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Like Someone In Love 第1回



「氷室先生、折り入ってお話が……」
外部入学してきた少女のただならぬ気配に、廊下を歩いていた俺は反射的に振り返った。2年生に進級し再び彼女はまた俺のクラスになった。熱心な生徒で、頻繁に質問にやってくることが多々あるため、この時は呼びとめられたことに何の違和感も抱かなかったのだ。だが、よくよく見ると手元にはいつも抱えている教科書やノートの類はなく、かわりにどうしたものかスカートの前で両手をしっかりと握り締めているだけだった。

「なんだ?ここでは話せないのか?」
「はい、できればここじゃない方がよろしいかと」
「では、進路指導室で聞こうか。ついて来なさい」

その時俺はまだ彼女が何を言わんとしているのか、全く気付いていなかった。
当然日々の学園生活の中で何か悩みが生じたのだろう、そのくらいのことしか思いつかなかったのだ。
そしてそんな相談にもきちんとのるのが教師の努めだと、そう思っていただけだ。



「さて、。話というのは何だ?手短に言いなさい」
「はい、では単刀直入にいきます」
「ああ、そうしてくれるとありがたいな」
「あのですね。わたし、3月でやっと16歳になったんです」
「それがどうかしたのか?」
「これで晴れて結婚できる年になりました」
「まあ法律上はそうだが、その年で結婚するには本人同士の合意のみでは成立しない。それに君はまだ高校2年になったばかりだろう」

一体何が言いたいのだ、彼女は。
結婚できるだと?まだ高校生だぞ?
いや、別に俺は結婚という制度自体を批判する気はさらさらない。
だがしかし、唐突に結婚できるようになりましたと言われても。
俺にどうしろと言うのだ、一体。
まさか、その後に妊娠したとか言う言葉が続くのではあるまいな。
それならば非常に問題なのだが。

新学期になったばかりの木曜の昼下がりの進路指導室。
いるのは俺とクラス委員のの二人だけ。
不要な疑いを招かないためにも5センチほど扉を開けてある。

だが、遠くで運動部の掛け声が聞こえる中、掛時計の秒針が1周する間沈黙していたが冷静な口調で言葉を続けた。

「だから先生。結婚したいんです、わたし」
「け、けっこん!?」
「はい、『結婚』です。ちゃんと親の同意書ももらってあります。後は日付を書いて、これに署名捺印して市役所に持っていけばそこでもう婚姻成立です」
「ま、待ちなさい、。き、君は自分の発言内容をきちんと把握しているのか!?」
「もちろんです」

冷静なとは対照的に、見かけ以上に動揺している氷室零一がそこにいた。
じっと穴が開くのではないかと思うほどには俺の顔を見つめている。
そんなに見ないでくれ。間がもたない。

「では聞くが、相手は誰だ。男は18歳以上にならなければ婚姻届など出せないのだから、学内の生徒ではないのだろう?大学生か?社会人か?まさかと思うが……に、に」
「あ、妊娠はしてません。だってまだその人とキスもしてませんし手も握ったこと……あ、1回だけありました。でもそれは数の内に入りませんけど」
「はぁ?き、きすもしたことのない男とき、き、君は結婚など……!、冷静になりなさい。そんなものは一時の思い違いだ。ああ、そうに違いない。やめなさい」
「それはありえないです。ずーっとその人のことだけを好きでしたし、もう決まってることですから」
「それは…つまり、婚約者と言うわけか?」
「はい」
「相手は……どこの誰だ。卒業まで待ってもらえないのか?」
「相手……知りたいですか?」
「言いたくないなら構わないが、。担任として把握しておく必要がある。何なら私が卒業まで待ってもらえるように話をつけに行ってもよい」
「それはどうでしょう?だって相手は……氷室零一さんなんですよ」


ひむろれいいち?
誰だそれは?
俺と同じ名前じゃないか。


い、いや、待て。
ちょっと待て、冷静に考えろ。

ま、ま、まさか、俺のことを指しているのか!?



