アルバムタイトルは早い段階から決めていました。辞書ではセレンディピティーを「思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力」とありますが、これでは運に恵まれたどこかの誰かさんを指しているように響きます。能力を先天的なものでなく、努力によって養えるものと考えるとどうでしょう。端からは幸運を招き寄せているように見えても、偶然ではなく能動的な洞察力による半ば必然の結果と意味が違ってきます。
そんな訳で、私自身は「通りすがりの砂利に混じった宝石を見つけられる洞察力」と解釈しています。ただし、砂利の中に宝石が混じっているかどうかは偶然であって、どんなに洞察力に優れていようとないものはない。ダメな時はダメ。微妙なバランスがこの言葉のおもしろいところです。
たとえば旅。長期間あちこちを巡ってもセレンディピティが乏しければ収穫は少ないでしょう。逆に隣町を散歩するだけでも思わぬ発見をするかもしれません。偶然の発見をして、そこから踏み込めるか。砂利の中に輝くものを見つけて、身体をかがめて拾おうとするか。拾った小石を宝石であると見分けられるか。そのあたりの行動や知識がセレンディピティーの肝であるし、自分の旅の「らしさ」だと思うのです。

【音楽をデザインするということ】
すべての作品はパソコンの自動作曲によるものです。
一般的なオリジナルアルバムとは成り立ちが違うだけに、ジャケット内の解説には苦労しました。中途半端な説明では誤解を生みそうなので、文章はどんどん長くなり‥‥。
最後にたどり着いたのが、一言。
「すべての作品はパソコンの自動作曲を基にデザインされたものです。」
クレジットも「All music is created」ではなく「designed」になっています。
デザインとは意味的には「編曲」「アレンジ」と似たようなものですが、手法的にはコラージュに近いと言えるでしょう。自動生成された音楽の切り貼りが中心で、手描きに相当する作業は最少限にとどめています。
流れとしては逆になりますが、例えば自動車のデザイナーの仕事はトンテンカンと自動車そのものを作ることではありません。平面上にペンを使って描かれるのは、イメージあるいは概念の方向性、実際の製作やその前段階である設計の指示と言えます。
音楽のデザインの場合は、集められた素材を取捨選択して、方向性を与えることです。「このメロディーはピアノで演奏」と指示したら、ピアノの音色で与えられた楽譜(データ)どおりに音を出す実際の作業はパソコンがおこないます。

【オリジナリティ】
「お前のオリジナリティはどこにあるんだ。ズルしたな。自作と呼ぶなど厚かましい」等々の声が聞こえてきそうです。だったら、マウスのクリックひとつでこれだけの曲ができるんかいと開き直りたいのですが、‥‥実はできちゃうところが困ったもんで。
だから「created」ではなくて「designed」って言っているわけなんですが。
実は一段落したところで、オリジナル(ややこしい表現ですが、最初に生成された曲)を聴いてみて、何と言うか、自分の子供が赤ん坊だった頃の写真を見たような気がしました。「今は立派に育ったけれど、最初はこんなのだったのか」みたいな。(笑)
要するに自分の作品に対して「育ての親」みたいな感じなんです。実子であろうが養子であろうが関係ない。これはオレの子供なんだぞと。12人の子供がいれば半ば放任主義で育てたのもいたりして、すべて手塩にかけたとは言えませんが‥‥。
まあ難しく考えずに、オリジナリティに関して大切な事実は‥‥
同じソフトを使えば、同じような曲が生まれてきて、同じような曲を作る人は当然現れるでしょう。でも、タイトルどおりのセレンディピティ。偶然生まれた楽曲を捨てずに拾い上げ、あれこれいじったのは私。
そして制作途中で何度も傲慢に思ったものです。
「世界中で、この音楽を聴けるのはオレ一人なんだぞ」と。

