9月16日(摩周→五十石) 
 全駅間歩き4日目(37.0km)

距離 着時 発時
宿屋 7:55
10 南弟子屈 9.8km 9:57 10:25
11 磯分内 6.9km 11:45 12:15
12 標茶 11.0km 14:45 15:15
宿屋 9.2km 18:15
 この日は、弟子屈の中心市街から
 釧路湿原の入口・五十石を目指します。

 ほぼ全行程で国道391号を進み、
 全体的には緩やかに下りながら、牧草地帯を進みます。
 歩行距離は2日目に及びませんが、
 距離のロスや寄り道がほとんどないため、
 地図上では2日目以上に移動しているように見えます。

 この日は以前から雨の予報が出ていました。
 前日時点では、夕方頃に寒冷前線が釧路地方を通過するという予報でした。
 寒冷前線が通過するとなると、大雨や落雷が気になりますが、ちょうど天気予報もそんなことを言っていました。
 雨に降られず宿屋まで逃げ込めるのか、はたまた途中で大雨に遭遇してしまうのか。
 大雨に降られるならどこで待避をかけるのか。

 雨雲レーダーとにらめっこする、気が抜けない一日が始まります。


 
 4日目の朝を迎えました。
 今日は雨が降る予報ですが、そんなことをみじんも感じさせない青空が広がっていました。

 予報では、釧路地方で雨が降るのは夕方ごろだそうです。
 なるべく早めに出発して、雨が降るまでに進めるだけ進んでおきたいと思います。
 願わくば、雨が降るまでに宿に着きたいところです。


 釧路川に沿って進み、昨日訪れた摩周駅の横を通過します。
 雨が降る予報じゃなかったら、もう一回立ち寄っても良かったんですが。


 
 市街の外れで釧網本線をオーバークロスします。
 駅からここまで歩いて5分ほど。あっという間に景色がこうなるのも、北海道らしいところです。
 2本のレールは、これから進む南の方向へと続いていました。


 線路を越え、国道に合流します。
 このあたりにはロードサイドショップも点在していますが、
 横を見れば牧草地が広がっていたりと、いきなり郊外を一足飛びしてしまったような景色が広がります。
 


 虹別・別海方面へ向かう国道243号と別れ、
 国道391号の単独区間になると、歩道も無くなってしまいました。
 周囲に民家はほとんどなく、牧草地帯が広がるばかりなので、歩道が無いのも仕方ありません。

 国道の電光掲示板には「雷注意報発令中」という文字が出ていましたが、
 そんな気配はまだありませんでした。


 南弟子屈の集落に入る手前で、ようやく歩道が復活しました。
 美留和の集落よりも少し小さく、こちらもやっぱりひっそりとした感じですが、
 駅へ続く道の入口には、ガソリンスタンドが建っていました。


 
 南弟子屈駅に着きました。
 北海道で駅名に「南」がつくと、板張りの小さな駅をイメージするのですが、
 この駅は戦前生まれの立派な駅です。昔は交換設備だってあったようです。

 駅舎は車掌車改造の待合室に改められていますが、
 駅舎脇に植えられていたと思われる木はそのまま残されています。


 時折雲が出るようになりましたが、
 雲が抜けると、透き通るような青空が広がります。


 集落の外れには、昭栄小学校が建っています。
 外から見る限り、結構しっかりした造りの小学校です。

 しかし、入口には「平成27年3月閉校 96年間ありがとう」の文字が。
 長く続いた小学校も、人口減少の中でついに力尽きようとしているのでしょうか。
 ホームページに見ると、24年度当初の全校児童数は6人で、山村留学も受け付けていたようですが。
 そういえば、美留和の小学校にも山村留学の募集が出ていたような…。


 
 次の磯分内との駅間で町境を越えます。
 集落を抜けると、先の駅間同様、牧草地が広がるばかりで民家はありません。
 町境ということは歩行者の需要も昔から少なかっただろうから、歩道なんて無いと思っていたのですが、
 意外なことに、ここでは細々と歩道が続いていました。

 陸橋で釧網本線をもう一度越えると、町境までもう少しです。


 陸橋を越えた先に流れる小さな川が標茶町との町境でした。
 カントリーサインが無ければ、町境を越えたことも分からないでしょう。

 標茶町のカントリーサインは「多和平」です。
 多和平は牧草地が続く丘陵地帯にある展望台で、
 周囲に遮るものがないため、地元では初日の出のメッカとして知られているんだとか。

 町境の少し先で多和平に向かう道路が分岐していましたが、
 案内標識には「多和平まであと9km」と表示されていました。
 クルマやバイクならあっという間でしょうけど、歩きじゃあちょっと無理ですね。


