八ヶ岳*

硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳縦走

wakwak山歩会は2008年6月に2005年に断念した焼石岳に再挑戦しようと計画していたのだが、直前の6 月15日に岩手・宮城内陸地震M7.2が発生して栗駒山東斜面一帯に大きな被害が生じ中止せざるを得なかった。その代替案として至仏山、平ヶ岳、火打山、 八ヶ岳の中から急遽浮上したのが、やはり数年前に雨で流れた八ヶ岳である。それも梅雨の中休みをねらった2008年6月16-18日の決行であった。

幹事のマーさんが作成した案では美濃戸口駐車場(1,500m)→赤岳鉱泉(2,220m)前泊→硫黄岳 (2,760m)→横岳(2,829m)→赤岳天望荘(2,720m)泊→ 赤岳(2,899m)→阿弥陀岳(2,805m)→行者小屋(2,340m)→美濃戸口駐車場であった。

目論みは梅雨の間しか見ることができないツクモグサを初め、咲き出しで活き活きとしているウルップソウやチョウスケソウなどを愛でようというものだ。


第一日、6月16日快晴

小田急開成駅8:00集合。諏訪南ICより八ヶ岳ズームラインで真っ直ぐ鉢巻道路に向かい左折して美濃戸口に向かう。美 濃戸口駐車場11:15発。 ジープなら美濃戸の美濃戸山荘まで行けるが、乗用車のため用心して美濃戸口に駐車。駐車料金も一日500円と安い。美濃戸山荘からは北沢経由で赤岳鉱泉に 向かう。途中直径30cm位のプラスチックパイプを導水管に使っている簡易水力発電小屋を見る。しばらく行くと横岳が谷の向こうに顔を見せる。

道中、沢山の花を見る。花の名に詳しいクリさんにその名を教わる。6月の梅雨時は特に花が多い。特に意識しなかったが、 これまで気の向くままに撮影した花の写真を整理する時期が来たと思った。そして帰って数日かけて整理したところ100種の山の花の図鑑ができ た。

イカリソウ

ミヤマスミレ

キバナノコマノツメ

コミヤマカタバミ

15:15赤岳鉱泉着。(Hotel Serial No.417)赤岳鉱泉からは左 手から硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳が見渡せる。硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳が巨大な侵食壁を作り、赤岳鉱泉や行者小屋はその 侵食谷底にあるように見える。

左手の硫黄岳の頂上は平で、厚い溶岩の層に覆われていることがジョウゴ沢火口に現れた断面でそれと分かる。硫黄岳への登山ルートは赤岩ノ頭から伸びる尾 根、下の写真では左側の森に覆われた尾根に付けられている。

硫黄岳のジョウゴ沢火口 17:22

西日を浴びて正面の横岳の西壁には大洞心、小洞心と名付けられた岩塔が恐ろしげに突き立っている。下の合成写真を見ると主峰は小洞心の陰に隠れ、三叉峰は 少し見えている。

赤岳鉱泉のテラスから見上げた横岳の西壁 17:28

横岳と赤岳の間には明日の宿泊予定の赤岳天望荘も見える。望遠で撮影した写真を見ると、裸眼では気がつかなかった多数の風車が見える。

赤岳鉱泉からみ上げる赤岳天望荘 17:21

鉱泉の周辺には残雪がある。テントも三張り見える。鉱泉で一風呂浴びて、追加料金で確保した個室で生ビール一杯いただき 昼寝。夕食後は寝てしまう。


第二日、6月17日

本日のルートは赤岳鉱泉から赤岳天望荘までの八ヶ岳主脈である。全長5.11km、累計登り756m、累計下り 260m。

赤岳鉱泉6:50発。樹林帯の中をジグザグにのぼる。目の前の登山道でウグイスがえさをついばんでなかなか逃げない。し ばらく登山を中止して待つ。

ジグザグを登ってゆくとやがて森林帯を抜け赤岩ノ頭につく。赤岩ノ頭から北方を望めば眼下にオーレン小屋が見える。

そこから更に少し登ると硫黄岳だ。頂上直下の岩場は大きな岩の下をくぐって登る。標高差540m。9:50硫黄岳山頂 着。硫黄岳山頂はぺブルが敷きつめられている。 おそろしげな爆裂火口。

硫黄岳の爆裂火口壁 9:41

火口縁から北側を望むとクリサンと一緒に挑戦し、挫折した天狗岳の 双耳峰が見える。そしてその右手奥に稲子岳が作る不思議な窪地が見えた。日本三代実録や類衆三大格、扶桑略記、日本略記などに千曲川大洪水と、起因となっ た大地震に関する記述がある。887年8月22日に発生した、東南海域を震源とする大地震の影響により八ヶ岳(天狗岳)が山体崩壊した、ずり落ちたのが稲 子岳で二重稜線の間が船底型の窪地となった。このとき発生した岩屑なだれが造った堰き止め湖が松原湖だとい う。

更に崩落した土砂により千曲川が堰き止められて天然のダム湖が形成され、翌888年6月20日の天然ダム湖決壊により大 洪水が起こったとしている。屋代の地之目遺跡の発掘でこの洪水は裏付けられているし、八ヶ岳崩壊の際に埋没した樹木の年輪年代測定調査で887年という測 定結果が確認されている。

神戸地震と福島第一事故を予言した地震学者の石橋克彦は887/8/22の南海地震のときに東海地震が誘発されたという説を唱え、これが学会の定説となっ ている。政府は石橋氏の主張する厳しい耐震設計基準を嫌って原子力委員会は石橋氏を委員会から外した。

