☆ 星くずの”たわごと” 04 ☆   更新日: 2016年12月26日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                                  
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☆ 2016年12月26日 : DNA二重らせん構造と遺伝暗号情報

 二重らせん構造のDNAと遺伝の仕組み、それに遺伝子ビジネスの最前線をちょっと垣間見てみたいと思い、ジェームス・D・ワトソンの「DNA 上・下]という著書を読みました(再読です)。

 ご存知の方も多いかと思いますが、生物の遺伝情報を保持するDNA(デオキシリボ核酸)は2本の分子鎖からなる二重らせん構造をもち、その2本の鎖の間をアデニン、チミン、グアニンおよびシトシンの4種類の塩基が鎖に沿って並んだ構造をしています。この構造は、1953年2月28日、フランシス・クリックと著者ジェームズ・D・ワトソンによって発見されました。
水彩画作品18: 橋の風景(模写) 水彩画作品19: 果物

 本書は、DNA構造の発見者本人が、相方のフランシス・クリックといっしょにどうやってDNA構造を発見したのかを語ってくれます。そして、その発見以降、多くの生物学者らによって大変なスピードで遺伝暗号情報が解き明かされていく様子を、ドラマを見るように語っています。生物は、先ほどの4種類の塩基(アデニン、チミン、グアニンおよびシトシン)の並び順を読み取りながら、生命に必要なたんぱく質を生成していることが明らかになったのです。驚くべき生命の仕組みを人間が発見してしまったようです。まさに、人間は著者が言うように”パンドラの箱”を開けてしまいました。

 二重らせん構造の発見とDNA配列の解明以来、生物学はバイオテクノロジー、遺伝子組み換え技術、ヒトゲノム(遺伝子情報全体)の解明などと発展しましたが、他方では医薬関連ビジネスが金儲けの手段として遺伝子情報の解明に手を出し、特許獲得競争を繰り広げ、反社会的?とも思われる行為を行うなど、社会的にも大きな問題を生じました。当時の遺伝子関連のリーダーでもあった著者は、これらの事も広範囲に取り上げて語るとともに、その問題点を指摘しています(私には、自分の立場を正当化しているように聞こえるところも多々あるように思いましたが)。新書版で700ページほどの大著ですが、内容が豊富で比較的わかりやすいので、大変読みがいがありました。ぜひ皆さんもとトライしてみてください。

 本年はこれでクロージングとします。私は今年は大混乱の年だったと振り返っていますが、読者の皆様はいかがでしたでしょうか。来年は良いお年を迎えられることを心より祈念しています。来年またお目にかかれることをお待ちしています。


☆ 2016年12月12日 : 冷えてきました

 12月になって急に冷えてきたように感じます。朝はマイナス8度くらいになりました。

 11日(日)、今年最後のオサカベ・ホームコンサートがありました。演奏は内容は、ソプラノ独唱(笠井麻里子)、テノール独唱(小田隆之)、ピアノ独奏(岩谷礼子)それにヴァイオリン独奏(梶川空飛亜)でした。最後にみんなでクリスマスソングを歌いました。とても楽しかったです。刑部さんは、来年9月の200回記念コンサートまでは絶対にがんばりますと決意を語られていました。私も実行委員の一員にさせてもらいました。

素敵なリースができました 水彩画作品17: 清瀬市街地


☆ 2016年12月05日 : 小田原、箱根ドライブ

 小田原、箱根を旅してきました。泊まった安ホテルにも外国人旅行客(東洋系も西洋系も)がおり、びっくり。登山電車や箱根ケーブルにも多くの外国人旅行者がおり、観光地は激変ですね。平日というのに、大涌谷や強羅は大変にぎわっていました。日本人は感謝しなくては!

 11月30日(水)、とうとう陶芸クラブが解散となりました。あの2名の女性のためにつぶされたようなものです。解散になっても、クラブのお金を返せ、返さないとまだ揉めているようです。来年度には、新たな陶芸活動でも始まるのですかね??

箱根登山電車(塔ノ沢駅) 大涌谷(箱根ケーブルから)


☆ 2016年11月25日 : 想定外の大雪で慌てました

 まだ11月というのに、24日(木)、関東地方は大雪でした。山中湖も大雪が降り、翌朝方の気温がマイナス10度くらいまで下がったったということで、水道が心配になり、25日(金)の朝急遽山中湖へ出かけました。

想定外の大雪(旭日丘) 積雪25cmでした 塩原の紅葉(きれいでした)

 例年なら12月初めに水抜きを行うので、当然今年はまだやっていませんでした。ところが、大雪と氷点下の温度では、水道管の破裂が心配で、いてもたってもいられなかったということです。10時ころ山中湖に到着。家の前の道路は除雪されており、車の通行は問題ありませんでした。しかし、積雪は約25cmくらいあり、先ずは駐車場の除雪から始めました。そして、水が出るかどうか確認したところ、案の定屋外の水道栓と風呂の蛇口とシャワーが凍結していました。しかし、凍結はそれほどでもなく、しばらくすると水が導通しはじめ、正常になり、ほっとしました。急いで来て良かったー!!昼過ぎには、水抜きをして、山中湖を後にしました。終わり!


☆ 2016年11月21日 : とうとう日中にタヌキ君を見つけました

 20(日)3時ころ、東京へ戻るために富士急のごみ集積場に行ったところ、道路の近くでタヌキ君を見つけました。車から降りてもまったく動ぜず?、じっとしていました。慌ててカメラを取り出し、カメラを向けましたが、しばらくはじっとしたままでした。体が悪いのかとも思ったのですが、更に近づくとようやくこそこそと奥のほうへ歩いて行きました。確か、タヌキは夜行性と聞いていたのですが、山中湖で日中見かけるとはびっくりです。今度はクマ君にも会えるかも???
 


水彩画作品16: パイネ(パタゴニア) タヌキ君を見つけた!!


☆ 2016年11月07日 : カツラの木(&伊藤浩美さんの「足元の小宇宙」放映(NHK)予告)

匂いを放つカツラの紅葉 紅葉まつり(旭日丘) 山中湖村文化祭(陶芸の部) 陶芸作品(家内の作品)

 我が家のカツラの木がとてもきれいに紅葉しました。写真は曇り空とカメラのせい?であまりきれいに見えませんが・・・。そのカツラの木から、初めてかすかな”カラメル”に似た匂いがしました。実は、青木ヶ原樹海の”ブナの林”の中にカツラの大木があるのですが、秋にその木の下を通ったとき、その甘い”カラメル”のような匂いがして、とても感動したことを覚えています。そのカツラの大木には、大昔に山麓探偵団の伊藤浩美映像カメラマン(山中湖村在住)に初めて連れて行ってもらった場所で、それから何度か訪れています。その頃は感動の連続で、楽しかったですね。ちょっと話がずれますが、11月23日(水)のNHK総合チャンネルで、伊藤さんの作品「足元の小宇宙」が放映されるそうです。ぜひご覧になってください。

 5日(土)は、野口さんの今年最後のネイチャーのお話があり、聞いてきました。また、山中湖村の文化祭が開かれており、蒼生クラブ最後の?陶芸作品展示も鑑賞してきました。家内の作品展示もこれが最後なので、記念に写真を撮ってきました。たった一人(+α)のために・・・とても残念ですね!


