平成11.4.12月 新作
大凶収集紀行へ '99 その1 平成11年1月2日(土)
ひかわ じんじゃ
氷川神社
埼玉県大宮市高鼻町

氷川神社初詣
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◆式内社、旧官幣大社(現、別表神社) ◆祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

 【大凶収集紀行】も1年経って2度目の初詣です。 去年ここでおみくじを引いた時は 「大凶のおみくじを引き当てる」ことがメインテーマで、 他におみくじのデザインや観光的な神社仏閣ガイドを考えていたのですが、「'98年その4」の 鹿島神宮以来、 全く違う方針になってしまいました。
 ここ氷川神社も、単に『延喜式』 明神大社で、武蔵国一の宮と言うだけでなく、 武蔵国が出雲系一族によって開拓された古代史に結びつく重要な意味を持ちます。 さらに、神社伝承が記紀史学の不合理を指摘する史料になることや、 記紀以前の信仰であるアラハバキ神なども、この神社の由来調べで知りました。
 さて、前回紹介したように、現在の祭神は須佐之男命稲田姫命大己貴命の三神です。しかし、『延喜式』によると大宮の氷川神社は、 「武蔵国四十四座の内一座」と明記され、三神を祀ってはいない事になります。また、 この祭神について『新編武蔵風土記稿』(文化11年、1828)には、
社記を閲するに、当社は孝昭帝の御宇、 勅願として出雲氷の川上に鎮座せる杵築大社をうつし祀りし故、氷川神社の神号を賜われり
とありますが、杵築大社は「氷の川」とされる斐伊川ではなく神門 (かんど)川の河口にあり、川も違えば川上でもないという食い違いがあります。 さらに、杵築大社が祀られたのは記紀が撰上された年代(712〜720)以降で、 孝昭天皇三年(前473)とされる創建年代も食い違う事になります。
 『新編武蔵風土記稿』によると、文化年間の氷川神社は、 本宮(簸王子社、または火王子社)・男体社・女体社に分かれていて、 「簸王子社は三の鳥居を入って正面にあり、 当社は神主角井監物が司どる。祭神はオオナムチで、一説にはカグツチというが、 出雲国ヒノ川上に鎮座する杵築社を分霊して、氷川明神の号を勅許されたと伝えるのだから、 おそらくオオナムチが祭神であろう。
 男体社は御手洗(池)の橋を渡って左にあり、当社は神主岩井伊予が司どる。 祭神はスサノオで、これにイザナギ、ヤマトタケル、オオナムチの三神を相殿に祀る。
 女体社は男体社の東にあって、神主角井駿河が司どる。祭神はイナダ姫で、 相殿にアマテラス、イザナミ、ミホツ姫、オトタチバナ姫を祀る

と記されています。これでは、本宮の簸王子社が主で、奥宮に男体社・女体社がある形です。 現在の氷川神社とは、かなり様子が違っています。必然的に、三神主家の本家争いもあり、 元禄12年(1699)には公訴となり、寺社奉行の沙汰で三社同格とされたそうです。
 現在、氷川神社には本殿の東傍に門客人社がありますが、かつては 荒波々幾社と呼ばれていた事が文献にも残されており、創建当時の祭神に関して、 非常に意味のある記録となっています。さらに詳しく調べる必要があるでしょう。

おみくじは、お金を入れて、箱の中から籤を一本取り出す方式でした(百円)
… おみくじページ 工事中 お待ち下さい。

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