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fly me to the moon 第1回



「だから無理だって!そんなに言うなら若チャンやって見せてよ」
「なるほどそれはそうだ」
「若サマ、相手にしちゃダメです!危ないですよ!」
「若王子先生、無理しないほうが……」
「無理……カチン。それじゃ先生が証明してみせましょう」


何だってまた僕は普段は傍観してるだけなのに、跳んでみせるなんて無謀なことをしてしまったのだろう。今さら考えてみれば、きっかけは彼女の「無理」という僕を気遣って言ったたった一つの単語に過剰反応してしまったからとしか思えない。
そう、無理という言葉に僕が彼女との年の差を変に意識してしまって、周辺の男子高校生になんか負けてたまるかと妙な意地を張ってしまったからだ。うん、そうに違いない。



そして、無理を承知で僕は真夏の青空の下、ハイジャンプをきれいに決めて、熱々のマットの上に背中から綺麗に着地した。マットの上に寝転んでそのまま見上げた8月の空は雲ひとつなくて、真っ青だったのを覚えてる。そして、落ちたマットの予想外の熱も、微妙に攣ってしまった首筋と脚の痛み、生徒達の歓声、君の心配そうに覗き込む顔。
全部覚えてる。そう、僕はその場の空気感もそのままに全部記憶している。


けれど、その後僕がどうなったのかは記憶にない。




ああ、きっとそのまま目を閉じてしまったから。
瞳に焼き付けた青空の色を忘れたくなかった。いや、あれは単にへばってしまっただけか。
精神年齢よりもやはり肉体年齢の方が、勝る。
つまり、そういうことだ。


















「若王子くん!おーい、こら、いつまで寝てるつもり?若王子貴文!起きなさいっ!」

遠くで女の子の声がする。どうも怒られてるのは僕みたいだ。でも、ちょっと待て、僕を君付けで呼ぶような女性はそうそう周りにはいない。まさか、姫子さんじゃ……ない。声が違う。この声に聞き覚えはあるし、心当たりもあるけれど、彼女は僕を絶対にこんな風に呼ばない。


そっと目を開けると、目の前に立っていたのは……あれ、やっぱりさん?
あれれ、どうして君は制服に着替えて、こんな誰もいない夕方の教室みたいな所で仁王立ちして僕を見下ろしてるの?

「あ、やっと起きた。若王子くん。いい加減に帰った方がいいと思うけど」
「僕……のこと?その、いや、ああ、若王子くんっていうのは」
「はぁ!?何言ってるの?」
「君は……?」
。E組。眠りこけてる間に脳みそ溶けちゃったの?氷上先生が呆れてたわよ、若王子君が起きないって。修学旅行前の大事な周知会で、これほど寝る生徒を見たのは初めてだって」


彼女は同級生相手だとこんなによくしゃべるのか。へ〜、新しい発見だ。何だか僕と一緒の時よりちょっと活発な雰囲気で、それはそれでかわいい。ずっとこんな風にしゃべってくれてもいいけれど、まだ僕と君は立場が同じじゃない。これじゃまるで同級生……?
いや、ちょっと待てよ。今僕は同級生とか思ったけど、僕は今君の同級生?
マジで?嘘?


恐る恐る彼女を見上げると、明らかに不審そうな顔で僕をじっと見ている。

さん。今から僕は質問したいけど、いいですか。突拍子もないことを言うかもしれないけど、驚かずに聞いてくれると嬉しいのだけど」
「な、何よ」

ただならぬ空気を読み取ったのか、彼女はより一層不審な顔で僕を見つめる。立ってるのもどうかと思ったのか、そっと隣の席に腰掛け、そしてゆっくりと僕の方に向いた。そういえば、君は誰に対しても、どんなことでもきちんと正面から向き合って話を聞く子だったね。うん、やっぱりそこは同じだ。


「僕は……誰でしょうか?今何歳ですか?ここはどこでしょう?答えを知りたいんですが、教えてもらえませんか」

一瞬、何を言ってるって顔をしたけれど、すぐに元に戻った。
「あなたは若王子貴文。羽ヶ崎学園2年A組、クラス委員。部活はテニス部。理系。ここははね学の生徒会会議室。ついでに言うとわたしは、2年E組のクラス委員やってます。若王子くんとは去年同じクラスでした」
「じゃあ、氷上先生っていうのは?」
「そっちの担任で生徒会担当、教科は物理。ウチのクラスは英語の佐伯。他に質問は?」
「今のところありません。ごめんなさい。今鏡持ってませんか?」
「ちょっと待って…………、あ、あった。はい」

僕は彼女がごそごそとかばんの中から取り出した、小さな手鏡に恐る恐る自分の顔を映してみた。そこに映っていたのは10年以上前の僕そのものだった。えーっ!ちょっと待ってっ!どうして僕は若返ってしまったんだ!?


