縮刷版99年10月下旬号


【10月31日】 しまったピンクのボールにしか「AIBO」が興味を示さないんだったら「ジバクくん」のソフビを持っていって目の前で転がせばきっと喜んだだろーと悔やみつつ、船橋東武の旭屋書店で東雅夫さんが編纂した猫又アンソロジー「怪猫鬼談」(発行・人類文化社、発売・桜桃書房、1800円)を購入し、J・ダン&G・ドゾワ編による扶桑社の文庫第2弾と早川書房のエレン・ダトロウ編纂の「魔猫」の何故か相次いだ猫物アンソロジー3冊が揃ったんで、これにこれまた相次いだペット探偵&ペットスナイパーのドーブツ物2冊を合わせて来月分はまとめてみようかと思ったり。

 ただしアンソロジー3冊ってゆーと入っている小説の数も短いながらハンパじゃなく、編者の腕は確かでも読んで分かりやすい物おもしろい物傾向その他を探るのは結構大変で、これからの夜と昼と朝がしばらく潰れそうな予感。別にいろいろ本業とは無関係の仕事があったりしちゃたりしておまけに年末信仰とゆー宗教、じゃない年末進行とゆー”恐怖の大王”が到来していて締め切りが繰り上がったりするから、本屋のページなんかしばらく手つかずになるかもしれませんが悪しからず、っても逃避がてらに書いてたりするんだけどね。

 それにしても東さん編の「怪猫奇談」は岡本綺堂から山村正夫、光瀬龍、田中文雄、森真沙子にラストを泉鏡花が占めるとゆー感じに、幅広い年代にわたってまんべんなく押さえてあってなかなバラエティーに富んでいて面白い。加えてビデオになっている化猫物映画の紹介や花田清輝の評論、別役実のエッセイ、水木しげるのマンガとジャンルもこれまら幅広いため1冊で日本の化猫物を大ざっぱだけど俯瞰できてしまう点もなかなかで、おまけにこの値段ってのはもう奇跡に近いと大いにその業績を讃えたい。

 猫を飼っててその生き死にを幾度も見て来た身としては「モンスター」としての猫とゆー実感がないのが難だけど、表紙の化猫がタヌキもキツネだか犬だかも引かせるくらいに大暴れしている河鍋暁斎の絵を見ると、佐賀鍋島猫騒動の昔から猫が日本でどれくらい恐れられて来た妖怪変化だかも分かるとゆーもの、今でこそ耳をかじられた下僕の猫が抜け作少年を助けていたりするけれど、これもあるいは友達だって安心させて人間をフヌケにしよーとする猫の陰謀の現れかも。くわばらくわばら。

 宿題の「上司と娼婦を殺したぼくの場合」(エドワード・バンカー、大野晶子訳、ソニー・マガジンズ)を電車移動中に読了、なんかとても嫌な気持ちになる。ノワール小説らしーけど暗黒面が正義面した社会に挑むカタルシスはなく、むしろ人間が内に秘めている疚しさをメスで切り出し拡大鏡で大伸ばしにして見せられている気分になって読んでいて正直気がめいる、がこれもありうべき自分の姿かもしれないと考えることも可能だけに、やっぱり嫌いと捨ててはおけない。

 一流の会社で仕事をしながらもクビになって今はテレマーケティングの会社でパートタイマーのテレマーケッターとして勤務している主人公、理不尽な会社の仕打ちにキレながらもエサをちらつかせられれば途端に手のひらを返して地位にしがみつき、それが崩れそうになった時にタイトルのような振る舞いに出る。上司の家の草むしりをして時には同僚の悪口も吹き込んで出世しようとしながら仲間といる時は上司の悪口を平気で言い合う、なんてことは、およそすべてのサラリーマンが大なり小なりやっているだけに、そんな主人公の転落を描いたこの本を、読んで愉快には絶対にならないことは請負。

 けれどもだからといって無碍に主人公の行動を非難できないところがあるのも同様で、そーいった苦虫を噛み潰す感覚でサラリーマン経験者は読まなければいけないところに、この本の凄みがある。サラリーマン経験のない人とか学生さんがどー読むのか興味津々、こんな世界でも巻かれて出世してやろーってな強い意志と計画性のある人間だったら、逆にその不甲斐なさに憤るのかもしれないなー。上司に読ませて身震いさせるって効果はあるかも、イジられている中堅諸君は机の上に1冊置いておくことをお勧めします。


【10月30日】 警告あります「サイゾー」編集部におかれましては最新11月号の「Jまごころ系をおさらいする」の記事に枡野浩一さんが無表情で淡々とした口調で憤っておられます。理由は自分を「Jまごころ系」と言われたからではなく、というのも昔から自称で「J短歌」とかって言っていたから冗談系ネーミングは存分に受け入れる資質はあって、だったら何に憤っていたかたというと、最新刊の「鳥「君の鳥は歌を歌える」(マガジンハウス、1300円)で最近字あまりが多くなって「リズムの切れ味が悪いし、読んでいると『ひざカックン』をされたような気分になる」(104ページ)俵万智さんとくっつけられたからでもありません。

 自分が「真心ブラザーズ」が好きなことを知らず表(「サイゾー」11月号48ページ)の左下方にいる「真心ブラザーズ」へと線が伸びていないこと、かつ自分を「浜崎あゆみ」が好きなのにやっぱり線が伸びていないことを「知らないんだなあ、こういうのはオバタカズユキさんが上手いんですよね」とチクチク言ってましたので「サイゾー」の人は次から気を付けましょう警告以上。ちなみに枡野さん「サイゾー」って存在知りませんでした。自分の記事には敏感な人みたいなんでもっともっと触れてあげれば熱入った読者になってくれるかもしれません。幸せで「ダメな人」でもなくなってしまったんで「とりあえず押さえて」なんかみてはどうでしょう。

 ムササビとモモンガがマモか否かは佐々木淳子さんの「ペパーミントスパイ」を読んで勉強して分からなかったんだけど少なくとも「ウサギムササビ」が「ウサギモモンガ」「ウサギマモ」よりは縫いぐるみにしても何だか可愛いっぽいのは分かるよね。でその「ウサギムササビ」なる不思議なドーブツ、らしー翼を拡げた兎を図案化したものが表紙になっている「APE LITTLE FOOL」(大塚ヒロユキ、新風舎、1500円)って本を柴田元幸氏の帯もあったんで買って見る。クリームっぽい下地にいろな階調のブルーで同じデザインのウサギムササビが小から大へと重ねられたデザインは持ってるだけで格好良いけど、中身の方も決してで装丁に負けずに不思議なビジョンを見せてくれる。

 目覚めた男が経験する繰り返される日常が少しづつ変化していく中で彼はエスネスノンと名乗る謎の団体が高額の懸賞金をかけて探し求める「ウサギムササビ」なる生き物を捕まえて依頼人に渡すように仕事を言いつけられて深夜の時計塔へと向かう。歪む世界が次第に閉鎖された空間との認識が広まり「ウサギムササビ」の追跡はそこからの脱出をも意味すると分かって来ながらも、それが果たして正しい道なのか、それとも永遠の停滞に身を委ねるべきなのかを惑わせるエンディングに何故か心が引かれてしまうのは、誰もが同様に夢を見続けていたいからなんだろう。

 デザイナーが本職の割には読んで広がる街のビジョンそこをさまよう男や女の戸惑う心理そしてピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」の登場するトライステロばりに奇妙な団体の不可思議さ、「不思議の国のアリス」にも重なるだろー不条理な追跡譚など、紡ぎ出される物語世界の確かさに小説読み巧者の柴田元幸さんが帯を書くだけのことはあると実感。都市に息づきながらも現実感に乏しい人間たちにとって、生きている以上は信じざるを得なかった足下をグラリと歪ませ幻想の世界へと陥れてその透明な空気の中に漂わせてくれる。多分滅多に本屋ではお目にかかれないだろーペーパーバック状に薄く軽装の本だけど、神田神保町の三省堂のSFコーナーに平台載ってるんで見かけたら読んでみては如何。同じ柴田さんがちょい前に訳したアンソロジー(題名忘れた)といー「smile」(永井宏、サンライト・ラボ、505円)といー似た軽い装丁の本が妙に目につく最近。これも不景気だから?(関係ない)。

 「死者の体温」(河出書房新社、1600円)で殺す無意味の意味をつきつけてくれた大石圭さんが最新刊の「処刑列車」(河出書房新社、1800円)で今度は生命の価値について問い掛けている。突然鉄橋の上で止まった通勤列車の中で殺人が始まり、乗客たちは狭い車両へと押し込まれたまま「彼ら」の命によって行動する犯人たちの銃に怯え惑う。「彼ら」は何を要求するでもなく、気に入らないと行っては女たちを殺し家族を助けたいと名乗り出た男を殺し電話をかけるなという命令に従わない少女を殺しと、とにかく何のためらいもなく乗客たちを殺しまくる。

 生きるか死ぬかを選ばせ英雄的行為も認めず妊婦も盲目の人も殺す犯人たちが口にする「彼ら」とは? 「彼ら」の意志の背景が明らかになるに連れ、都合によって右にも左にも揺れる生命に対する人間のエゴが浮かび上がる。タイトルとか表紙に描かれた血塗れの銃弾とか、茶木則雄さんの推薦にパニック・サスペンスかと「勘違い」して購入する人もいるかもしれないけれど、読んだ印象は極限における人間を描く文学的・哲学的要素の加わったホラーあるいはファンタジーに近いかも。