☆ 2016年10月31日 : 登山の思い出

 最近はめっきり体力が衰え、体調がかんばしくなく、登山ができなくなりました。ということで、山岳観光ツアーに参加したり、ロープウェイで上がって付近を散策したりしています。もちろん、いまひとつ気持ちが充実することがありません。それでも、以前に登った山を見て、昔の若かったころを振り返って懐かしんでいる始末です。情けなくなってきました。

 2006年8月、扇沢から針ノ木岳、爺が岳、扇沢へと2泊3日の縦走をしました。針ノ木大雪渓の登りが圧巻でした。ところが、2日目の針ノ木岳で右足がおかしくなり(原因不明)、足を引きずりながら爺が岳まで7、8時間の縦走を強いられました。今考えてみると、よく脚を引きずって歩いたものだと感心しています。不思議なことに、翌日は足が回復しました。
黒部ダムと黒部湖 針ノ木岳と黒部湖 黒部峡谷(欅平)

 2002年9月、白馬三山を歩きました。やはり白馬の大雪渓が圧巻でした。稜線に出ると、立山と剣岳の巨大な山体に圧倒されたことも覚えています。このとき、必ず剣に登るぞと決意しました。ところが、ここでもトラブルを起こしてしまいました。
北八ヶ岳(北横岳) 南八ヶ岳山麓(唐沢温泉源泉) 白馬三山(鑓、杓子、白馬)

 2日目、白馬岳から杓子、鑓が岳までの縦走は快適でかつ順調だったのですが、さあこれから不帰のキレットを通って唐松岳まで行こうとしたところ、軽い腰痛が発生しました。腰を曲げると痛いのですが、まっすぐ腰を伸ばしていれば、ザックを担いで歩くことはできました。しかし、不帰のキレットを通るのはリスクが大きいと判断し、鑓が岳から鑓沢を下ることにしました。これも約6時間と大変な行程で、登山口(猿倉)付近に着いたころは真っ暗でした。更に麓の駐車場まで約2時間の徒歩です。ところが、ちょうど我々と同じく鑓沢を下っていた二人の男性がおり、駐車場まで彼らの車に乗せてくれました。いやー、救われました。危ないところでした。


☆ 2016年10月27日 : 陶芸活動の思い出(4)

 ”10月18日”は、不愉快な”記念日??”です。そうです、B会員とC会員が集会と慰労会の場を乗っ取り、集会をめちゃくちゃにした日です(”婦女暴行事件?”も発生)。それにしても、あれから1年もたったのですね。今でも思い出すたびに怒りがこみ上げ、憂鬱な気分となってしまいます。それでは、最後の”陶芸活動の思い出”を記します。

 今年の2016年4月初めにクラブの定例総会が開かれました。私は退会するつもりでいたので当然出席しませんでした。総会の”議事録”を見るると、C会員が外向けの、すなわち村の文化協会の”部長”?となり、E会員が内向きの実質的なクラブ運営を行う”部長”になることが決まったと書かれていました。私は、このような体制ではうまくクラブを運営することはできないと思いました。そうこうするうちに、E会員から「C会員を退会させたいので協力をしてほしい」といった話が持ち込まれました。私はすでに退会を申し出ているし、また旧部長と旧副部長(私はこの二人も、”事件”の責任をとって退会してもらう必要があると考えていました)も絡んでいるということなので、最終的にはその要請は断りました。  
2015年度陶芸作品

 その後、予想通りクラブ運営は混乱を極めたようです。そして、会員有志が話し合い、C会員を退会させるための”臨時総会?”を開くことになりました。5月の下旬に”臨時総会?”が開かれ、総会の場で多くの会員の賛成で、現在の二人部長体制を白紙に戻し、新たにE会員を部長とすること、およびC会員の退会勧告を行うことが決議されました。本来はこの集会はクーデターのようなものかと思いますが、2、3の会員を除いた会員の総意であるので、これもやむを得ないのではないかと思います。この「臨時総会議事録」と「退会勧告状」を掲載します。
  => Link: 「臨時総会議事録」と「退会勧告状」 Page704_3

 この決議を踏まえて、”新しいクラブ”は、新役員を選任し、新しい会則、会計ルールを設定すべく、臨時総会を開くことになりました。ここでも、E会員から私に「役員になって力を貸してほしい」という要請がありました。しかし、”新しいクラブ”でも事件の関連者ではないかと想定される旧部長と旧副部長が残存しており、また私は既に退会を申し出てもいるので、一度は辞退したのですが、最終的にはE会員に協力するのが信義?かと考え、協力することにしました。そして、直ちに新役員候補を決め、新しい規約や会計ルールを起草するとともに、会員に6月中旬に第2回臨時総会を開催する旨の案内(兼議案書)を出しました。ところが、ところが、土壇場になって、村の文化協会(と教育委員会)からの仲裁が入り、臨時総会開催が頓挫してしまいました。と言うことで、私は”はい、さようなら”となりました。ここからが、2016年6月13日、20日付けの記事”たわごと:「陶芸クラブ敗退!”につながっていきます。
2015年度陶芸作品(家内の作品)

 現在に至るも、今回の”焼成窯破損事件”の真相(前年の役員への疑いも含めて)はわかりませんし、このままうやむやになってしまうのでしょう。私には、”なんで私が陶芸クラブをやめなければならないのか?”といった気持ちがないとは言えませんが、今は「まあ、これで私なりにけじめをつけてすっきりしたな」といった思いのほうが強いです。それにしても、会員数30名弱の親睦団体に過ぎない陶芸クラブが、たった1名(+α)の会員によってめちゃくちゃにされ、解散にまで追い込まれようとするなど、言語道断です。C会員と夫D氏は、私だけではなく、E会員に対しても脅迫的文書を送り付け、法的手段などをちらつかせています。なぜ会員でもない夫がクラブ内の事にちょっかいを出すのでしょうか。信じられませんね。この1年ほど、様々な人間模様を見たり、聞いたりして、こんなにも人間とはすごくもあり、面白くもあり、醜くもあるものだと、つくづく思い知りました。

 私には、もはや”陶芸活動”を続けたいという気持ちは全くありません。”もう付き合ってはいられない”、”早く忘れて、静かに?余生を過ごしたい”といった気持ちです。以上で、「陶芸活動の思い出」を終わります。ご精読?ありがとうございました。


☆ 2016年10月24日 : 陶芸活動の思い出(3)

2015年度
文化祭展示作品

(出展拒否のためなし)
 10月3日付けの”思い出(2)の続きです。前回は、ボランティア祭りの後に開かれた慰労会兼会員集会において、B会員とC会員の二人がその場を乗っ取り、焼成炉のそもそもの破損当事者であるA会員の釈明の場とし、さらには会計担当でもあるC会員が部長の”不正伝票処理?”を会員の前で追及するなどして、集会の場をめちゃくちゃにしたことを話しました。また役員も会員もそんな会の混乱はいつも通りのこととでも考えたのか、その後特に問題にされることがなかったことも話しました。

