The Universe    VOL.2

森 羅 万 象

環境ホルモン   松戸市立博物館   縄文の館


環境ホルモン

化学物質過敏症 いまアメリカで10人に1人がこの病に悩んでる
治療法はないに等しい 化学物質を排除した空間で過激な運動をして汗をだし体内から化学物質を排除する 
そんな治療しか……体内蓄積は全ての人に進んでいる
20世紀の繁栄を支えた化学物質の逆襲から いかなる人も逃れることは出来ないようだ
数千年を(いやもっと長い年月かも知れない)をかけて 生物体の解毒構造は進化してきた
肝臓にあるP450と言う酵素が懸命に解毒する それにまだ安全性の確認の終わってない
3万種以上の人工化学物質が襲いかかる

武器としての毒ガスの研究に端を発し 塩素の研究が進むこの塩素から種々の化学物質が生まれる 
1939年ジャガイモの害虫用にスイス ガイギー社で開発された殺虫剤DDT
1948年にノーベル賞を受賞するほどの画期的なものだった
手軽に使えて 分解しにくいので効力が持続する
これもまた戦 第二次世界大戦 南方戦線での 殺虫剤の必要から急速に生産される
1962年アメリカのレイチェエル カーソンが「沈黙の春」を出版し DDTの大量使用によって
食物連鎖で野生動物に(ミシガン州のセグロカモメに 水分中の数千倍の)大量の体内蓄積があると警告
いまでは誰でもが知るこの有害物質の排除まで 10年の歳月を要した

環境汚染に無縁と思われた北極 カナダの調査によると 50歳代のイヌイットは
先進国の50倍の体内化学物質の蓄積が報告されている大気汚染によって
 極地に大量に蓄積されたと思われている

1979年マクラマン博士によって化学物質がホルモン分泌に影響すると(環境ホルモン)
警告されたが当時は 無視された

効力のターゲットを絞り 安全性を求められて開発が進められた結果
今日では 日に4,000種の人工化学物質が誕生している
世界最大級の研究機関でも 発ガン性の確認には年40種の化学物質が限度という

絶縁性 耐熱性に優れた「燃えない油」PCB
画期的な効き目だったDDT 
いずれも効力の最大の決めて“分解しない”が いま深刻な負の遺産を生み出している
1万五千種余の科学物質が環境ホルモンの観点から 見直し検査を迫られている
旧約聖書に「神は人を創り 世界を支配するよう〜」と
人類の奢りがいま 21世紀へ負の遺産を託そうとしている
                                              h.
NHKスペシャル「それはDDTから始まった」を参照しました


松戸市立博物館
松戸市立博物館 門
ガラス張りの回廊を歩いて行くと突き当たりに 旧石器時代の人物像のパネルがある
3万年前から現代まで 種々の出土品やパネルで構成されてる
“見て・触れて・体全体で感じる”感動体験型博物館をモットーにしてる地域博物館だ
さほど広くはないが古代からの松戸市を静かに体験できる快い空間だ

村 丸みをおび普通の「石」の様な石器から時代を経るにつれて 
鋭角になり形も複雑化し
“刃物”に進化して行くそして土器を創り出し
栽培(農耕)を始め定住化して行く様が展示からよく解る 展示

よく何万年前とか言われるが その時代を確定するのはどういう方法でなされるのか
私は説明できなかったがそんな疑問に答えるコーナーもある

『放射性炭素(14C)による年代測定』 
14Cは崩壊続け 一定の期間(5730年)で濃度が半分になるその性質を利用して過去の年代を測定する
放射性炭素年代測定法は日本の考古学に大きな成果をもたらした》

各パートにはモニターがあって 任意にボタンを押すと解説VTRの映像が表示されるまさに体感する感じだ

炭素 市内70カ所の遺跡から出土した縄文土器等を身近に見てると
 その時代を肌で感じる思いだ土器
土偶



時代はズーと近くなるが 松戸市は「20世紀梨発生の地」ということ
1888年 松戸覚え門がこの品種を発見 20世紀時代の品種になると1904年命名
従来の赤梨(長十郎)  青梨(20世紀)の2大品種となる
松戸家の果樹園「綿果園」の原樹は1937年天然記念物になった 
だが1947年第二次大戦の空襲で焼失してしまった こんな所にも戦争の影が……

