九条教実 くじょうのりざね 承元四〜嘉禎元(1210-1235) 号:洞院摂政

光明峰寺摂政道家の嫡男。母は西園寺公経女、綸子。子に関白忠家、大僧正尊信、四条天皇后彦子(宣仁門院)ほかがいる。
建保五年(1217)四月、元服して従五位上に叙され、右少将を経て、承久元年(1219)四月、従三位。貞応元年(1222)正月、権中納言に進み、右中将を兼ねる。元仁元年(1224)十二月、左大将。嘉禄元年(1225)七月、権大納言に転じ、安貞元年(1227)四月、右大臣に就任。寛喜三年(1231)四月、左大臣に転ず。同年七月、関白氏長者。貞永元年(1232)十月、摂政となる。同年十二月、従一位。文暦二年(1235)三月、病により上表して左大臣を辞任、同月二十八日に薨じた。二十六歳。日記『洞院摂政記』(教実公記とも)がある。
寛喜二年(1230)六月、九条家歌壇の次期主催者として百首歌を企画し、定家・家隆・俊成女ら当時有数の歌人の作を集めて貞永元年(1232)に完成したのが「洞院摂政家百首」である。新勅撰集初出(十首)。勅撰入集計三十四首。

光明峰寺入道前摂政家の歌合に、霞中帰雁

跡たえて霞にかへる雁がねの今いくかあらば故郷の空(続拾遺52)

【通釈】跡形もなく霞の彼方へと帰って行った雁は、あと何日すれば故郷の空に戻れるのだろうか。

【補記】貞永元年(1232)七月十日の大殿七首歌合か(『範宗集』)。春霞のたちこめる中、北の故郷へ帰ってゆく雁を思いやる。「霞にかへる」「今いくかあらば故郷の空」といった秀句で忘れ難い一首。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
春日野のとぶひの野守いでて見よ今いくかありて若菜つみてむ
  宜秋門院丹後「建仁三年影供歌合」
あだに散る野原の露に思ふかな今いくかあらば秋の夕風

【主な派生歌】
秋と聞く風のつかひはけふたちぬ今いくかあらば初雁の声(下河辺長流)
いつしかと思ひし秋はまちつけつ今いくかあらば星合の空(小沢蘆庵)


更新日:平成14年07月31日
最終更新日:平成21年01月24日