Yじいちゃんの部屋

連れ合いのYじいちゃんは昭和8年生まれの、71歳。

ゴルフ暦40年余。職を辞めた現在も週一ゴルフを楽しんでいます。

元気が一番。

Yじいちゃんが会社で広報誌担当をしていた頃コラムとして連載したものです

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*蝶と蛾         *挨拶

*ノーサイド       *金と金(かね)

*トラ          *酒

*酒 2         

 

                                   

蝶と蛾  

日経最終ページ文化欄にはその道一筋に何物かを追い求める姿が載っていて面白い。

前にモグラの毛の柔軟性に着目し、これを養殖をしてコートを作ろうという苦心談もあった。

 

昨年、蝶の採集から生態撮影に移り、中国の高山で幻の蝶オウゴンテングアゲハの撮影に成功、遂には蝶の化石写真へと世界中を駆け巡る人の話があった。いずれにしろ病膏肓にいるとはこのことか

 

わが社にも蝶なら任せろという大家がいて、何か面白いことはないかと聞いたら採集の際のトラップ()の話が出た。

沖縄の何とかいう種類の蝶、地酒の名産泡盛を霧状に散布しその匂いに集まって果ては酔ってフラフラのところを捕る。

 

猫が酔うのは漱石の『吾輩は猫』の主人公猫が酔って、、、、で知ったが、蝶までもが酔うとは。この話、いささか眉唾と思ったがその道の大家の言ではある。信用しよう。

 

それじゃスコッチやブランデーの高級洋酒を散布、夜の蝶でも採集に行こうかと誘ったら『あれは蛾であるしばしば毒をもつ、大体蝶は夜活動しないものだ』と御宣託。柄にもなく硬いことをいった。

 

そこで蝶と蛾の区別。

蝶=チョウ目(鱗翅類)のガ以外の昆虫の総称.鱗粉と鱗毛により美しい色彩を現し、、、昼間活動して花蜜を求め云々、、、。

蛾=チョウ目(鱗翅類)のチョウ以外の昆虫の総称。形チョウに似る。〔これが問題〕

多くは夜間活動し、、、きわめて種類多くわが国で五千種。とあった。蝶は二百五十種とのこと。

 

さて新年、と身辺を見渡すと相変わらず情報が渦を巻き、商品があふれ、そして仕事もまた多様化、肥大化の一途である。

どれが蝶か蛾かの識別もないまま、ただヤミクモに追い駆けてきたのではあるまいか。結果の多くは蛾であって、蝶はやはり少ないのでは?

本誌年末号の専務の振り返りや社長の年頭所感はこのことを言っているのであろう。

形チョウに似る蛾、その厳しい選別をわが社も求めている。と理解したい。

年頭雑感ではあります。

 

 

            

   挨拶

春、新入社員を迎え、職場に清新な活気をもたらす季節である。同時に新人研修も開始されることと思う。

 

小学校に入学したら何を教えてほしいかを両親に問うアンケートで(善悪の判断)(あいさつ)が上位を占めたとある。何か変だ。ことの良し悪しや挨拶は学校に入ってから、初めて先生に教えてもらえというのだろうか。最近様々の役割分担が変化したという話を聞くが、考えさせられる調査結果ではある。

 

家庭での教育力が低下していると見る人が75%を占め、親自身の20%が子供のシツケに不安を感じている。「青少年と家庭」に関する世論調査ではそうなり、この数値は年々増加傾向にある。

 

一方、産能大学が昨春新社会人になった人に「親離れしていると思うか」と聞いたところ、60%がしていないと思い、親の60%が同様に「子離れしていない」と感じてもいる。そこにはしっかりした親子関係が確立していない現実を垣間見ることが出来る。

 

例年今頃の本屋の棚は、新社会人のための本でにぎわう。二,三手にすると判で押したように「挨拶」の項目がある。お辞儀の仕方、敬語、電話。おはようございますで始まるそれは、微に入り細を極める。挨拶が重要なのは当然だが、これらの本はそれがなっていないことのひとつの側面を示してもいよう。