 私は、これらの事態に抗議するため、家内とともに11月初めの文化祭に作品を出展することを取りやめました。これに対し、B会員や他の一部会員から、「作品提出はクラブ会員の義務であり、問題のある行動である」といった非難があったようです。でも、それは非難の向け先が違うのではないかと思いました。なぜ出展拒否したのか、真の原因を見極めることこそが大切なはずです。
  
 その後の経過も大変複雑で、それをきちんと第三者の方に伝えることは紙面が許さないし、私の”思い出”の目的でもありませんので、以下に主な出来事を簡単に箇条書きにまとめることにします(時系列的でもありません)。

1)役員会は、”焼成炉破損事件”の直接当事者であるA会員に対して、活動の一部停止という”処分”を行い、その後訳のわからない理由で処分解除を行った。

2)役員会は、A会員以外の”焼成炉破損事件”関係者3名に対し、訳の分からない理由(一部は事実誤認もある)で退会処分を行った(3名からは異議申し立てが役員会に提出されたが、どう扱われたかは不明である)。

3)E会員と私は、1)、2)の役員の会員4名に対する処分とは別に、”役員が事件関係者4名に対して”退会勧告”を行うよう要請する”文書を作成し、会員の多くに賛同を求めたうえ、役員に当該文書を提出した。

4)11月29日、蒼生クラブの臨時総会が開催され、役員は、事件関係者4名のうちA会員を除く3名は退会処分が確定したと報告した。また、A会員については、会員からの先の”退会勧告”を行うようにという要請に基づいて退会勧告することが決まった(後日談:A会員は來村しなくなり、実質的に退会となった)。

5)臨時総会の場で、私は役員に対し以下の会計処理に関する文書を提出し、回答を求めた。
   「2014年度収支報告書と2015年度会計処理に関する質問」
 この質問の中には、役員によって2014年度の収支報告書が意図的に?改ざんされ、総会においてその改ざんした内容の収支報告を行ったことに関する件や、先にも述べた部長による”不正伝票処理”追及の顛末についてなど、重要なことがたくさんあったが、回答要請は無視された。会員も会計処理についてはあまり興味がないようで、ちょっと残念だった。

 2015年の11月末の臨時総会でクラブ活動は休眠状態になりました(冬季は陶芸制作ができなくなります)。私は、事件関係者4名が訳の分からない理由で自発的に?退会してしまったのが何となく心に引っかかりますが、4名がクラブに来なくなった(来ることができなくなった?)ので、4名の件は結果的には終わりということになりました。しかし、私は今回の事件のそもそもの原因は役員にもあるのではないかと考えており、クラブはそれを明らかにすべきと考えました。E会員とも役員の責任追及を議論しましたが、役員追及するには私の力量が不足していました。それで、私は今後この役員のもとで陶芸活動を続けることは不本意と考え、退会することを決意したというわけです。


☆ 2016年10月17日 : 久しぶりの好天の週末

 今週末の15日(土)、16日(日)は快晴の秋晴れに恵まれました。本当に久しぶりの好天気で、富士山が大きく見えました。冠雪はほぼ消えていました。友人夫妻が訪れたので、河口湖のドライブをしました。青空と太陽は良いですね。

 15日(土)の夜は、オサカベホームコンサートに参加しました。演奏は、大高寛(トロンボーン)と杉村影(トランペット)の共演でした。バックがないのでカラオケを流しての演奏で、それも演歌が多くて少し興ざめでしたが、演奏そのものは素晴らしく、金管楽器のテクニックを十分に楽しむことができました。刑部夫妻は来年の9月の200回記念コンサート(富士山ホール)まで頑張ると仰っていました。がんばれ!ガンバレ!

 16日(日)は、早めに山中湖を立ち、雁坂峠を通って、秩父経由で東京へ戻りました。まだ紅葉には少し早かったです。青空をバックにした甲武信岳の山容をばっちり見ることができ、感動しました。

 
水彩画作品14:ツバキ(模写) 水彩画作品15:野菜、果物


☆ 2016年10月10日 : 不思議で不思議で悩ましいです

 ”あおいおばさん”ブランドのヤマブドウジャムとジュースが出来ました。私は糖質制限中のため多くは食べられないのがとても残念!

 サブタイトルにも追加しましたが、ある雑誌によると、原子を拡大して、1mの球を原子核とみなして東京駅に置いたとすると、電子は約100km先の銚子や宇都宮あたりを周回運動しているイメージになるそうです(なお、電子は質量をもちますが、大きさはありません)。したがって、ミクロな素粒子レベルで見ると(原子核は素粒子ではありませんが)、原子はすかすかの空間からなっており、したがって原子からできている人間の体や物質は、すかすかの空間で満たされているということができます。こんな原子の集合体に過ぎない形成物がどうやって生命活動をするのか不思議で不思議で、頭を悩ましています? 
キバナコスモス(東京立川の公園) あおいおばさんのやまぶどうじゃむ


☆ 2016年10月03日 : 陶芸活動の思い出(2)

 陶芸クラブはいまだに内紛が収まっていないどころか、また火が吹き始めたようです。ある二人の会員が約束を破るので、蒼生クラブを解散するとか、二人の会員を退会させ蒼生クラブの存続をはかるとかいった”うわさ”が聞こえてきます。まあその話は置いておき、9月6日付けの「陶芸活動の思い出(1)」の続きを書いてみたいと思います。

 2015年8月16日の電気炉の破損事件については、役員や一部の人がいろいろと調査をしたようですが、4人の会員がカラー粘土の持ち込みに関係しているのではないかということがわかっただけで、真相はわかりませんでした。更には、”事故”に役員も間接的な関係があるのではないかといった”疑惑”まで生じ、”事件性”もあるように思えてきました。その間、役員はクラブの運営・管理をきちんと行なわず、右往左往しているように思えました。多くの会員は事故の顛末はどうなっているかがよくわからず、会員間に不信感が募り、それがストレスとなり、また何とも気まずい雰囲気が会員同士の間に漂っていたように思いました。  
2013年度文化祭出展
 それで、私は少しでも「事件」の状況を知らせるために、以下のような2、3のレポートを作成し、会長や会員に経緯や問題点などを知らせるように努めましたが、役員からの反応はまったくありませんでした。
 1.09月15日(火): 「焼成窯破損事件等に関する論点整理」
 2.10月09日(金): 「焼成窯破損事件に関する臨時総会の要請」、「経緯1」、「確認事項1」
 3.10月20日(火): 「焼成窯破損事件に関する臨時総会の要請(2)」、「経緯2」、「確認事項2」

 ところが、10月18日(日)、私にとって決定的な”事件”が起きました。18日は山中湖村のボランティア祭りがあり、終了後の3時に蒼生庵で慰労会が開催されました(はずでした)。慰労会の前に、副会長が進行役となって今回の事件の報告などがあるのかと思っていました。ところが集会が始まろうとしたとき、役員でもないB会員が役員の了解もなく突然立ち上がって、勝手に事件に関する話を始め、さらに事件に関係しているW会員が近くに来ているので(事前に示し合わせていました)、W会員の釈明?を聞こうという提案がありました。W会員からいろんな話がありましたが、その中で役員の一部も関連しているような話もありました。
2014年度文化祭出展

