9月3日(雄信内→下沼) 
 全駅間歩き5日目(30.6km+5.5km)

雄信内       06:18出発
 4324D      
 問寒別   06:27到着   06:28出発 
 (2.9km)      
 糠南   06:49到着   07:00出発 
 4323D      
 雄信内   07:06到着   08:00出発 
 (6.5km)      
 安牛   09:22到着   09:50出発 
 (2.5km)      
南幌延   10:20到着   10:45出発 
(2.8km)      
 上幌延   11:16到着   11:40出発
(5.2km)      
幌延   13:18到着   13:45出発
(7.2km)      
南下沼駅跡   15:12到着   15:45出発
(3.5km)      
下沼   16:24到着   20:16出発
4336D      
幌延   20:24到着    
 今日は、昨日はパスした問寒別−糠南間を歩き、
 その後は雄信内から幌延市街を経由して、
 パンケ沼に近い下沼駅を目指します。

 朝の4時過ぎ、稚内行き「はなたび利尻」の通過で目が覚めました。
 今日はなんだかんだ言って6時間近く眠ることができたようです。
 駅寝もそろそろ板についてきたからなのか、
 はたまた駅の待合室でも熟睡できるくらいに
 疲れもたまってきているということなのでしょぅか。

 昨日強く降り続いた雨もどうやらやんだようです。
 窓から外を見ると、もう薄明るくなっていました。
 空を覆う雲にも切れ間がのぞいていました。

 ゆっくり朝食を食べているうちに、
 早くも時計の針が5時半を指そうとしていました。
 始発列車が入ってくるまで、すでに1時間を切っていました。
 急いで荷物を片付けて、始発列車に備えます。


 今日は、まず上り始発列車を使って問寒別に向かい、
 そこから糠南駅までを歩き、
 糠南駅からは下り始発に乗って雄信内に戻ります。
 今日は当初、下沼駅で駅寝する予定でしたが、
 2日連続駅寝では体力的に厳しくなると考え、
 急遽、北海道出発直前になって幌延に宿をとりました。
 その結果、1日に3回も列車に乗るという、
 「全駅間歩き」らしくない1日となりました。


 6時17分、上り始発列車が雄信内駅のホームに入ってきました。
 大きな荷物は待合室のベンチに置いて、
 (念のため、「7時過ぎに戻ります」とだけ書き置きしました。)
 カメラと貴重品だけを持って列車に乗り込みます。
 雄信内から乗車する人は私以外にはなく、
 車内の乗客も誰一人いませんでした。

 列車は天塩川に沿って快調に飛ばし、
 わずか9分で問寒別駅に着きました。
 昨日、同じ区間を歩いたら2時間以上かかったというのに…。


 問寒別で下車すると、糠南駅目指して走り始めました。
 問寒別と糠南の間は3km近くありますが、
 「迎え」の列車は、33分後に糠南を出発してしまいます。普通に歩いていては間に合いません。
 実は、ここで「駅間走り」をするために、雄信内駅に大きな荷物を置き去りにしてきたのです。
 昨日は南下した三つ角をそのまま直進し、小さな丘を目指しひた走ります。

 とはいえ、普段あまり走らない人間がいきなり走ろうといっても長くはもちません。
 問寒別市街を過ぎるあたりで早くも息が切れてきます。
 小さな丘を早歩きで越え、雄信内方面に通じる林道との交点を左折すると、その先に踏切が見えました。

 糠南駅は、この踏切の近くにあります。
 写真に写っていない側には小さな丘がありますが、
 まばらな民家、牧草ロール転がる牧草地の中にあるこの駅は、
 まさに「大平原の中の小さな駅」という言葉がふさわしい駅です。
 
 待合室らしい待合室はなく、
 ホーム上にある物置が待合室の代わりとなっています。
 よく見ると、ホーム上の物置には窓が取り付けられています。
 物置の中には、除雪用具のほか、
 普通は待合室に設置されている時刻表や駅ノート
 人1人が座れる木の箱などが用意されていました。
 これらのアイテムが全部物置の中にあるので、少々窮屈です。

 駅ノートを読んでみると、駅巡り愛好者の記載に混じって、
糠南駅を定期利用している高校生と思われる書き込みもありました。
 実は、今回歩く少し前のダイヤ改正で、糠南駅に止まる列車が増えました。天塩中川方面であれば、行き帰りとも通学に列車を利用できるようになりました。
 この高校生のために、列車の停車本数が増えたのかも知れません。

