能・高砂について

越後国(熊本県)阿蘇の宮の神主・友成は都へ上る途中播州高砂の浦立ち寄り浦の景色を眺めます。するとそこでは竹杷(サラエ)と杉箒をもった老人夫婦が松の木陰を掃き清めています。友成はこの夫婦を見て高砂の松はどれかと尋ね、また高砂と住吉の松を相生の松と呼ぶ譯や、高砂の松のめでたい謂れなどについて尋ねます。夫婦は故事を用いながら、高砂の松のめでたさを説き、高砂と住吉の松は離れていても心の深い所で通じ合っていることを伝えます。そして姥は当所(高砂)の者、尉は住吉の者であると伝え、実は私達がその相生の松の精であることを明かし、住吉でお待ちしておりますと言って、夕波の寄せる汀にあった小舟に打乗って沖の方へ消え失せます。
《中入》
友成は当所の人からも相生の松の謂れについて聞き、船で高砂の浦を出、住吉に向かいます。残雪が月光に映える頃、住吉明神が影向し天下泰平、国土安穏を祝し颯爽と舞を舞います。 高砂は初番目の能(ワキ能ともいいます)でありながらも、常のワキ能とは少し違います。前ツレが女性(常は男性)であったり、後の神體の化身が前シテではなく松の精がシテであったりします。また曲の構成が序破急に厳密に則って作られており、さらに常磐の松を象徴として繁栄、永遠などを寿いでいるところも特徴的です。
能面「小牛尉」について

小牛尉は数ある種類の尉の面の中でも最も品の高い面です。”小牛”と呼ばれる室町時代の面打ちによって作られた型の面です。この小牛尉と呼ばれるようになったのは比較的最近(江戸時代中期とも)からとも言われています。さらにその時代の文献の内では小牛尉と呼ぶのは観世流だけであるとも言われいます。(他流は小尉)表情の特徴点は、顔全体が痩せ細っており、優しい目元等が目立ちます。口元は上歯のみ作られており、植毛は顎に荒く作られています。口髭、眉毛は白黒の毛描であり他の尉の面とは少し違うつくりになっています。柔和な表情が顕著に表れていますが、合わせて品格の高さを持っており高砂などの後シテが神體を表す曲の前シテの老人に使うのにもっともふさわしい面です。
能面「邯鄲男」について

邯鄲男は通常「邯鄲」の曲目に使われる面です。現在、高砂の後シテである住吉明神を演じる際には、この面や「三日月」、「神体」なども使われます。邯鄲男が使われるようになってきたのは安土桃山時代以降と言われています。当時の時代背景による人々の思想の変化などにより能の面の使用方法も変わったのかもしれません。
また先に名前を挙げた「三日月」や「神体」は神の面であり、目には金の細工が施されております。この邯鄲男はまさしく人間の面でありますが所々巧妙な造りにより神へまで昇華することのできる面です。目と口元には若い女性の面に似た細工が施されており、どことなく哀愁と明朗な感情を持ち合わせていますが眉毛の付け根には短い二本の立て皺が入っていることにより強い表情も表しています。目じりが少し吊り上り、頬の筋肉が引き締まっている事によりその表情をより際立たせています。