 まあその内容はどうでもよいのですが、W会員の話が終わって、さあ慰労会かと思ったところ、今度は役員でもあるC会員が突然立ち上がり(これも先ほどのB会員と事前に示し合わせていたことです)、「部長に不正伝票の疑いがあるから説明したい」という話がありました。会員には不正の内容がよくわからないのですが、C会員は親切にも?テーブルについている各会員一人一人に不正内容の説明をすべくテーブルを回り始めました。もう集会はめちゃめちゃです。その間も役員(会長、副会長)は何らのアクションもとることをせず、ぼうぜんと事態を見ているだけでした。

 私は、役員でもあるC会員の行動は異常ではないかと思い、C会員が何人目かのある会員に説明しているとき、その間に入って「もうこの辺でやめてほしい」とC会員に伝えましたが、C会員は興奮しており、言うことを聞いてもらえませんでした。それで、私は間に入って手で会員の間を引き離しましたが、C会員はそれにもかかわらず説明を続行しようとしました。結局3度目の引き離しでようやくC会員はあきらめて?、不満を私にぶつけながら説明をやめました。もうそのあとは、慰労会どころではありません。なんだか自然解散のような結末となりました(そのころの会員集会はいつもこんな風でしたが)。それにしても、BおよびC会員の今回の行動は、クラブとしても許せない問題かと思いましたが、他の会員からはあまり不満はあがらなかったようです・・・(”部長の伝票不正”については正式な顛末報告もありません)

 話がこれで終わればそう問題はなかったのですが、10月26日C会員の夫D氏より配達証明付きの郵便が届きました。内容は私に対する”婦女暴行に対する謝罪と謝罪文の配布要求”(以下”謝罪要求文”と言います)でした。

  => Link: C会員夫D氏からの「謝罪要求文」 Page704_2

 もちろん私はこのような”謝罪要求”を想像しておらず、私にとっては青天の霹靂の出来事でした。というのも、私は夫D氏とは以前から面識もあり、そのような人から突然手紙で謝罪要求を受けたのでたいへん驚きました。C会員に手が触れたことは事実ですが、これはC会員が会員集会で異常な行動をとり、集会および慰労会をめちゃめちゃにしているのを中止させようとしたために偶発的に起きたことです。わいせつ的に女性の体に触れようとしたとか、手を振り上げて暴力的に足の悪い女性を倒そうとしたということは全くありませんし、多くの会員もそのようにはとらえていません。とりあえず、事実については、C会員が不愉快に思ったということなので、要求どおり謝罪をしましたが、とても不愉快な気持ちになり、現在でもトラウマのように思い出し、怒りが生じてしまいます(私ははずかしい行為をしたとは考えていないので、多くの会員に今回の出来事を知ってもらいたいと思い、”謝罪要求文”と”謝罪文”は集会参加者のみならず、会員ほぼ全員に郵送しましたので、会員の多くは今回の出来事を知っています)。

 なお、このような事態が生じても、部長(不正伝票を追及された当事者です)も副部長も役員であるC会員に抗議をすることもありませんでした。もちろん、会員からも一部の人を除いて抗議した人はいませんでした。何もなかったような雰囲気でした。ああ、何というクラブなのでしょう。・・・


☆ 2016年09月26日 : 再び、高橋和巳のこと

 25日(日)、雲の隙間からうっすらと雪化粧した富士山の頂が見えました。初冠雪とのことです。その富士山のふもと、梨ケ原を自然探索しました。思いもよらず?たくさんのヤマブドウが鈴なりになっているのを発見!さっそく山の恵みを頂きました。間もなく、”あおいおばさんのやまぶどうじゃむ”ができます。

 26日の朝日新聞を読んでいたところ、本HPでも取り上げた(4/26、5/31)高橋和巳の記事が文化・文芸欄に掲載されているのに目が留まりました。高橋和巳がマスコミに取り上げられるのはちょっと珍しいと思います。記事の内容は、現在社会に於ける意味合いが不明な解説(少なくとも私にとって)なのでコメントしませんが、プロフィールの一部を以下に転載してみます。
初冠雪の富士山(梨ケ原) 黒いダイヤ(ヤマブドウ)

 たかはし かずみ 1931年、大阪市生まれ。日雇い労働者の多い西成区で育つ。太平洋戦争の空襲で実家と零細工場を焼失。49年、京都大学文学部入学。62年に「悲の器」で文芸賞を受賞して人気作家となり、「邪宗門」は朝日ジャーナルに掲載された。専門の中国文学研究も続け、67年、京大助教授。全共闘運動のさなかに倒れ、71年死去。妻は作家の故・高橋たか子。

 小説はほかに「わが心は石にあらず」「日本の悪霊」「散華」 など。評論・エッセーに「孤立無援の思想」「わが解体」「人間にとって」など。かく語りき 「天国はなくていい。地獄もまた虚妄に過ぎない。地獄の門前にいて、その門より拒まれること、それは地獄でも天国でもない場所に人間の世界をつくるための絶好の条件であろう」(「失明の海藻から」)


☆ 2016年09月19日 : ハチ毒アナフィラキシー体験

 16日(金)の夜、雲が多かったのですが、雲間からきれいな月が見えました。

 先週の話ですが、夕方庭仕事をしていたところ、ハチに刺されました。見ていないのではっきりしませんが、アシナガバチかと思います。数年前にスズメバチに刺され、昨年はジバチ(クロスズメバチ)に刺されているので、3回目です。前の2回は、腕などがアレルギー症状で赤くなっただけで、たいしたことはなかったので(医者に行って、薬はもらいました)、今回も以前にもらった薬でも塗っておけば大丈夫かと思ってしまいました。ところが、刺されてから15分ほどすると、急に強いアレルギー反応が現れ、腕が赤くなり、かゆみが増し、熱が出たように頭が熱くなってきました。

中秋の名月(16.09.09) ガマズミの赤い実が鈴なりです

 これはやばいと思って、急遽車を運転して富士吉田の医院に駆け込みました。医院は診察の終了時間が少し過ぎていましたが、親切にも救急患者として診察してくれました。症状はさらに割りくなり、全身が赤くなり、かゆみも激しくなり、心臓の動悸も少し出てきていました(意識はしっかりとしていました)。完全にハチ刺されによる”アナフィラキーシー”症状であるといわれ、直ちに点滴注射をうつことになってしまいました。点滴のあとは、全身のアレルギー反応はほぼなくなり、すーっと楽になりました。今回は”アナフィラキーショック”まではいきませんでしたが、次回スズメまたはアシナガバチに刺されれば、ショック状態が現れ、運が悪ければ死んでしまうと医者から忠告されました。

 まあ、車にはねられて死ぬよりは、ハチに刺されて死ぬほうがベターかなとも思いますが、ハチが勝手に刺しに来るので、防ぎようがありません。ハチに好かれて困ったものです。