 駅はただ存在しているのではなく、毎日使う人あってこその駅なんだと思っているうちに、迎えの列車がやってきました。

 列車は、一番列車で通り過ぎたルートを雄信内に向けて引き返していきます。
 雄信内が近づいてくると牧草地帯を走りますが、このあたりには、かつて上雄信内という駅があったそうです。
 この上雄信内駅は、「入口が無い駅」として知られ、線路伝いに歩かないとたどり着けないとも言われていました。
 やがて、宗谷本線唯一のトンネル、下平トンネルを通過すると雄信内に到着しました。

 雄信内では、私と入れ替わりにおじさんが乗り込みました。
 待合室に戻ってみると、1台の自転車が待合室の中に止められていました。
 恐らく、天塩町の雄信内集落から自転車に乗って駅まで来て、鉄道に乗り換えたのでしょう。
 少し休んだ後、半日近くお世話になった待合室を軽く掃除して、駅を後にしました。

 
左写真:雄信内の「駅前通り」、右写真:安牛駅から駅前を望む

 雄信内駅から伸びる「駅前通り」を雄信内大橋の通りまで戻ります。
 昨日通ったときは、すでに暗くなりかけていてよく分かりませんでしたが、
 「駅前通り」にはりつく民家のほとんどは、完全な廃墟と化し、潰れてしまっているものもありました。
 かつてはもっと多くの民家があったと思われますが、
 今となっては通りの両側には低木などが茂り、雑草は道路の歩道部分まで覆ってしまっています。
 まさに、栄枯盛衰という言葉がふさわしい光景です。
 雄信内大橋へとつながる道路の交点には、かなり前に廃止された雄信内小学校の校門が残っていました。
 その先には、かつて体育館として使用された建物と集会所が建っています。

 さて、雄信内大橋につながる道路を右に曲がり、安牛方面に足を進めます。
 緩やかな丘を越え、再び踏切を渡ると牧草地帯に出てきました。
 このあたりは、土地がやせているため、利用されている平地のほとんどが牧草地帯となっています。
 しばらく歩くと、右手に学校の跡地が現れます。安牛小学校の跡です。
 その先の角を右に曲がると、道の奥に安牛駅が見えました。
 いまや駅前には2軒の民家しかありませんが、
 駅前の広いスペースや駅へ繋がる道路に気持ちばかり設けられている歩道は、
 かつて多くの人々が行き交った証であると言えるのかも知れません。

 安牛から南幌延に向けての道も牧草地が続きます。安牛駅から30分ほど歩くと南幌延駅に到着します。
 夜の雨がうそだったかのように、空はよく晴れ渡っています。

 板張りホームから道路を挟んだ向かい側に待合室が設置されているのですが、入り口には蜘蛛の巣があるわ、床板は抜けてしまっている部分はあるわと、待合室内を歩くのもおそるおそるというなかなか凄まじい造りとなっていました。

 南幌延駅から上幌延駅までのコースは、
鉄道は三日月湖に沿って迂回しますが、道路は三日月湖を突っ切ります。
 湖面が青空を映し、とても美しい光景が広がっていました。

 しばらく歩くと、右奥に上幌延駅の待合室と思われる建物が見えてきました。周辺には2〜3軒ほどの民家があります。
 手持ちの地形図には、駅前にはもう少し民家があるように描かれているので、駅周辺の荒れ地には、かつて民家が建っていたのかも知れません。
 
 幌延に向けて北進を続けます。
 上幌延駅の手前から、道路には歩道がつきました。
 車の交通量が増えたわけではないのですが、
 歩道がある道路はやっぱり安心感があります。
 この歩道はジョギングコースにもなっているようで、
 歩道脇にはジョギングコースの折り返し標識などもついていました。

 歩道に沿って40〜50分ほど歩くと、大きな看板が見えてきました。
 看板の下の道路には、黄色いラインが引かれています。
 これは「北緯45度通過点」を示す標識で、
 幌延町内の主要道路が北緯45度線を横切る地点に
 設けられているものです(写真の道路以外にも同じものがあります)。
 いよいよ最北端が近づいてきたことを実感させられます。

