『あずきちゃん』各話感想

最終更新日: 2015/01/10


 『あずきちゃん』はどの話も構成が複雑かつ内容が深く、感想を書くのが本当に大変な作品です。 こんな作品を毎週作っちゃうって、もはや神の領域なのではないでしょうか。 感想はゆっくりと、目標年間2本くらいで少しづつ増やしていきたいと思います。

 2014年のAT-X再放送時に、ブログで感想を書きました。10年ぶりの感想をリンクしておきます。

目次 (新しい順)


第7回: 第57話「盆おどり! 浴衣の柄はキンギョ?」

 先日、スキー場でリフトに乗っているとき、ふと小学生の時にはいていたスキーのことを思い出した。 小学校5年生くらいだっただろうか、ある日祖父が帰ってくると「スキーを買ってきた」と言って新しいスキーをくれた。 ところがそれが、合板な上に旧式のカンダハータイプだったのである。 祖父は、最近のスキーは足を固定してしまうので危ないと力説していた。 明治生まれで、単板スキー、竹ストックを使っていた若い頃の経験からは、最新のスキーが異端なものに見えたのであろう。

 しかし、そのスキーを持って毎週学校のスキー学習に行くのは、当時の自分にはとても恥ずかしいものに思えた。 みんなワンタッチ式の金具を付けた「グラス」や「メタルグラス」の板なのに、自分だけが旧式な板だった。 今だったら、「カンダハーの語源はアフガニスタンのカンダハルらしい、児玉ハルじゃないぜ」などと他の人との違いを楽しんだりできると思うが、小学生くらいというのは他の人と違うとすごく恥ずかしく思ってしまう年頃なのである。

 そう、そのカンダハーのスキーは、自分にとっての「キンギョの浴衣」だったのである。



 この57話を初めて見たとき、あずきのおじいちゃんの勝手ぶりや、自分が悪いのに怒ってしまう様子に、ひどい爺さんだと思った。 どうしても、あずきに感情移入して見てしまうのである。

 しかし、何度か見ていると、この作品がおじいちゃんの側の立場からも同時に書かれていることがわかってくる。 やはり、おじいちゃんには若い女の子の好みなんてのは、実際にわからない、昔の感覚で考えてしまうのである。 そこには、昔と今という時代の違いもあるし、孫がいつのまにか成長しているという感覚のずれもある。

 老人代表として、この話では三人の祖父母が登場する。 完璧に孫たちの好みや時代性を把握しているジダマのおばあちゃんに対して、子供っぽい浴衣を贈ってしまったのは、あずきのおじいちゃんとトモちゃんのおばあちゃんの二人。 誰もが孫に喜ばれるプレゼントを贈ることはできないのである。

 一方で、子供の側もいろいろなリアクションをする。 まだ「恥ずかしさ」を覚えることのない年のだいず。 キンギョの浴衣に「幼稚園の子だってそんな幼いの着ないわよ」と言って、実際に着なかったあずき。(おじいちゃんをごまかすためと写真撮影用には着たけど。) あずきは「もし将来女の子が生まれたらこの浴衣を着せてあげたい」と最後に言っているが、逆にいうと絶対に自分では着るつもりはないのである。(笑) ひどいヤツとも思うが、でもこれが普通の女の子のリアクションなんですね。


 そしてトモちゃんは、恥ずかしいとは思っても田舎のおばあちゃんが送ってくれた朝顔の浴衣を着て盆踊りに参加する。 トモちゃんの浴衣姿の写真を1枚撮ってと勇之助にお願いするまことくんがステキ。 そう、子供なんだから、素直な目で見れば子供っぽい浴衣だってとっても可愛いんだよとボクも思うのであります。(^^)

 このように、これだけ違った世代、違った行動を取る登場人物に対し、この作品のすごいところは、誰が良い、誰が悪いという価値観を全く持ち込んでいないことである。 全くもってニュートラル、だから誰の立場からでもこの作品を見て、「キンギョの浴衣」のいろいろな意味を感じることができるのである。 この話をおじいちゃんの側に感情移入して見た人も、年配の方には結構いるのではないでしょうか。



 話の構成を見てみると、基本は、あずきとおじいちゃんの「キンギョの浴衣」をめぐる攻防と交流であり、単純である。 しかし、話の前半では全く関係のないジダマのおばあちゃんがキンギョの浴衣を作っていると思わせて、安心させてからアイキャッチ前後で突き落としたり、盆踊りに行く日程をめぐる攻防戦をからめたりと、かなり技巧を尽くしている。 また、後半ではトモちゃん、ヨーコちゃんをはじめ通りがかりの小さな女の子まで登場させて「キンギョの浴衣」をいろいろな立場から見る機会をつくっている。 いつものことながら、一筋縄ではない、見れば見るほど内容の濃い脚本である。

 そして最も不思議なのは、「キンギョの浴衣が恥ずかしい」なんて、小学生くらいの女の子にしか感じられなかったであろう感覚をネタにして話を作ってしまう雪室さんの頭の中なのです。 確かに「子供の頃の気持ち」は雪室さんの十八番ではありますが、なぜ男の人にこんな話を作れてしまうのか、本当に不思議です。



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