知性・感性・品性の効用

  
 このホームページ掲載の「文化とは何か」をお読み頂いた何人かの方々から、知性・感性・
品性を身につけるのとつけないのとでは、日常生活や人生にどのような違いが出てくるのだろ
うかというご質問を頂いた。
 そこで、「文化とは何か」で書き足りなかった点を補足しながら、以下に、知性・感性・品性の
効用についてもう少し具体的にご説明することとするが、「文化とは何か」執筆後に考えたこと
も加えた発展版としてお読み頂ければ幸甚である。
 ここでの関心事は、ご質問へのお答えである以上、当然知性・感性・品性そのものについて
であるが、知性・感性・品性について考えるに当たっては、人間の能力の基盤とも言うべき知
恵について、どうしてもはじめに触れておきたい。

                    目      次

                1. 知恵   
                2. 知性の効用
                3. 感性の効用
                4. 品性の効用
                5. 知性・感性・品性と私の場合     


1. 知恵
 1) 人間は、サルの仲間から進化して人間になったと考えられています。
 それを可能にしたのは、猛獣に襲われたり、食物が不足して飢えたり、寒さに震えたり、病気
で苦しんだりと、生きて行く上で遭遇する多くの困難を乗り越え、快適な生活を得るための知恵
を働かせることができたからです。地球上で現在まで生き延びてきたほかの生物たちも、快適
さを求めるために多かれ少なかれ知恵を働かせながら進化してきたわけですが、人間の知恵
には遠く及びませんでした。
 そのように段違いに発達した知恵を駆使しながら、一人一人の人間はそれぞれより快適な
生活を求めて行動し、その行動を通じて獲得した知識を、言葉や文字を通じてお互いに伝え
合うことによって人間関係を強め、高度に発達した社会を作り上げてきました。
 歴史的に最も発展した段階にある私たちの個人生活や社会生活は、もちろん、獲物を求め
て走り回ったり、食糧を栽培するために畑を耕したり、略奪のために襲撃してくる敵と戦うこと
などに知恵の大部分を使った時代とは大きく異なり、知恵の使い方もますます複雑化してきて
います。
 しかし、基本的には、知恵は、生活環境や社会環境がどのように変化しても、日常生活や人
生に快適さを求めるための行動を方向付ける能力と言うことができます。
 
 2) 人間は、サルから進化してきた永い歴史を通じて、知恵を発達させてきましたが、一人
一人の一生を通じても、似たような過程で知恵を発達させ使用します。
 生まれてから幼児期くらいまでは、猿人時代と大差ない程度の知恵かもしれませんが、小児
期、少年期、青年期を通じて知恵は飛躍的に発達し、成人するころには現代人(ホモ・サピエ
ンス)並の知恵を身につけることになります。
 物心がついた後の私たちは、朝起きてから夜寝るまで、何をしようか、どのようにしようか考
え、判断しながら行動しています。考えずに行動することもないではありませんが、そうするとと
んでもない事故やミスなどにつながることも少なくなく、ろくな結果を招きかねません。
 かといって、考えるといってもいろいろあり、「下司(ゲス)の考え、休むに似たり」などという、
頭の悪い人は幾ら考えてもムダだというようなことわざもあります。
 確かに知恵にも、本当に目先のことしか考えていないサル知恵や浅知恵から、知識や経験
を駆使して絞られる深い知恵まで様々な段階があり、生活や人生の快適さは、もちろん例外
はあるとはいえ、大雑把に言えば、知恵のあるなしに大きく左右されているように思われます。
 小学校、中学校、高等学校そして大学まで、家庭と学校での生活経験を通じて生きる知恵を
身につけて行きます。中でも知恵のある生徒や学生たちは、学校生活を快適に過ごすために
は勉強するのが一番の近道であることを学び、まずは順調な人生を歩み始めます。大学生く
らいになると、知識や技術の習得や、学問や芸術の探求そのものに充実感や生き甲斐を感じ
るタイプの人材が姿を現してきますが、多くの生徒や学生にとっては、勉強は、良い成績をとっ
て学生生活を快適にしたり、進学や就職で有利な結果を得るための手段としての位置づけで
しょう。実際、生徒・学生の時代は、勉強して良い成績を取った方が何かにつけて快適な立場
に立つことができるのです。
 もちろん中には、勉強して何になるのだと反発したり抵抗したりする生徒や学生もいますが、
結局はそれぞれの人生観の問題なので、勉強した結果の快適さと、しない場合の現在と将来
にわたる不利益とを天秤にかけて、自分の人生で何を大切にするのかの価値判断を自分自
信の知恵で追求するほかありません(大切なのは、現在と将来の生活ないし人生の快適さ、さ
らには充実感です。ただし、快適さや充実感が具体的に何なのかは知恵だけでは仲々つかみ
にくく、知性や感性さらには品性が必要なのですが、詳しくは「2.知性の効用」以下をお読み
下さい)。
 確かに、学校での勉強で得る知識はすぐには役に立たないものが多いので、何のために勉
強するのかわからないと思いがちです。しかし、スポーツや芸術で頭角を現すためにも、すぐ
には役に立たない地道な長期間にわたる基礎訓練が必要なことは、誰も疑問を持ちません。
社会に出てからは知恵のあるなしで人生の快適さが決定的に左右されかねないのですから、
スポーツや芸術に必要な技術や技能と同じように、知恵の最も重要な材料である知識を収得
して脳を鍛えておくことの大切さも、本来は疑問の余地はないはずなのです。
 
