龍興山大正寺

ここは、臨済宗大徳寺派 龍 興 山 大 正 寺 のホームページです。


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大正寺を望む

龍 興 山 大 正 寺
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大正寺の沿革
 大正寺は臨済宗の寺院です。臨済宗とは、禅宗の一つの流れで 他には曹洞宗、黄檗宗があります。そしてその臨済宗も十四にわけられ、 それぞれに本山があります。大正寺の本山は京都紫野にある大徳寺です。 有名な一休さんは、大徳寺の出身です。
 したがって大正寺は、"臨済宗大徳寺派"に属する寺院という事になります。 また、福岡市千代に崇福寺という黒田藩の菩提寺だった寺があり、 大正寺は元は崇福寺の別院でしたので、崇福寺とも深い縁があります。
大正寺の歴史
 大正寺は、円照院、大隆寺と言う小倉にあった二つのお寺を合併する形で、 大正6年に渡辺玄外老師によって作られた寺です。その時寺号を両方の寺から 一字ずつ取って"大照寺"とするところを、年号にちなんで"大正寺"と付けました。
 大正寺にある石碑にはこうあります。
 龍興山大正寺は 小倉にあった大隆寺と円照院とい う寺を合併して 大正六年 この地に移して再興され た寺である。
 大隆寺は、小倉城主の祖 小笠原忠真公の祖父に当る 小笠原信濃守貞慶公が 天正二十年(一五九二)下總国  古河に菩提寺として建てられた寺であるが 藩の国替え によって飯田 松本 明石と移築され 最後 寛永九年 小倉古船場に建てられた。
 一方馬借町にあった円照院は 小笠原忠真公の正室  五姫(徳川家康曾孫)が 六地蔵を安置して地蔵軒と 号したのを二代忠雄公が元禄十年(一六九七)室の 法名にちなんで円照院と改めたものである。
 ところが慶応二年 長州と小倉の戦いで両寺共に 灰燼に帰し仏像のみ残り廃寺同然となっていたのを 黒田藩菩提寺博多崇福寺の住職だった渡辺玄外老師 が由緒ある二ケ寺を併せ この地を選んで再建された。
 そして寺号を両寺の一字をとって大照寺とすべきを 年号に因んで大正寺と称した。
 尚再興に当り福岡城祈念櫓を移して観音堂とされた。 祈念櫓は県文化財に指定されたが福岡城に返還 本丸 礎石の上に昭和五十九年秋 復元された。
 大正寺本堂向う側にあったその場所には 昭和六十二年 春 修養堂 通玄庵が建立されている。
石碑
 大正寺は、北九州市若松区高須に平成7年別院を建立しました。 平成10年、別院は寺名を"円照寺"として独立した寺院となりました。 本来"大照寺"となるはずの寺名が"大正寺"となったことで、円照院 の漢字は一文字も使われておりませんでしたが、 これで復活したことになります。
大正寺の横顔
 大正寺は、北九州市八幡東区の帆柱山の中腹に位置する寺です。 眼下に八幡を一望できる高い位置にあり、自然に囲まれた恵まれた 環境です。山門をくぐって白壁沿いに石畳を昇っていくと右手に玄関、 左手に新納骨堂、正面に石灯籠が見えてきます。 石灯籠の右に本堂、左に区指定保存樹のくすのき、奥に鐘撞堂 があり、さらにその奥には福岡城祈念櫓跡に修養堂 通玄庵、 脇に墓地へ続く道があります。本堂の裏には小さな池があり、 鯉が泳いでいます。
 
風景を御覧になられてください。

リンク
 
臨黄ネット〜臨済宗黄檗宗の公式ホームページです。

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805-0063 北九州市八幡東区東台良町19-1
Tel 093-662-3497
Fax 093-662-0707

大正寺の地図

このホームページは、大正寺住職 荒谷義文が作成公開しています。

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