9月2日(佐久→雄信内) 
 全駅間歩き4日目(35.1km)

佐久       08:19出発
 (4.6km)        ▽
 琴平駅跡   09:18到着   09:30出発 
 (4.2km)      
 天塩中川   10:18到着   11:05出発 
 (4.1km)      
 下中川駅跡   11:58到着   12:15出発 
 (4.7km)      
 歌内   13:12到着   14:10出発 
 (6.4km)      
問寒別   15:26到着   16:00出発 
(11.1km)      
 雄信内   18:25到着  
 今日は、佐久を出発し、天塩川に沿って中川町を縦断し、
 幌延町の雄信内(駅)を目指します。


 昨日の夜から宿屋の周囲には霧が立ちこめ、
 晴れているにも関わらず、周囲の家の明かりでさえぼやけていました。
 このあたりは周囲に大きな町がないため、
 晴れるととても美しい星空を眺めることができます。
 しかしながら、夏場は深い霧がでることもあるそうです。

 この日の朝起きたときもまだ、霧が立ちこめていました。
 しかし、時間が経つとともに霧が晴れ、青空が見えてきました。
 今日は日差しが厳しく照りつけそうです。…なのに帽子がない。

 旅館の食堂で朝食を食べていると、
 奥の部屋から旅館のご主人が出てきました。
 ご主人は、私に「昨日、筬島駅にいたでしょ?」と話しかけてきました。
 私は、全く気がつかなかったのですが、
 このご主人は、昨日筬島駅で見かけた軌道自転車に乗っていたのです。
 保線員が熊に襲われないために、猟銃を持って警戒にあたっていたそうです。

 旅館を後にするとき、女将さんからタオルと帽子をいただきました。
 帽子はご主人のものでした。日差しがきついのに、帽子がないのは大変ということで用意してくれたのです。
 本当にありがとうございます。この帽子は、今も大切に使っています。


 さて、この中川町はアンモナイトの化石が発掘されることで有名な町です。
 アンモナイト化石の紹介では、「北海道中川町産」という文字をよく見かけます。

 佐久駅から15分ほど西に行った佐久中学校の跡地に、
 「エコミュージアムセンター・エコールなかがわ(自然誌博物館)」があります。
 ここには、中川町内などで発掘されたアンモナイト化石が数多く展示されており、
 館内中央には中川町で発掘された国内最大級のクビナガリュウの復元模型が展示されています。
 渦を巻く美しいアンモナイトもいいですが、個人的には「異常巻き」のアンモナイトに興味をそそられます。

 中川町としても、このアンモナイトで町の振興を図っており、
 町の中心部にある温泉保養施設「ポンピラアクアリズイング」の設計(本体及び館内プール)も、
 アンモナイトをイメージしているといいます。
 佐久駅やポンピラアクアリズイングのロビーにも大きなアンモナイト化石が展示されています。


 いよいよ今日の行程を進めていきたいと思います。
 特急が通過する駅の中では大きな集落の佐久も、少し歩くと牧草地帯へと移り変わります。牧草地には牧草ロールが転がっています。
 音威子府から続いた渓谷地帯を抜け、本格的な牧草地帯に移り変わったという印象を持ちました。
 昨日とは違い、すっきりした空の下、歩くのはとても気持ちがいいものです。

 のんびりとした牧草地帯をみながら歩くこと1時間、
 琴平駅の跡につきました。
 琴平と言えば、金刀比羅宮を抱える香川県の地名として有名ですが、
 かつてはこの中川町に同名の駅がありました。
 かつて近くには金毘羅様をまつる神社があったそうで、
 もしかすると、香川県と何かしの関係があるのかもしれません。

 さて、この琴平駅は1990年に廃止されてしまいました。
 板張りのホームに小さな待合室があっただけの簡素な駅で、
 今となってはその名残を見つけることは極めて困難です。
 右写真中央やや右側の少し背の低い電柱付近に
 短いホームがあったようです。



 道なりに道道をさらに進みます。
 今歩いている道道は「佐久問寒別停車場線」という路線で、文字通り佐久から問寒別まで結んでいる道路です。これから問寒別まではこの道のお世話になります。

 しばらく歩くと遠目に中川町の町並みが見えてきます。
 ポンピラアクアリズイングとの分岐点を過ぎると、いよいよ中川市街に入ります。

 「ポンピラ」とはアイヌ語で、小さな崖を意味する言葉で、天塩中川駅の旧駅名としても使用されていました。
 佐久問寒別線の道路が市街でも中心道路となっていましたが、
 このときは駅前まで続く道を含めて道路工事中で、歩きにくい砂利道となっていました。

