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fly me to the moon 第2回



家まで寄っていっていい?


これって一体どういうこと?僕はこの目の前にいる同級生の彼女を自宅にあげるような関係なの?見た目はともかく、中身は思いっ切り大人の僕としては、しなくてもいい想像をしてしまうわけで。

一瞬きょとんとしたさんは、すぐに僕が考えていたことに気が付いたのか笑い出した。

「あの……何かおかしいですか?」
「ううん、そうじゃない。何かよからぬことをお考えのようなので、もう一つ付け加えておきましょう」
「はい」
「幼稚園が一緒だったの。その後ふたりとも転校して、高校に入ってまた会ったのよ。ウチの父と貴文くんのお父さんは友達、まあ、全く仕事は違うけど。だから、別になーんもやらしいことはないから、今のところ」
「あ、あははっ、これだから大人はダメですね〜。ごめんなさい」
「いいえ、どういたしまして。さてと、そろそろ帰りましょう」
「はい」


なーるほど、そういう設定でもあったのか。
まるで少女漫画にでてきそうなほど、ベタな設定じゃないか。


一緒に並んで帰りながら、僕は彼女からいろいろとレクチャーを受けた。学校のこと、友達のこと、この街のこと。しかも、明日の朝から僕達は修学旅行に行く予定らしい。
もちろん、教師の僕も3年前に生徒達を引率して一緒に出かけた。その時はでもほとんど観光なんてできなくて、ホテルで生徒達が無事帰ってくるのを待ってるだけだったけど。

「貴文くんは……荷物用意してたかな?」
「さあ、どうでしょう。こっちの彼も僕と同じような性格なら今夜するんじゃないでしょうか」
「やっぱりね」
「や、それってどういうことでしょう?」
「そうねぇ、慎重そうに見えて結構ぼんやりしてるところあるから。それでいて何か足りないものがあってもなんとかなるって思ってるしね。まぁ、いいや。とにかく行きましょう」



このベタなシチュエーションはどうしたらいいのかな。
とにかく明日の朝起きてみて、それでもまだ僕がここにいるとしたら何とかこっちの『僕』にならなくちゃいけない。幸いというかなんというか、明日から修学旅行だそうだから、それほどボロが出ることはないんじゃないかな。たぶん。
それに僕には心強い味方がいる。

そう、さっきまでつないでいた手を離して、僕の3歩前を夜空を見上げながら歩く彼女がいる。

見上げた夜空はやっぱり全然変わらない。
だけど、高校生の僕の視点で見上げてみると、なんともきれいな星空に見える。それはたぶん、一人で帰る道じゃなくて、好きな人と同じ空気をまとって歩いているからなんだろうと思う。実際僕がこの年頃だった頃は、空を見上げることなんてなくて、ましてや女性と夜ディナーに出かけてもほとんどドアトゥードアだったから、こうやって二人でゆっくり夜道を歩いたことなんてなかった。



「ねえ、さん」
「何?」
「やっぱりこっちの若王子くんが心配?」
「うーん、どうだろう。たぶん大丈夫。あなたと入れ替わったんだったら、そっちにも『わたし』がいるんでしょ。だったら大丈夫、わたしもあなたを助けてあげるけど、きっと向こうの『わたし』も貴文くんを助けてくれると思うから」
「すごく確信ありそうに答えましたね」
「まあ、いわゆる女の勘って奴?なーんてね。さ、着いたわよ」
「あ、はい」




つと彼女が立ち止まり、指し示したのは大きなマンションだった。僕はこんなところに住んでいるのか、実際とは大違いだ。
ちょっと見上げただけでも優に10階はありそうな立派な建物。この何階が僕の家なんだろう。

「貴文くんちは10階の1001号室、角部屋ね。鍵はちゃんと持ってる?」
「はい、たぶん」

僕がかばんをごそごそやって四葉のクローバーのキーホルダーを取り出したのを確認すると、彼女はまっすぐホールを横切って、正面に2台ある右側のエレベーターのボタンを押した。腕時計を確認すると、時間はようやく8時を回ったところだった。

静かにエレベーターの扉が開き、彼女が10というボタンをそっと押す。当然のことながら、この小さな箱の中は僕と君の二人きり。モーターの低いうなり声だけがやけに大きく響く中、僕らはずっと黙ったまま。呼吸するのさえ、憚られるほどに静かだ。