-----------機能停止。再起動。



「あのー、もしもし先生?先生ってば」
「か、からかうのもいい加減にしなさいと藤井に伝えなさい。私はそんな戯言にひっかからない!」
「冗談じゃありませんって!わたしは目の前にいる『氷室零一』さんと結婚するんです!!」
「な……な、なぜだ?」
「だってだって、両親同士が決めた婚約者だし……昔結婚しようって言ってくれましたし!両親だって大賛成ですし……わたしも、わたしももちろん先生のこと大好きですから!って……理由になってませんか?」


だめだ、再び機能停止、だ。


なぜこの俺が自分の担任する女子生徒といきなり結婚しなくてはならない?
何か責任を取らなければならないような事態を引き起こしたか?
すべて否、である。

俺がこの1年足らずの間にに結婚してくれなどと口走ったことがあったのか?
の両親に頭を下げて結婚させてくださいなどと言ったことがあったか?
これも当然否、である。

記憶する限り、彼女のご家族に会ったのは入学式と編入試験の時のみである。
それなのにご両親も大賛成とはどういうことだ?
かつてそれ以外に学外でこの家族に会ったことがあっただろうか?
これもまた当たり前だが否、である。


しかしあくまでも俺の記憶に間違いがなければ、という前提の元である。
だめだ、記憶にない。酒でも入っていたのか?いや、最近は記憶を無くす程飲んだ覚えはない。

「あのー、先生。これ覚えてらっしゃいませんか?」

めまぐるしく記憶の底をぐるぐるとかき回していた俺は、おずおずと差し出されたの手のひらに乗っている小さな物体を見つめた。そこにあったのは、かつてこのはばたき学園の制服がいわゆる『学ラン』であった頃の金ボタンだった。なぜ君がそんな古いものを持っているのだ。あの制服は俺が卒業すると同時に現在のものに変わり、もう10年近く見ていない。

「それは10年以上前のここの制服のボタンだろう」
「はい正解です。昔高校生だった『氷室零一』さんがわたしにくれたんです」
「はぁ?すると何か?君の言う『氷室零一』が俺だと仮定するならば、俺が君にそれをあげた、とそう言いたいのか?」
「はい。零一さんが泣いているわたしの頭を優しく撫でながら、今度会える時まで持っていなさいってくれたんです。そして泣き止んだらおよめさんにしてくれるって言ったんです。覚えてませんか?」
「…………」

実は……覚えていた。

しかし、あまりにも非現実的であったため、俺の中ではよく見る夢だとしか認識していなかったのだ。
だから正確にいうと記憶という引出しにそれは入っている、が、それを持ってその事象をきちんと覚えているとは言い難い。
そもそもそのような過去の記憶を盾に、結婚するのだと言われたところでどうしようもない。
あれは幸せな時代の遠い記憶なのだ、そう思いこむことでいつも自分を納得させてきたのだから。今さらあの頃のことを持ち出されても困る。そう俺は困るのだ。


「覚えてないんですね、零一さん」
、名前で呼ぶのは止めなさい。それに私は覚えていないとは言っていない」
「じゃあ結婚してくれますか?」
「だから、なぜそこに繋がるのだ。そもそも君は11歳も年上の私に今恋人がいるだろうとか婚約者がいるだろうとか、そういったことは考えなかったのか?君も君だ。年相応の相手を好きになりなさい。それが君のためだ。わかったな」
「今お相手がいないことは知ってます。それにわたし6歳で初めて会った時から零一さん以外に好きになった人はいません」
「わかった。わかったから。だから、名前では呼ばないようにしなさい。教師と生徒としてのけじめだ」
「でも、夫になる人に向かって『氷室さん』とか『先生』とか呼ぶ方が不自然ですよ」
「そもそも君と結婚するとは一言も言っていない。人の話は最後まできちんと聞きなさい」
「そんな……」
「あ、いや、だから、その……泣くな、。君はまだ本当に誰かを好きになったことがないから、そんなことを引きずっているだけだ。忘れなさい」
「とりあえず両親に会って欲しいんですけど……?」
「なぜそうなる……」
「だって零一さんの義理の両親になるんですよ」
「だからっ!零一さんと呼ぶんじゃない」
「じゃあ、今週日曜日の午後2時にお待ちしています。わたしの家はわかりますよね。じゃあさようなら、零一さん」
「こ、こら、待ち……なさい。私は行くとは……。」
「絶対に来ます、先生のことはよく知ってますから。では失礼します」


な、何なのだあれは。
そうか、新手(あらて)の冗談か。
いや、しかし、この机の上に彼女が置いていった金ボタンには見覚えがある。
あの夢は本当のことだったのか……そうするとあの幼児はだったのか。
確かにあの中で俺は彼女に言ったかも……しれない。
しかし、あれは……あれは泣き止まない幼児をなだめるための……方便だ。



教師生活6年目にしてとんでもないことになった。
本当に結婚などさせられたら、いや女子生徒と交際しているなどと言われたら、俺は。
だめだ、断固断るべきだ。そもそも俺は彼女をそのような目で見たことはないのだ。

今だかつて頭痛など覚えたこともないのに、急に頭が痛くなった。
そして来たるべき週末のことを考えると、柄にもなく熱が出そうな気分だった。



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