア航空で\133,000、マレーシア航空で\80,000、
 ルフトハンザ航空で\150,000、シンガポール航空で\100,000位。結構安い。
@VISAはポーランドで\17,000、ブルガリアで\17,500、と大体、\17,000前後であった。


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