わんだふる 中国四川山群 (1)

はじめに

 2006年7月16日(日)から7月25日(火)の10日間、中国四川(シセン)省の四姑娘山(スークーニャンサン)群の大姑娘山(タークーニャンサン(5,025m))に登頂してきました。四川省の省都・成都(セイト)から西北西へおよそ230kmにある日隆(リーロン(3,150m))まで中型バスで行き、そこからベースキャンプ(3,600m)2泊、アタックキャンプC1(4,300m)1泊、帰路でのベースキャンプ1泊の、計4泊5日の行程を要する登山でした。行くまでは、体力の衰えや腰痛の発生などで、ベースキャンプまで行ければ万々歳と考えていましたが、行ってみれば、想定外というか、比較的順調に5000m峰を極めることができました。今までの最高標高が4000mでしたので、大いに感動しました。
 また、四姑娘山群の山腹は広大なお花畑となっており、たくさんの花が咲いておりました。4000m近辺では、日本女性の垂涎の的?である”ブルーポピー”があちこちに咲いており、皆歓声を上げて写真を撮りました。このすばらしい登頂登山体験をご報告します。

 今回の報告は、2003年末から2004年初の「わんだふるネパールヒマラヤ」報告から久し振りの海外山歩きの報告となります。今後、章立てに従って日記風に述べていきますが、一部創作もありますのでご了承ください(高度や時間等は一部不正確ですし、花の名前はほとんどわからないので、日本の花で似ているものを探し、”XXXlike”と記述しています。また地名等の固有名詞は、できるだけ漢字とカタカナの併記とするように努めましたが、日本の漢字に相当する文字がないケースも多いので、その場合は日本語読みのカタカナ表記にしました)。よろしかったら、最後までお付き合い願います。

                                                          2006年8月7日(月)


  
1.プロローグ 
  2.中国四川省成都(セイト)へ向けて出発 : 7月16日(日) 
  3.日隆(リーロン)へ : 7月17日(月) 
  4.日隆(リーロン)での高所順応 : 7月18日(火) 
  5.いざ、ベースキャンプ(老牛園子(ラオニューエンツー(3,600m)))へ : 7月19日(水) 
  6.ベースキャンプでの高所順応(大海子(ターハイツー)、花海子(ホワハイツー)) : 7月20日(木) 
  7.アタックキャンプC1(4,300m)へ : 7月21日(金) 
  8.大姑娘山(タークーニャンサン(5,025m))登頂へ : 7月22日(土) 
  9.日隆(リーロン)へ : 7月23日(日) 
  10.日隆(リーロン)から成都(セイト)、そして帰国 : 7月24日(月)、25日(火)
     *トレッキング留意事項(感想)* 
 

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1.プロローグ

 2年半ほど前にネパールのエヴェレスト街道をトレッキングして、4,000mの山に登ったことがあるのですが、最近は年が年だし、また体力の衰えも激しいので、もう海外の高山へ行くのは無理と考えていました。ところが、旅行会社のパンフレットを見たり、説明会を聞いたりしているうちに、懲りることなくまたまた挑戦してみようという気持ちがむくむくと湧いてきました。

 最初は、アフリカのキリマンジャロ(5,895m)登頂も考えたのですが、これはさすがに体力だけではなく、費用的にも私には無理だと、断念しました。 それではと、マレーシアのキナバル山(4,095m)や、パプアニューギニアのウィルヘルム山(4,508m)、カムチャッカ半島のアバチャ山(2,741m)、中国の大姑娘山(タークーニャンサン(5,025m))等々の登頂をあれこれと考えました。しかし、私にとってはどの山も体力的に厳しそうなので断念し、家内と相談し、比較的簡単そうな中国の「四姑娘山(スークーニャンサン)山麓のトレッキング」(大姑娘山(タークーニャンサン)の登頂は含まない)にしようと決めました。
 ところが、6月中頃ツアー会社にその山麓トレッキングの申し込みをしたところ、7月後半のトレッキングは催行が中止となったとのことでした。これであわててしまいました。さてどこにするやら、お金と日程と体力と相談して、ああでもない、こうでもないと家内と話し合いましたが、最後に、私の英断??で、無謀にも「四姑娘山(スークーニャンサン)トレッキングと大姑娘山(タークーニャンサン)登頂」のツアーに申し込んでしまいました。

 ところが、ここから出発までがハプニングの連続で、出発に漕ぎつけるまでにいろいろなことが起こりました。まず、このツアーは大人気のツアーらしく、ツアー会社によると7月後半のツアーはすでに満席とのことでした。それでツアー会社としては、もうひとつ、”7月16日出発のコース”を追加したが、それも満席ではあるが、もし2人分の飛行機の座席予約がとれさえすれば参加可能であるとのことでした。それで、飛行機の座席予約をお願いし、しばらく待ったところ、6月の20日過ぎにようやく予約確認ができました。まずは第一関門通過となりました。

