「家持歌日記」を読む 第一部2

二、天平十年七月七日

 家持の歌作は、父旅人が亡くなった翌年、天平四年頃から始まっている。少女たちとの相聞や折に触れての風物詠といったものが主体であるが、天平八年の秋歌四首など、すでに万葉集の水準を抜きん出た佳作も見られる。しかし歌日記では、幼少期を飛ばし、いきなり天平十年の作が見えている。数えて二十一歳の秋である。

    十年七月七日の夜、独り天漢(あまのがは)を仰ぎて聊かに
    (おもひ)を述ぶる一首

  織女(たなばた)(ふな)乗りすらし真澄鏡きよき月夜(つくよ)に雲(た)ちわたる
     右一首は、大伴宿禰家持作る

 歌日記に初めて登場する家持その人が、「独り天漢を仰」ぐ姿で現れることは、偶然にせよ、私にはたいへん印象深く感じられる。
 大宰府から京へ向かう船上で、大海の彼方に言い知れぬ畏怖を覚えた少年は、いま京にあって独り夜空を仰ぎ、天上の伝説に想いを馳せている。
 独り天漢(あまのがは)を仰ぎて――この題詞を置いたことで、歌に詠まれた天空の広大さはいっそう果てしなくイメージされる。と同時に、それを仰ぎ見ている詠み手の地上における孤独が、いっそう際立って浮かび上がるのである。しかしこの寄る辺無さは、大海に浮かぶ船上で詠まれた_従(けんじゅう)の歌とは違い、若々しいロマンティシズムと青春の矜持に満たされているように見える。
 続紀を読むと、同日夜、平城宮の西池宮で詩賦の宴が催されていることがわかる。

  秋七月癸酉、天皇、大蔵省に(おは)しまして相撲(すまひ)(みそなは)す。晩
  頭に、(めぐ)りて西池宮に御します。因て殿の前の梅樹を指
  し、右衛士督下道朝臣真備と諸の才子とに勅して(のたま)はく、
  『人皆志有りて、好む所同じからず。朕、去りぬる春よ
  りこの樹を翫ばむと欲へれども、賞翫するに及ばず。花
  葉遽かに落ちて、(こころ)に甚だ惜しむ。各春の意を賦して、
  この梅樹を詠むべし』とのたまふ。文人卅人、詔を(う)
  たまはりて賦す。

平城宮概略図(部分)へリンク


 ここに天皇とあるのは、聖武天皇を指している。詩賦の制作を命じるにあたり、わざわざ「人皆志有りて、好む所同じからず」などと前置きなさるところに、聖武天皇のご風格が面白く偲ばれる。七夕の当夜に、葉の落ちた梅の樹を指して「春の意」を賦せよとおっしゃるのも、何とも数奇(すき)な趣向である。諸才子の詩賦が残されていないのは、無念でならない。
 閑話休題。遡って天平六年七月七日には相撲観覧の後七夕の詩を賦せしめており、やはり七夕を詩題とするのが慣例だったろう。
 当時の高官の子弟の倣いとして大学には入学しなかった家持は、この頃には何らかの形で宮仕えを始めていたと思われる。しかし上に見たような晴の場に臨席する資格を未だ有しなかった彼は、恒例の宮廷行事に遥かな憧憬を抱きつつ、家にあって独りひそかにこの歌を詠んだのである。

  織女(たなばた)(ふな)乗りすらし

 このを古義は彦星の「妻迎へ船」であろうとする。巻八の山上憶良の歌に、

  彦星の妻迎へ船漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは

があり、家持の歌はこの敬愛する先輩歌人の作を踏まえたものと思われるからである。家持のは、川の東岸に辿り着いた船に織姫が乗り込んで、彦星の家のある西岸へと船出する情景を詠んだものであろう。憶良作の続編としても読めるものだ。

  真澄鏡(まそかがみ)きよき月夜(つくよ)に雲(た)ちわたる

 このを、船が起こす白波と取る説もあるが、むしろ、天の川に覆いかぶさる雲を、船出の水しぶきから湧き起こった川霧に見立てていると取るべきか。上記憶良の歌もそうだが、

  天の川霧立ちわたる今日今日と吾が待つ君し船出すらしも(巻九)
  君が舟今榜ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に(巻十)

 のように、七夕と川霧の取り合わせは当時の常套だったからである。
 とはいえ、月明かりの空に、ほの白い雲が波紋のように広がってゆくイメージも捨てがたいものがある。夜空の景を描くことに重点を置いた歌として読めば、この方がよいようにも思われる。当然のことながら、歌の解釈が確定できる範囲には自ずから限度があり、それを超えた部分については、読み手の想像力の自由に委ねるしかないのである。
 この歌には、川というより大海原に船出するかのごとき丈の高さ、歌柄の大きさがある。むしろ、巻七の「詠天」や「詠雲」(いずれも柿本人麿歌集に出る歌)の壮大さを想わせるところがあるのだ。

  天の海に雲の波立ち月の船星の林に榜ぎ隠る見ゆ
  あしひきの山河の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ち渡る

 こうして類想歌を並べてゆくと、改めて家持の七夕歌の独創性を思い知らされる気がする。そこにおいては、伝説を詠みつつ、同時に現実の夜空の景が描かれているように感じられる――すなわち物語性と叙景性が混然と両立しているのであるが、この二つを統一しているのは、言うまでもなく独り夜空を仰ぎつつ、天漢の伝説に想いを寄せている作者の視点にほかならない。

  織女(たなばた)し船乗りすらし真澄鏡きよき月夜に雲起ちわたる

 雲を川霧と見るにせよ白波と見るにせよ、その時天上を仰ぎ見る詠み手の視点は、地上を俯瞰するかのごとき視点に逆転する。「独り天漢を仰ぐ」詠み手=読み手の主観は、天と地のめくるめく転倒のうちに消滅し、壮大な天空のドラマが生動を始めるのである。題詞に詠み手の視点を明記することなくして、この転倒は起こり得なかった。
 七夕は、梅花と共に天平の浪漫主義を象徴する詩題である。なかでも家持のこの歌を最上の作とすることに、私は躊躇わない。
 歌日記に登場する最初の自作として、家持は自信に満ちてこの七夕歌を択んだのではないだろうか。決して拾遺の作とは思えないのだ。

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(C)水垣 久 最終更新日:平成10-07-25