Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 1999年3月
「鮫肌男と桃尻女」
石井克人監督、浅野忠信、小日向しえ、岸部一徳、寺島進、鶴見辰吾、真行寺君枝、島田洋八、我修院達也(若人あきら)
★★★★

望月峯太郎原作の漫画(「ミスターマガジン」連載)の映画化、だそう。新感覚とかコミック/アニメのセンスとかの評もあるのかもしれないが、骨格はオーセンティックなワイルドとユーモアと残酷とを兼ね備えた逃避行活劇コメディである。素人に毛の生えたようなただの実験的な映画ではない。

森の中で銃を持って追っかけっこ、というとベルトルッチの「暗殺の森」を思い出すが、むしろ第一印象は望月三起也の「ワイルド7」に近い。それも、変な奴をとにかく増幅させたキャラがたくさん。オフビートな、と書いて思い出した。これ、タランティーノのユーモア感覚にも似ている。

たぶん、イチバンの名キャラは殺し屋・山田クンだろう。若人あきら( 我修院達也と改名したらしい)の顔ってサンダーバードの人形みたいだし。「キライ!」「好き・」ってのは思い出しても笑うぞ。トイレでの襲撃、暗視眼鏡を装着しての対決と、この情けない男がけっこうキーマンだったりするのがよい。鶴見辰吾のミツルもすごいぞ。なにしろ匂いで追跡したりする。岸部一徳のヤクザの幹部は、ナイフ使いのくせに大村昆のオロナミンCの琺瑯広告看板のコレクターだったり、島田洋八がホテルの変態オーナーで不気味な存在感を漂わせている。その他、追いかけるヤクザの面々の無駄話が妙に真に迫っている。

場面転換の省略のしかたが、大胆にして決まっている。対象を突き放した距離感の取り方、衣装への偏愛、凝ったライティングなど、すでに監督としての個性は十分である。変に深いことを考えずに、このまま好きなことをやってほしいと思う数少ないクリエイターだ。

ただし、桃尻トシコの脱ぎ方は中途半端である。というより、あれでは到底「桃尻」とは言えない。もっとサービスしてほしいものだ。小日向しえ自体はとってもいいので(とくにメガネに事務員風制服のヴァージョン。後半は篠原涼子みたいで好みじゃない)、もうちょっとそそるシーンを、今度はよろしくね。

「ラッシュアワー」
ブレット・ラトナー 監督、クリス・タッカー、ジャッキー・チェン、エリザベス・ペーニャ、トム・ウィルキンソン、フィリップ・ベイカー・ホール、チー・マ、マーク・ロルストン
★★★☆

B級アクションとコメディの魅力を詰め込んだ快作。これ、好きだわ。コメディとしては「ファール・プレイ」以来の気持ちよく笑えるMy Bestかもしれん。少なくともアジアの民にとっては、ムチャクチャ気持ちいいぞ。

はみ出し者の刑事が2人とも人種がアウトサイダーであるという設定と、口達者のクリス・タッカーに見事なアクションを展開するジャッキー・チェンを組み合わせたキャスティングの勝利。ストーリーは、ここでは2人の芸とネタを披露するための仕掛けに過ぎない。念の入ったことに、もう1人加わる爆発物処理班の女性にはヒスパニック代表としてエリザペス・ペーニャを、悪役の親玉にはイギリスの性格俳優のトム・ウィルキンソンを起用している。

なんといっても痛快なのは、ジャッキーがFBIの警戒網をくぐって中国領事邸に潜り込むところ。手にハンドルを手錠でくっつけたまま、FBIを素手でなぎ倒し、高い塀を駆け登り、相手の銃を奪い取って弾丸を抜き、ようやく領事の前へ出頭するところ。とにかく、FBIをコケにしまくるのだ。東洋人にとってはカタルシスのかたまりのような映画なんだな。「ほら、そこで、力を見せてやれ!」という局面で、必ずやってくれるわけだ。結局、銃は持ってもほとんど使わずに、自分の肉体と武術でピンチを切り抜けていくジャッキーはムチャクチャかっこいいのだ。そんでもって、WASPを笑い飛ばしてくれるわけで、もう膝を打ち、腹をよじり、拍手しまくりで大満足。「そうだ! その通りだ! やっちまえ!」てな感じで爽快にして快感。

それと、アクションというか踊りというか、動きの質が高い。だから、"WAR"を一緒に歌って踊り出すシーンが、すんごくいい。全く異なる文化背景をもった2人が心を通わせるというテーマは、ありふれているかもしれないが、気の利いた笑いと一緒にこうして見せられると実にすがすがしい。香港映画の伝統に則ってエンドロールで流れるNG集を見ると、ジャッキーとハリウッドとの出会い自身がそういった文化衝突をはらみつつも、この映画づくりにおいて見事に克服した(ように見える)ことがわかる。

タッカーが最後に「シェシエ。ニーハオ」と中国語をしゃべるシーンがあるのだが、そのNGが何度も出て、ジャッキーが爆笑しながら「ボクの英語のこと言えないぞ。中国語はむずかしいんだ。たった3語なのにさ!」と腹を抱えてうれしそうにカメラに(そしてスタッフに)話すところは、英語コンプレックスを吹き飛ばしてくれる。「そうだ! その通りだ!」

これで、誘拐される女の子がもっと可愛かったらいうことないのだが。

「ガッジョ・ディーロ」
トニー・ガトリフ監督、ロマン・デュリス、ローナ・ハートナー、イジドール・サーバン
★★★★

ロマというよりもジプシーという方が通じやすいんだろうが、あくまでロマの民であり、ロマニー語というところに意味がある。なにしろ、電話どころか電気がきていないし、風呂は大きなたらいに湧かしたお湯をはっての行水である。で、電線から盗電して電球が点いたらもう大騒ぎ。フライパンと新聞と針でレコードプレーヤーなんか作ってみればもう大感動。

インテリが額にしわ寄せて表現しようとするヒューマニティをジャブ一発でぶっとばす強さがある。差別への告発とか、文明批判とか、原初的な恋愛とか、そういう要素はもちろんあるが、そういう抽象的な言葉にした時点で失われている現実の手触りとか匂いとかを、濾過とか浄化することなく、そのままフィルムに定着させたというべきか。

「モンド」もよかったが、今度の作品はテンポよく、説明的ではまったくないのに実にわかりやすく、冒頭の何気ない伏線がきちんと終盤で係り結びを構成するあたり、うまい。しかも、うまさを感じさせないうまさである。やたらカメラアングルやら長回しに凝って自滅する技巧派(というより技巧顕示自慢たらたら派)監督には、ぜひ観てもらいたい。

基本的にはハッピーエンドには入らないのだろうけど、実にさわやかなラストだ。芯になるメッセージがしっかりしていて、しかも客観的に捉えなおしているから押しつけがましさがない。カメラも編集もフツーなんだけど、映像に魂というかソウルというか(あ、おんなじか?)、つまり力がある。子どもも老人も、女も男もいい顔してる。


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Text by (C) Takashi Kaneyama 1999