【道のり】
小学生の時にギターを手にして、その後フルートやシタール、サントゥールなどの楽器で遊んできました。
最初の作曲は小学生の時ですが、どんなものだったのか記憶にも残っていません。
中学の時には当時のフォークブームの影響もあって自作の曲を歌っていました。シンガーソングライターですな。フルートを手に入れたのはコードによる作曲に限界を感じて、単音しか出せない楽器に興味を持ったからです。さらにシンセサイザーと4トラックのカセットレコーダーを購入したり、ローランドの『みゅーじ郎』というDTM(desk top music)のセットを購入したりしていろいろな音楽を作ってきました。
どんな音楽かというと、トホホだったり、だっせーだったり、ブキミだったり‥‥。(笑)
いや、これは本人評価ではなく、容易に推測できる聴かされた人間の「言葉に出さない」客観的評価だったはずです。
私の側にも変化つーか進歩がありまして「私が作っていいなぁと思う音楽と聴いていいなぁと思う音楽が一致しない」ことが少しずつわかってきました。
何しろ評価基準が高すぎます。私にとっての最高のアーティストはアンドレアス・フォーレンヴァイダー。そして民俗音楽から現代音楽まで、世界各地の素晴らしい音楽を聴き続けているのです。その中に自分の音楽の居場所なんて見つけられるはずがありません。
同じ土俵で勝ち目がなければ、自分の世界に没入。インド古典音楽をベースにしたミニマルミュージック、古代ギリシャの旋法を使ったオリジナル(分類不明と訳しましょうか)等のオリジナリティは高いけれど、ポピュラリティ皆無の音楽も作ったりしました。
そんな私の転機はコンピュータ音楽。トホホな曲を自覚するようになって、少しは安心して聴ける音楽が欲しいという気持ちもあって、遊び半分で打ち込みを始めました。手元のボサノバの楽譜集を見ながら、自動伴奏ソフトで大枠を作って、なーんもわからないから基本のメロディをコツコツとそのまんま音符入力。
これは我ながら満足できる出来になっただけでなく、編曲の楽しさに目覚めるきっかけになりました。
旧バージョンのソフトですからバリエーションなどなく、最初はいかにもコンピュータが演奏しているような機械的な音楽になってしまいます。抜くほどの理屈はありませんから、ストリングスが欲しいと思ったら追加、伴奏が気になったら修正。本能の赴くままでも手を加えるごとに少しずつ自分の好みに仕上がっていくのが実に楽しい。CD1枚分の音楽の中には気合いを入れて自分でアドリブ演奏したものもあります。もっと大切なのは、二つのリズムを重ねて新しいリズムパターンを作ったり、スタイルの違う伴奏を組み合わせたり(ボサノバのピアノにルンバのギターなど)パートを交換したりといった、今回も使った手法をいくつも発見できたことです。
とにかく編曲は作曲よりも楽しく、メロディを生かすも殺すも編曲次第。自分の音楽の楽しみ方はこれなんだとわかりました。
でも、誰の曲かと言えばアントニオ・カルロス・ジョビン先生なんですな。披露したくても著作権だ何だと面倒なものがついて回るはずです。編曲は楽しいけれど日陰の花‥‥と思っていたところに登場するのが、今回の主役『Band in a Box』です。
ただし、バージョンアップしたのは手持ちのバージョンが5であるのに対し新バージョンが12と差が開きすぎたという消極的な理由です。自動作曲機能がついたことは事前に知りましたが、ダメ元と思っていました。どうせ使えないだろうから、あくまでも自動伴奏ソフトとして新しいOSで使えるだけで良かったのです。それもパソコンにやらせるのは大枠作り、編曲は自分自身でキーボードに向かって‥‥そんな風にほとんど期待していなかった機能から、意外にまともな音楽が(それもわずか数秒で)出てきたのには驚きました。
そして、この自動作曲がジグソーパズルの最後の1ピースであることに気づいたのです。
これなら思う存分に自分好みの編曲ができるぞと。
(本当はそんなに劇的なものでなくて「自分専用のBGMが作れるぞ」と思ったことから始まりました)