「ねえ、そろそろ帰らない?外、真っ暗だよ」
「えっ?あ、ああ、そうですね」
「変」
「何が……ですか?」
「その言葉遣い」
「ごめんなさい……」
「どうせ、ウチ帰っても誰もいないんでしょ。帰りに寄り道しない?何か他にも言いたいことありそうだし」
「いいんですか?」
「うん、さっきお母さんには電話しといたから」



よいしょっと立ち上がって、ガラス窓に薄く映った自分を見た。しっかりとはね学の制服を着て、学生かばんを持っている僕がそこに立ってた。理由なんてわからない。
確かに僕はさんを意識するようになって、同級生だったらどんなだろうかと考えてみたことはある。だけど、そんなことありえないから、考えるだけ無駄なことだと思っていた。
まさか、これは僕の願望が見せている、深い夢の世界なのか。
それとも……いや、考えたくない。
そんなサイエンスフィクションまがいのことなんて、現実世界にはありえないのだから。僕は科学者なんだから、そんな空想の産物を信じてはいけない。

「いつものとこに寄ろっか」
「はい、お願いします」

僕の直らない言葉遣いがよほどおかしかったのか、ようやく彼女は笑ってくれた。そして、学校を出たところで、手をつないで歩き始めた。

ぽつぽつとしゃべる彼女の言葉から、どうやら僕と彼女が付き合っているらしいことを知った。でも、それはまだ周りにはなぜか秘密にしていて、こうやって遅くなった時くらいしか一緒に帰れないのだとも言った。
ふーん、こっちの僕も彼女に恋をしてたのか、でも一つ違うのはもう付き合ってるってことか。それも、同級生だというのなら、ありえない話ではないか。僕だって君と同じ年ならとっくに告ってると思うよ。





学校からずいぶんと遠回りした道の途中にある、静かなファーストフード店で、さんはてきぱきと食べ物と飲み物を注文し、せめてものお礼にと僕は物で一杯になったトレーを持って窓際のカウンター席の奥に陣取った。

「貴文くん。今日特に変よ。どうしたの?わたし、そう簡単に驚かないから正直に言って」
「はい……、じゃない。うん。本当に驚かない?」
「うん、慣れてる」
「う……それってどういう意味?」
「そういう意味。あ、食べてね、今日はわたしの順番だから遠慮なく」

彼女は窓を流れる車のテールランプを目で追いながら、ミルクたっぷりのコーヒーを両手で冷ましながら、一口ずつ飲んでいる。僕も景気付けに熱いコーヒーを一口口に含む。

どこから、話そう。
いや、いくらなんでも変な話だ。
それに仮説すら立ってない。


「僕は……どうやら君が知っている若王子貴文ではありません」
「うん、それで?」
「さっき君に起こされるまで、僕は8月のクラブ合宿中で、ムキになってハイジャンプを跳んだところでした。そして、倒れこんだ後の記憶が飛んで、いきなり同級生の君が登場したんです」
「…………」

ほら呆れてる。いくらなんでも荒唐無稽すぎる。

「じゃあ、あなたは若王子貴文であって若王子貴文ではない、と。そう言いたいのね」
「はい。実際の僕は学校の先生で、あ、化学担当で陸上部顧問です。そして、最も重要なことは僕と君は教師と生徒だったってことです」
「あははっ、マジですか?ねえ、貴文くん、本当に寝すぎじゃな……い、の、ね?」
「はい、マジです」

笑いかけた彼女は僕の目を覗き込んで、決して嘘を言ってるわけじゃないってことに気が付いた様子だった。大きなため息を一つ吐き出すと、さんは僕の方に向き直った。

「じゃあ、こっちの世界にいた若王子貴文はどうなったの?」
「わかりません。なんとなく、大丈夫だろうと思います。ところでこっちの世界って?」
「ああ、それ。貴文くんに借りて読んだSFに出てきた『パラレルワールド』ってことかと思ったんだけど、違う?」
「僕もそれは仮説としては考えていた。だけど……」
「証明できない……そうでしょう?」
「ええ、そうなんです」






どうしたものかな。
いくらなんでも、これはまいった。


「ねえ、貴文くん。家まで寄ってっていい?」
「はい?」



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