天夢航海
Far Journey


 「どこへ行っても同じなのかもしれない。『ここより他の場所』がないのはわかっている」(「鈴木いづみコレクション6」所収「いづみの3文旅行記」より)。この言葉を目にした時、紆余曲折を繰り返し、まさに波瀾万丈の人生を送ったいづみさんならではの、絶望の果ての達観がこもっているように感じました。

 けれどもいづみさんが続けた言葉には、決して絶望などしていないしたたかさ、力強さがこもっていて、ハッと目を開かれました。それはこんな言葉でした。「しかし、アスピリンでも飲んで1日ベッドに横たわって天井をながめているよりも、旅をしなければならないと思いこむ方が、はるかに不健康ですばらしいことなのだ」(同)。

 現実から決して逃れられないことを知っていて、それこそ身に染みるほどの失望を繰り返してなお、明日に希望をつなげるいづみさんの”決心”から、現実を否定して空想世界へと逃避を試みたり、自己を欺くことによって現実世界をすり替えようとはせず、現実をしっかと見据え、その上でさらなる高みへの跳躍を、常に夢見続けることの大切さを、教えられるような気がしました。

 齢(よわい)たぶん30を越えてたどりついたいづみさんの達観に、高校生の若い身空がたどり着くのはなかなか難しいようですが、それでも谷山由紀さんの「天夢航海」(朝日ソノラマ、490円)に登場する女子高生たちは、それぞれの理由で「ここより他の場所」を欲し、それぞれの理由で「ここより他の場所がない」ことに失望して、けれども決して絶望なんかせず、希望の光を心に灯し続けることができたようです。

 その街にある小さな本屋には、いつの頃からか『天夢界紀行』というタイトルの小冊子が置かれていました。ふちなし眼鏡をかけた長髪を無造作に束ねた青年が、どうやらその本屋の店長さんらしいのですが、いつもカウンターの向こう側で本を読んでいる青年に、高校生の玉木あさみさんはなかなか声がかけられませんでした。それでも彼女がこの本屋に足繁く通うのは、『天夢界紀行』のいつ出るとも知れない最新号を、絶対にもらい損なうまいと、気を配っていたからでした。

 転校してきたばかりで友人もなく、いつものように1人で入った本屋で、あさみは『天夢界紀行』の最新号『海色号』をもらいました。思いかなって青年と1言2言会話を交わしたその時、同じ学校の女性とたちがどやどやと入って来て、たった2人の時間を壊されたような気になり、あさみはこっそりと逃げ出します。決して同級生たちに心を開かず、むしろ開くことを自分から拒否してしまっているとも思われるあさみが、ただ1つ願っているのは、『天夢界紀行』に書かれている「ここより他の場所」、すなわち「天夢界」へと旅立つことでした。

 別の少女もまた、「天夢界」への航海にあこがれていました。クラスに必ず1人はいる、選挙のたびに委員長に選ばれてしまうタイプの一子は、偶然立ち寄った本屋でもらった『天夢界紀行 麦色号』に、天空から迎えに来る船の話をみつけて、どうして自分のことが書いてあるんだと驚きます。そして、大人びた振る舞いでクラスから浮いていた二宮さつきが、同じ小冊子を読んでいたことを思い出し、本を貸して欲しいを依頼します。そしてこれをきっかけに、委員長然とした一子と、アウトローなさつきとの奇妙な取り合わせが出来上がります。

 『天夢界紀行』にのめり込み、さつきとの交流が進むにつてれ、今度は一子が、さつきのようなアウトローとして、クラスのみんなから見られるようになっていきます。そして同好の士と思っていたさつきが、実は極めて現実に根ざした理由で『天夢界紀行』を読んでいたことを知った一子は、自分を「よぶんなひとり」と卑下するようになり、それともほかのすべてを見下すようになって、やがて「天夢界」への航海を、心のなかで望むようになっていきます。

 マニッシュな女子高生の若葉が、自分を慕って近寄って来た後輩の杉山初音からもらった『天夢界紀行』を読み、初音の遊びだと思っていた「天夢界」の存在に、いつしか引き込まれてしまったエピソード「いのり」、子供の頃に知り合った年輩の男性から、自分は「天夢界」の住人で、いつか必ず還ることになると教えられた玲奈が、現実世界で好きな男の子ができて、「天夢界」と「人間界」の間でもがき苦しむエピソード「まわっていく流れ」。どのエピソードでも、「天夢界」への憧れが、何人もの女子高生たちの心にしっかと根付いて、強く彼女たちを誘います。

 プライドの高さと裏腹の臆病さゆえに新しい学校に馴染めないあさみ、ふいに自分がひとりぼっちになってしまったように感じた一子、自分を慕う後輩と仲の良かった友人との板挟みに苦しむ若葉、現実世界を信じられずに自分を「天夢界」の住人と信じ込んでいた玲奈・・・・。思春期の少女たちならどれか必ず突き当たる悩みの答えを、谷山由紀さんは「天夢航海」という連作短編のなかで見せてくれています。

 そしてその答えは、決して「天夢界」行きの飛行船に乗ることではなかったようです。「天夢界」に行くことは、確かに希望をかなえることではありますが、それはまさしく現実世界の否定であり、空想世界への逃避です。「ここより他の場所はない」、そう知りつつもなお「他の場所」に行こうとして乗った飛行船の行き着く先は、おそらくは永遠の無がひろがる世界でしょう。現実に失望しても、新しい希望を見いだすことができた女子高生たちにとって、そんな世界への旅立ちはまだ早すぎます。

 残念なことにいづみさんは、最後の最後で彼女にとっての「天夢界」へと旅立つために、空を飛ぶ飛行船に乗ってしまいました。それは「天夢航海」の「よみがえる種子」に登場するタツさんが、苦悩の果てに飛行船に乗ってしまったことにも似ています。永遠に希望を持ち続けることなんて不可能だと、齢(よわい)を重ねれば重ねるほど失望を希望にかえる力が失われ、失望が絶望へとかわるのだと、そういうことなのでしょうか。

 答えは今は出せませんし、将来も絶対に出したくありません。今はただ将来が、「天夢界」への希望を持った「天夢航海」の少女たちが、大人になって、しっかと熟し、壮年をへて老境へといたったその時も、永遠の虚無へと至る希望をかなえてしまうことなく、ずっと持ち続けていられる世の中であることを、ひたすらに願うばかりです。


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