 次々と人間が殺されていくシーンでの、無感動な犯人と感情まる出しの被害者との心理状態の対比がとにかく恐ろしく、自分が犯人側に果たして立ってあーした境地へと自分を追い込む可能性は果たしてあるのか、とか乗客の側に立った時に果たして5分の2の確立にかけて一本橋揺れたら終わりな状況に泰然自若としていられるのか考え込んで考えすぎて夢に見て泣き叫ぶ。1000年ない人生ならば50年が1日に縮まってどれほどの違いがあるのかを自問する登場人物の、それでも間際には死を恐怖する様にやっぱり人間から死の恐怖をぬぐい去ることは不可能、なのに死を与える仕業を止めない人間はやはり矛盾した存在なのかも。「バトル・ロワイアル」(高見広春、太田出版、1480円)より胸の悪くなる、けれども絶対に投げ出せないノンストップ通勤快速ノベル。秋の話題を独占しそーです。

 FM東京で開かれた浅田次郎さんの朗読会に出席、「天切り松 闇がたり」から1編を朗読した舞台は、書斎風にしつらえられた舞台の上に浅田さんが登場して場内はまず喝采、そしてシンと静まりかえったステージの上でどんな声で読むのかプロじゃないから期待はせずに単なる大家の長唄かと眉に唾して構えていたところに、澱みなく詰まりもなく朗々と流れ始めた浅田さんの声に正直言って驚く。声の良さだけじゃなく登場人物たちに合わせて声音を帰る技に途中で挟まった歌の巧さがまた秀逸で、体調が悪く目を瞑って聞いていても瞼の裏にまだ子供だった天切り松が虎兄いといっしょに強盗へと向かう場面とか、虎が戦場で目にした悲惨な光景とかが絵となって浮かぶ。ラジオ放送の予定もあるからファンならずとも必聴。

 演劇の心得のある筒井康隆さんがブランクから立ち直りつつあった時期にあった秘密朗読会は、かつて「東の仲代西の筒井」と称されたこともあるプロの藝だから上手いのは当たり前だったけど、浅田さんの場合はやっぱり苦労を重ねて来た人間の厚さ、そして今成功を手にした人間の自身の現れなのかも。ドスの利かせ方なんで堂に入ってたからねー。朗読終了後のインタビューではとにかく小説を書くのが好きでどんどん書いて本がどんどん出るから売れ行きが分散して今一つと嘆いていたのが印象的、あと「天切り松」が地方での売れ行きがあんまりってな話を聞いて、あの浅田さんをしてそーなら室井佑月さん枡野浩一さんが地方で全然知られてないないってのも当然かもと思ってみたり。都会にいると忘れがちな情報量の差を改めて考えさせられました。


【10月29日】 ウイッすエクセルっす「エクセルサーガ」は何かもーいーって感じぃ? うん「実験」は分かるけど何だかバリエーションの世界へと入ってしまってて次に何をしでかしてくれちゃっても「しでかしてくれちゃったなあ」ってな感想が先に立って、素直にそのしでかしてくれたことを楽しめない。本編の方のエクセルの不気味な明るさイルパラッツォ様の不思議な2面性については触れずにずーっとこのまま単純なバリエーションの追究を続けるんだったら、記録と誉めて挙げても良いけど記憶にはやっぱ残らないだろーね。「はれぶた」が本筋をしっかり付けつつ遊び倒したのとはどっか違う。でもまだ始まって1カ月だし残りのあと何回かは知らないけれどそれなりな物語だって見せてくれるんだろーと期待しつつ、やっぱり毎週木曜日の深夜は見続けてしまうんだろーな永井流奈ちゃんの「ミニスカポリス」の流れでそのまま。しかし何故に今さら永井流奈が?

 ハナエモリビルなんて所で開かれた「AIBO EXPO’99」のプレス公開を覗く。「GAZO」編集部のやっぱり途中で死んじゃうのかなバルキリーごとバリアのフレアに巻き込まれて? じゃない編集長のスペイン逃亡にも負けず仕事に勤しむ柿崎くんと、待ち時間をやっぱり改造してマシンガンとか付けたいよねとか高須クリニックのステッカーは貼ってないのかとか自爆装置を汲み入れたいよねとか今度の黒いAIBOはブラックAIBOと良いながらも実はスキー焼けしただけのカフェオレAIBOだったとか黒はティターンズだとかやっぱり赤が欲しいとか赤は結局白に敗れて最後は巨大AIBOを作ったのは良いけれど大きすぎて足が間に合わず付いてなかったんで文句言ったらソニーの人があんなの見かけ倒しですよと言ったとか益体もない話で潰す。あと会場に来ていたオーナーの中に「FENDI」の袋に入れていたハイソなオジョー様がおられたのを見てどーせだったら「バーキン」に入れて首輪はカルチェにしたいよね、とか。いたら凄いけどいそーだから怖い。

 げーのーじんは気楽な稼業と来たもんだ、じゃない羨ましい稼業と来たもんだと強く思ったのは「AIBOサポーター」とかに選ばれた浜崎あゆみさんが別にこれまで「AIBO」なんて触ったことも無かったのに最新型を1台贈呈されて帰って行ったからで、冒頭にビデオで登場したパフィーの2人がともに持っていたりこれは有名だけど渡辺満里奈さんが仕事場に連れて来ていたりしたことも含めて、あれでソニーなかなかにしたたかにメジャーな人間を介した「AIBO」のピーアールをやってます。不思議なのはどーしてソニーの鈴木あみじゃなくエイベックスの浜崎あゆみなのかって点だけど、いみじくも浜崎さんがコメントした「名前は『あゆぼ』にしたい」って出来すぎの言葉から想像するに、そーゆーコメントも仕込むなり発言すると想定してのセレクトだったのかってな妄想も頭を包む。でも可愛かったから許す。ちなみにエイベックスの専務室には「AIBO」がいて踊っているとかいないとか。流石は「ドリームメイカー」流行りはちゃんと押さえてます。

 「宇宙戦艦ヤマト」はヤマトが宇宙に行って戦って友情があって愛情があってってな展開に皆さんハマったんであって右翼的イデオロギーありは好戦的思想を好きだった訳じゃないんだけど、そこんところがメジャーになるに連れて勘違いしたりワザと勘違いする人が増えて、アニメファンの預かり知らないうちに国粋右翼愛国ナショナリズムなシンボルへと祭り上げられよーとしていて不思議っちゅーか不気味。何を言いたいかってゆーと「正論」って雑誌があって我がグループの産経新聞社(向こうがグループと思ってくれているかは不明)が出しているオピニオン誌なんだけど、その最新号に事もあろーに「いま再び飛び立つ『宇宙戦艦ヤマト』気概の再生と日本発の感動を世界に」ってな石川好さんによる文章が載っていて、いかにもオヤジ好きする感覚でもって「ヤマト」が語られていてアニメファンの知らないところで「ヤマト」がとんでもないことに(っても何時もアニメファンの知らないところでトンデモないことになってたんだけど、製作者もコミで)なっていたことが明らかにされている。

 詳しくは記事を読んでもらうとして、驚きなのは石川さんが代表を務めている社会基盤研究所、つまりはかつての長銀総合研究所が共同製作者として出資していて、さらにはプロデューサー兼脚本家として「ヤマト」にコミットすることになっていること。アニメが日本の誇るコンテンツであるとの認識は決して間違ってはいないんだけど、「セーラームーン」に今は「ポケットモンスター」辺りといっしょに「ヤマト」も世界に冠たる恥ずかしいけど使ってしまおー「ジャパニメーション」として評価を果たして受けるものなのだろーか? 言うに及んで「スターウォーズ」にはアナライザーにそっっくりなロボットが出ていて(R2−D2?)、「スターウォーズ」も「ヤマト」に影響を受け作られたものだったと断じている点に、何だかすっげーヤバい感性を感じる。これってホントぉ詳しい人ぉ。「シナリオ」が載っているけどこれがまた流行の環境問題なんかを無理矢理織り込み日本人のアイデンティティ探しに終結させそーな内容で、一体誰が何の為に戦うのかが希薄でどーやって内容への感情移入を促すのかが分からない。ともあれ2001年夏公開に向けて動き出した企画、せいぜい頑張って誰かを喜ばせてあげて下さいな、でも某ハザマさん焚付けて出資者とかに名連ねさせるのだけは止めてね作品ダメでも嫌でも誉めなきゃならなくなるからさ。

 夜だ金曜だ歌舞伎町だと言っても全然艶っぽい話じゃなくって久々の「ロフトプラスワン」に坊主を見に行っただけ。坊主ってのは別に南無阿弥陀仏のお坊さんたちが声を揃えてクイーンの「ボヘミアンラプソディー」の合唱部分を唄うってなイベントじゃなく(何時か聴いてみたいんだけど誰か作ってよ)、坊主頭と183センチもの長身がまず目に付く特殊歌人こと枡野浩一さんが自己宣伝にひたすら務めるトークライブがあったからで、別だん詩にも歌にも関心が無かったけれどこないだもらったアライユキコ(だからテライユキじゃないってば)さんが作ってる執筆陣はヤタラと豪華なミニコミ「カエルブンゲイ」の第1号に似顔絵とコメントと連載が載っていたのに興味を覚えて、出没系ステルスライターとしてはどーゆー人間なのかをストーキングするのが勤めと思ったからです。

