時国家

 車内が再び涼しくなってきたところで、平家の末裔「時国家」が住んでいたというところに着いた。
 彼らは、平清盛の義弟「平時忠」の子孫で、平家の血を引いている。

 何故、平家の子孫にも関わらず「落人」ではなく「末裔」として生きていくことが出来たのか?
 そこが知りたい!


 今から約800年前、時忠は大納言の地位についており「平 関白」とも言われるほどその影響力は絶大なモノだったらしい(実質上の頭領だったということだ)。

 源平合戦の際、平家は幼い安徳天皇とともに壇ノ浦の海に消えたことは有名である。
 その際、天皇の即位に必要な「三種の神器」も、海の藻屑となったと思っていたのだが、実は時忠が持っていたらしい。

 彼は、神器帰座の功(自主的に還したらしい)により、特別の計らいを受けて能登に配流の身となっただけで済んだのだ。


 時忠は四男をもうけ、彼亡き後は時国が家を継いだ。

 この頃から、鎌倉から刺客に命を狙われるようになり、身が危険にさらされることも多くなった(幕府(つまり源氏だね)に、対外的には「平」姓を名乗りながらも生きていることを許されてはいたものの、幕府としては平家を根絶やしにしてしまおうと、暗殺のチャンスを虎視眈々と狙っていたわけだ)ため、「平」の姓を「時国」と改め、山中で逃避生活をしていた。

 幕府が滅亡した後、時国は山を下りてきて晦日村・大刀村の土地を手に入れ、やがてだんだん領土を増やしていって、息子の時晴のときには300石を統治するに至った。

 と、いうわけで、「時国」姓を名乗ってはいるものの、屋敷は京都の書院造りを取り入れた、田舎には似つかわしくないゴージャスな建物だし(もう少し保存状態を良くしないともったいないと思うなぁ…)、家紋は未だに平家の「○にアゲハチョウ」を使っている。

 写真は、昔の陣羽織。
 鮮やかな黄色に、アニメキャラのようにかわいらしい蝶の家紋が入っている。

 その他にも襖や柱など、至る所にこの家紋が配されており、時国家が平家をどれだけ大切に思っていたかを知ることが出来る。


 ここからは余談ですけど…(画像が荒れててごめんよぉ!)。

 住居だから、当然お風呂がある。大きさは、男の人が体育座りで肩まで浸かれるくらい。
 木枠の桶の巨大版のような感じで、台所で沸かした湯を張って使用していたらしい。

 ところがこの風呂、白くて大きな布が敷かれている。
 …埃よけかな?と思ったら違うのね。昔は湯船の上に布を敷いて、その上にお湯を張り入浴したそうで、そこから大きな包み布のことを「風呂敷」と呼ぶようになったんですって!

←backTOPIC夏休みへnext→ 

第1〜4編地図  1曽々木 2時国家
塩田  4禄剛崎  
EXIT!