 天塩中川駅は、特急も止まる駅ですが、近年無人駅となってしまいました。
 しかしながら、駅事務所が隣接する建物にあり、待合室・トイレの整備を手が行き届いています。
 …実は、駅に着く頃からおなかが痛くなってしまい、駅に着くなり慌ててトイレに飛び込んでしまいました。


 駅の待合室で少し休憩した後、先を目指すことにしました。
 今日も雄信内駅で駅寝の予定なので、あらかじめコンビニで翌朝までの食料と水を購入します。
 まだ昼にもなっていない時間ですが、ここを逃すと今日のルート上にコンビニはもうありません。
 (食料と水なら、この先の問寒別でも確保可能だが、このときは考えていなかった。)
 会計の際、コンビニの店員が私に「どこまで行くの?」と聞いてきました。
 私は「雄信内まで、歩いて。」と言いました。
 すると「雄信内はすぐだよ……車なら。 歩くと半日かかるけどね〜。」という返事がきました。
 …はい、がんばります。

 店の外で、購入した水と食料をザックに詰めたましが、それだけでなんだかすごく重たなったように感じました。
 ほんの1kgちょっと増えただけのはずなのですが…やはり疲れているのでしょうか。

 コンビニから少し歩くと市街を抜けました。一本道の道道を北上します。
 交通量は余り多くないものの、
 中川市街などで道路工事をしている関係かダンプカーが多く、
 自分の横を通過されると少し圧迫感を感じました。

 天塩中川駅から1時間で下中川駅跡に到着しました。
 下中川駅跡も琴平駅跡同様、
 駅跡を示すものはほとんど残っていませんでした。
 写真左側に板張りのホームと待合室があったようです。
 この駅は2001年に廃止されてしまいましたが、
 駅周辺に民家とおぼしき建物は見あたりません。
 

 しかし、駅前の踏切をよく見てみると、踏切の区間表示が「天塩中川〜下中川」となっており、
 かつて駅があったことだけは分かります。

 さらに北上を続け、
 歌内駅を目指します。
 周囲はなだらかな丘と牧草地帯が続きます。周囲を遮るものは少なく、牧場が遠目に見えてから、実際に通り過ぎるまで20分近くかかりました。
 歩いている最中に、右手を普通列車が通過していきました。

 やがて、視界の先に小集落が見えてきましたが、歩いても歩いてもなかなか大きくなりません。
 ようやく小集落に着いたと思うと、右手に歌内駅がありました。

 歌内駅は、単式ホームに車掌車改造の待合室がある小さな駅です。
 駅から国道方面に向かう道には数軒の民家があり、
 それが小集落を形成しています。
 数軒の民家以外はやはり牧草地で、人口あまり多くないようです。
 当時は天塩川に架かる橋の架け替え工事をしていたようで、
 駅に繋がる道路も歩道付の新しい道路に直すための
 工事をしていたようです。
 丁度昼も過ぎた時刻となったので、ここで昼食をとることにします。
 晴れ空の下の昼食は気分もさわやかになります。

 駅の待合室には、運賃三角表が掲出されていました。
 名寄から歌内までの運賃は1980円、
 歌内から稚内までの運賃は1790円です。
 全駅間歩きもいよいよ(営業距離のうえでは)中間点を過ぎました。

 
 
 歌内駅を出ると、宗谷本線からいったん離れ、小さな峠を越えます。
 相変わらず道の左右には牧草地帯が広がっています。
 峠の緩い上り坂が下り坂に転じる地点で、幌延町に入ります。
 牧草地帯には、もう使われなくなったと思われるサイロが点在していました。

 歌内から問寒別に向かうまでに1時間余りの時間を要しましたが、すれ違った車の数は片手で足りる程度でした。
 こんな道でも片側一車線の幅広い道が整備されています。やはり、北海道は道路がよく整備されています。

 問寒別駅まで1km弱のところにある三叉路を左折し、問寒別駅方面に進みます。
 やがて、問寒別の集落が目前に迫っていきます。集落近くの牧草地帯には、牛が放牧されていました。

 問寒別駅は、問寒別集落の東端近くに位置しています。
 問寒別は、特急通過駅の中では比較的大きな集落で、幌延町第二の集落でもあります。
 駅前から西に向かう通りには、スーパーや学校、郵便局などが立ち並んでいます。
 比較的大きい集落の中にある駅を物語るように、駅前には小さいながら郵便ポストも設置されています。