 こっそりと潜り込んでやろーと思った「ロフトプラスワン」は開演予定時間ちょい前に行ったら人間がたったの10人くらいしか来ておらず、隠れるどころかいるだけで目立ってしまうと心配したけど知り合いもたいしておらずもとより友達は少なかったからひと安心。あとはひたすらコロナビールを飲みつつ紀伊国屋書店で買った枡野さんの最新刊でアライユキコさんが初代担当編集を務めたらしーエッセイ集「君の鳥は歌を歌える」(マガジンハウス、1300円)を読みながらスタート時間までを過ごす。途中で枡野さんがサインを始めたんで現場では買わなかったけど持ち込んだ本にサインをしてもらう。本名(漢字にしただけ)を渡したけど気付かなかったからこのページは読んでないなと安心する。

 だって枡野さんホームページを開設するなどインターネットには結構ハマってるそーで、ときどきポータルで自分の名前を検索かけては悪口を書いているサイトに飛んでその主催者にメールを送るんだそーな「僕はそーじゃない」とかってな内容の。例えば今僕が「ハゲ」「ノッポ」「特殊」とかって書いたらやっぱり悪口だと思ってメールが来て「剃ってるだけです」「羨ましいんでしょ」「特殊の国にいけば普通が特殊です」とかってな反論をされてしまうんじゃないかと心配もするけれど、イベントでのコメントを聞くと何だか最近とてつもなくラブラブ(月並みな言葉だけどこれが今の枡野さんに良く似合うんだよね)で歌も書けないくらいだから、他人のページなんてきっとのぞいている暇もないんだろーからもっと書いてやろー「やーいラブラブ」。言っててすっげー虚しい。

 自意識過剰なのか自惚れなのか自身満々なのか分からない「じぶんずきー」(マルシー高橋源一郎&室井佑月)ぶりが、訥々とした喋りの中に時折ピッと変わる表情でもって滲む不思議なキャラクターだったことが分かったのがまず収穫。程度の差及び才能の格差はあっても僕にやっぱりある感情だから。自分で何かを表現して暮らしている人が他人の目を気にするのは当然だけど、冗談だとしても高橋さん室井さんたちが自分のことを何時も話してくれているんだと信じている、信じたがっている感情とゆーのは、両名の才能鑑識眼に強い信頼を置いていること、故に両名の評価を受けていることが自分の能力を裏付けること、かつ両名を自分が好きだから好きな人から良く思われていることはやぱり嬉しいこと、なんかによるものなんだろー。そしてそれも良く分かる。分かりすぎるだけにやっぱり自惚れてそれが認められる立場とゆーのはとっても羨ましい。無能で無名が自惚れてはやっぱり見苦しいかならー。仕事しよ。

 繰り返し登場する高橋&室井のカップルはすでにゴシップ欄なんかで既報どーりに8月に結婚していて、夫婦になっててついでに室井さんは子供も出来てて今は大事な時だとか、お腹はまだ目立っていなかったけど。その割には登壇するなり喋りは強力で枡野さんとの相性も良くって、スガ秀実さんに文壇バーで「その顔でいいもの書けるはずない」と絡まれて「それって美人だからですか」と返してさらには「文章で食べていける人がどーして早稲田で講師なんかするんですか」と心にグシャグシャ突き刺さる言葉を放ち続けて午前の5時までケンカした話とか、某「anan」に連載中のコラム「アーンアンアン」(で合ってる?)のタイトルを、最初は「成り上がり」(筆・矢沢永吉)あるいは「なんだばかやろう」(筆・荒井注)にしよーかと提案して拒否された話とかを立て板に水で話す。パンツは洗わずに捨てる話とかも。

 最高だったのが同じく「anan」にかつて連載されていて本当だったら枡野さんのエッセイ集と同時期に出す予定だった阿部和重さんのエッセイが「とてつもなくつまらい」と断言した事。これは枡野さんも同じ意見で、とゆーか話のネタ振りでは枡野さんが最初に指摘していたことなんだけど、小説は面白いのにエッセイのあのツマラなさはもしかしたらワザとやっているのかもしれないなどと、本人が聞いたらメールに電子カミソリを付けて送りかねないコメントが飛び交って、来ていただろーマガジンハウスの人にとっては首筋からドライアイスな気分を与えて震えさせたことだろー。ほかには室井さん、講談社から出た「piss」って本が未だに重版かかんない話とかもあって売れっ子っぽいのに全国区じゃないオヤジ受けもしない点で枡野さんと共通する悩みを吐露しあう。十分有名だって思ってたけど藝の道はやっぱり厳しいってことで。巡業する?

 売れるためには何をするかって話て枡野さんは「ビッグコミックスピリッツ」が募集していたらしーマンガの原作募集(プロット4枚)に応募するかってな事も言い出してちょっと涙、いや売れるために何だってやるんだシロウトさんがいっぱい出ている言葉のプロレスにだって出るんだ大変だって思ったんで。そこで出た案がまた画期的だったし、加えて室井さんが作家的感性で手直しした話がさらに画期的だったんだけど、本気で応募したげな雰囲気だったんでここには書きません、でも内田かずひろ(「ロダンのココロ」)さんは怒りそう、町田ひらくさんがマンガにしそう。後は室井さに続いて登壇して珍しくも貴重っぽいツーショットを披露してくれた高橋源一郎さんの近況なんかの話があって、朝日新聞夕刊で来年から始まる連載が今はヒミツだけど「私小説かもしれない」と聞いて、あるいは元妻が書いた私小説への反論返歌を身も蓋もなく同じ朝日新聞社の媒体でやる気なのかと勘ぐってみたりしたけれど、そんなあざとさも含めて高橋源一郎らしいとも思えるから、是非とも歌舞伎ゃないけど天下を向こうに回して大見得を切って、読者の朝日も自分自身もイジり倒して頂きたい。しかし2人に突っ込まれてニヤニヤしてた枡野さんの文筆家らしー奥さんって誰なんだろー? 「噂の真相」も興味示してる、乾燥機一体型全自動洗濯機に全自動食器洗い器も持っているらしい彼女って。


【10月28日】 凄い! 凄い! 凄すぎたのは藤崎慎吾さんの「クリスタルサイレンス」(朝日ソノラマ、1900円)ってSFで、何が凄いって大森望さん絶賛の帯や草ナギ琢仁さんの誰なのか分からない表紙の絵だけじゃなく中身もどえりゃー凄いってこと。10年に1度とか言う言葉が角砂糖東京ドーム一杯分くらい甘く感じられるくらいに壮絶超絶気絶激絶なビジョンとカタルシスを与えてくれる。間違いなく今年のトップクラスに入る1冊で、ここ数カ月では間違いなくトップに位置づけることができる。えっ「カムナビ」? なんだったっけ。ってのはちょっと大袈裟だけど少なくともエンターテインメントな「サイファイ」を目指したが故にそぎ取り見捨てた部分の多々ある「カムナビ」とは違い「レッド・マーズ」「火星転移」の科学と光瀬龍の哲学と大原まり子の文学を肉付きとして残しつつも「マトリックス」や志郎正宗もかくやと思わせるサイバー追跡劇を演じて見せるサービス精神は、まさに「SF」と呼ぶに相応しい。

 火星の極冠で見つかった何かの食糧だったらしい生物の死骸。その謎を解き明かすことを望まれ火星に向かった女性考古学者の飛鳥井沙耶だったが、待ち受けていたのは火星の極の氷資源をめぐる開発先進国と後進国との対立、そして人が触れることは出来ても抜こうとすると固まり抜けなくなる謎めいた「クリスタルフラワー」の群生だった。やがて「クリスタルフラワー」は火星のドームを多い中に人間たちを閉じこめ出られないどころか通信すらも出来ないようにしてしまい、その急激な増殖に火星をかつて統べた生命体の存在が想起される。折しも火星では謎の熱病は流行し始め、先進国のドームが覆われたことで崩れたパワーバランスが沙耶たちの身に別の危険ももたらす。若くして最大の権力を得た企業家の奇妙な振る舞いに沙耶を守ろうとする何らかの意志がぶつかりあい、事態は驚きのラストへとなだれ込む。

 ネットワーク内の描写が絵を使えない(当たり前だよね)小説ならではの特徴が、逆に読者の想像力を喚起させてめくるめく輝いたり暗くなったりするビジョンを与えてくれ、情報と生命との関係にも迫りありゃこりゃ考えさせてくれる。よくぞここまでいろいろ詰め込み破綻もせずにラストまでを引っ張ったものだと感心することしきり。どーして沙耶なのか、って点を読み飛ばしてしまったかもしれずイマイチ分からなかったのと、題名にもなっている「クリスタルサイレンス」って沙耶が作った電脳アートの意味もあんまり理解できなかったから、再度読み込みこのあたりを理解する必要が今はまだある。歳食った新人で「宇宙塵」上がりで朝日ソノラマデビューって点でサイファイへの道をひた走る可能性も案外あるかもしれないけれど、個人的にはやっぱりこの路線で宇宙に科学に哲学にデジタルをまんべんなく詰め込んだ上での壮絶ラブストーリーを読ませ続けて欲しい。次は何時?

