|
◆孝昭3年(前473)創建◆式内社、旧官幣大社(現、別表神社) ◆祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命 埼玉県大宮市の「大宮」の地名は、「大いなる宮居」から生じたといわれます。 地名の元となった古社は、もちろんこの氷川神社です。 氷川神社は、創建の時代がはっきりしませんが、社伝によれば第五代 孝昭天皇3年(紀元前473)で、勅願により出雲国の杵築大社 (きずきのおおやしろ)(出雲大社)を遷(うつ) し祀(まつ)り、氷川神社の神号を賜わったとされます。 「氷川」は、出雲国の肥河(簸川、現、島根県仁多郡の斐伊川)に因むといわれています。 一説には、現在の神社の神池は、江戸時代に干拓された見沼(御沼、神沼)の入江で、 水源となる泉が湧き冬には結氷したことからくるとも伝わります。 大宮・浦和・川口にまたがる広大な見沼に対する信仰も、神社の由来に関わるはずです。 歴史上の記録では、その後、武蔵国造(くにのみやつこ) に任じられた出雲系の豪族武蔵氏に奉られ、一族の勢力伸張とともに、 武蔵国を中心に各地に勧請され、 広大な祭祀(さいし)圏を形成して来たとされます。 『神社辞典』等によると、氷川神社と称する神社は、埼玉県に162社、東京都に59社あります。 また、神奈川県川崎市・相模原市に各1社、北海道・千葉県に各1社、 茨城県・栃木県に各2社あります。 『延喜式』では、官幣の明神大社に列し、 武蔵国の一の宮です。 祭神は、 須佐之男命(すさのおのみこと)・ 稲田姫命(いなだひめのみこと)・ 大己貴命(おおなむちのみこと) の三柱ですが、東南に4km離れた浦和市三室に鎮座する、稲田姫を祀った氷川女体神社 に対し、「男体大宮」と呼ばれたことから、 もとは、須佐之男命一座を祀ったとも考えられています。 我が家が大宮に越したのは、昭和63(1988)年12月18日で、以来、年越しで出かけない限り、 初詣はこの氷川神社に来ています。地元の神社という身勝手な親近感で、 神社の由来なども知らず、ただ漫然とお参りしていただけでしたが、 この『大凶収集紀行』をきっかけに、いろいろ調べてみようと思います。
|