 次の駅は糠南、そしてその次が目的地である雄信内です。
 ここで、次駅へのルートを改めて検討することにしました。
 問寒別から糠南までは、3km弱。普通に進めば30〜40分ほどで到着します。
 しかし、糠南から雄信内は細い山道を越えて11〜12km。高低差100メートル以上というかなりの難所です。
 到着がもう2時間早ければ、このルートで進むことにしたでしょう。
 しかし、このまま行けば、山道の中で日没を迎えてしまいます。
 日没前後の時間に人家もない細い山道に歩いて進入すれば、熊に遭遇する可能性も高まります。
 しばらく考えた結果、今回は厳密な意味での全駅間歩きは諦め、
 今日は糠南を経由せずに(天塩町の国道40号を経由して)雄信内を目指し、
 翌朝、改めて問寒別から糠南までの間を歩くことにしました。

 

 問寒別駅から西に延びる通りを進み、集落中央付近の三つ角を南西に進みます。
 三つ角を折れる直前に中川市街以来久しぶりに道路信号機を見かけましたが、
 この信号機は三つ角の交通整理のために使われている訳ではありません。
 信号機の前には横断歩道が用意されており、横断歩道の真っ正面には小学校がありました。
 ここでの信号機の役割は、「信号機の役割を小学生に教えること」に重きがあるのかもしれません。
 もちろん交通整理という本来の役割もあると思いますが…。

 角を折れ、宗谷本線を横切り、国道40号目指して進みます。
 今日出発した佐久では、国道と道道は1kmも離れていませんでしたが、
 このあたりでは、国道に向かうだけでも3km以上あり、一苦労です。
 天塩川が作った三日月湖を越えると天塩町に入ります。
 宗谷本線は天塩町に駅もなければ通過することもありませんが、
 国道経由で雄信内駅に向かう場合は、天塩町を一旦経由することになります。
 問寒別から1時間近く歩いて、ようやく国道40号に到達しました。

 しかし、雄信内はまだまだ先です。
 このあたりの国道40号は人家もまばらな地帯を走っています。
 道路は気持ち良いくらいに直線ですが、その反面、歩いても歩いても景色が変わりません。
 時折、片側一車線の国道で、追い越しをかける車を見かける(!)程度です。
 しばらく歩くと、遙か先に点滅する電光掲示板が見えました。雄信内トンネル入口の注意看板です。
 しかし、この電光掲示板は3kmも先にあるものです。当然、電光掲示板はなかなか大きくなりません。
 歩いている人にとってみれば、カーブだらけの所よりも、一直線の方が精神的にきついと感じました。

 たっぷり30〜40分かけて雄信内トンネルに着く頃には、あたりは薄暗くなっていました。
 雄信内トンネルは昨日の富和トンネルよりも幅の狭いトンネルでした。
 歩くスペースも歩道とは言えない程度のものしかありませんでした。
 そんな中でも車は猛スピードで私の横を通過していきます。

 雄信内トンネルを出て少し歩くと、ガソリンスタンドの明かりが目に飛び込んできました。
 この先には雄信内(おのぶない)の集落が広がっています。
 実は、雄信内の中心集落は幌延町ではなく天塩町にあるのです。
 しかし、今日は駅を目指すので、ガソリンスタンド手前の角を右折します。
 再び天塩川を渡り、雄信内駅を目指しますが、問寒別から国道40号ほどの距離はありません。
 雄信内大橋を渡り、再び幌延町に入ったときには空はかなり暗くなっていました。

 雄信内駅に通じる道路には数軒の「民家」がはりついていました。
 しかし、暗くなっているにも関わらず、それら「民家」には明かりがともっていませんでした。
 ゴーストタウンというのにふさわしい光景でした。

 雄信内駅は、そんなゴーストタウンに明かりがついていた唯一の建物でした。

 今日は、この広い雄信内駅の待合室が宿です。
 荷物を降ろすと、緊張が解けたせいか、少し寂しい気分になりました。
 しばらくすると、今日の最終列車である幌延行き列車が入ってきました。
 雄信内での乗降はなく、札幌行きスーパー宗谷との交換を終えると、静かに出発していきました。

 夜9時過ぎ、ふらりとホームに出てみると、そこには満天の星空が広がっていました。
 この当時は時々御嶽山(東京)などで真夜中に星見をしていたのですが、
 その星空など比べものにならない美しい星空が広がっていました。

 そのころから、北の方角からドゴンドゴンという音が聞こえてきました。
 最初のうちは、北にある踏切を大型車が通過していく音かと思っていましたが、
 しばらくすると、星空全体に光が走りました。音の正体は遠雷だったのです。
 ドゴンドゴンという音も徐々に大きくなってきました。
 待合室に戻ると強い雨が降り出しました。この雨は長く降り続きました。

 雷が駅舎に当たったら嫌だななどと思い、横になっているうちに眠りに落ちました。


 明日は、幌延を経由し、下沼駅を目指します。
 
 

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