 死んだらそれまでよ、ってのが主観なれど信じたいのはやっぱり「別の世界にいる自分」あるいは「転生」。死への恐怖から逃げよー死の恐怖を和らげようとする人間のあがきが生み出したこーした「逃避」のビジョンがファンタジーとして現れたのが飯田雪子さんの「ファンタジーの森」叢書に新しく加わった「リアライン」(プランニングハウス、960円)、なんだろー。竜と精霊のいる世界があってそこから空に浮かぶ城が見えている時に生まれた子供は別の世界にもう1人の自分を持つことが出来るとか。けれども精霊を落ちつかせる精霊使いは現役の力が鈍ったのに後継者はもうひとつの世界の自分に心を閉じこめられてしまっているのか目覚めず、そうこうしているうちに精霊が怯え竜が騒いで人がどんどんと死んでいく。

 何とかして精霊使いを目覚めさせようと双身の人たちがいわゆる人間界の自分となってリアラインの双身である美由の周りに出没し、強行派の男は美由を殺害してリアラインを目覚めさせようとするが、穏健派の方は覚醒を待とうとして美由を守る側に回る。後はどーして美由が人間の世界にこだわりリアラインとして目覚めようとしないのか、ってな執着に源についての展開があるんだけど、気になるのは現世で死んだらもう1つの世界で目覚められるって思想がなかなかに「逃げ」の気持ちを喚起して、1つしかな命を粗末にさせる可能性があること。事実強行派の男は元の世界では竜殺しとして知られていたが、それも天空の城の世界にもう1人の自分がいて生まれ変わることが出来たから、だもん。

 双身を持たない竜使いのお姫さまの辿った運命なんかを読むと、逃げ道なんかないってことの悲しさが増幅されて気持ちが萎える。それでも「ここより他の場所などない」と知っているからこその「ここではない別の場所」を信じる気持ち。ましてやこの世知辛い世の中に見切りを着けたいと願う人の多いことも事実だから、こーゆー話に気持ちを乗せて瞬間であっても夢を、人によっては信じ込むことによる永遠の夢を見させてくれるって意味で決して嫌いじゃない。「天夢航海」(谷山由紀、朝日ソノラマ、490円)にもどこか繋がる1編、好きな人にはハマりそー。

 パンツパンツパンツパンツパンツパンツおしりおしりおしりチチ、な1冊は「アイカ グラフィックス」(銀河出版、1800円)ってムック。薄く小さい版形にも関わらずのこの値段も読めば誰だって納得だろー、それはあの傑作アニメ(見たことないんだけど)「Aika」に頻出したパンチラシーンに大股開きシーンを余すところなく収録しているからで、めくるページのほとんど全てに写るは白、白、白の大洪水。その白すら脱がされたフカフカ柔らかそうなお尻の絵も多々ありと、今世紀に出たアニメのムックの中でも「エンジェルリンクス」の乳を越えてトップクラスのエロさを誇る。発禁にはならないだろーけど早めの購入をオススメします。早くDVD出ないかなー。


【10月27日】 リクルートの買収こそ断念したものの、住友商事や主婦の友社とデジタルコンテンツの会社を作ったりドイツの出版社の出資を受け入れたりと、普通の出版社の1万倍くらいのスピードで新規事業を立ち上げている角川書店だけど、最新号の「週刊プレイボーイ」で兄貴の角川春樹さんが弟の歴彦・角川書店社長のことについて珍しく触れていて、「秀才だが、天才ではない」と評価とも悪口ともとれるコメントを出していたのが言い得て妙で面白かった。あるコンビニチェーンの社長が言った「平凡の鑑」という評価もまた然り。総理だって鈍牛と呼ばれ平凡さを装いながらも懸案の法律バシバシ通しているご時世だから、今は「平凡」こそが「非凡」の代表なのかもしれないなー。

 まあ歴彦さんの場合、春樹さんのよーな10年先を見るよーな先見性というよりは、企業だったら当たり前のことを出版社だから、マスコミだからやりません、ってな旧弊に縛られずに、どしどしやる行動力でもって、信長秀吉が固めた天下を300年に渡って治めた家康の如く粛々と、しかし時には果断に角川書店という会社を切り回しているよーにも思える。春樹さんの言うよーに、「会社の空洞化」が当たっているかどーかは、現況のベストセラー頻出率を見ていると、あんまり当たっていない面もあるよーだけど、これだって「ホラー文庫」のような春樹さんの下地作りがあっての成果を言えなくもないから、例えば今後5年、いや3年のうちに打ち出す歴彦さんの本業つまりはコンテンツ作り(出版とは言わない)に関する施策が花を咲かせ実を結ぶかを、見極めた上で「角川書店」100年の計を想像してみたい、って手前の会社は1カ月の計すら経たないのにエラそーだねぇ。

 しかし春樹さん、「2001年5月5日から始まる太陽フレア。これによって大量の放射能が地球に降り注ぐだろう」って相変わらずすさまじい予言をしてくれちゃってて益々アブナーな感じ。北軽井沢の神社を売り払おうって言っているのも信仰から離れた訳じゃなく「すべての生命は神を内包している」と考える位の境地に至ってしまったからで、だったら別にお社におわします神様なんか拝む必要もないってこと、なんだろー。3次元に霊界、天界をあわせた5次元世界の到来を嗣げたり、人類の覚醒を予言したりとこの辺の飛び具合もなかなかだけど、一方では幻冬舎の経営について「新人の発掘をしていないし、なにより在庫管理ができていない」と経営者っぽい事も言ってみたりと気を抜けない。

 天啓で選んだ原田知世はブレイクしたけど新しい「時かけ」の主演は名前も忘れちゃっててどーしたの? でも「アレクサンダー戦記」の主題歌唄ってる小柳ゆきって娘は、まだ高校生なのに歌唱力抜群でオリコンでもそこそこだったから、春樹さんの少女眼力は鈍(なま)ってないとも見える。年末とも言われるいったんのお隠れを乗り越えた暁に、さてさて再びどんなフレア(爆発)を巻き起こしてくれるのかには興味ある。しっかし小松左京賞、話題になってないなー、もしかして頓挫してんのかなー。あと2001年5月5日を春樹さんってどこでどんな格好で迎えることになってるんだったっけ。

 興味半分で「世界文化賞」ってフジサンケイグループが日本美術協会と結託して11年ほど前から初めている「芸術のノーベル賞」なんて触れ込みも自画自賛なイベントの今年の受賞者が揃って会見するってんで覗きに行く。グループの話題作りに利用されてる面はあっても選ばれる人たちの顔ぶれの確かさは時折混じる「タンゲケンゾー」なんて委員に名前を連ねる中曽根康弘大勲位の趣味っぽさ漂う選択を除けばなかなかな物。とりわけ今回は絵画でアンゼルム・キーファー、彫刻でルイーズ・ブルジョワ、音楽でオスカー・ピーターソン、舞台でピナ・バウシュとそれぞれが今をまさしく代表し、かつ現役バリバリで活躍している人ばかりで誰が推薦したのかは知らないけれどやるなオヌシってな感慨を覚える。ジャズなんて選ばれたの、初めてだもんなー。ノーベル文学賞にミステリーとかSFが選ばれるって感じ? そーゆーとジャズファンな人は怒るかな。

 流石に高齢らしくブルジョワさんだけ欠席だったけど、「あしか作戦」のキファーに公演は見たことないけどダンスが凄いバウシュを生で見られたのは超ラッキー、もちろんピーターソンも。彼の場合は直後に開かれたCD−ROMの記者発表でわずかその距離30センチにまで近づいたんで「鍵盤の皇帝」を尊敬するジャズぞっこんな人の嫉妬をもしかしたら買うかも。触ってませんってば。キーファーについてはドイツ人が目を背けて黙り込むナチスドイツの傷に触れて掘り起こす作品が物議を醸しているけれど、同席した国際委員らしーヴァイツゼッッカー元独大統領の評価も受けているよーに、ドイツ人として決してアウトローにはなっていないみたい。日本で同じ行為を行いメディアは取りあげ首相は評価し賞を与えるなんてこと、出来るかな? ちなみにキーファーについてヴァイツゼッカーに聞いた記者はTBSの池田キャスター(みたいだったけど、太った彼?)、報道特集か何かに使われるのかな。

 萩原浩さんの「ハードボイルドエッグ」(双葉社、1600円)読了、双葉社の本なのに裏表紙に印刷されている「横須賀線の中で読んでいて涙が止まらなくなり、周囲のオヤジに怪しまれた」と感想を語っているのは「小説すばる」新人賞以来の担当らしー集英社編集萱島春子年齢不詳容姿不明。唄って踊れるかも知らないけれど同じ集英社なんできっと凄い人なんだろー。さてお話は探偵になったものの仕事がなく、何故か動物探しばかりをしているチャンドラー大好き男33歳を主人公に、彼が巻き込まれた事件について展開していく。募集をかけた秘書には何故か高齢の婆さんが応募して来てそのまま居座り、時には一緒に行動しては足を引っ張ったり手を引っ張り上げたりと、なかなかの名コンビぶりを発揮する。事件そのものが語る「どーぶつ好きは良い人」ってなジョーシキへのアンチテーゼは結構痛いけど、ラスト数ページの畳み込みには心がワシワシと震え出し、萱島春子みたく涙がジンジンと滲んで来る。おもしろかなしくかっこいい。読め。

