ルーヴル美術館
Musee du Louvre
48 51 39.67N,2 20 09.01E
初めてここに来てからすでに30年。その間ルーヴルは大きく変わりました。その昔は半分を大蔵省が陣取っており、今で言うドノン翼の行き止まりにはルーベンスがごそっとあったり(今はリシュリューに移動)、そういえばモナリザも、今のフランス絵画展示から入った部屋に置かれていた。それからミッテラン時代のパリ大改造により、大蔵省はベルシー近くに引っ越し、IMペイは地下を掘り返して南北翼のネットワークを作り、その象徴としてガラスのピラミッドを置く・・。そもそもここは代々増築の連続で、現代に引き継がれてきた建物ですから、現代の増築があったってそれはそれで受け入れるべきものでしょう。 |
ルーヴルの平面図です。最初に出来たのが一番右側の今で言うシュリー翼。この方形な部分からどんどん左へ拡張されていくのですが、いわゆるシャンゼリゼ、チュルリー公園、リヴォリ通りの軸はセーヌの流れの関係などから当初の軸(青い線)からずらした軸(赤い線)で造られることになった訳です。そのため、ドノン翼は従来のシュリー翼に沿って、一方リシュリュー翼はリヴォリ通りに沿って建てられています。 そしてシャンゼリゼの軸の最後、デファンスの外れに建てられたのが第2凱旋門。今は亡き設計者オットースプレッケルセンはこの歪みの角度だけ凱旋門を振るという提案をし、見事コンペを勝ち取ったのでした。 |
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9時に入って、シュリー翼を一回り。ミロにビーナスの位置も昔と変わっていました。昔は目線が通る位置にあったような気がします。何か周りに随分空間が取られている。しかし朝は本当空いていますね。
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何かと話題の逆さピラミッド。単にIMペイが遊んでみただけだと思うのですが。
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初めて古代美術系まで足を伸ばしました。大英博物館に比べると小品が多く、また展示室も小さいため、それはそれでじっくり見られます。これはメソポタミア(?)の猿。こんなのもあるんだ。 | |||||||||||||||
そしてフェルメール。彼の絵もリシュリュー翼に移動していました。子供たちにとっては海外ではアムスの4枚、ハーグの3枚、ロンドン2枚、ウィーン1枚に次ぐご対面となりました。彼の絵の獲得作戦に少々出遅れたルーヴルは、ご覧の2枚、天文学者とレースを編む女だけです。コレクションをこれ以上増やすことはもう出来ないでしょう。
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前半のパリは美術館
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