☆ 2016年09月12日 : 山本義隆 第4弾 「16世紀文化革命1、2」

 2月2日、5月10日、7月11日付けで、山本義隆の書籍を取り上げました。すなわち、「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー」と「重力と力学的世界」、それに「磁力と重力の発見1、2、3」です。今回は、力学的世界とは少し離れた話で、「16世紀文化革命」を取り上げます。本著も2巻合わせて合計727ページの大著で、読むには相当の労力が必要です

 西欧のルネサンスとは、14から、16世紀にイタリアから始まって全ヨーロッパに広がった文化運動の総称です。一般には、中世の束縛の世界から人間精神が解放された時代であり、ヨーロッパ近代精神の源であると言われています。私も高校の教科書でこの程度の知識しか得ておらず、具体的には、有名な絵画や彫像、それに建築くらいしか知りません。

 冒頭にも記しましたが、山本義孝は、本著書の前に「磁力と重力の発見」を著していますが、これはルネサンスの時代と重なっている話です。そこで、著者は、前著を書いている過程で、「1500年代ルネサンスと言われている時期の西洋に、「16世紀文化革命」ともいうべき知の世界の地殻変動があったのではないかということに思い当たり」、本著作に取り掛かり始めたとのことです。
水彩画作品13: フジアザミ

 本著は、美術史や文学史、思想史の観点から書かれたルネサンス関連の書物とは違い、科学や技術の目を通して書かれています。しかし、それは単なる科学史や技術史の書物とは大いに異なっています。著者は次のように述べています。 「16世紀はさまざまな側面で17世紀科学革命が準備された時期と言われている。そういう見方をすれば、その準備はそれまで文字文化から阻害されていた芸術家や職人たちによって担われていたといえよう。彼らの側からの著述と学問世界への越境は、それまでのラテン語を操るエリートによる知の独占を打破し、中世以来の伝統であった自由学科と機械的学科の分離・切断を克服し、純粋な知的作業とされていた理論的研究と手工的技術に帰されていた実験的研究の結合を促し、手仕事と機械的なるものにたいするポジティブな価値評価への転換を迫るものであった。」 「ポッカッチョやラファエッロをいだく14・15世紀のルネサンスとガリレオやニュートンに代表される17世紀科学革命の間の谷間のように見られている16世紀に、なるほどそのようなきらびやかな天才の名前には乏しいにしても、しかし17世紀を準備することになる知の世界の地殻変動すなわち「16世紀文化革命」が進行していたのである。」

 ということで?、本著は17世紀科学革命前の16世紀の時代の地殻変動とも言うべき科学・技術・文化などの動きを、とてもユニークな視点から掘り起こしていると言えます。これは、本著の目次を見れば明らかです。

 第1章 芸術家に始まる                    第6章 軍事革命と機械学・力学の勃興
 第2章 外科医の台頭と外科医の発展           第7章 天文学・地理学と研究の組織化
 第3章 解剖学・植物学の図像表現             第8章 16世紀後半のイングランド
 第4章 鉱山業・冶金業・試金法               第9章 16世紀ヨーロッパの言語革命
 第5章 商業数学と16世紀数学革命            第10章 16世紀文化革命と17世紀科学革命

 以上からわかるように、対象とする分野の幅がとても広く、また西洋人の名前や文献名などがたくさん出てきて関連付けに苦労したりしました。そして、いつものことながら、私は内容の理解が十分にできませんでした。でも科学・技術にご興味のある方はぜひご一読をお勧めします。


☆ 2016年09月06日 : 陶芸活動の思い出(1)


 私は、今年の6月13日付けの記事で、陶芸クラブの内紛の中で敗退し、退会に追い込まれたことを報告しましたが、陶芸クラブではいまだに内紛が収まっていないようです。内紛の直接のきっかけは、昨年2015年の8月に起きた陶芸窯損傷事故が発端ですが、それから1年が経過したので、私の陶芸活動の思い出を少しまとめてみようと思い立ちました。

 初めて陶芸活動が行われている山中湖村蒼生庵を訪れたのは、2011年の5月でした。特に陶芸活動をしたいということではなかったのですが、蒼生庵にぶらりと立ち寄ってみたところ、家内は前年に他所で陶芸制作を体験していたこともあってか、陶芸をやってみたいという気になりましたました(私自身はそれほど興味はありませんでしたが)。また、蒼生クラブの担当者から陶芸を教えるからやってみないかと強く?勧められたので、私は家内に付き合って家内と二人で村民体験教室に参加することにしました(別荘居住者も村民扱いとなります)。

  
2011年度文化祭出展
 月に2、3度、土曜、日曜日に陶芸制作を行いました。もちろん陶芸の初心者でしたので、クラブのFさんとHさんにいろいろと教えてもらいなました。そして、見よう見まねでたくさんの作品を作りました。出来栄えは褒められたものではありませんでしたが、制作過程が楽しく、それなりに自分の作品に自己満足したりしていました。その年の秋(10月)には、村のボランティア祭りに参加したり、また恥ずかしながら村の文化祭につたない作品を出展しました。そして、翌年の2012年5月には、Fさん、Hさんの強い勧めもあり、推薦をいただいて、蒼生クラブの正会員になりました。

 その後は、山歩きの合間を縫って、月に2、3度陶芸活動を行うようになりました(晴れた日は山歩きや庭仕事を行い、曇りや雨の日になると陶芸活動をするといったスタイルでした)。会員の皆さんと話したり、教わったり、あるいはデザインを盗み見たりし、結構陶芸活動を楽しむことができました。役員はやっていませんでしたが、2013年頃から少しクラブの内部事情も少しわかってきたので、パソコンなどの事務手続きなどを協力するようにもなりました。
2012年度文化祭出展

 ところが、ところが、昨年2015年の8月16日に思わぬ事故が発生しました。当初これがクラブの騒動になるとは思ってもいませんでした。事故は、A会員が制作した作品を本焼成したところ、作品が電気炉内で溶融し、炉の内壁や他の会員の作品を損傷したということです。作品の溶融による電気炉の損傷は初めてで大変な事ですが、まあ単なる”事故”に過ぎません。しかし、これが引き金となってクラブ内は騒然となっていったのです。・・・・

 事故の発生の後、役員が中心となって作品溶融の原因を調べた結果、クラブで許可していないカラー粘土を使って作品を制作し、本焼成したことが事故の直接の原因であるということがわかりました。しかし、そのカラー粘土を誰が持ち込み、使用を許可したのかがわかりませんでした。会員集会を開いて話し合いをしても究明はできず、会員相互間に疑心暗鬼が募るばかりでした。そして、9月12日の会員集会で、B会員から以下のようなレポートが提出されました。私もその会員集会に参加しており(会員集会の参加は初めてでした)、B会員の勇気あるレポート内容に賛同するとともに、何となく事故の全貌がわかってきました。そして、これを契機に私も今回の事故の原因に興味をもち、個人的にいろいろと考えるようになりました。

      => Link: 「B会員レポート」 Page704_1


☆ 2016年08月29日 : 朝日新聞記事「戦後の原点」

 朝日新聞の8月27日版に、「戦後の原点:突然の帝国解体、旧植民地と未精算の一因」という珍しい記事が掲載されていました。この記事は、オーストラリア国立大学の教授で、日本近代史研究者であるテッサ・モーリス=スズキとのインタビューです。朝日新聞にしてはやや大胆な内容の記事であり、また私が8月15日付けで書いた”たわごと”の内容と一部相通ずるものがあったので、以下に掲載します。