 次に、今回のツアーは4000m以上の高所で宿泊するため、「高所トレッキングのための健康診断」を受診しなければなりませんでした。早速受診したのはよいのですが、出発の9日前になって、ツアー会社より「お二人とも健康診断で異常が認められたので、二次の精密検査を受けてください」との連絡が入りました。今さら異常といわれても・・・と思いましたが、私の申し込み自体が遅かったので止むを得ません。出発の6日前に二次検査を受けました。時間のやりくりもたいへんでしたが、検査の費用もたいへんでした。二次検査でもだめといわれたら、ベースキャンプまで行って、そこで散策しようと覚悟を決めました。少しいらいらしながら結果を待っていたところ、出発の3日前に、「低所では問題ない」という検査結果の連絡を受けました。これでとりあえずはベースキャンプまでは問題なく行けるとほっとしました。こうなるとまた野心が出て、なんとか4300mのアタックキャンプC1までは行けるのではないかという希望も出てきました。いや、ひょっとすると、登頂も可能では・・・人間とは恐ろしいものですね。

 最後にもうひとつ問題が発生しました。私はもともと腰痛が出やすいのですが、出発の前日の朝、食事中にちょっとした動作から腰がギクッとして、腰に軽い痛みが生じました。これはやばい!山どころではないのではと、一瞬恐怖感が走りました。腰痛で5000mの山を登頂することは何が何でも無理です。そもそも荷物を持つことも担ぐこともできません。機内やバスの中で座っているのもどうかといったことになります。朝からちょっと様子を見ていたのですが、腰を曲げるのができないのですが、歩いたり物を持つことは何とかできそうなので、家内と相談してとりあえず中国へは行くことに決めました。トホホホ・・・の気持ちですね。
 *2年半前のエヴェレスト街道トレッキングの時も、出発前に私は左脚が痛み、また家内は腰を痛めるという状態でした。このときも、歩けなくなったら途中でリタイアして、皆の帰りを待てば、迷惑を掛けることもないだろうといった気分で出発したことを思い出しました。

 今回の中国の四姑娘(スークーニャン)山群は、中国中西部の四川省(シセンショウ)の省都である成都(セイト)より西北西およそ230kmにある村、日隆(リーロン(3,150m))から北へ伸びている一連の山群です。

 成都(セイト)から日隆(リーロン)まではおよそ230kmと言いましたが、道路は3000mを超える山肌を縫うように進み、4335mの巴朗(パーロン)山峠を越えるというスケールの大きな山岳道路を通過するため、7、8時間は掛かってしまいます。これは、途中の山岳道路がまだ工事中のところが多く、工事のため一方通行となる部分は時々大渋滞を起こすこともあり、それで予定時間もわからないといったところのようです。道路工事は、辺境地区の観光振興策のためのようで、急ピッチで進められているようですが、我々の目で見る限りでは、機械化が十分ではないようで、まだしばらくかかるように思われました。

 四姑娘(スークーニャン)山群は、左の地図で分かるように、北から主峰の四姑娘(スークーニャン)山(6,250m)、三姑娘(サンクーニャン)山(5,664m)、二姑娘(アールクーニャン)山(5,454m)および今回登頂した大姑娘(タークーニャン)山(5,025m)の4座が南北に連なっている山群です。主峰の四姑娘(スークーニャン)山は、氷河を伴ったピラミッド状をした美しい岩峰です。

 大姑娘(タークーニャン)山登頂までの行程はおよそ以下のとおりです。
第1日: 高所順応を目的として、日隆(リーロン)近郊の山腹を歩く。
第2日: ベースキャンプ(BC)のある老牛園子(ラオニューエンツー(3,600m))まで進む。
第3日: 高所順応を目的に、上流の湖沼である大海子(ターハイツー)と花海子(ホワハイツー)を往復する。
第4日: アタックキャンプC1(4,300m)へ登る。
第5日: 大姑娘(タークーニャン)山(5,025m)を登頂し、ベースキャンプBCへ戻る。
第6日: 日隆(リーロン)へ戻る。