 3) 学校での勉強を終了し社会に出て、多くの人は通常、大小の会社や官公庁など何らか
の組織や職場に就職し、サラリーマン生活を始めます。こうした職場での毎日の活動の原動
力になる能力は知恵で、知恵は、その時々、その場その場にもたらされる状況に対処する能
力と言うこともできます。
  若い頃は、組織や上役から与えられた、どちらかというと事務的ないし単純作業的な仕事
に取り組みます。その仕事がそのまま収益や実績につながり、役に立つ仕事をしていると実感
できることもあれば、学校での勉強の続きのように、さらに高度の能力を要求される仕事を身
につけるための前段階のような地道な仕事で、すぐには役に立っていると実感できないことも
あるかもしれません。その仕事をすること自体が性に合っていて快適だという恵まれた人も中
には居るかもしれませんが、多くは、仕事以外の、例えば家庭生活などで快適さを手に入れる
ための収入を得ることが、仕事をする最大の目的になっているはずです。
 いずれにしても、学生時代と違って、これまでに身につけた知識と経験を道具にした知恵を
最大限に発揮して仕事に取り組まないと、期待する収入や快適な生活は得られません。
 経験を積んで仕事が複雑になってくると、複数あるかもしれない処理方法の中で、最も適切
な取り組み方を選択しなければならないような状況に直面する場合が多くなってきます。その
ような状況に対処するためには、それまでのように与えられた仕事を誠実かつ着実に処理す
るだけでは済まず、何のためにその仕事をするかという目的を常に意識しながら、処理の方向
を探して行かなければなりません。
 仕事が重要になればなるほど(言い換えれば、権力を持つ人との関わりが大きくなればなる
ほど、あるいは金銭的な利害関係が大きくなればなるほど)、その処理の方向を自分自身の
判断で決めるのは難しくなり、組織ないし上役の判断に従うことが求められるようになります。
組織や上役の判断や指示に抵抗すれば、昇進の機会を失ったり、最悪の場合は失職しなけ
ればならなくなるかもしれません。そのため、自分自身が昇進し給料も増えて、守るべきもの
が多くなってゆくにつれて、仕事を処理するに当たって、組織や上役の意向に配慮しなければ
ならない程度が急速に増大してゆくのです。その配慮の根底にあるのは、昇進(それに伴う権
限や報酬)と保身を求める意識にほかなりません。
 すなわち、社会に出てからは、どうすれば昇進と保身に有利になるかを考えるのが知恵の最
も大事な仕事になり、仕事や人間関係の処理も、昇進と保身を求める知恵の出す判断によっ
て方向付けられます。その結果、組織の利益や組織内での地位(すなわち上役からの評価)
が、しばしば人生最大の関心事になるのです。
 それでも、組織に属して滅私奉公させられるよりも、独立して自分の思う通りに仕事をしたい
という人も当然存在します。このような人たちの目的は先ず事業を成功させて収益をあげ、そ
こでうまく行ったら次には組織の創始者ないし経営者としての地位を守ることで、そのためにあ
らゆる知恵を総動員するのでしょう。しかし、そうした努力が報われて人に羨まれるような人
は、それほど多くはないはずです。
  他方、同じく組織に属していない例えば専業主婦の場合は、関心の方向は専ら家事や子育
てを如何に効率的に進めるかとか、日常生活に伴って形成される様々な人間関係を如何に円
滑に保って行くかとか、買い物を如何に経済的に済ませるかといった生活の知恵に向けられ
る傾向が強いので、昇進と保身や金儲けに煩わされない部分の知恵のエネルギーを、何か別
の役に立つ方向に使うことができれば、相当な成果も期待出来るのではないかと思われるの
ですが・・・。
 なお、広い世の中には、まともな組織での通常の勤務には適応できず、かといって独立して
正攻法で収益をあげる知恵や才覚もないため、不法・不当な手段で他人の金品を奪ったり、
暴力で他人を支配することによって目先の利益や快適さを得ようとする人たちもいますが、い
ずれは転落して痛い目に遭う確率が高いことを考えると、知恵の使い方としては拙劣と言うべ
きでしょう。このような知恵は、サル知恵や浅知恵の一種で、我々のご先祖であったサルや猿
人が使っていた知恵から、あまり進歩していないのではないかと思われます。 