 磯分内市街に入りました。
 弟子屈や標茶といった町の中心市街には及びませんが、結構大きな集落を形成しています。
 小学校はもちろん、ガソリンスタンドやコンビニも市街の中に建てられています。
 残念ながら中学校は、つい最近閉校してしまったそうですが。


 
 磯分内駅に着きました。
 ここも無人駅ですが、集落が大きいためか、待合室は他の駅よりも奥行きがありました。
 駅舎の横には、小さなポストも設けられていました。

 先を急ぎたいところですが、ここで昼食タイムにします。
 せっかくなので、網走方面から来た普通列車を見送って出発することにします。


 
 次の標茶までは地味に10km以上ある長距離駅間です。
 せっかく続いている歩道が途切れないことを願うばかりです。

 途中立ち寄った郵便局では、
 局員さんが「このあたりはなだらかなアップダウンが続く牧草地帯です」と教えてくれました。
 地図を見ると、弟子屈市街から釧路湿原へ向かって下りづける感じなんですが、
 実際歩いてみると細かなアップダウンが続き、むしろ上っている感じすらします。

 市街を抜けたところで、今度は釧路から来た列車に出会いました。
 青空の下、1両きりで走る列車には可愛らしさを覚えます。


 沿道の牧草地では、牛が休んでいました。
 ちょうど晴れた昼下がり、人も牛も昼寝をしたくなる時間帯です。

 しばらく進むと、国道は釧路川を渡ります。
 広大な牧草地はまだまだ続きます。


 引き続き、牧草地の中を進みます。
 こちらの牧草地では、肉牛が飼育されていました。

 このあたりで一休みすることにしました。
 といってもベンチがあるわけでもないので、そこら辺の地べたに座るだけなんですけど。
 足に豆ができたときに変な姿勢で休憩すると、痛さばっかり残ってしまいます。
 むしろ、荷物下ろして突っ立ってる方が楽な場合もあるわけで。
 そんな時は、ヒッチハイクと勘違いされないように車道に背を向けるようにするんですけど。

 そして、一度休憩すると、やっぱり歩き出しがねぇ。


 標茶の市街が近づいてきました。

 市街に入る手前で、国道は大きく左にカーブを切ります。
 道の向こう側には、標茶高校の実習農場が広がっています。
 標茶高校は、高校としては日本一広い面積を誇る学校で、
 校内には、この実習農場だけでなく演習林や牛舎などもあるそうです。


 標茶高校の校有地を横目に見ながら、標茶市街に入ります。
 いつの間にか雲が一面に広がり、分厚い雲も広がるようになりました。
 天気は確実に下り坂に向かっているようです。


 市街地の中心までやって来ました。
 弟子屈と同じくらい…いや、むしろ少し大きな町にもみえるのですが、
 道すがらにあった自動車ディーラーは、弟子屈のショップと統合して閉鎖していたり、
 標茶駅は業務委託駅なのに、摩周駅は社員配置駅だったりと弟子屈優位に見えてしまうのはなにゆえか。

 いったん国道から外れて標茶駅へ向かいます。
 アイヌ語で標茶は「シペッ・チャ」、川岸という意味を持ちます。
 古くから釧路川に沿って集落が形成されていたのでしょうか。


 標茶駅を目前にして、ぽつりぽつりと雨が降り出しました。
 このまま雷雨まで突き進んでしまうのでしょうか。


 標茶駅に着きました。
 ちょうど列車が来ない時間ということで、待合室に人影はありませんでした。


 待合室のベンチに座って、ここから先の作戦会議です。
 雨雲レーダーによると、1時間あまりで激しい雨を降らせる雨雲が接近するようです。
 激しい雨雲のエリアは細長い線状に続き、そこでは落雷も多く発生していることから、
 この雨雲の帯が寒冷前線であることは明らかでした。

 標茶駅から宿屋へのルートは2つあります。
 ひとつは、釧路川左岸に沿って進む町道を進む方法です。
 このルートが五十石にある宿屋までの最短距離で、当初はこのルートを進むことにしていました。
 ただし、商店や公共施設はおろか、民家すらまばらな牧草地帯を進むことになります。
 このルートを歩いても雷雲の到達までに宿屋に飛び込むことはできません。
 だからといって、雷雲の通過まで駅で待機すると、到着は夜中になってしまいます。

 悩んだ結果、もう一つのルートを選ぶことにしました。
 もう一回釧路川を渡って国道391号まで戻り、国道を南下するルートです。
 雷雲接近まで歩ける限り歩き、雷雲が接近したら避難できるところに避難することにしました。