 キーワード ”日本と植民地支配” : 戦前の大日本帝国は軍事力を背景に領土や勢力圏を拡張。1895年には朝鮮半島を領土に組み入れた。第1次世界大戦(14〜18年)を機に南洋諸島を獲得。中国大陸は傀儡国家・満州国(32年〜)を樹立した。だが45年にポツダム宣言を受諾して敗戦(”終戦”ではありません!)。宣言は日本の主権範囲を本州と北海道、九州、四国などに限定しており、アジア・太平洋に広がった帝国(単に”日本”ではありません!)は解体された。

 「日本の敗戦は、朝鮮半島や台湾など広大な地域の人々を支配した「帝国」の終わりを意味した。その崩壊のありようは、今も日本の周辺国との関係に影を落としている」 「日本は戦争に敗北した瞬間、それまでに得た支配地域を手放さなければなりました。しかも、それは突然でした。大英帝国の場合、アジアやアフリカで独立運動も起き、植民地支配の終わりは少なくとも数十年をかけて進行するプロセスでした」 「日本は対照的です。敗戦と同時に突然帝国が終わったことは、旧植民地との間に今日まで未精算の問題が残る一因になりました。日本では悲惨な敗戦体験もあり、責任意識より被害者意識のほうが支配的になりました。市民レベルでの旧植民地とのつながりが突然断ち切られたことも、双方の歴史認識の隔たりを広げた。日本政府は清算に積極的に取り組まなかったが、冷戦構造にすぐ組み込まれたせいで台湾や韓国の人々が日本を強く批判できなくなった事情もある」 
吉田の火祭り

 大日本帝国は、「明治以降に台湾や朝鮮、南洋諸島、中国大陸などに勢力を広げていった。少しずつ近隣地域に拡大した帝国で、大英帝国が遠く世界に広がったのとは対照的でした」 「支配の仕方で見ると、大英帝国の場合は人種差別に根差していました。被支配者は”肌の色の違う人”だから同等の権利を与える必要はない、と考えた」 「帝国と植民地支配の歴史の研究を続けているのは、今を知るためです。大英帝国が中東を支配した歴史を知らなければ、今なぜ中東地域が不安定なのかは理解できません。同じように大日本帝国の実態を見なければ、南北朝鮮や中国・台湾の問題もわからない」

 「帝国日本では、朝鮮出身の人々を見下す言葉が使われ、日本国家への忠誠心に疑問があるとして集団ごと排除する傾向もみられる。今の日本社会のヘイトスピーチの問題などを見ていると、あの当時と変わらないと思います。心の中の植民地主義です。こうした差別の構造はどこかで意識的に克服しない限り、後の世代に引き継がれます」

 以上ですが、内容はごく当たり前のことにすぎません。しかし、現在の日本ではこの程度の当たり前のことも発言するのも憚られる雰囲気が蔓延しているように思えます。朝日新聞も、このような記事を一面に掲載し、”日本帝国の歴史”キャンペーンでもやってくれたらと思うのですが(2面の単発記事では、ほとんどの若者は目にすることもないでしょう)、やはりブルジョア新聞に望むことは無理無理ですね。・・・・


☆ 2016年08月21日 : アリさんとの闘い

 8月20日(土)、富士山ボランティアセンター主催の「富士山エコトレッキング」というものに参加してきました。”エコ”がついたものは何となくマユツバ物?という感じがするのですが、このトレックは富士山の奥庭と五合目、お中道を歩きながらごみを拾うというイベントです。無料で富士山五合目まで行けるというので手を挙げた次第です。ところが当日は朝から雨で、奥庭を散策しただけで、ごみ拾いはできませんでした。残念!残念!それにしても、五合目は、大雨にもかかわらず中国人をはじめとする外国人の登山客?で大賑わいでした。すごいですね。(P.S.3時過ぎに河口湖へ下りたのですが、何と皮肉なことに富士山が頂上までよく見えていました・・・・)。

 今年もシカ君に作物を荒らされて憤慨しているのですが、今年は更にアリさんの大繁殖にもおおいに悩まされています。
初代門柱(2005.07) 第2代門柱(2016.08)

 10年前に庭に敷いた太い枕木や踏み板の下にたくさんのアリさんが巣を作り、板を虫食い状態にしています。あちらを駆除すれば、翌週にはこちららで巣作りし、追いかけごっこのようです。さらには、10年前に建てた立派なミズキの門柱に、アリさんが巣を作り、中身を食べ、門柱の中がスカスカになってしまいました。やむをえず、東京から持ってきたクヌギの大木で門柱を再建しました。太さは以前と変わらないのですが(直径35cmくらい)、縦に半分にカットしてあり、また長さが短くなっているので、初代の門柱と比べてやや見劣りがしています。2代目には頑張ってもらいたいですね。


☆ 2016年08月15日 : 庭にフジアザミの群落?出現


 8月になると、日本のマスコミは原爆、水爆による悲惨な被害と第2次世界大戦での「敗北」(世の中では「終戦」というようですが)についての論説、報道などでにぎやかになってきます。でも、私には日本中の戦争に関する論調が大きくずれているように思えてなりません。

 というのも、世の中の論調は、ほとんどが「先の大戦?によって日本人は沖縄戦や大空襲、原爆などの大きな被害をこうむったので、二度と戦争をしてはいけない。戦争で犠牲になった人(日本人)を追悼し、これからは平和国家として世界貢献していかなければならない。」といったものです。この論調には、「先の大戦?」の性格、歴史的意味が中性化されており、また日本人が帝国主義的侵略を進め、中国、朝鮮をはじめとするアジアの人々の大きな犠牲を与えたことには何も触れていないということです。

豪勢なフジアザミの群落?
 まず確認すべきことは、「先の戦争?」とは、日本が帝国主義的に朝鮮、中国に侵略し、植民地を作った侵略戦争であり、また欧米国家と覇権を競った帝国主義戦争であったということです。さらには、日本の侵略軍は、中国において大虐殺を行いました。すなわち、三光作戦(焼き尽くし作戦)、石井部隊による細菌作戦、生きた人間に対する人体実験、あるいは新兵の銃剣による中国人刺殺訓練等々、挙げればきりがないほど暴虐的行為を組織的に行いました。国や自民党等はもちろんこのようなことを隠し、マスコミも大きく取り上げないようにしています。日本の多くの人々が多大な戦争被害を受けたことは事実で、とても痛ましいことですが、それ以上に中国、朝鮮の人々や東南アジアの人々は日本人によって痛ましい被害を受けたのです。

 このような事実に目をつぶって、戦没者追悼や満州開拓民(騙されていたとはいえ侵略の片棒を担いだのです)の犠牲、シベリア抑留の悲惨さなどを訴えても、私には???と思ってしまいます。ドイツナチズムやヒトラーについての批判の議論はよく目にしますが、日本の天皇や東条などの軍部首脳については、非難されるどころが美化されることが多くなってきました。「先の戦争?」をきちんと総括しないで、新たに「平和国家」が築けるのでしょうか?疑問です。