 ドーブツ物が続くみたいでテリー伊藤さんの「ペットスナイパー二階堂」(幻冬舎、1400円)を買って読む。英国でスパイの勉強をしたものの日本で当たり前ながら仕事がなくって何故か動物専門の殺し屋稼業を営んでいる男を主人公に、ペットを殺してくれってな人々の依頼がもたらすドタバタを通してドーブツが置かれている理不尽な環境を浮かび上がらせ、人間様の我侭勝手ぶりを暴く。プロデューサーとしての仕事ぶりについては誰もが知っているけど、コメンテーターとしてギャグを飛ばしたり大蔵省や外務省や北朝鮮をプロデューサー的にイジってみせたりするだけじゃない、小説書きとしてもなかなかの才を感じさせる。うーんさすがは天才。

 父と兄が歌舞伎役者の一家に生まれて女優と歌手で成功している娘とか、アナウンサー上がりで気の強い女性議員を不倫の果てに妻とした挙げ句、夫婦共倒れで落選してしまった元代議士とか、名門映画会社でエース・プロデューサーとして暴れまくったのがまずかったのか役員会で解任され、今はゲーム会社からお金を出してもらって新会社を作り起死回生を図っている映画プロデューサーとか、どこかにモデルがいそーな登場人物ばかりなのも楽しいけれど、それより主人公の「仕事」の多くが「ドーブツ殺し」のよーな残酷なシチュエーションへと行かず、むしろ人間様を懲らしめる方へ落ちているから読んで爽やかな印象を受ける。色物かと思ったらこれは結構出物かも。構成作家だった影山民夫が「トラブルバスター」で小説家としての才を見せつけてくれたよーな感じにテリー伊藤もなっていくのかな、でもって最後は宗教で丸焼け、うーん似合ってる。


【10月26日】 なんや知らんけどガレキ絡みな仕事をしそーな雰囲気で散々ワルクチ言ってた人に会わなきゃいけなさそーでちょっとドキドキ。それはさておきコジャレ大帝におかれましてはハミ乳以外は興味の埒外にあるらしー吉井怜ちゃんの「週刊プレイボーイ」のトップグラビア登場は、イマイチなB級からとりあえずはA級へとランクが変わったことの現れと見て良いのかそれともセカンドグラビアの大森玲子ちゃんとのホリプロ抱き合わせにによる「週プレ」占拠の恩恵と見るべきなのか。来週は酒井彩名ちゃんも登場の予定だし。この辺ソロモン・スミスバーニー証券にもモルガン・スタンレー証券にもいないアイドル・アナリストな方々の分析格付けが頂きたいところであります。

 個人として吉井怜ちゃんに含んで欲しいところはあっても含むところは一切無く、単純に「仮面天使ロゼッタ」なんてトップを目指すアイドルなら絶対に出ないだろー変身ヒロインものでかつ、昼間だったら子供たちのアイドルを目指せるところを大人なオタクの慰み者に甘んじたその姿勢に、感心しつつ関心を寄せた程度の思い入れだから、アイドリアン業界にかくも吉井怜オッケーな人が少ないからといってさして憤りは覚えない。強いて言うならマイナーであることを宿命づけられた立場からどう脱却していくか、その苦闘の様にサディスティックな欲情を覚えていたんだけど、こうも度重なる「週刊プレイボーイ」の登場は、隙間狙いのメタ・アイドリアン(アイドルに関心があることを装う卑怯者)にとってもはや完全に対象外に至ったことを現す。故に今後は真のアイドリアンとして吉井怜を応援していくことにする、ってなんだい結局好きなんかい。

 オタクなフィールドから脱却する苦労とゆーのは、声優さんがいつまで経っても声優の枠から抜け出られず(抜け出たいと思わない人も多いんだろうけど)、レッテルとしてついて回ることからも分かるよーに、例えばソニーがイチオシで売り出そうとした美人女優で歌も唄う仲間由紀恵ちゃんが、インターネットでライブをやった時にはかつてないほどのアクセスを集めたにも関わらず、レコードは思っていたより売れず、ソニーが何とかせねばと言っていたことからも伺える。それでも最近はドラマに出演しCMにもピン立ちするよーになったから喜ばしい限りなんだけど、どーも経歴なんかで過去に声優やったりゲームのテーマを唄っていたことを隠そうとする節があって頂けない。のでいずれメジャーになった暁には「ホーンテッドじゃんくしょん」のLDあたりを突きつけ何か喋ってもらうことにしよー。イジワルかな?

 嗚呼眼鏡っ娘。今朝乗った地下鉄で向かいに1人の女性が座ったと思ってくれい。エンジだかグリーンだか覚えてないけど野暮ったいタートルネックのセーターを中に着込み、チャコールグレのリクルートっぽい女性用スーツを着たその女の子、化粧っ気の一切ない顔にはオーバルのメタルフレームの眼鏡をかけ、髪型と言えば半分輪っかになった道具(カチューシャ?)で前髪を頭の上で押さえている、見るといかにも優等生とゆーかオバさんといった風情で瞬間しまったと眉を顰める。が、よくよく見ると顔の色は抜けるように白く組んだ足もやっぱり白くかつ細く、スタイルの良さと顎がピンと尖って結構整った顔立ちに、もしやこれこそが眼鏡っ娘美人かと瞠目する。かくも素晴らしい経験をできるとは神様はやっぱりいらっしゃるということで、ハロウィンには南瓜を食べてゆで卵をぶつけて祝うとしよー。何か違うぞ。いやそれは良いとして、

 そんな願いが通じたかそれとも悪の念波に目が眩んだか、メタルフレームの眼鏡をはずして鞄にしまい素っぴんの顔を我が目前へとさらしてくれた。その顔立ちたるや! 実のところは化粧っ気のなさが気になって明言は出来ないんだけど、それなりな美人であったことは間違いない。かつ上にまとめたイインチョ髪型を崩して、むき出しになっていた額を隠し顔の前へと髪をたらしたその姿は、藤原紀香とゆーと嘘大袈裟紛らわしいと言われてしまうから黙るとして、なるほど女性の顔って髪でも眼鏡でもちょっとイジるだけで相当に変化するものだってことがよく分かった。つり上がり気味に見えた目も前髪で隠れると清冽で強い眼差しに変わるし、尖り過ぎの観もあった顎も下から見上げると強靭な意志を現しているよーに見える。服装は変わらないから野暮ったいままだったけど。流石に仕事があったんで後は着けられなかったけど(仕事なけりゃ着けたんかい)、乗った駅と時間は記憶した、明日も明後日もまた会えるかと朝の通勤に希望が出てきた、ってお前さん高校生かい。

 メディアボックス試写室で黒沢清監督の最新作「カリスマ」を見る。小林よしのりもショーコーも出ていない映画のどこがカリスマなんだろーと思ったら、犯人逮捕に失敗して人質もろとも死に追いやってしまって免職寸前な刑事の役所広司が、森へと逃避してそこで見つけた不思議な樹がどーやらカリスマと呼ばれているらしー。何でもそのカリスマって樹は、山の自然に悪影響を与えて他の樹から栄養を奪いどんどんを枯死に追い込んでいるんだとか。そんな樹を守ろうとする少年がいて、森のためにカリスマを伐採したいと願う人たちがいて、森を本来の自然に返したいと狂信的なふるまいに出る女性の植物学者がいて、そんな人たちの間で役所は誰が真実を言っているのかを突き詰めることもなく、黙々と人々を手伝う。

 人質を助けるためには犯人を殺さなくてはいけない、でもどっちも助けたいからと逡巡した挙げ句に2人とも死んでしまった教訓を得ながらも、森でもやっぱりカリスマの樹も森の木々もすべてが生き残る道はないものかと考え見る人に問い掛ける、ってな話を聞いていたら、森の中にぬぼーっと立ち上がるダイダラボッチの姿が浮かび、生きるために森を崩す人間と生きるために森を守る動物たちとの戦いの中でどちらが正しいのかを模索するアシタカの姿が見えて来て、耳の中にあのファルセットの歌声が響いてきた。「もののーけーたちだねー」。人の心に潜む残酷な一面を引きずり出してさらしてみせた「CURE」の監督から、共存の大切さを結論に近い部分で訴えられるとは思わなかった。どーゆー比較が出るのかちょっと楽しみ。粛々と進む場面で時にすっげー残酷なシーンが演じられる不条理ぶりは相変わらず。最後のシーンの意味をつかみあぐねているところだけど、森で木々があらそうよーに世界では自然と人間とが争っているって無い身なのかな? 話題をいろいろ巻き起こすことは必至とゆーことで、2000年陽春公開を刮目して待て。


【10月25日】 永松久、という名前に心当たりのない人にとって以下に綴る文章はおよそ興味のないものだろうから読み飛ばして下さいな。享年62歳で先週没した産経新聞経済部の記者とゆーのが訃報に書かれる肩書きだろーけど、その人生は相当に波瀾に富んでいて、いつか調べて本にでもしたいと思っていた。今年の1月から病気で休んでいて、それが結構厳しい病気だと知っていたから口伝にも聞けないだろうと諦めていたけど、その日が来て永遠に聞けなくなったという事実に直面すると、やっぱり残念で仕方がない。