 

ところで、日本が外国のどう理解されているかを知る目安に、その国の教科書での日本紹介を見る方法もある。さすがに一時のゲイシャ、フジヤマは姿を消したようだが、依然誤解や誇張が目に付く。日本の労使関係を説明したスイス教科書の例。

《社長は(従業員にとって)父親である。社員は社長と『養子縁組』を結んだのだ。誰も解雇されず、また双方の義務として解雇通知や辞職の申し出は禁じられている。》と日本式雇用形態が相当に誇張された形での表現である。(丸善教科書展から)

 

さて、挨拶。小学校ならまだしも,棚の本や新人教育項目にあるように『おはようございます』という挨拶から社会新教育を始めなければならないとなれば、それは正に親子関係である。

 

先にあげたスイスの教科書は、案外ことの真髄を捉えているのかも知れない。

担当者には課題の多い季節でもある。       

 

 

ノーサイド

ラグビーは門外漢にとっては実に面白い。何しろラグビーのボールはなぜ丸くないのかというクイズがあるように楕円形である。イレギュラーバンドの連続である。つい贔屓チームのほうに弾むことを願って思わず力が入る。ハイバントと言うのかあの高く蹴り上げた落下地点に殺到する選手団、飛びついた人にまた飛びついて倒す。

スクラム、一人でも力を抜いたら押されてしまうだろう。一枚岩と化す団結力。決して一人ではなし得ないトライ。どの場面でも見られる一糸乱れぬ統制の取れた集団の力は何処から生まれるものだろう。自分は次に何をなすべきかを常に状況状況で判断できるからなのであろう。

一チーム15人、これは数ある球技でも最多であろう。この15人が一丸となる姿勢には多くの学ぶべき点があると思う。

不思議なのがあのヤカン。ラグビーはこれからがシーズンである。当然霙や氷雨の中での試合もある。この厳冬期になお、ただの水のヤカンが走る。このハイテクの時代にである。

観戦して身震いする寒さの中冷水を頭から浴びせられて何事もなかったように戦列復帰の姿は形容しようがない。正に「魔法の水」である。そしてノーサイド。笛が鳴り試合が終わった瞬間から敵味方はなくお互いの健闘をたたえあう意味が含まれているとか。すばらしい言葉だと思う。

いささか我田引水になるが当社にも創部年というラグビー部がある。小企業にとって15人以上のラガーメンを確保するのは苦しい。が休日を利用して黙々と練習し市内の有惑クラブなどと年間数試合を行っている。ぜひ社会人の部に登録されるよう祈っている。

今は花園、神宮の技術に及ぶべくもないが、練習や試合を通して団結の力や、ノーサイドの礼節を学ぶ姿は美しい。

 

 

金と金(かね)

オリンピック金メダル選手のその後の話題を追ってみた。何処の国でもオリンピックは参加することではなく、勝つことが求められているというのが本音であろう。

 

わが国は何個獲得、がまるで国威の掲揚でもあるかのように報道されるのは日本ばかりではないようだ。そこで彼ら彼女らが帰国すると大変な騒ぎとなる。インドネシアでは、同国最初の金メダルとなったバドミントン・シングルの男女量選手には、各々四億五千ルピア(約二千八百七十万円)贈られた。メダル獲得の選手六人、コーチ六人には総額二十億ルピア、先の量選手にはスハルト大統領の息子からさらに十億ルピア贈られたこともあって二人は一躍億万長者。蛇足を言えば二人は婚約中の間柄。

これも初めての金メダルとなったブラジル男子バレーのセッターは、一シーズン五十万ドル、約六千三百万円の報酬が保証されているという。

スペインもご多聞に漏れない。従来四個だった金メダルが今回は十三個、これで国中が沸いた。スベイン五輪委員は各優勝者に八百万ペセタ(約千万円)、更にサマランチ会長が頭取でもあるバルセロナ銀行が一億ペセタの年金をプレゼントという。

