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◆大同4年(809)創建
◆祭神:一言主神(事代主神、恵比須神) 千葉県野田市から利根川にかかる芽吹大橋を渡ると茨城県岩井市です。 岩井市には茨城県自然博物館があり、 近くの菅生沼を境に反対側の水海道市に鎮座するのが一言主神社です。 拝殿の屋根の造りが変わっていてモダンな印象を受けました。 祭神の一言主神(ひとことぬしのかみ)は『記紀』では 事代主神(ことしろぬしのかみ)と記され、 大国主神(おおくにぬしのかみ)の長子とされます。 国譲りの神話で国土を差し出すようせまられた大国主神は事代主神に返答を委ね、 事代主神は「畏まりました。この国は天つ神の御子に奉りましょう。」と快諾し、 乗ってきた船を青葉の柴垣に変えて隠れてしまいます。 わかりにくい話なのですが、古代の言霊信仰に関係があり、 託宣の神、言行一致の神としての性格を表しているようです。由来書にも、 「つまり此の神様は何事もよく道理をわきまえ、 良い事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難)につけ、良く聞き分けて 人々の幸福のために直ちに御利益を授け、一言の願い事でも無駄に過ごさず、 祈願すべきであるとのことです。」 とあります。また、御父神大国主神が「大黒さま」とされるように、 事代主神は「恵比須さま」とされます。 これは、事代主が釣りが好きな神様である事に由来するようです。 ところで、この神社は三竹山との山号が付いていますが、創建に関して、 「第五十一代平城天皇の御代。大同四年(西暦八〇九年) 陰暦十一月十三日、今の社殿のある辺に奇しき光現れて数夜の後に忽然と雪中に筍が生じ、 三岐の竹となりました。 余りに不思議に怪しいので、 村人が御祓いをし湯立の行事をいたしますと、「吾は大和国葛城山(今の奈良県金剛山) の東、高宮の岡に居る一言主大神なり、今東国の万民の災禍を救わんが為に来れるなり、 則ち此の三岐の竹を以て永く契りとせよ」云々と託宣せられました。」 と言い伝えがあり、実際に三岐の竹が展示されています(が、見損ねていまいました)。 境内に妙に車が多く停まっていると思ったら、ほとんどがお祓い待ちの様子で、 地元ではかなり厚い信仰があるようです。御札や御守りに混じって、「一言主」 の銘柄の御神酒もあったので、純米酒・生酒・生貯蔵酒の3本セットを購入しました。
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