 北緯45度を過ぎると、道の両側に公園が現れ、幌延の市街地も近づきます。
 幌延市街の入口にあるコンビニエンスストアで、キャンプ用品など一部の荷物を送り返すことにしました。
 …といっても、送り返すために使う段ボールも紙袋も持ってきていませんでした。
 結局、コンビニの店員さんの好意で、使用済み段ボールを分けてもらい、無事発送することができました。
 今から考えてみれば、キャンプ用品は送り返すべきではなかったのですが…。

 比較的コンパクトにまとまった幌延市街に入ると、まもなく幌延駅に到着しました。
 幌延駅は、羽幌線代替バスのターミナルにもなっています。
 羽幌線は、幌延から日本海側に沿って留萌までを結んでいたローカル線でしたが、
 羽幌線代替バスの多くは、この先の豊富駅まで運行しています。


 このバスで豊富方面へ5分ほど乗ったところに「トナカイ観光牧場」があります。
 幌延町では、平成元年よりトナカイが家畜として飼育されるようになりました。
 その後、話題を聞きつけた観光客が訪れるようになり、
 平成7年から観光目的での飼育を始めるようになったそうです。
 家畜としての飼育は現在でも行われており、問寒別などで大規模に飼育されているそうです。

 現在、この観光牧場では、70頭近いトナカイが放牧されています。
 また、初夏の時期には「幻の青いケシ」といわれるブルーポピーが咲き誇ります。
 観光牧場内のレストランでは、
 トナカイ肉を使用した「トナカイバーガー」や「トナカイステーキ」を食べることができます。
 このレストランで出されるトナカイバーガーを食べてみたことがありますが、
 臭さなどはなく、(パサパサ感があるのは少し気になりますが、)牛肉とは違うしっかりとした食感でした。


 さて、歩いた当時はこんな面白いポイントがあるとは思ってもいなかったので、昼食場所に困ってしまいました。
 幌延駅の周囲に開いていそうな食堂は見あたりませんでした。
 駅近くの寿司屋をのぞいてみたのですが、入口で「ごめんください」と声を掛けても反応はなく…。
 時間はどんどん過ぎていきます。
 仕方なく、幌延市街での昼食は諦め、今日の目的地である下沼駅へ向かうことにしました。
 さっき寄ったコンビニで弁当でも買っておけば良かった…。


 雪印の工場を右手に見ると幌延市街を抜け、また無人地帯の中を進みます。
 しばらく歩いているうちに、車通りもほとんどない道から中高生くらいの集団が歩いてきました。
 彼(女)らは皆一様に学校のジャージを着ていました。
 後で聞いた話によると、彼らは幌延の学校の生徒で、丁度40kmウォークに挑んでいたようです。
 幌延がゴールならば、スタートは兜沼か…はたまた幌延から豊富温泉を経由して幌延に戻るルートか。
 
 昼食を取り損ねたダメージは思いの外大きいものでした。
 足取りは明らかに重くなり、緩い上り坂にもめまいを感じます。
 歩きに歩いてようやく国道40号との合流点に到達しました。
 下沼駅へは、この道を横切り、さらに直進を続けますが、今回は一旦国道を北に進みます。
 跨線橋の手前から小さな砂利道に入り、少し進むと宗谷本線の線路に出てきました。
 南下沼駅の跡です。

 南下沼駅は、2006年3月のダイヤ改正で廃止となりました。
 つまり、5ヶ月前までは駅だったのですが、駅設備そのものは完全に撤去されてしまい、その姿を見ることはできません。線路の手前には鉄柵が張られています。
 しかしながら、これまでの廃止駅とは異なり、駅に繋がる道は残されており、駅があったことは十分物語っています。

 しばらくすると、半年前までこの駅に停車していた普通列車が、昔から駅がなかったかのように通過していきました。



 南下沼駅跡を後にして、国道40号を横断し、先ほど幌延から歩いてきた道を道なりに進みます。
 このあたりは、時折民家や工場が見られるものの、一面の牧草地帯となっており、視界は非常に開けていました。
 右に大きく曲がると視界の先に小集落が見えるのですが、
 空腹のせいで足取りもどんどん重くなり、集落はなかなか近づいてきませんでした。
 ようやく小集落に到達し、集落内の四つ角を右に曲がると下沼駅に到着しました。
 到着したときにはもう歩けないと思うほど疲れ果てていました。
 