 今の会社に入って最初に配属された東京証券取引所の記者クラブにいたのがまだウチの会社にいた永松さん、でその下で僕は2年にわたって証券業界を取材することになり、飲みにいった時とかご飯と食べている時に話してくれた経歴がハンパじゃなかった。学生時代は「明治の竜」とも唄われたバンカラ学生で、学校だかバイト先で知り合ったのがちあきなおみの夫としてしばらく前に没したえっと名前は何だったっけ? 宍戸錠の弟でその縁があったのかはたまた別お縁からなのか、笠置衆の知遇を得て大映のニューフェースを受けてあの加藤剛と同期で合格したものの、給料の面でどうにも折り合わず俳優になることを止めてしまって笠にこっぴどく怒られたそーな。

 で社会に出てからもいろいろな仕事をして、どこかの新聞社でプロレスを担当していた時代があって八丈島か大島へと向かう途中でジャイアント馬場と麻雀をしてこっぴどく負けたとか、試合の模様を送稿する時にあらかじめ決め技を聞いておいて予定稿を書いておいたとかいったことがあったらしい。これもきっと別の会社での話だろーけど、ベトナム戦争に取材に行くためにまだ占領下にあった沖縄まで行き機会を伺っていたところ、巨大な台風が来て泊まっていたところが吹き飛ばされたとか、いろいろと画策してどにかたどり着いたベトナムでは飛んで来た弾にカメラを吹き飛ばされたとか、とにかく激動の時代をどうにかこなしたあとの昭和40年頃、兜町へと戻って証券記者となって今へとつながる30余年がスタートした、らしい。

 らしいというのは詰めて聞いたことがなく、また裏をとったこともないから分からないだけで、あるいは時代的な前後の入れ違いがあったかもしれないけれど、何より誇張を嫌った性格からすれば、むしろもっとすさまじくも素晴らしい人生を送って来たのかもしれない。いずれにしてももはや当人に確かめる術はない。

 兜町(しま)での長い記者生活も、業界自体が相当に浮き沈みしただけにやはり波瀾万丈だっただろうが、この何年かの証券不祥事で、同じ年月を若手社員から中堅・幹部・首脳へと歩んだ挙げ句に逮捕された人々を見ながら果たして何を思ったか。無茶苦茶でも活気があって経営者達も剛の者が多かった兜町が、マジメになって世界に注目されたのと反比例するかのように経営者がサラリーマン化していじましくなっていった、その様を見ながら何を考えたか。ビッグバンで大きく様変わりを遂げようとしている証券市場の行く末を見届けずしての他界は、或いは慣れ親しんだ昔ながらの兜町(しま)の思い出を永遠に我が内に固定するための、避けられない道であり手段だったのかもしれないと、思うと残念な気持ちもやややわらぐ。

 30余年の間に兜クラブへと配属され、経済のイロハを叩き込まれて育ち、他の大蔵省とが日銀とかいった場所で経済記者として大成して今や編集の幹部となっている人もマスコミ業界には多かろう。あるいは付き合いのあった証券会社の人なり他業界の人なりの語る人物像から、口伝は無理でも間接的にその生涯を浮き上がらせる作業はたぶん可能だろう。ただそれが当人の望むものだったかという保証はなく、また昨日の今日では遺された家族の気持ちも落ちつかないだろう。今は余計な企みなどせずにただ、その死を悼むことにする。

 酒好きで記者クラブでも仕事が一段落した夕方はごそごそとウイスキーの瓶を取り出してはコップになみなみと注いで飲んでいた。見かけたのはどこかで調達してくる「オールドパー」が多かったような。それとも「ニッカ」だったか。「オールドパー」のミニボトルを買って来たから、飲んであの2年の思い出を振り返りつつ冥福を祈ることにする。合掌。ういーっす久々のウィスキーで酔っぱらっちゃったんで仕事できまっせーん。

 げらげらげら。って笑ってはいけないんだろーけどねえ、メディアファクトリーが例の「コミックアルファ」の経験を踏まえて創刊させる「月刊コミックフラッパー」って雑誌の告知を読むとやっぱり笑いがこぼれてしまう。「コミック誌に最もお金を使う16歳−25歳の、ややカルト的なものに敏感な読者に受け入れられる画風・世界観を持つ若手作家を中心に起用する」ってな方針に従って揃えられた作家人の看板がまず和田慎二さんで、それも連載は「超少女明日香」ってんだから吃驚だ。そしてもう1人の看板が新谷かおるさん。こちらは剣使いのミニスカな制服美少女だから気分的にはオッケーなんだけど、キャリアとしてはもはや重鎮の域に入ってる。

 それだけならまだしも他が竹本泉さんますむら・ひろしさん島本和彦さんとあってはさてはてどこが「16−25歳」なんだろーかと思えてくる。16歳の人が生まれるより前からいたよーな人たちばっかりじゃん。それでも何人か知らない名前が並んでいるところ見ると超新しい人もいるみたいなんで、看板2つはオヤジの保険とあきらめそのベテラン芸を堪能するに止めて、引っぱり出される新し目の人を探す役には立ってもらおー。柴田昌弘さんはいないの?

 注目の新刊は角川春樹事務所の「狼男だよ」。もちろん平井和正さんのウルフガイシリーズ第1作で「月光魔術團」でも「ウルフガイDNA」でもない正真正銘のアダルトウルフガイシリーズの復刻ってことになる。どっちかってーと角川書店時代に「団鬼六の小説を文庫に入れるのは何事か」ってな手紙を春樹社長宛にしたためるケンカをして結局は「幻魔大戦」が角川文庫からなくなってしまった状況を勘案すると、集英社から「幻魔大戦」が復刻されることはあっても角川春樹事務所から平井さんの本が出るとは思わなかった。

 1ってことはきっと全部のアダルトウルフガイシリーズ(「狼天使」までだったっけ?)は復刊されるだろーから、表紙解説読者の反応なんかも含めて今ふたたびな「ウルフガイブーム」到来の可能性を伺っていこー。をを「日本SF論争史」(巽孝之、剄草書房)も11月上旬には発売か、これまた論争の火種となって「新(真)日本SF論争史」の刊行を呼びそーだなー。誰が書くのかは知らないけれど。

 「凄い。凄い・凄すぎる。日本SFに超弩級の新人が現れた。」とゆーあからさまにして直球250キロストレートな大森望さんのホメ言葉に引っ張られて、藤崎慎吾って人の「クリスタルサイレンス」(朝日ソノラマ、1995円)を買う。表紙が草ナギ琢仁さんでなんか「青の6号」のDVD第2巻のジャケットぽかったけど顔はミューティオじゃないんだな。それはさておき内容の方も「凄い」を連発するだけあって確かに凄い。テラフォーミングされた火星の北極で発掘された1200度の高温で焼かれたガラスの遮光器土偶だった、なじゃんくって謎の巨人だった、って訳でも黒いハンペンだった訳でも全然ない、謎めいた生命体の食い散らかされたらしー死骸だったとあって、その貝塚ぶりから日本人女性の考古学者が派遣されることになったってストーリーで、後は火星をめぐる政治のかけひきとか、発達したネットワークテクノロジーとかが描かれる。

 結末は未読で先行きは不明ながら、「国産本格SFの頂点を極める10年に1度の傑作」と大森さんが書くくらいだから、まあ安心して良いんでしょー。けどだったら「カムナビ」はこれ以下ってこと? それとも「カムナビ」までで10年終わって「クリスタルサイレンス」で次の10年が始まるってこと? あるいは「カムナビ」は200年に1冊だから比べられないってこと? うーん大人の世界ってフクザツだなあ。


【10月24日】 秋葉原のボークスでアルフレックス謹製のアクションフィギュア必殺シリーズ「念仏の鉄」発見、やー顔がこわいぞ。聞くとこれまで日本人的中年体型の侍ばかりでお腹をでっぷりとさせていたんだけど、流石に「鉄」では肥満はマズいとお腹の部分をスリムにして「鉄」の雰囲気を出したとか、って言われても実はそれほど「仕置人」ファンじゃないから「鉄」にそっくりなのかどーかは分かんない。必殺マニヤな京極夏彦さん貫井徳郎さんの評価を聞いてみたいところです。アルフレックスはページ一新で今後の制作見通しとか掲示板なんかも設置されてファンから「次は何がいい」ってな募集を行ってるんで、必殺ファンも「武蔵」「十兵衛」「紋次郎」「桃太郎」なんか希望する時代劇ファンも工藤俊作実現化を熱望する人も行って要望、出してみては如何。「十兵衛ちゃん」はなしね。

 仕事なんで(どんな仕事だ)新しいバージョンの「ゾイド」からレッド・ホーンを組み立ててみる。大きさに結構な部品点数を想像したら開けてみると案外少なくそれでいて組み上がってみると結構フクザツなディティールのサイ(じゃない)が出来上がってこれだったらエッジな子供たちがハマるはずだと納得する。4本の足でゲシゲシ歩く様なんてホント格好良い。実は前に流行っていたとかゆー時代を僕、知りません。小遣いがほとんど貰えず貰えた分の大半を本につぎ込んでいたから80年代90年代の玩具ってほとんど記憶にないんだよね、だからデパートの店頭で「懐かしい」って言ってる兄ちゃんたちの顔を見て結構な若さに「贅沢な少年時代を送りやがってコンチクショウ」と心でケリ入れてるんだけど、今はそれですら甘くって、子供の玩具がゲーム機に1台何万円、ゲームソフトに1本何千円って親が平気で注ぎ込む時代になっている。最近でこそ不景気で数百円の玩具が人気だけど、これが回復した暁には少子化で1人しか作らない子供のために、両親およびその両親×2の計6人が大金を注ぎ込む時代に玩具は果てしなく高級化していくのかな。ああウラヤマシイ。

