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ルーヴル美術館
Musee du Louvre
48 51 39.67N,2 20 09.01E

 初めてここに来てからすでに30年。その間ルーヴルは大きく変わりました。その昔は半分を大蔵省が陣取っており、今で言うドノン翼の行き止まりにはルーベンスがごそっとあったり(今はリシュリューに移動)、そういえばモナリザも、今のフランス絵画展示から入った部屋に置かれていた。それからミッテラン時代のパリ大改造により、大蔵省はベルシー近くに引っ越し、IMペイは地下を掘り返して南北翼のネットワークを作り、その象徴としてガラスのピラミッドを置く・・。そもそもここは代々増築の連続で、現代に引き継がれてきた建物ですから、現代の増築があったってそれはそれで受け入れるべきものでしょう。

 考えてみればここは12世紀末に要塞として建設されてから800年以上になるのですね。城壁の拡張とともにルーヴルはどんどん外へ、ここの場合シテの西にあるから西へと広げられ、その間セーヌ川の岸辺と作った街路(リヴォリ通り)との間の歪みを建物は受け入れ、増築がなされていった。その後シャンゼリゼは、作ったリヴォリ通りの方向を尊重してその軸が定められた。そしてシャンゼリゼの行き着く先に作られたデファンスの第二凱旋門は、その歪み、ずれを象徴させて、軸をその分だけ振って建てられている。そんな800年にも渡る建築の「呼応」がこの町にはあります。(下の図を参照してください)

 でもフランス、特にパリはこうした「軸」が大好きなのです。パリ市内のブールバールとその正面に聳える象徴する建物。オペラ座、マドレーヌ寺院、アンバリッド、凱旋門、そしてエッフェル塔。みんな軸線を通し、その上にあくまでもシンメトリックに建物を配していく。それはナポレオン三世の好みだけでもなさそうです。たとえば市内南の方にあるオブザバトリーからは、綺麗に子午線に沿って道路が造られている(これもルイ14世が命じたことなのかな)。でも現代だって、郊外のセルジーポントワーズにはダニキャラファンの大作が作られたし。そもそも「メリディアン」(子午線)なんてホテルチェーンがフランスにある位ですから、やっぱり根っから好きなんです、きっと。

 話はずれましたが、そんな訳で新装なったルーヴルには初めて足を踏み入れました。この周辺ではレアールがそうだったように、上方への増築はやはりやらなかったと言うよりはできなかったでしょう。モンパルナスの再開発で懲り、市内の高層建築の新築はその後周辺部だけに限定され、中心部では結果として皆地下に向かっていきます。でも現代の主張として、ガラスのピラミッドだけは置きたい。素材の存在はできるだけ軽くしながら主張したい。その試みは成功だったと思います。石の素材で今更対抗できない。だからガラスとワイヤーなのでしょう。

 しかし何て混んでいるのだろう。我々は6時前に起きてしまい、では翌日のTGVのチケットをリヨン駅で購入するかとリヨン駅に行き、ついでに朝も食べ、じゃあと、ルーヴルに着いたのが8時半過ぎ。すでに待っている人が30人程いましたが、入ってみれば当然空いている。それが時間が経つにつれ入って来るは来るは。時々窓越しに中庭を見ると雨の中列が出来ている。この列はピラミッドに入ってもまだ待たされるのです。昔はオランジュリーとかジュードポームのような小さな美術館は入場に待ったけれど、ルーヴルでこんなことはなかったのに。やはりクリスマス休暇に加え、日曜で入場料が安いと言うのもあるのでしょうか。

 子供たちもかなり美術館には慣れてくれ、とりあえず4時間、駆け足だけれど、ほぼ全フロアを廻ることが出来ました。

ルーヴルの平面図です。最初に出来たのが一番右側の今で言うシュリー翼。この方形な部分からどんどん左へ拡張されていくのですが、いわゆるシャンゼリゼ、チュルリー公園、リヴォリ通りの軸はセーヌの流れの関係などから当初の軸(青い線)からずらした軸(赤い線)で造られることになった訳です。そのため、ドノン翼は従来のシュリー翼に沿って、一方リシュリュー翼はリヴォリ通りに沿って建てられています。
 そしてシャンゼリゼの軸の最後、デファンスの外れに建てられたのが第2凱旋門。今は亡き設計者オットースプレッケルセンはこの歪みの角度だけ凱旋門を振るという提案をし、見事コンペを勝ち取ったのでした。
9時に入って、シュリー翼を一回り。ミロにビーナスの位置も昔と変わっていました。昔は目線が通る位置にあったような気がします。何か周りに随分空間が取られている。しかし朝は本当空いていますね。
何かと話題の逆さピラミッド。単にIMペイが遊んでみただけだと思うのですが。
初めて古代美術系まで足を伸ばしました。大英博物館に比べると小品が多く、また展示室も小さいため、それはそれでじっくり見られます。これはメソポタミア(?)の猿。こんなのもあるんだ。
そしてフェルメール。彼の絵もリシュリュー翼に移動していました。子供たちにとっては海外ではアムスの4枚、ハーグの3枚、ロンドン2枚、ウィーン1枚に次ぐご対面となりました。彼の絵の獲得作戦に少々出遅れたルーヴルは、ご覧の2枚、天文学者とレースを編む女だけです。コレクションをこれ以上増やすことはもう出来ないでしょう。

ルーヴル美術館


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