☆ 2016年08月05日 : G.マーラー「交響曲第3番 ニ短調」

 6月のオサカベホームコンサートで、都民交響楽団の6人の団員による「ピアノと弦楽奏」を聴いたのですが、そのとき都民交響楽団の第122回定期演奏会が上野東京文化会館で開催されるという話を聞きました。普段は、都心は遠くて、雑踏の中を歩くのがきらいで、かつ大きなホールでの演奏にはあまり興味がなかったのですが(価格が高いのも気に入りませんが)、身近に素晴らしい演奏を聴かせてくれた団員の演奏ということで、さっそく演奏会に申し込み(無料、抽選)、7月31日(日)、演奏会に行ってきました。

 演奏曲は、何とG.マーラーの「交響曲第3番 ニ短調」で、第1楽章から第6楽章まですべて(アルトの歌唱と合唱付きです)を演奏してくれました。演奏時間は1時間40分で、休憩なしの演奏です。私自身は、音楽に対する造詣はほとんどないので、音楽としてのレベルはわかりませんが、飽きることもなく、圧倒的な交響楽に吸い込まれてしまいました。とてもよかったです。

 8月1日(月)は山中湖の報湖祭がありました。日中は、曇り空で、時々激しい雨が降ったり止んだりしていたので、花火は中止かなと思ったのですが、7時過ぎになると曇り空ながら天気は安定し、花火大会は予定通り開催されました。確か、昨年は中途半端な打ち上げ花火で、興ざめだったような思いがしていたので、今年の花火はとてもすばらしかったと思いました。夏の夜は豪勢な花火が一番ですね。
ヒオウギ(アヤメ科ヒオウギ属)


☆ 2016年07月31日 : 糖尿病薬の副作用?

 私は40代の頃から血糖値が高く、やせ型の2型糖尿病で、遺伝的なもののようです。退職後は糖尿病の治療(薬物投与)を受けるようになり、現在ももちろん治療中です。

 7月の初め、北海道旅行から帰ってきたところ、突然口の中全体、すなわち歯茎や舌、口の奥など全体が腫れてしまいました。初めのうちは、旅行の疲れから風邪でもひいたのかなと思ったのですが、口内全体が痛く、食事もままならない状態になってしまい、口全体がパニック状態になってしまいました。そこで、1か月前に糖尿病の薬を変更したことが頭に閃きました。すなわち、今まで”スルホニル尿素薬(SU薬)”を使っていたのですが、数年前から現れた新薬”選択的DPP-4阻害薬”を併用しはじめました。

 そこでインターネットで検索したところ、”選択的DPP-4阻害薬”には口内に発疹を生じる副作用が起こる場合があることが書かれていました。それであわてて”選択的DPP-4阻害薬”を中止し、薬を元にもどしました。行きつけの病院では、担当医は週1回の勤務ですぐに診察してもらえず、診察は発病後1週間もかかりました。また口腔内は専門外なのか、口腔内をきちんと調べることもしません。こちらがお願いして、何とか口腔外科のある病院を紹介してもらいました(予約は自分でする必要があります)。ところが、そこの病院は気位が高いのかすぐには診察してくれませんでした。発病から2週間ほどしてようやく口腔内の診察を受け、”多発性口内炎??”とかいうことで、うがい薬を処方されました。

水彩画作品12: アジサイ
 発病から3週間ほどでようやく口内も癒えてきて、食事や歯磨きもできるようになりましたが、一時は食事ができないので体重が2kg以上やせてしまうほどでした。また、今のところ、原因が細菌性ウィルスによるのか、薬の副作用によるのかも明確にはなっていません(医者はきちんと患者に病気の原因を説明しようとしません)。この間、医者の対応の悪さに頭に来たりして、悪夢の3週間を過ごしてしまいました。今は体力回復に全力を尽くしていますが、栄養のある食事をすると血糖値が上がってしまうので、何ともやりきれない気持ちでいます。


☆ 2016年07月25日 : 続いて「恍惚の人」(有吉佐和子)

 「恍惚の人」は、1972年に出版されました。当時は私は生きるのに大変で、このような小説には興味がありませんでしたが、最近自分の書棚を眺めていて見つけました。主題は、いわゆる老人のボケ(痴呆、現代的に言うと認知症)問題ですが、当時はやがて生じる高齢化社会、老人問題の予告ということだったのでしょう。しかし、本に書かれているようなことは、現在ではあちこちでよく見聞する事でもあり、また身近にも存在する問題です。すなわち、有吉佐和子が警告的に予告した社会は、予告通り現実の社会となったということです。

 それにしても、政治家や官僚連中は、数十年前からわかっていたことに本当に真摯に対応しようとしたのか疑問に思ってしまいます。私などは高齢化社会の中心的世代、すなわち団塊世代ですが、若いときには企業戦士として働かされ(私は少しサボタージュの術を心得ていたので、酷使されたというほどでもありませんが、それでも奴隷的生活を強いられました)、さあこれから?という段階になって、年金の減額や社会保険料の増額などなど、頭にくることばかりです。政治家や官僚連中は、大企業の事ばかり考えず、もう少し弱者の事も考えてほしいものですね。
ノリウツギ(ユキノシタ科)


☆ 2016年07月18日 : 「複合汚染」(有吉佐和子)

 「複合汚染」は、1974年10月から翌年の6月まで朝日新聞の小説欄に掲載されたものだそうです。当時の私も、環境問題には若干の関心はありましたが、本連載は読んだことがありませんでした。今読んでみると、当時の大変な環境問題がこれでもかと提起されていたのがわかります。水俣病(新潟水俣病)、富山イタイタイ病(カドミウム汚染)、ヒ素ミルク汚染、四日市公害問題などなど、当時の新聞をにぎわしていましたが、いまだに解決されていないものが多く、国の厚生行政には憤りを感じてしまいます。私は、現在の医療問題も、多くは食品添加物や農薬、化学肥料、合成洗剤、PCB、自動車排気ガスに原因の一部があるのではないかと疑っていますが、どうなっているのでしょう?現代科学の問題は将来の人類の問題だと思います。

 久しぶりに、梨ケ原の夏の草原を歩きました。夏の花がきれいに咲いていました。写真の花以外には、ノアザミ、ウツボグサ、グンナイフウロ、ヤマホタルブクロ、カセンソウ、チダケサシ、クサレダマ、ギボウシ、タケニグサなども見つけました。でも、草原を歩いているのは私たちだけでした(自衛隊の諸君は何か仕事をしていましたが)。
キキョウ
富士山とアヤメ ユウスゲ カワラナデシコ カラマツソウ?