 エレン・ダトロウ編の「魔猫」(早川書房、2300円)を買う、猫のお話ばっかりを集めたアンソロジーって確か扶桑社あたりからも出ていたよーで、月末には出版社とかよく知らないけれど東雅夫さんが編んだ和風猫ホラー・アンソロジーだかも出るみたいなんで12月売りな電撃はここいらでまとめてみるのが適当かも。さほど頻繁にホラーだったりファンタジーだったりするアンソロジーが組まれたりするのも、猫ってドーブツには何か恐ろしいイメージがあるからなんだけど、実家で猫を山ほど(最大時で10数匹、親猫と子猫の出産が重なった時)飼ってた経験による馴れもあるのか、さほど恐ろしいって感じは抱かない。お風呂で猫が溺れた晩もしっかり風呂湧かして入ってたし。それでもこーして山とアンソロジーが編まれるだけの理由があるんだとしたら、きっとこちらが鈍感なうちに、何やらタタられているんだろー、未だ独身なのも仕事が捗らないのも頭薄いのも金貯まらないのもタタリなんだな。

 小説に登場する猫って意味では個人的に最強最高と認めるのはやっぱり「敵は海賊」シリーズのアプロでしょー、あれが猫といっしょかは別にして。マンガだとうーん内田善美さんの「草迷宮・草空間」に出てくる「ねこ」ですか、ただしこれも猫とはちょっと(全然)違う。アニメも探せばきっと多いんだけど猫のタタリで記憶力が崩壊している身とあっては思いつくのは近作の「宇宙海賊ミトの大冒険」のシンが変身した姿とか、DVD絶賛購入中の「星方天使エンジェルリンクス」に登場している美鳳の谷間に羨ましくも棲息し、いざとなったら剣にも変身できるターフェイか、ってこまた猫にはほど遠いけど。現在放映中では「エクセルサーガ」は犬の「メンチ」で「ジバクくん」は得体の知れない「ナマモノ」で案外猫って出演少ないのは世界が犬派に占領されつつある陰謀の結果か? いやいや視聴率トップクラスなアニメにちゃんと猫は出演していますんで、猫派はこれでなかなにしぶといかと。「ドラえもん」と「サザエさん」は猫派の牙城だ応援せねば、見てないけど。


【10月23日】 小山登美夫ギャラリーに「太郎千恵蔵展」を見に行く。しばらく前に「キリン・アートスペース」で見た時は首のない動き回る人形とか瘤のある兎だか敷かれたLDだか何だかの人形とか立体作品がいっぱいあって絵の方にあんまり目がいかなかったから、新作を含めた平面作品ばかりを改めて見るとイラストっぽさの微塵もない、まさに「アート」ってな雰囲気が伝わって来る。分かりやすさでは1番右翼なロボットの絵でも塗られた絵の具の下に別の図が透けてみえたりしていて、単なるノスタルジックなモチーフを描いただけってな感じとは明らかに受ける印象が違う、ってもパッと見はやっぱりロボットの絵でしかないんだけど。

   画廊のお姉ちゃんの説明だとバックの赤青緑だかのシマシマはフランク・ステラで手前のロボットそのさらに前のオレンジだかのモワモワもすべてが「地」じゃなく「図」なんだとか。この「地」と「図」の使い分けってのは村上隆さんが講演なんかでときどき喋っていたよーな記憶があるけど記憶が最近1時間しか持たないから内容までは覚えていない。聞いてなるほどと思えるほどの鑑識眼もないから「へーそーなの」としか思えない無教養さがちょっと悔しいが、塗り重ねられながらも決して厳密じゃない透け具合が醸し出すのは平面であっても多層的立体的な雰囲気がそこに存在してるってこと、なんでパッと見ふーんと次に目をそらさずにしばらく眺めて塗り具合に掠れ具合といったタッチから作家の意図を引きずり出してみては如何でしょー。

 空港を舞台に異様な目玉とかエイリアンが出現したシリーズは、そのシチュエーションを同じ空間でのリアルタイムなスナップと見るとなかなかにホラー的な戦慄が走る。羽田空港の目玉な絵は手前にある巨大な目玉がバックにいるアーティストの家族らしい母子をちゃんと見おろしていたりする捻れた空間表現に気分を波立たされる。関西空港のエイリアンはエイリアンが可愛すぎて不気味さよりも滑稽さが先に立ったけど、フォーカスのぴたりあったエイリアンに比べてベタベタっと塗られた背景を薄目にしたり遠目でようやく関西空港と分かる塗り分け方なんかを見ると、コミカルだったりブキミだったりするモチーフとパブリックな空間の対比によって平面上にリズムってーかズレを生じさせて目を奪い、眺めさせた上に考えさせる時間軸がそこに生じている、ような気がしただけでそんな個人の勝手な思いこみなど無縁に単純に「面白いね」で見ても、存分に楽しめるでしょー。

 まだ見ていない第一生命で同時開催の展覧会の方には、太郎千恵蔵さんの名前を一気にメジャーに(僕的に、って意味)した「セーラームーン」を織り込んだ作品が置いてあるみたいで、今はもう使っていないモチーフだけに是非ぜひ見ておかねばと決心する。小山登美夫ギャラリーの受付にあるカラーポジを見ていたら、一時期結構「セラムン」関連の絵を描いていたみたいで、見るだに背筋がピクつく感覚ってのやはっぱり自分の中にあのアニメーションが遺伝子レベルで擦り込まれ、あからさまであっても或いは加工して単あるお団子頭だけであってもビクビク反応してしまうからなんだろー、ウランちゃんとバナナと何やら鳥らしきものを積み重ねた絵には全然反応しないのとは違って。なんでヤメちゃったんだよう。

 入り口で配っていたフライヤーで「身体の夢」展にも出品されているキッチュで極彩色な不思議な映像作品「キュピキュピ」が11月12日にビデオとして発売されることを知ってこれは買わねばと思ったり。レトロでキッチュでクラブでサイケでってな不思議は映像はセガ・エンタープライゼス期待のゲーム「スペースチャンネル5」に共通するものがあると勝手に思いこんでいて、年末に向かってあるいはムーブメントでも巻き起こすかもしれないと期待しているんだけど、どっちも決してメジャーじゃないからなあ。「Kyupi Kyupi LIVE」ってのが11月20日と21日に芝公園のレストラン&バー「ヴォルガ」であるみたいなんで時間と金があれば覗こう、京都では12月23日と24日にカフェ・アンデパンダンで開催、こっちはそっちな人が行って下さい。

 浅田次郎さんの朗読会の招待状をゲット、ハガキを5枚書いた甲斐もあったってゆーもんだ。「モーニング娘。」のビデオシングル「LOVEマシーン」を買って見る、パカパカと衣装の切り替わるビデオよりあらゆるテレビ番組に出まくって見せてくれた奇矯にして爆笑なダンスを通しで見たいと説に願う。渡辺容子「流さるる石のごとく」(集英社、1600円)読了、アル中にしてもペースペーカーにしても万引き防止装置にしても繰り出される知識の正確さには相変わらずの取材魔ぶりが発揮されているけれど、それらがどうにも説明口調で盛り込まれていて、かといってイネスさんの「説明しましょう」ほどのギャグにはなってなく(なる訳ないけど)、どうにも「お勉強しました」的ニュアンスが染み出して来て気分を殺ぐ。逆転に次ぐ逆転の果てに見える犯人の意外感とか物語の凝り具合はなかなか。だけにもっと人間の愛憎の相剋みたいな部分へと踏み込み練り上げて欲しかったって気持ちを強く抱く。そろそろ万引きパチンコってなミクロ的モチーフから離れて社会システムへと切り込んで見ませんか。


【10月22日】 うぃっすエクセルっす「エクセルサーガ」の第3話はやっぱりお話わかりませーん鉄仮面なおっさんがマスクをとるどどーして松本美女になりますかそれも声は野太いまんまで。宇宙執事も含めてきっと何か元ネタがあるのかもしれないんだろーけど知識ないし関心ないんでそーいったお茶濁し的エピソードはこの際彩り程度と考えて、以後は本編の物語に沿って展開されるメインのストーリーを追うことにしよー、ってもこれだってハイアットの血飛沫があんまりなくって首カクカクの床ヌラヌラになっていたりとバッドな感じ。「己」のカケラもなく喋りまくり忠誠を近いまくる三石琴乃さん演じるエクセルだけが本編の持つテンションの高さを集約して表現してくれているから、その辺を拠り所に以後も展開を見ていこー。元ネタってゆーとどーやら昨日の「セラフィムコール」は小津パロではとの指摘、そうなのかそうかもな。

