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fly me to the moon 第9回



その後僕らは結局一緒に歩くことはできなくて、それぞれの友達に引き離されてほとんど会話すらできなかった。
メールもほとんどできなくて、携帯を取り出してメールでもと思ってもすぐに女子生徒に「何やってるのー」なんて声を掛けられて何でもないと首を振ってごまかすのが精一杯。

まいったな。これじゃあ全然恋人同士じゃないじゃないか。

いつもこんな調子なんだろうか、若王子君と彼女は。こんなんじゃ彼女が不安顔になるのも仕方がないし、隠しておきたいと思う気持ちもよくわかる。



-----ねえ、最後にもう一度二人で会いたい。だめかな
送信。

ようやくメールを送れたと思ったらもう今日は最終日。しかも一緒におみやげでも探しに行こうと誘いたかったのに、誘えないまま夕方になった。教師と生徒という距離がある時は逆に気楽に声を掛けられたものを。同級生でしかもみんなにナイショで付き合ってるという微妙な立場だと、どうにもこうにも声を掛けるタイミングが難しい。だからこうやって高校生はメールばかりしてるのか、ふむふむ。って違うからそれはきっと。



彼女からのメールを待ちながら僕はお風呂上りにロビーで一人ぶらぶらしていた。見つかったらきっとどこかに連れていかれるなーと思ったけれどそれはそれで仕方がない。今の僕の行動でこっちの若王子君が後々困ったら可哀想だからお付き合いはちゃんとするんだけど。でもできたら最後の夜くらいは一言でいいから彼女と話をしたい。ロビーでぶらぶらしてたら会えるのかっていうと、それは確率的にはとても低いだろう。だからと言って高校生の分際で夜の街へ繰り出すわけにもいかないし。

段々と人が少なくなるロビーを僕は一人で行ったり来たりしながら、時折携帯を開いてメールが届いていないかチェックする。待ち受けにしている時計の画面は非情にも消灯時間まで後残すところ30分だと告げている。さっきまでちょっと生乾きだった僕の髪もすっかり乾いてしまったくらいだ。ため息を一つ吐き出してそろそろ部屋へ戻ろうとエレベーターのボタンを押したところで、携帯が反応した。


あ、メールだ。


急いでジャージのポケットから取り出してメールをチェックすると、そこには待ち焦がれていた彼女の名前があった。そうそう余計なことなんだけど、若王子君の携帯では彼女の名前は苗字じゃなくてちゃんと名前の方になってるんだ。誰にも見せないつもりだからそれでいいんだろうね。僕の携帯には彼女の番号もメールアドレス入れていない。入れる理由が無いと言うのが尤もな理由で。もちろんこじつければいくらでも担任であり顧問である僕には理由を作ることはできる。でもしなかった。いや、できなかったんだ。たった一欠けらの勇気が無いばかりに……。



-----今、どこ?


たった二つの単語。だけど、僕の胸の鼓動は一気に跳ね上がり大急ぎで返信する。


-----ロビーにいる。君はどこ?会いに行くよ。会いたいんだ


-----部屋の前。ちょっと抜けてきちゃった。


-----少しだけ外に出よう。5分でいい。だめ?


返事が無い。会おう会おうとしつこい僕に嫌気が差したのか、メールがふいに途絶えた。自販機のぼんやりとした明かりを背に受けて、僕は急にどうしていいのかわからなくなてただただ突っ立っているしかできなかった。
と、軽い音がしてエレベーターが開く。
その音に気付いてはいたけれどわざわざ振り返るまでもないと思って、知らん顔をしてただ返事の無い携帯のメール画面を眺めていただけだった。

「若王子先生」
「……は、はい!?」
「ふふふっ、会いにきましたよ」
「びっくりしました。じゃない、びっくりしたよ」

「彼女」と同じ声で同じトーンで呼ばれて反射的に顔を向けると、そこにはやんわりとした笑顔の さんが立っていた。「先生」ってわざと言ったな。
「ねえ、ちょっと出よう」、と強引に手を取って僕は自動ドアから外に出て、敷地内の植え込みの方へ歩いていった。彼女は怒ったりせずそのまま僕の手をぎゅっと握り返してきてくれた。そんな小さなことが今の僕にはちょっと嬉しい。

「今日で終わりね」
「うん」
「楽しかった?」
「うん、とっても。だけど心残りもあるよ」
「どんなこと?」

手をつないで二人ともジャージ姿で、ホテルの庭をうろうろ。つないだ指先から何だか幸せが流れ込んでくるみたいで、僕はこの修学旅行の間で一番嬉しいと思っていた。「心残りは……君をぎゅってできないこと」、そう言ってからすぐに「冗談冗談」と言ってごまかした。でも、半ば本気だった。惚れっぽいと思ったことは無いけれど僕は同じ女の子を好きだと思った。

さんは月明かりの下で切なそうな笑顔を見せた。そりゃそうだろう。ここにいるのは同じ名前で同じ外見だけど中身は別人だ。「わたしも同じ」、ぽつりと投げ出すように言葉を吐き出すと、彼女はそっと僕の腕をぎゅっと握り締めた。そうか、それが精一杯だよね。じゃあ、僕も精一杯君にこの腕を明け渡すことにしよう。



ひどく不確かな予感ではあるけれど、僕はたぶん明日にはここからいなくなる。
何も確かな根拠なんて無いけれどきっと僕は明日の今頃ここにいない。

君にキスしたい。
そう思ったけれど止めにしよう。
唇へのキスは僕じゃなくて「若王子君」のものだ。


目の前にいる彼女は確かに さんだけど、僕が好きになったのも同じ女の子だけど、でも違う。
この世界に存在する僕はやはり「偽物」なんだ。
「本物」じゃなければこの恋は成立しない。

「月がきれいだね」
「うん、そうね。先生はかぐや姫みたいにそろそろ月に帰っちゃうのかな」
「えっ……?」
「あ、何となく、何となく、ね。別に早くどっか行けって言ってるわけじゃない……けど」
「ごめんね、キスできなくて」
「…………」
「…………」

僕らはただ黙って丸いお月様を見上げるしかなかった。
他に何もできなかった。

ありがとう、 さん。




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