小倉百人一首/天皇・親王 10人



【天皇】

天智天皇
001 秋の田のかりほの盧のとまをあらみ 我ころも手は露にぬれつゝ

持統天皇
002 春過て夏来にけらし白妙の 衣ほすてふあまの香来山

陽成院
013 つくはねのみねよりおつるみなの川 恋そつもりてふちとなりぬる

光孝天皇
015 君かためはるの野に出てわかなつむ わか衣手に雪はふりつゝ

三条院
068 心にもあらてうきよになからへは こひしかるへき夜半の月哉

崇徳院
077 瀬をはやみ岩にせかるゝたき川の われてもすゑにあはむとそおもふ

後鳥羽院
099 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は

順徳院
100 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり


【親王・内親王】

元良親王
020 侘ぬれは今はたおなし難波なる 身をつくしてもあはんとそ思ふ

式子内親王
089 玉のをよ絶なはたえねなからへは しのふる事のよはりもそする


[メモ]すでに指摘されていることであるが、不遇だったり悲劇的な生涯を送ったりした天皇がことさら選ばれているように見える(その点は親王・内親王についても言える)。
聖帝と仰がれ、和歌にもすぐれた醍醐村上天皇、あるいは古今集と縁の深い宇多法皇、勅撰集の編纂に関わった花山院白河院後白河院、王朝後宮文芸の最盛期の天皇である一条天皇、すべて撰に漏れている。
親王では、村上源氏の祖にあたり、詩文・和歌共にすぐれた具平親王の不在が気にかかる程度か。
巻頭の天智と巻末の順徳の対比(契沖説は「秋の田の御歌は治まれる世の声にして、百しきの御歌はかなしびて以て思ふこころを顕はせり」)、天智・持統父娘と後鳥羽・順徳父子が首尾照応していることなども多くの論者によって言及されている。



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