すべての白質ジストロフィーは特定の遺伝子の異常から起こる。
【白質ジストロフィーの類似点】
・脳白質の病気である(直接/間接)
・遺伝性
・進行性:退行
遺伝異常には次のような種類がある
・染色体
・特定の一つの遺伝子
・多因子性(multifactorial)
・ミトコンドリアの異常(mitochondrial)
ここで染色体異常の話から、遺伝の仕組み、劣性遺伝と優性遺伝、性染色体性遺伝などの説明があったが、基本的な話なので省略。
【白質ジストロフィーの相違点】
★細胞中の病変の位置
・リソソーム(MLD、Krabbe)
・ペルオキシソーム(Refsum、Zellweger)
★発症時期と退行の度合い
・変異の種類に依存→MLD
・変更遺伝子(modifier)に依存→ALD
・遺伝形式に依存→CADASIL、ALD
・個人による
★遺伝形式
・常染色体性劣性→MLD、Krabbe
・常染色体性優勢→CADASIL
・性染色体性劣性→ALD、PMD
★生化学的欠損の分類
・スルファタイド→MLD
・ガラクトブロシド→Krabbe
★分子化学的分類
★出生前検査の可否
★療法
出生前検査には、羊水穿刺と絨毛穿刺がある。羊水穿刺は通常14週間からで、それ以前は特殊なものになる。絨毛穿刺は10〜12週の間に行う。どちらも染色体、酵素、遺伝子のいずれもチェックできる。出生前検査の利点としては、「安心した状態で出産することができる」「早い時点で疾病に対する対策に着手できる」といったことが挙げられる。胎児の状態の骨髄移植も検討されており、早い時期から代謝異常の影響が蓄積すると考えられる疾患への対応として期待される。一方、出生前検査の弱点としては「処置自体が母胎・胎児にとってリスクがある」「親を非常に難しい状況に追い込みかねない」「遺伝子差別につながる」。こういったリスクを避けるには、最初から養子縁組、提供卵母細胞による体外受精を検討することなどが考えられる。
遺伝子病に変わる治療は、問診、診断と段階を追って行うが、診断を下したあとのフォローが重要だ。患者の思いこみを修正していったり、家族の状況が変わることによってアドバイスが変わるからだ。また、このような定期的なチェックをすすめておけば、患者が突然別の病気にかかった時なども、白質ジストロフィーに関する状況をいちいち確認せずに治療できる。
最後に、遺伝相談でよく耳にする疑問には次のようなものがある。
「私はもう子供をつくっちゃいけないんでしょうか」
→親御さんの判断です
「いままでそんな親戚はいませんでしたから遺伝病のはずないです」
→ほとんどのひとは複数の遺伝病の因子をもっており、たまたま同じタイプの因子をもった人と結婚した場合などに発病するのです
「それが遺伝ならこれから産まれる子は全員そうなりますか」
→遺伝形式によって確率が決まります
「出生前診断は結局人工流産のための前段階の技術にすぎないのではないか」
→早期の治療計画のために行うという場合もあります
※この発表をしたShari Valdinger先生の説明は非常にわかりやすいものでした。その前の発達心理学に関する2つの発表があまりにもプレゼンテーション技術がいまいちで(大学の講義のようでしかも早口)内容を10%くらいしかつかめなかったんで嫌になっていたのですが、こっちはほぼ完璧に理解できました。
22、23日に別の会場で世界の研究者を集めた学会が開かれていて、その出席者の一部が23日、24日の夜にSecond
Opinionという、専門医による診断に応じると同時に、24日、25日の一般向けのセッションで講演するわけです。
これは、リピドーシス研究会でも感じましたが、学会発表の方はテーマを絞り込んで、次々と事例や事実を積み重ねて発表していきますが、一般向けの解説では話がどうしても一般的になりがちです。実際に、聴講している患者の家族は、それこそ科学の素養のまったくないおっちゃん、おばちゃんから、エンジニアや教師といったインテリまでものすごく幅広いので、非常に漠然とした話になるのもある程度しょうがないでしょう。しかも、研究者はあまり一般向けのプレゼンテーションを新たに組み立てようとせずに、単に学会向けに用意した発表の難しいところをはしょるだけですまそうとする。そこにさらに、研究者の習性として、断定を避ける表現をするので、英語の微妙なニュアンスまでは聞き取れないこっちとしては、「AなのかBなのか結論をはっきりしてくれ」という感じです。しかも、なぜか、この大会では印刷物の資料が一切用意されていないので、大筋や結論を読んであたりをつけることもできないというのが辛いわけです。ところが、Shari
Valdinger先生は(講演が終わったあとで聞いたのですが)遺伝相談などの研究をしているため、ふだんから一般の人にこういった内容を説明することに慣れているのだそうです。日本でも最近インフォームド・コンセントが話題にのぼったりしますが、単に意識とか義務の問題だけでなく、実は技術の問題が大きく、しかもそれが十分認識されていないように感じました。
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