 4) 個人の生活や人生で、知恵が、先ず身の回りの生活の快適さを求めるために使われ、
さらに、職業に就いてからは保身や昇進を通じての経済的快適さあるいは、他人を支配するこ
とから得られる人間関係的な快適さなどを求めて使われるのは、人間が本来的に持っている
性向と思われます。サルから人間になり現代人になるまで、人類はこうした知恵の活動を通じ
て発達してきたに違いありません。そして、知恵のあるなし、知恵の使い方の上手下手によっ
て、個々人が入手できる快適さの大小が左右され、個々人それぞれの人生が形成されるので
す。すなわち、例えば、食べる快適さと過食で成人病になる不快さ、あるいはタバコを吸って得
られる快感とその結果として癌になる不快さなどのプラス・マイナスを正しく計算できるかできな
いかは、それぞれの個人の知恵のあるなしによって異なります。従って、あくまでも個人の生活
や人生に関わる事柄については、知恵の不足や計算違いが快適さを阻害することがあって
も、それは個々人の自己責任の世界ということになります。
 しかし、個々人とはいえ社会の中で他の人々と関わり合いながら生活をしている限り、知恵
を駆使して自分の快適さを追求する行動は、他人が他人自身の快適さを追求する行動とぶつ
かる可能性が常に存在します。もし、個々人が他人を顧みずに利己的欲望をあくまでも追求す
るようなことになれば、個々人の快適さは他人の行動に大きく影響されるのみならず、極限状
態ではお互いに相手を滅ぼすまで戦う弱肉強食の状況、あるいは「万人の万人に対する戦
い」の状況さえ生まれかねません。(「万人の万人に対する戦い」の詳しい説明については、本
ホームページ所載の拙著「文化とは何か」第七章「知性の文化」をご参照下さい)
  現実には、万人が相互に究極まで滅ぼし合うような戦いは起こりませんが、それぞれの立
場に応じて他人の快適さを損ない合うような事態は、実際に頻発しています。
 @) 犯罪者が、手段を選ばずに自分の利己的快適さ(利益)を追求すれば、被害者の快適
な生活や人生(時には生命までも)が損なわれることは言うまでもありません。
 A) ヒラの会社員といえども、組織防衛や保身・昇進しか頭にない上役の顔色ばかり見て、
組織(会社)の外にいる人たちの迷惑を考えずに仕事に励むと、組織の中では有能と評価され
るかもしれませんが、公害や違法・不法・不当行為などを発生させて、不特定な(たまたま関わ
り合った)第三者の快適さを妨害する可能性があります。
 B) 会社と上役に忠誠を誓って自分の保身と昇進のために働き、その働きぶりを評価され
昇進して部下を持ち、更なる昇進と保身に熱中して、組織防衛や金儲けのために部下に違
法・不法・不当行為などを強制するようなことになれば、会社の中での地位が上がり権限が大
きくなればなるほど社外の顧客や第三者に及ぼす損害は飛躍的に増大するでしょう。
 C) 自営業や個人的な事業で、これといった組織に属していなくても、利益をあげるために
違法・不法・不当行為を行う場合には、大きな組織によるその種の行為との大小の違いはあ
れ何らかの被害者を発生させて、関係する人たちの快適な生活や人生に損害を与えます。
 D) 公務員となると、公のために仕事をするのが本来の任務なので、所属する官庁などの
組織防衛や自分自身の保身・昇進を公の利益に優先させると、官庁や公務員のために優先さ
れた分だけ直接に国民の利益が損なわれ、社会全体が悪影響を受けることになります。
 E) しかし、所属する組織や仲間(支持者)の利益、あるいは自分自身の保身や出世を最
優先して行動したり、そのために社会的な制度や枠組みさえ作り出すことによって、多数の一
般国民や社会に最大の損失や快適さを損なう状況をもたらす可能性を持っているのは、間違
いなく政治家です。政治家は、戦争を勃発させて多くの国民を死に追いやることさえできるので
すから。

 以上のように私たちは、快適さを求めて生きてゆくために知恵を絞りながら、同時に様々な
場面で他人の快適さを損なう結果を招いています。もちろん、知恵は人間が生きてゆく上で不
可欠なもので、知恵自体が悪いのではありません。しかし、使い方を誤るとサル知恵、浅知
恵、悪知恵などになって、時に自分自身にも快適さどころか痛い目になって跳ね帰ってくるだ
けでなく、他人にも不利益をもたらします。そこで、人間の永い歴史の流れの中で、目の前の
だけではなく生涯を通じての、かつ利己的なだけではなく他人ひいては社会全体の快適さを求
める、より高度な能力が生まれ育ってきたのです。その能力こそ、「知性」です。
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