 いい歳になっても未婚どころか休日のデートすらおぼつかない自分が、実はいかに真っ当な人間かとゆーことを確かめるためにテストを受けたら、どうやらロリ度はたったの77 ポイントしかなく鬼畜度も41 ポイントで、好みは 12歳の女の子とゆー「正真正銘のロリコン」との至極真っ当な答えが出てホッと胸をなでおろす。「かわいい(&幼い)女の子から告白されたーいとか、虫のいいこと考えて」るってことはあるけれど、それだって別に人畜にとってとてつもなく有害だとは思えないから、やっぱり性癖じゃなく単純に運がないからなんだと自らを慰めつつも世間には務めてフツーの人間だってことを強く強調しておきたい。11歳以下が好みなんて鬼畜な人とは違うぞー(いっしょだ)。

 久々な藤原伊織さんの新作「てのひらの闇」(文芸春秋、1667円)は過去の作品もどっちかってーと社会とか企業とかってな枠組みにどーしても当てはまらないおっさんたちが、昔とった杵柄っぽさで身に降り懸かる火の粉をはらおーとする、昔風に言えばハードボイルドで今風に言えば言葉は悪いけど気分としては誉めてる”おっさんファンタジー”とも取れるお話だったけど、最新作も企業の宣伝部に務める中途退職間近な課長が、入社の時にあれこれあった今は会長な人間の自殺をきっかけに、持ち前の行動力に生まれながらの才を活かしてあらゆる脅しにも負けず立ち向かう、現実に押しつぶされそういなっているおっさんたちに、前作にも増して夢を与えてくれそーな作品に仕上がっている。いやほんと勇気が湧いてくるってつまりは自分もおっさんになって柵と閉塞感の中でギュウギュウ言わされてるってことなんだけど。歳はとりたくねーなー。

 ある若手経済学者の美談が収められたビデオが実は、ってな展開から後は一気に謎がどんどんと積み上がり、それを主人公が1つ1つ潰して行く展開は読み始めたら絶対に途中ではやめられない。気持ち良いのは出てくる人間たちにおしなべて野卑た悪人が少なく(1人いるけど具体的な登場場面はなし、ほんと政治屋ってば)、毅然として職務に忠実でプライドが高く本能に正直で何より勇気を持っている点。とりわけ自殺した会長の身を呈して守ろうとした物、それは単純に某銀行の自殺した映画好きな会長の今もって判然としない理由よりも、ずっとずっと人間の気持ちに訴えてかけてたとえ経営者としては劣っていた部分があったとしても、同情に涙の1つもこぼしたくなる。ライバルだった社長が花を手向けた理由もそーゆー面への敬意だったのかも。「著者の新たな到達点を示す傑作!」の惹句に偽りはなし、けどやっぱりお伽噺なんだよなー、平凡な人間にはただただ憧れるばかりの。

 メディアボックスで「GO! GO! LA」の試写を見る。チラシに買いてある「噂の男ヴィンセント・ギャロ。今度の恋のお相手は”美しきフランス人形”ジュリー・デルピー」ってな宣伝文句だと、今「バッファロー66」が絶賛公開中で「セリカ」のCMも評判の高いヴィンセント・ギャロが主演して「ティコ・ムーン」なんかに出ていたジュリー・デルピーとラブストーリーを繰り広げる映画に見えるけどそーな印象を受けるけど、何をおっしゃるうさだヒカルはゲーマーズ、これを頼りに見たらきっとジャロってなんジャロってな言葉を思い出すだろー。正直に言おう主演は絶対にギャロではありませんしヒロインもデルピーじゃありません、悪しからず。

 だからってつまらないってことは全然なくって実は彼と彼女の脇があってこそのLAを舞台にして恋に迷ったお上り男のドタバタを描いた最高にクールなコメディー映画に仕上がっている。主演は英国人俳優のデイヴィッド・テナント。スコットランド生まれの彼が演じるのは英国の片田舎で葬儀屋を営むリチャードって青年で、単調な生活に飽き飽きしていたところに現れたのがヴァネッサ・ショウ演じる女優志望のバーバラって女性。旅行中の彼女に一目惚れしたリチャードは帰国した彼女を追いかけてLAまで行きついには現地に居着いてしまう。無理押しが聞いたのか何とかバーバラと良い仲になりかかったけど、どうしても女優になりたいバーバラは出演をエサにした映画監督のアプローチに心を揺らし、その度にリチャードは嫉妬し狂いバカをやってしまう。

 純朴だけど一途な男のドタバタは田舎者な僕には結構イタイけど、それでも何とか美女をモノにしてしまえるってのはやっぱり架空の街LAのなせる技なのか。ギャロが演っているのはリチャードと偶然友人になって一緒にプール清掃の仕事をすることになった兄ちゃんで、彼も実はミュージシャンになりたくてデモテープをあちらこちらに贈っている。27って数字がクールだと言いハイウェーを飛ばして27分以内に着ける相手としか恋人にならないと決めているのは、それが架空の街として幻想の中に人間たちを溺れさせていられる範囲だからなのか。夢を食べて生きてい続けられる街って意味で、東京にも似たところがあるからなー、但し東西線or総武線で1時間の恋にしないと相手も見つからないだろーけど。

 しかしギャロってやっぱりヘン。もしゃもしゃとした喋りといー監督のミカ・カウリスマキの弟アキ・カウリスマキと深い縁のあるトンガリ頭にトンガリ靴が日本でも有名なレニングラード・カウボーイズとのセッションといー良い味出しまくってます。「デッドマン」のポスターに映った男なのにときどき動くジョニー・デップとか、特別出演陣もきっと映画ファンにはたまらないんだろー。とは言えそれを知らなくっても物語だけで存分に楽しませてラストも心地よい作品、海岸を走るバーバラの揺れる胸とともに来年早々の公開が楽しみたのしみ。


【10月21日】 「劇ナデ」DVD版を買う。「劇エヴァ」への風当たりが散々だったため同じキングレコードってことで再びなネット世論の発動かと思っていたけど、冒頭の角川の鳳凰マークが虹色にチラチラもしなければ「ING」(プロダクションIGとかXEBECの関連会社みたいなとこ)が黒字に白抜きで浮かんだ時に文字の周りが白くボケるなんてこともなく、出資社一覧も本編もともに高いクオリティで再生されていて不満はない。ルリルリの入浴シーンもスローで再生しておへそまで映っていたこと確認できたし。と同時に振り返って改めて「劇エヴァ」って凄かったんだってことを知る。この違いって果たして何なんだろ。ここんち読んで勉強しよ。

 パッケージに書き抜かれた「第21回アニメグランプリ4部門受賞」「第38回日本SF大会で星雲賞受賞」の文字に賞の偉大さも逆に感じてみたり。定価で7500円ってのは微妙なところで実写だと4800円とか安ければ3800円、2800円って当たりまで落ちているんだけど流石にマーケットが未だ限定されて劇場でも十分にペイできるかってなアニメの場合はこれくらいの値段に落ちつくのかも。どうせ買うだろってなファンを見越して高くしてんならそれはそれでそれだけど。あとパッケージが本編の方はCDサイズのプラケースなのに劇場版からキングにしては珍しく大判のケースを採用していてなんか並びが悪い。世論はどうも大判に流れているから動きとしては仕方ないんだけれど合わせて欲しかったってな気持ちもある、本編版と劇版を会わせて1つに収まるケースとかって用意してくれるとかして。

 しかしねえ、美少女キャラにして番茶を頼むってシチュエーションには長いアニメ人生の中でも1、2を争う貴重な経験だと驚きました「セラフィムコール」。どう見たって女子高生当たりとは無関係な小料理屋でカウンターに座って番茶を飲む頭ピンクの少女がいて、相方の少女は煎茶を頼むってだけならまだしも、離婚した両親が合って食事をする場所がまた座敷の日本料理屋で突き出しのヌタを美少女たちは美味しいと食べ、出てきた天麩羅がはもだったか穴子だったかを議論するってのにもやっぱ吃驚。ストーリー自体は実に揺れ動く少女の感情をとらえた真っ当過ぎるくらいに真っ当なものだけど、それを狙ったのかそれとも天然なのかは知らないけれど、よりによって美少女アニメの中でやってしまったスタッフ脚本監督原作の方々には深く敬意を表します。次回はスポーツ少女の登場でなおいっそうのヌケ具合が期待できそー、水曜深夜のリラクゼーション・アニメをさあ、みんなでみよー(ウリバタケの声で)。

 渡辺容子さんの「流さるる石のごとく」(集英社、1600円)を某な仕事のためもあって買う、もちろん渡辺さんの本は最初の「左手に告げるなかれ」(渡辺容子、講談社、1500円)からずっと追っかけていてその綿密な取材に基づくリアルなディティールの上に構築されたベタつかないドラマに感心しつつ、今いち売れない状況にちょっぴり忸怩たる思いを抱いていたんだけど、今回のは講談社から場所を変えての単行本、でもってテーマもアル中らしい人物やら万引きに絡むドキドキやらといろいろ詰め込まれているよーで、読んでためになりかつ楽しめそうな予感がしている。パチンコ屋を取りあげた「無制限」ではパチンコ業界の機関誌に登場して対談していた渡辺さんが、今度出るのは禁酒業界の機関誌かそれとも抱き込む意味での酒造会社の機関誌か。それよりむしろ次に取りあげる業界は何かってな方に興味は実はあるんだけど、新聞業界とか、やんないかな、ドロドロしてるし(ってそりゃウチだけか?)。


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