大江能楽堂とは
大江能楽堂は、能楽観世流大江家5世又三郎(後に竹雪)が1908年(明治41年)に創建し、大正8年に現在の規模に改築したものです。表通り(押小路通り)に面しては、二階建ての武者窓のある楽屋、住居部分がありましたが、先の大戦中強制疎開にて取り壊されました。しかし、舞台・見所部分の取り壊しは終戦の日にあたり、幸運にも昔の姿そのままに残存することができました。その後、改修を重ねながらも老朽化が激しく、2001年(平成13年)明治の面影をそのまま残す形で基礎部分の大改修をいたしました。1・2階席桟敷席(1 部椅子席)の収容人員数は約400名。自然光の入る貴重な能楽堂です。

能楽堂創建当時(明治41年)の写真。左から3人目が竹雪

国井應陽作 円山応挙六代目の子孫、(明治元年〜大正12年)
全国に数多くの能舞台がありますが、当能楽堂の鏡板の松は梢もなく株もありません。これは、作者の国井応陽画伯が当能楽堂を創建した、大江竹雪(大江家五代目当主)に、「どうか存分に根をはり、枝を伸ばし葉を茂らせ、力強く発展してくださるようご精進ください。」というメッセージをこめて描いてくださったからです。古い能楽堂に生き生きとした気分が漂うのはこの松のおかげかもしれません。 尚、能楽堂100年の歩みについての詳細は別のページに記載しております。メニューからご覧ください。