ロビーの体験コーナーで 縄文時代の着衣「編布(あんぎん)」編みの体験をした
当時は麻やカラムシの皮を糸にして使用していたようだが 今は麻糸で編み方を体験させてくれる 
あんぎん
その向かいにある講堂で ハイビジョンの放映を見た
40分間のベネチァの旅を堪能した

地域に密着したこのような博物館のこれからの活動に大いに期待したい


撮影特別に撮影許可を戴いたり 学芸員さんに
ご足労をおかけしたことをこの場をお借りして
御礼申し上げます


                                          h.oda
松戸市立博物館



竪穴住居               縄文の館

小高い丘の上 林の木々に囲まれて 三つの茅葺きの丸い屋根が見える 
その一つから紫色の煙が

竪穴住居 ゆらゆらと出ている 平日の午後静かな佇まいだ 
松戸市にある“21世紀の森と広場”と呼ばれる 広い公園の中の一角 
隣り合わせに市立博物館 
森のホール21 県立図書館が併設されて

市民に憩いと文化の香りをも提供している 

三つの竪穴住居があって一つが開放されていた 小さな入り口から
数段のハシゴを降りると土間の中央に

薪がくべられて小さな炎が揺れている 薄暗い室内は煙と飛び散る灰で息苦しい
「煙いので お座り下さい」 説明員の方に促されて座に着く 20畳位の広さ 10人くらいが居住していたと縄文 火
想像されている 此処から少し離れた 貝の花貝塚と言う推定4,500年前遺跡から出土 移築されたものだ
1万2〜3000年前から2000年前まで続いた縄文時代の中期のものだそうだ
因みに松戸市では70カ所から遺跡発掘されている

先ず円錐形に屋根部分の4本の柱を組む 次に約80cm程の深さの穴を掘り 
茅で屋根を葺いて作られたと

推定さている 中央の火で照明と炊事に供し 煙で家屋の耐久性を保つ 柱材は栗の木等の堅く耐久性の高い
ものが使われている 着衣は編布(アンギン)と呼ばれるカラムシの皮を編んだものを着用 
冬は動物の毛皮を着たのではと 話を聞いていると縄文の時代にどんどん引き込まれていく


貝塚と言われるくらい 貝が沢山集まった塚が各地でみれる で私等は縄文時代は貝を主食の如く
食べていたのでは想像してしまうが 貝は後世に残りやすく(腐蝕等がしにくい)たくさん出土するので
そう思われがちだが 主食はやはり木の実だったらしい
コナラ しいの実 とちの実 特にとちの実等は非常にアクが強いが 土器の(縄文土器)の発達で
上手にアクを抜いて食用にしていた 特に円錐形の縦に長い土器を 焚き火状の火の中央に置き煮炊きする
合理性に富んだ使い方をしていたようだ 
しか いのしし タヌキ等も良く食べていたようだ これらの(食用にする動物)獲得に やがて弓矢が考案される
そしてこれらの道具類の発達によって 定住が可能になっていく 因みにこの竪穴住居は平安時代まで
庶民(貧しい)には住居として使われていた

遺跡を丹念に分析すると 様々なことが推定出来るようです まさに心は1万年前に遊ぶことができそう
狭い出口から外に出ると 冬の冷たい北風にほてった頬を冷まされた
竪穴出口 現代の夕日に帰宅を促されるように家路を急ぐ

隣接の博物館では地域の展示を主に各種の活動が行われ 森のホールは大ホールがあり各種コンサート等の 催しが随時催されている

詳しくは松戸市のホームページへ
松戸市のページ




松戸市立博物館のページ
松戸市立博物館
VOL.1 VOL.3 VOL.4 VOL.5
メール アイコン
ご感想はこちら
トップ アイコン
トップ
                                                         99.2.11.up