 
 ここで、簡単に中国の旅行情報を述べておきますので、参考にしてください。
 東京と北京の時差はちょうど1時間で、北京が1時間遅い時間になります。なお、中国は国土が広いにもかかわらず、北京の標準時間で統一されているとのことでした。言語は中国語(北京標準語)ですが、地方によって言語はまったく通じなくなることもあるそうです。四川省では日本語はほとんど通じませんでしたし、英語もほとんど通じなかったようです。通貨は中国元(ユアン)で、当時1元はおよそ15円でした。なお、中国元は日本では交換ができないとのことでした。日常生活をしたわけではないのではっきりとは言えませんが、物価は日本に比べてかなり安いようでした。成都(セイト)の気候は穏やかなようで、7月、8月の平均気温は25度くらいで、冬の1月でも5度くらいとのことでした。なお、夏は雨季とのことでしたが、日本の梅雨のように毎日雨が降るといったことはないそうです。
 中国は中国共産党が支配する共産主義国ですが、単に山の旅をしているときには、共産主義国であるからこうなんだといったようなものは一切ありませんでした(一人っ子政策の話はよくでましたが)。資本主義国と何か変わった場面に遭遇するといったことはありませんでした。

 それでは、これから「わんだふる中国四川山脈(四姑娘山群)トレッキング」の体験をご報告します。是非最後までお付き合いください。


2.中国四川省成都(セイト)ヘ向けて出発 : 7月16日(日)

 16日(日)、夜暗いうちに起床し、成田直通バスに乗って、成田へ向かった。天気は曇り空であったが、ときどき薄日が差し、飛行機が飛ばないということはなさそうであった。それより、私の腰痛のほうが心配で、腰に簡単なコルセットを付けはしたが、”私が成田から飛び立てるのかどうかがまず心配”といった気持ちで、不安な精神状態であった。とにかく、予定通りに朝7時に成田空港第2ターミナルビルに到着した。
 ツアー会社の指定どおりにHカウンターに行き、そこで今回のツアーリーダー(YさんとOさん)にお会いした。今回のツアーは総勢21名の参加となっており、そのためにツアーリーダーは2名となったとのことである。ツアーリーダーからは「体調はよいですか」と問われたので、つい「・・・ええ大丈夫です・・・」と答えてしまった。まずいなー??成田からの出発は14名で、その他の7名は名古屋または関西から出発し、現地成都(セイト)で合流することになっていた
 9時30分、予定通り我々を乗せた中国航空のC422便が中国北京に向けて離陸した。今のところ、腰痛は何とか治まっている。痛くなりませんように・・・
 3時間半のフライトの後、現地時間12時(東京より1時間遅れの時差)に北京空港に到着。いったん飛行機から降りて中国への入国手続きを済ませた後、すぐに同じ飛行機に再び乗って、13時に成都(セイト)へ向かった。そして、3時間のフライトで、16時に成都に到着することができた。東京から成都まで、トータル6時間半のフライトで着いたわけで、時差も1時間で、たいへん近いところだなあという実感をもった。
 空港を出ると、現地のツアーガイド(Kさん)が迎えに来ており、さっそく用意されたバスに乗って成都市の中心街にあるホテルに向かった。

北京空港(C422)
 成都(セイト)市は大きな都市のようで、市街地は想像していた以上にりっぱできれいであった。道路は広く、街路樹が植栽されており、緑も多かった。また、人や自転車、バイク(ガソリンではなく、電気モータ駆動のようで、音が静かである)、車なども多く、とても活気のある街といった感じであった。ただし、天気は晴れで、日差しもかなり強いようであったが、スモッグのような空で、何となくすっきりしない空であるのが気になった。現地ガイドによると、成都は盆地で、いつもこのような空であるとのことであった。
 到着したホテルは”ミンシャン”ホテルといい、成都では4つ星クラスのホテルとのことであった。通貨の交換はホテルで行った。1中国元はおよそ15円であった。中国元は日本では交換できないということだし、またトレッキング中はあまりお金も使わないだろうとのことで、とりあえず6000円(約600元)だけ交換してもらった(これが後でえらい苦労をすることになってしまったのだが)。

ホテルミンシャン
 夕食は、現地ガイドのKさんの案内で、皆でホテルの近くの中国料理レストランへ行った。味は本場四川風というか、東京の四川風料理とはだいぶ異なり、かなり強い味であったが、結構おいしく食べることができた。料金は1人60元(およそ900円)ということであった(ビールは中ビンで1本10元(およそ150円))。帰りに近くの商店でペットボトル(ミネラルウォータ)を買ったが、およそ1本2元(およそ30円)であったので、それと比べると食事はやや割高な感じもした。それでも日本に比べれば、物価は相当に安いといえるだろう。

 明日17日(月)は、6時のモーニングコールで、7時半には出発といことだったので、早めに寝てしまった。なお、名古屋および関西からのメンバーは夜の9時過ぎに到着したので、当日は顔合わせもしなかった。余裕がなくて大変だったと思われる。


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