 下沼駅に到着してすぐに待合室に入りましたが、
 完全締め切り状態の待合室は、ものすごく蒸し暑くなっていました。
 外気温は20度(もない?)程度で、陽の光もだいぶん西に傾いていたにも関わらず、
 室内気温は40度くらいあったように思われます。直射日光を受けて暑くなっていたのかもしれません。
 とても中に入れたものではなかったので、荷物だけ待合室に入れて、外で休憩することにしました。

 しばらく休憩して、歩ける程度には体力が回復したので、
 駅名の由来にもなっている「パンケ沼」に行ってみることにしました。
 駅前から延びる道をずっとまっすぐ行くとパンケ沼園地に出ます。
 途中から道の舗装が無くなるのですが、すでに足中豆だらけの自分にとって、
 この数百メートル程度の砂利道も結構厳しいものがありました。

 パンケ沼園地の中は、アシ類が一面に茂る原野となっていました。
 原野といえば、常に水浸しになっているというイメージのあった自分には
 「乾いた原野」というのは少し意外に感じた(場所によっては湿地帯となってる場所もある)のですが、
 原野とパンケ沼、そして遠くに見える利尻富士(ここには写真ないです!)の姿はとても美しかったです。


 西日もだいぶん傾いてきたので、近くの展望台・名山台展望台に行ってみることにしました。
 展望台はパンケ沼園地からは歩いて2km弱の国道40号沿いにあります。
 周囲の木々に邪魔されて、見晴らしがあまり良くない場所もあるのですが、
 パンケ沼と周囲の原野、そして原野の先に広がる利尻富士を写真に収めることができました。
 右の写真では、利尻富士の先端部分が雲の上から顔をのぞかせています。

 陽がもうすぐ沈むという頃、踏切の音が鳴り、続いて普通列車が通過していく音が聞こえましたが、
 足下の木々に遮られ、列車が走っている様子をうかがい知ることはできませんでした。
 周囲が暗くなってきたので、下沼駅に戻ることにしました。

 下沼駅の待合室には、やはり人影はありませんでした。
 陽が沈んだおかげで、待合室は過ごしやすい気温になっていました。
 幌延駅に戻る列車が来るのはまだ1時間以上先なので、
 しばらく待合室で待つことにしました。

 待合室の中は香水のにおいがほのかに漂っています。
 待合室の入り口には玄関マットが敷かれ、
 ドアの開けっ放しを防ぐロープも張られています。

 ベンチには座布団が敷かれ、
 壁面には、観光案内などが掲示されていました。
 非常電話付近には人形も飾られていました。
 後から聞いた話によると、この飾り付けは
 近くの住民がしているとのことでした。

 下沼駅は、車掌車改造の待合室がある無人駅ですが、人の温かさを感じることができた駅でした。
 1時間という待ち時間はあっという間に過ぎました。

 20時16分、私と高校生1人だけを乗せた幌延行きの普通列車は、下沼駅を後にしました。
 列車は8分ほどで終点の幌延駅に着きました。



 今日の宿屋は、幌延駅前にある旅館です。
 駅舎を出ると、旅館の前でバーベキューが行われていました。
 どうやら今日の夕食はバーベキューのようです。
 
 荷物を部屋に置いてすぐにバーベキューに合流します。
 ここのバーベキューは、ビールも飲み放題(無料!)で、今から考えるとかなり豪華なバーベキューでした。
 バーベキューには、宿屋の主人だけでなく、地元の住民も来ていました。

 「列車で旅行しているのか?」
   「いえ、今日は雄信内から下沼まで歩いて、下沼から列車で戻ってきました」
 「じゃあ、昨日雄信内トンネル歩いてたのは君か?」
   「はい」
 「あのトンネル歩いてんのは、幽霊くらいだからなぁ」

 自転車で旅行する人はたくさん見かけますが、歩いて旅行する人を見かけたことはありませんからねぇ…。
 (駅ノートなど読んでいると、歩いて旅行する人が他にもいることは分かりますが…)


 バーベキューの席では、幌延町内のことやかつて幌延で起こった出来事などを話していただきました。
 歩いて旅行していなければ、ビール片手に夜遅くまで耳を傾けたいところでしたが、
 歩き疲れもピークに達しており、中ジョッキ2杯ほど飲んだところで眠気を覚えたので退席しました。

 自室に戻り寝る準備をしていると、札幌行き「はなたび利尻」が幌延駅を出発していきました。
 布団にもぐって横になると、あっという間に寝入ってしまいました。



 明日は、豊富町の兜沼を目指します。

4日目へ戻る  6日目へ進む

戻る