中国のご同様、各選手に八万元(約百九十万円)、水泳高飛び込みの13歳の女子はあれこれ合わせて総額四十六万元労働者の平均月収百六十元(三千七百〜八百円)の中国では、これだけで二百四十年分の年収が一個の金メダルの価値。

なんといっても圧巻は隣国韓国の黄永さくマラソン優勝者だろう。所属企業から一億ウォン(約千五百〜六百万円)、韓国陸連五十万、終身年金が月七十万。その他に記念館の建設や、記念スポーツ大会の創設等々、今のそのブームは続いているといわれている。

日本では、岩崎恭子ちゃんはじめメダル選手には各々三,二、百万円が今回からはじめて贈られた。もっとも彼女には、タレントになるなら何億でも出すという話がないでもないが。

さて、この金メダルそのものの価値はいくらか。スペインが今までのメッキから本物に張り込んだせいもあって六十四〜五万という。

 

 

トラ

夏目漱石の『吾輩は猫である』の主人公猫クンの最後をご存知か。実はビールをなめて酔っ払い水がめに落ちて溺死となっているが酒は動物も好む。

昨年秋、小鳥が集団で死んでいるのが見つかり調べたところ熟しすぎてアルコール化した木の実を食べ、急性アル中死と判明。おいしくて食べ過ぎてしまったのだろうか。可哀そうに。

前にわが社の蝶博士から蝶を酔わせて捕る話を聞き、本欄でご披露し、たぶんにマユツバと思ったが本当なんだ。

落語にすずめを取るのは簡単。酒に浸したコメを食べさせると酔って飛べなくなるからというのがあり、実験したが失敗。すずめがなぜ酒に強いのか今持っての疑問だ、と某大学教授が新聞に書いていたが、鳥にも上戸と下戸があるのだろうか。

 

ところで象が酒に酔ったらどうなるか。インド東部アッサム州で酔った象の大群が大暴れし、住民が踏み殺された。約50頭の象が地元のコメから作るビール「ラオパニ」の樽が畑にあるのを見つけて一気に飲み干し、家々をなぎ倒して暴れ回り、子供一人を含む5人が死んだそうだ。

インドの野生動物保護関係者は、「象たちは最近この地ビールの味を覚え、匂いをかぎつけるとラオパニを求めて家を押しつぶす事件が続発している」という。

同州には約5500頭の象がいて、この10年間に500人以上の人が踏み殺された。

 

人が酔って暴れたりするとトラになったと言うが、象がトラになったんでは大事だ。あれほどの大物トラは他にいない。

日本だけかもしれないが、大きなウミガメが獲れると一升酒を飲ませて海に帰す風習があるが、考えてみると、亀だって普段飲みつけない酒を一升も飲まされたんでは、トラになる前にアル中で溺死するのではといらぬ心配もする。

 

最近もあったが、大学の新人歓迎コンパで一気飲み、トラになったり急性アル中で救急車という事故が続く。こっちはトラになる前にオダブツになってしまったりするから怖い。

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」というが、一気飲みでトラや仏になったのでは皮を留めるどころか、名を残すにも新聞紙上に汚名を残すことにもなりかねまい。

百薬の長と称される酒だ。やはり楽しく飲むべきかと思う。

 

 

プロゴルフ界のジョン・デーリーがアルコール依存症でマスターズを欠場した話は知られているが、酒にまつわる失敗やイタズラの思い出を。

 

その一。ある男もう酒はやめたという。身体でも悪いのかと聞くと「この前、相当酔っただろう。車から降りて家の前で転んだら、丁度水たまりがあって耳に水が入った。俺はてっきり川に落ちて首までつかったと思ったんだね。『おぼれる!助けてくれ!』と相当大声で叫んだらしい。家内や子供、近所の人も何事かと集まる。ところが当人はただ道路に寝転がってたすけてくれとさけぶだけで他人には何事が起きたのかわからない有様。それ以来家内は怒るし、子供は恥ずかしくて外も歩けないと口を利いてくれん。参ったよ。」