廊下をまっすぐに歩いて、端っこの部屋の前にたどりついた。表札は間違いなく『若王子』とある。どうやらここが僕の家らしい。

かちゃりと小さな音がしてドアが開く。一日締め切った部屋から流れ出す空気というのは、どの世界でも同じような匂いがするみたいだ。生ぬるい空気が少し冷たい外気に触れ、僕の頬をすっと撫でながら外へと出て行く。

ほとんど無意識に僕は玄関ドアの脇にあるスイッチを押した。

「「ただいま」」

思わず二人同時に声を出してしまい、ぴたりと重なった声がちょっとだけおかしかった。思わず、顔を見合わせると、君は舌をぺろっと出して笑った。


結構、広いものなんだね、マンションって。僕が住んでいたのは6畳の寝室と6畳のダイニングキッチンとトイレにお風呂、それしか部屋がなかったっていうのに、ここは寝室だけで3つはありそうだ。

「えっと、僕の部屋は……」
「この廊下の突き当たり」
「あ、そうか、そうですね。ところで、僕はここで一人暮らし?」
「春からご両親がイギリスに転勤しちゃったから一人よ。でも、週末はウチに来てご飯食べてたけどね」
「そう……ですか。仲……よかったんですね」

一瞬、彼女の表情が曇った。ごめんなさい、僕は何か傷つけるようなことを言ったのかもしれない。
ごめん、あなたのせいじゃないのにね、そうつぶやくと彼女はキッチンの冷蔵庫を開けて、ウーロン茶らしきペットボトルからグラスに液体を注いだ。

とりあえず、『僕』の部屋へ行こう。もしも一晩眠ってもこのままだったなら、僕は『僕』にならなくてはいけないだろう。性格が似ているのなら特に意識しなくてもいいだろうけど、それでもたぶん今の僕は高校生にしてはよそよそしすぎるのだろうし、もちろん先生達の顔も友人のこともわからないから、何かで学習する必要はあると思う。


両手にグラスを持ったさんは、ひとつを僕の方に差し出した。

「ありがとう……、その、質問してもいいかな?」
「うん」
「僕は君のことを何て呼んでいたの?」
「えっ?」
「苗字?それとも……下の名前?あ、ひょっとして使い分けてた?」
「貴文くんに……戻った……なんてことはないよね?」
「ごめん、残念ながら教師の方です。だけど、最悪の場合を想定すると一晩で元通りにはならないかもしれないと思ったから、いろいろ聞いておきたいんだ」
「そういうこと、か」


じゃあ、貴文くんの部屋に行こう、そう彼女は言うと、互いにグラスを持ったまま移動した。


僕達はまた黙り込んだまま、まっすぐに廊下を歩いて、『僕』の部屋のドアを開けた。ドアの脇にあるスイッチが小さな音をさせて明かりが灯った。中は……まあ、こんなものかな。僕にしてはまあ片付いている方だし、こっちの『僕』の方が物が多い。比較的大きな使いこんだ学習机と、その隣に半分掛け布団がまくれ上がったままのベッド。その上にはきっと僕が着替えたのだろうパジャマ替わりと思われるTシャツと短パンが適当に投げ出されている。

一瞬、僕はそのあまりにも生活感あふれる、いやいや今朝までここにいたであろう『僕』のことを考えてぼんやりしてしまった。あ、そうだ、女の子が部屋にいるんだから、ベッドの上を片付けなくちゃ。

慌てて僕はもう一人の『僕』が散らかしたベッドを整えた。その間彼女はずっと笑っていた。


「ご、ごめん」
「全然。あなたの部屋もこんな感じ?」
「いや、僕はもっと物を持っていないから、こんな風じゃなかった」
「なーんだ、そうなの」


『僕』と君はどんな風に話をして、どんな風に笑いあって、どんな風に同じ時間を過ごしたのだろう。慌てて片付けたベッドの端に彼女は当たり前のようにちょこんと座る。そして、僕もスペースを空けて端っこに座る。
きっと、『僕』だったらもっと隣に座るんだろうと思う。だけど、僕はさんの『僕』じゃないから、失礼なことがあってはいけない。だって、このまま僕はあっちの君と同じ『君』を抱き寄せてキスしたいと思っているんだから。


本当にそんなことをしたら、僕は『僕』にごめんなさいを言わなくちゃいけないけれど、目の前に相手がいないからこの場合は心の中で謝らなくちゃいけなくなる。


「さて、と。何が知りたいの?」
「とりあえず、あなたが知っている『僕』のことを」
「了解」

机の上においた二つのグラスから、同時に水滴がすっと垂れて小さな水溜りになった。



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