☆ 2016年07月11日 : 山本義隆 第3弾 「磁力と重力の発見1、2、3」

 2月2日と5月10日付けで、山本義隆の書籍を取り上げました。すなわち、「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー」と「重力と力学的世界」です。今回は「磁力と重力の発見」を取り上げますが、3巻合わせて合計947ページの大著で、パピルス賞、毎日出版文化賞および大仏次郎生受賞しました。

 内容的には古代ギリシャ時代から始まって、ニュートンの力学までのアリストテレスの”自然学”、中世の魔術(魔法・呪術、自然魔術、ケプラーの宇宙論、近代力学の始まり(ニュートンの力学)と広範囲に話が展開します。2度も読んだのですが、近代科学以前の知識はほとんどないため、わからないことばかりでしたが、磁力と重力に関する考え方の発展について少しはイメージを得ることができました。

 もちろん、ここで、本の内容を紹介するのは不可能ですが、磁力(磁石)と重力(遠隔力)についてポイントをかいつまんで述べてみたいと思います(うまくいくかな??間違っているかもしれないよ、注意!!)
積丹半島神威岬の積丹ブルー
1.ペトロス・ペレグリヌス(1200年代?): 1269年「磁気書簡」を著す(印刷は1558年)。磁石について、目的意識的で能動的な観察、実験と合理的な考察を行い、初めて実験物理学を実践した。その中で、磁極(北極、南極)、磁針の指向性、双極子などを提唱した。自然科学の正しい方法、つまり機能的、経験的方法の道を開いた。

2.デッラ・ポルタ(1535-1610): 「自然魔術」を著す。本書は、近代科学の揺籃期(16世紀後半ー17世紀前半)に市井の人などが広く読むことを目的にした知識や技術の実用書である。以前の文献魔術や魔法・呪術から実験魔術(科学)、自然魔術への移行が図られた。磁化作用(磁気誘導)は”遠隔作用”であり、”力の作用圏”という概念を提出し、磁力は距離とともに減少することを発見した。

3.ウィリアム・ギルバート(1544-1603): 1600年「磁石論」、1651年「世界論」を著す。ギルバートは大学で電磁気学を学んだ人は名前を記憶していると思います。磁気哲学(哲学は物理学である)および靜電気学を開き、地球は磁石でできている(地球磁石)、鉄鉱石と磁石は同じものであるなどと提唱した。また磁気現象ばかりでなく、太陽系全体の活動と秩序の起源を、磁性体としての天体の磁気相互作用に求める宇宙像を描き、「磁気哲学」を創始した。この宇宙像は、新しい宇宙像に向けての大きな推進力となった。

4.ヨハネス・ケプラー(1571-1630):1596年「宇宙の秘密」、1609年「新天文学」、1619年「世界の調和」、1620年「概要」等を著す。1609年には、ケプラーの第1法則、第2法則を発表し、1620年にはケプラーの3法則を基に天体物理学を全面展開し、近代科学の出発点となった。すなわち、数学を用いて自然学を記述するという現代の物理学の道を開いたといえる。特に、その中で遠隔力としての重力、力.の概念を生み出したのが特筆される。しかし、重力はギルバートの「磁気哲学」にもとづいて磁気重力論の立場をとっており、万有引力の提唱者にはなることができなかった。とはいえ、ケプラーによって、時代はガリレイとデカルトによる運動法則の提唱と、それにもとづくニュートンの万有引力による太陽系の力学的解明のまぎわまで切り開かれたといえる。

5..ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)、ルネ・デカルト(1596-1650): 共に機械論的自然観を持ち、遠隔作用としての重力、磁気力を把握することに失敗した。結局、重力や磁力は、機械論が否定しようとしていた自然観の中で育まれることになる。

6.フランシス・ベーコン(1561-1626): 1605年「学問の進歩」、1620年「ノヴム・オルガヌム」を著し、それまでの哲学(アリストテレス自然学、スコラ哲学文献魔術など)を排除し、実験哲学をの必要性を提唱した。(注 ”オルガヌム”:アリストテレス論理学の総称)

7.ロバート・フック(1635-1703): 1666年論文で、惑星の運動は慣性による軌道接戦方向への直線運動と中心物体からの引力による中心方向への加速力が重ね合わされたものとみなした。1674年の「ひとつの試み」において、ニュートンに先立って、3つの仮説を立てることによって”世界の体系”を解明することができると主張した。しかし、彼はそれ以上に重力の問題に入り込むことができなかった。ただし、このフックの考えは、ニュートンが惑星運動理論の形成うるにあたって無視できない寄与をしたと考えられる(フックは万有引力の逆2条法則の発見をめぐってニュートンと熾烈な論争を展開した)。また、重力と磁力の測定を試みているが、いずれも失敗に終わっている。

8.アイザック・ニュートン(1643-1727): 1687年「プリンキピア」を発表し、遠隔力としての万有引力を提起し、力の数学的法則、すなわち3つの運動法則を基に、いわゆる「ニュートン力学」を構築し、数理科学としての近代物理学の基礎を築いた。当時は遠隔力を物質に備わる基本的な性質と認めることは、魔術や奇跡を認めることと同じ考えとみなされたが、重力の原因や成因の追及は放棄している。「ニュートン力学」はヨハネス・ケプラーの功績を多く取り入れたはずだが、ニュートンは無視をした態度をとった。ただし、ギルバートの磁気哲学の影響は及んでいないとのことである。またニュートンは磁石に関しては、重力とは別のものと考え、磁気重力論は排除し、かつ磁気現象には深く立ち入らなかった。

 歴史的に概要を述べれば以上ですが、これでは何のことかさっぱりわかりませんよね。換言すれば、古代ギリシャおよび中世から知られていた”磁石(磁性体)”は、ずっといわゆる”魔術(魔法・呪術)”の対象であったが、近代(16世紀)に入ってようやく魔術から脱却しはじめ、自然魔術(実験魔術)を経由して、実験物理学の土台に乗ることになった(ギルバート)。さらに、ケプラーおよびニュートンによって遠隔力としての重力の概念と「ニュートン力学」が確立し、”磁石(磁性体)”もようやく実験と数学に基づいた近代物理学の土俵で研究されるようになったということです。さらに興味のある方は、山本義隆の原著をぜひ読んでください。


☆ 2016年07月5日 : 憲法9条改悪の道が見えてきましたね

 1月18日付けで”憲法9条改悪が始まっています”という記事を書きましたが、安倍の憲法改悪の道は、始まっているどころではなく、安倍のもくろみ通り改悪の道筋が見えてきたようですね。6月24日の朝日新聞では、世論調査の結果、改憲4党が非改選の議席を含め、憲法改正の国会発議に必要な3分の2の議席を得そうだと報道していました。今回の改選で、選挙区と比例区を合わせ改憲4党で78議席を確保すれば、非改選の議席を合わせて4党で改憲の発議が可能となるそうです。

 安倍は、前回の選挙でもそうでしたが、重要な憲法改悪については口をつぐみ、選挙の争点から外しています、麻生が言ったように、ドイツ・ナチス(ヒットラー)の手口をまねているようですね。世論調査では、憲法改悪、戦争法案、原子力発電などは国民の関心が薄いようですね。

 戦前の治安維持法、新聞紙法、国家総動員法のようなものが成立したら、もう取り返しのつかないことになってしまいます。もちろん、経済基盤の安定、社会保障制度の充実などは国民にとって重要課題ですが、日本が将来戦争に巻き込まれていくような事態にならないように、政権を監視することも重要なはずです。
水彩画作品11: ピラミッド(クレイ模写)


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