溺れまいと必死だったろう本人の慌てぶりを思うと今も、、、。この男、その後酒をやめたという話はない。

 

その二.酒は好きだが、めっぽう弱いのがいて、宴たけなわになると眠りだし何度起こしてもすぐコックリ。悪い仲間の一人が料理の下に敷いてあった赤いセロファン紙を彼の眼鏡に貼って、「オイ、火事だ!」酔眼もうろうの彼氏、目の前は真っ赤だ。ワッと叫ぶと座椅子で部屋の障子、廊下の窓ガラスを破って飛び出してしまった。後始末が大変。宴会は中止、戸障子は弁償させられと大散財。本人に怪我がなかったのは幸いだったが。イタズラも度を越すとというお話。

 

その三。自分のこと。むかし相当いかがわしい酒場があった。いわく花嫁学校、看護婦学校。前者はレースのカーテン地ででもつくったような白無垢姿で全身透けて見える。後者は腰までしかない白衣で看護?してくれる。二次会か三次会でそこに行った。

翌日係りが割り勘を集めに来て

「われわれ三千円、課長は六千円」

「何でだ、俺はジュースいっぱいだぞ」

「ああいうところはジュースが一番高い、それと課で一番助平なのは課長と決まったからです。」

「バカ言うな。行こう行こうと言ったのはお前だろ、お前が一番だ」

「我々は酔った勢いで行くけど、課長はしらふで女性の肩を抱いていた」。

 

人生のたそがれに来て、過去を振り返るとき、酒が飲めずにずいぶん様々な面で損をしてきたと思っているがその中にはこんな損もある。

 

 

酒 2

酒の続き。

前回飲めないので損をしているといったが、断るまでもなく懐勘定のミミッチイ話ではなく付き合い上。

 外国では知らず、日本での酒が交際上相当の役割を持っている事実は否定できない。酒席に下戸が混じるとどうしても身構えてしまう部分が双方にある。飲めない人に気を遣い、一方は飲めぬことで引け目のようなものを感じて周囲に気を配る。となれば本音はなかなかでない。このためにより多くの友人を得る機会を失くしてきたと思われる。だから今になっても「飲めたらナー」と思う。

 

 ある男。酒好きの友人に酒を愛する気持ちを尋ねた。彼はすぐ一遍の詩で答えた。

 三杯大道に通じ

 一斗自然に合す

 但だ酒中に趣を得んのみ

(少し飲んでも悟った気分、もう少し飲めば天下国家は俺のもの、飲むのにいちいち理由なんて要るか、この気持ちお前たち醒者(下戸)には説明したって分かりっこないよ)

 

 世に酒を礼賛する詩文は数多いが、これ程酒好きの心を言い尽くした詩を他に知らぬ。

 演歌の題ではないが一人酒、別れ酒、悲しい酒など人それぞれに様々の思いがあり、それを酒に託しているのであろう。だがそのどれにも無縁、これがさびしくかつ残念なのだ。

♪酒ヨお前があればイイと歌っている気分がなんとも羨ましい。

 

 少し控えたらと言うとバカを言うな、神様が認めているんだ、何かあると酒を献じるだろう、神様の好きなものがなぜ悪い。バッカスという酒好きの神様だっているんだ。とは酒好きの友人の十八番だが、普段信仰心のかけらもないのに、こんなときだけ引き合いに出されたんでは神様も苦笑するしかあるまい。

 

 さて、酔いは人の隠れた一面が出るらしく普段温和な人が突然トラになったり、クドキ上戸、泣き上戸などに変身する。

 

下戸から申せば、折角飲んでも仕事の話、上司同僚の悪口、果ては泣き出すのを見たりすると、ワザワザ高い金を払ってまで泣くことあるまいにと思ったりもする。

だが、世の中で一番安い酒の肴は上役の悪口という言葉もあり、当人はそれで酒中の趣を得ているのであろう。所詮は下戸の踏み込めない境地であり、飲むのに理屈はないのだろう。

 

 

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