 
 国道391号に戻り、標茶市街を南下します。
 歩いている間にも雲は厚さを増していきました。
 市街を抜ける頃には、遠雷の音も聞こえるようになってきました。



 再び雨がぽつっと当たるようになりました。
 真っ黒い雲がすぐそこまで迫ってきていました。
 近くにあった南標茶会館まで大急ぎで避難しました。

 会館に着くと、まもなく雨は本降りとなり、そしてあっという間に大雨になりました。
 乾いていた道路にも、あっという間に水がたまり、車は水しぶきをあげるようになりました。
 雷もひっきりなしに聞こえるようになりました。近くにも雷が落ちるようになりました。
 ピカッと光るとまもなく、地響きにも思える雷鳴がとどろきました。



 大雨は30分ほどで小降りになりました。
 ひっきりなしに鳴り響いていた雷も収まりました。
 これなら雨具を着て歩くことができそうです。

 雨具を着始めてから、実際に出発できるまで20分かかってしまいました。
 ザックから上下までのフルセットだったとはいえ、もうちょっとテキパキできなきゃなぁ。


 雲の切れ目から夕陽が現れました。
 言葉では言い表せないくらい、まぶしく輝いていました。


 遠くの山々のシルエットがはっきりと見えました。
 こちらはパラパラと雨が降っていましたが、向こうの空はとても澄んでいました。


 時刻はまもなく18時を迎えようとしていました。
 陽はとうに沈み、空もだいぶん暗くなってきました。
 ヘッドライトがないと、足下の様子も分かりにくくなってきました。

 五十石橋でもう一度釧路川を渡ります。
 歩道も路側も無く、対向車のライトが見えるたびに緊張が走りました。
 クルマにとってみても、真っ正面からライトが見えたら、そりゃびっくりだろうけど。

 暗くてあまりはっきり見えませんでしたが、川の下流に向かって湿原が広がっているようでした。


 
 暗闇に包まれた国道をさらに10分ほど歩き、五十石エリアに入りました。
 読みは「ごじっこく(Gojikkoku)」が正解なので、このローマ字表記は間違っているのですが…。



 この看板のすぐそばにある旅人宿「なかまの家」が今日の宿屋です。
 目立った案内が無いので夜は迷いやすいと聞いたのですが、すぐに入口は見つかって一安心です。
 ただ、宿屋は入って真っ正面の家ではなく、少し奥に入った建物だと気づくのにはちょっと時間がかかりました。
 家の前でご主人さんに迎えていただかなければ、普通にこの家のドアをたたいていたと思います。

 宿に入ると、食堂兼談話室に先客が何人かいました。
 皆さんバイクかクルマで旅する人で、歩いて旅行する人はいませんでした(そりゃそうか)。

 夕食の後、奥さんの車で近くの温泉まで送ってもらいました。
 宿泊予約の電話をするとき、交通手段の質問に「歩いて行きます」と話したところ、
 素の反応だったんで、やっぱり旅人宿にもなると歩いて来る人も多いんだろうなぁと思ったのですが、
 奥さんの話だと、歩いて旅行する人はやっぱり非常に珍しいようで。

 向かった先は、車で5分弱の所にある「味幸園(あじこうえん)」という温泉です。
 歩いていたときにも味幸園という看板は見ていたのですが、レストランだとばかり思っていました。
 実際、元々は中華料理店だったそうなんですが、今では温泉のみの営業になっているそうです。
 こう書くと「温泉はオマケ」という風にも聞こえてしまうのですが、
 ここの温泉は源泉掛け流しのモール泉。温泉の専門家も絶賛する、すごい温泉なんです。
 実際入ってみると、ものすごい量の温泉が掛け流し状態になっていました。
 温泉もモール泉特有の茶色をしていて、ちょっとぬるっとした感じもありました。

 ちなみに、秘境駅ファンの間で時々語られる五十石温泉は現在休止中とのこと。
 ちょっと前までは、18時以降営業する(かも)という、超地元民向けの温泉だったそうですが。
 せっかくなら、五十石駅から味幸園を目指してみませんか?
 歩いても1時間かからないと思うんで(笑)。


 雨で靴に水が入ったのに加え、温泉につかったことで両足のテーピングがとれてしまいました。
 そこに現れたのは、豆に覆われ、その豆が破けかかっている足の裏でした。
 当の自分が驚くくらいなんで、同宿の人は皆驚愕のまなざしを私に向けてきました。
 「よくこんな状態で歩けるねぇ」と言われるんですが、「自分もそう思います」と。

 宿屋に戻ってからは、宿の方手作りの果実酒を飲みながら、旅行の話で盛り上がりました。
 気づけば、あっという間に23時の就寝時間を迎えました。


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