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fly me to the moon 第4回



なんだか、大きな音がして、僕は慌てて起き上がった。

きょろきょろと見回すと、ベッド脇の机の上でレトロな形の目覚まし時計が大きな音を立てていた。



「朝……か」



ぼんやりとした頭で目覚ましを止めて、しげしげと時計を見ると7時を回ったところだった。
えっと、ここは……あれ、僕の部屋じゃ……ない?
カーテンレールに掛かっているのは間違えようもないはね学の夏の制服。そして足元に無造作に置かれた大きな旅行かばん。机の上には見慣れない携帯電話。


と、いうことはやっぱりまだ僕はこの世界に留まっているんだ。


えっと、昨日は確か陸上部の合宿で走り高跳びをして、首が攣って、それからそのまま気を失って、目が覚めたらはね学の教室で、さんに起こされて、一緒にこの部屋まで帰ってきて、今日から修学旅行で……。



修学旅行……!?



でも、僕は高校生じゃなくて、高校の先生で、さんは同級生じゃなくて僕の生徒で……あれ?なんだか混乱してきた。どうしよう……昨日は突然のことに呆然としてたけど、こんなことってありえないじゃないか。



そもそもどうやったら僕は元に戻れるんだろう?
まさか、夢オチなんてことは……ない、か。





-----高校生を楽しめば?





昨日帰り際にさんに言われた言葉がふと頭をよぎった。
いつ帰れるのかわからない。それなら高校生になってみるのも悪くない。
悩んだってどうなるもんでもない、なら、今を楽しむしかない、のかな。


まずは、シャワーでも浴びてさっぱりしよう。
そして、さんと同級生だという今の状況を楽しんでみよう。






ゆっくりと朝からシャワーを浴びて、濡れた頭をタオルでごしごしと乾かしていると、インターフォンが鳴った。そういえば、さんが来ると行っていたな。急いでTシャツと短パンに着替えて、ドアを開けると、大きなかばんを両手に持った彼女が立っていた。

「えっと、もしかして、先生の方?」
「ピンポンです。おはよう、さん。あ、いや、ごめん、。入って」
「う、うん」

重そうなかばんからビニール袋を取り出すと、彼女はまっすぐキッチンへと向かい、やかんでお湯を沸かし始めた。
ビニール袋の中にはおにぎりが3つと何だか煮物みたいなものが入ったタッパー、そしてインスタントの味噌汁が入っていた。

「おはよう、貴文くん。結局まだ若王子先生なのね」
「はい、ごめんなさい」
「まあ、いいわ。はい、これ、朝ごはん」
「やや、いいんですか?」
「いいのよ、ウチの母に持たされたんだから。あ、お湯が沸いた、さ、座って」
「はい」

お味噌汁を作ると僕の前に差し出して、おかずの入ったタッパーを開けて、割り箸を渡される。僕は素直に日本の朝食を食べ始める。彼女はかばんからペットボトルのお茶を出して、僕の向かい側で一口飲んだ。


「とにかく、行くしかないわね、修学旅行」
「そのようです」
「じゃあ、もっと普通にしゃべってね」
「う、うん、わかった」


で、用意はできてるの?
と、彼女は僕の顔を覗き込む。だから、とりあえずうんと頷いて、2つ目のおにぎりを頬張った。


「貴文くんの担任は誰?」
「えっ!?えーっと、氷上先生……?」
「うん、自分のクラスは?」
「2年……A組」
「もう一人のクラス委員は?」
「確か……山本さん?」
「ピンポン」


ようやく食べ終わった僕は、後片付けをさんにお願いして、はね学の制服に袖を通した。そういえば、9月に入ってもまだ学生は半袖だったんだ、と今更ながら気付く。僕なんて基本学校へは長袖のワイシャツだったし、その上からいつも白衣を羽織ってたからね。



「じゃあ、行きましょう。何かあったらすぐにわたしの携帯を鳴らすか、メールして。メール大丈夫よね」
「うん、できるよ。そうだ、君のことは何て呼べばよかった?」
さん、二人きりなら名前で」
「了解」
「ふふっ、じゃあ、高校生を楽しんでね」
「はい」



こんなことを言うと彼女はきっと怒るだろう。
だけど、何となく気になることがある。『僕』と君はもうキスくらいしたのかな、それともまだ手をつなぐことしかしてなかったのかな。どうしてこんなことを考えてしまうのか、よくわからないけど、彼女を見ているとまるで向こうのさんと一緒にいるような気がしてくるから不思議だ。

向こうの世界の僕と『君』は偶然のいたずらで、1度だけキスをしたことがある。

でも、僕は覚えているけど、さんは忘れてしまってるみたいだったな。
もちろん、彼女とのキスの前に僕だって大人だから女性としたことはあるし、その先の経験もある。だけど、何と言うか、あんなちょっと触れるだけのキスが忘れられないんだ。


いつか、絶対に僕は元の世界に戻るだろう。よくあるサイエンスフィクションでは、違う世界へ移動する時と同じくらい唐突にその時は訪れるものだ。だから、僕も突然向こうの世界へ戻ってしまうに違いない。その時僕は高校生になったこの時間を、この空気を覚えていられるのだろうか。


「さ、行きましょ。集合時間は9時に校庭だったから急がなくっちゃ」
「うん、行こうか。……さん」
「えっ……?」
「僕は高校2年なんでしょ。それから君は僕の彼女、ならそう不自然じゃないよね」
「う、うん。大丈夫なんじゃない」
「うん」

僕はそっと彼女の手を握った。
帰るまでよろしくね、さん。



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