夏沢峠のほうからボッカが硫黄岳山荘に荷物を担ぎ上げてくる。

硫黄岳山頂より北方 根石岳、西天狗・東天狗、稲子岳南壁を望む 9:41

硫黄岳の爆裂火口は北に向かって開いている。爆裂火口は中央火口丘をもたない。爆裂火口の中心部に本沢温泉がある。深田 久弥が友人を失ったのはこの北面の岸壁であったという。記念撮影。

高原美術館付近から見る八ヶ岳 撮影 by Yoko Greenwood 2009/9

この硫黄岳、天狗岳、稲子岳を松原湖周辺から麦草峠に向かって国道480号線を登った高原美術館付近から撮影した写真を 上に示す。左端から赤岳、横岳、大ダルミ、硫黄岳の爆裂火口壁、一番低い夏沢峠、根石岳、天狗岳、そして稲子岳の東壁、チョボッと出っ張った岩峰のニュウ (2,352m)である。白駒湖はニュウの右手向こう側にある。

硫黄岳から南方を望めば、今日これから縦走しようとする横岳がどっしりと構えている。下から見上げた大同心、小同心の恐ろしげな石塔を横から見れば硬い溶 岩がその下の柔らかい層を侵食から守ってできたものと見えた。硫黄岳山荘は横岳との中間地点の穏やかな大ダルミの底部にある。行者小屋は巨大な侵食谷の底 にあり、そこから文三郎尾根が赤岳に向かっているのはっきり見える。

硫黄岳より南方 大ダルミ、横岳、赤岳を望む 9:52

9:40硫黄岳発。7つのケルンに従って大ダルミに下る。硫黄岳山荘を過ぎて横岳にむけて縦走中、イワヒバリが人を恐れることなく眼前の岩にとまって谷を 覗き込んでいる。

イワヒバリ 10:26

花群落のなか横岳の稜線を歩く。 ウルップソウ、チョウノスケソウ、コマクサはまだ早すぎてまだ蕾だ。強い西風に小刻みにゆれている。ミネズオウ、ウラシマツツジ、オヤマノエンドウを見つ ける。

ミネズオウ

 

ウラシマツツジ

 

オヤマノエンドウ

 

硫黄岳から横岳にかけてキバナシャクナゲの自生地でどこにでも咲いている。

硫黄岳を背景にキバナシャクナゲ 10:59

花々を愛でご機嫌に台座 の頭まできたが、行く手を岸壁が拒んでいる。これが横岳主峰の奥ノ院らしい。台座の頭からみると奥の院の西側と北側は垂直の崖、東側はやや傾斜が少なそう だがどうとりつくのか皆目わからない。心臓が凍りつく。

台座の頭から手前横岳主峰(奥ノ院)、中間点大権現、 最奥三叉峰 11:12

お目当てのツクモグサは奥ノ院近くの稜線の西側の岩の隙間にあった。なぜか稜線の東側にはない。

ツクモグサ

ツクモグサを見つけ心が和んだ直後に横岳主峰(奥ノ院)の岩場にとりつくはめになる。おそるおそる近寄ると主峰の東側の下にクサリを伝って降りるらしい。 そしてクサリにつかまったまま横に移動する。すると西側がパッと開ける。岩盤の厚さは30センチ位しかない。ここは 「カニの横這い」というらしい。ここから鎖につかまって主峰の東側の根元に更に下る。そこには空中にかけた網目鉄板がある。この鉄板の下は千尋の谷だ。網 目鉄板の入口に鉄ハシゴがあるが、積雪期用とのことで、夏用は更に網目鉄板を巻いてゆくと夏用の鉄ハシゴがある 。これを登る。先がどうなっているか分からないと不安なものだが、頂上に出てしまえばどうということはない。

横岳主峰(奥ノ院)の岩壁 11:31

11:45横岳主峰着、記念撮影。

横岳主峰で記念撮影  マーさん撮影

奥の院山頂から大洞心と小洞心を見下ろすと上層に硬い溶岩板が乗って東側に傾斜しているのが見て取れる。そして硫黄岳から西に伸びる尾根である赤岩ノ頭か ら峰ノ松目にかけて斜面に刻み込まれた何層もの溶岩の露頭をみれば、溶岩の勾配はかってここにあった巨大な火山の噴出口から流れ出た溶岩が外側に流れたよ うに見える。溶岩のシンメトリカルな傾斜が褶曲でできたものでないとすれば3,000mを越える富士山のような巨大な火山がこの侵食谷の上にそびえていた ようにみえるのだが、実際はどうなのだろうか。

東京工業大学の中村美千彦教授の「現在の赤岳、権現 、横岳、阿弥陀、硫黄といったいわゆる南八ヶ岳の東側ピーク群は必ずしも火山活動の噴出中心を代表していない。長い浸食期に大きく元の火山の地形が変化し ており、浸食で残された高まりそれぞれに山としての名前がついている。これらの山々は、古八ヶ岳期に形成された成層火山列の稜線部にほぼ相当すると考えら れ、主に安山岩質の 溶岩流と火砕物からなりたっている」という説明で理解できる。

中村美千彦教授は北八ヶ岳について「西天狗岳、縞枯山、北横岳など、北八ヶ岳のピークの多くは、総じて南よりも活動年代が新しいため良く火山地形を残して いる。北横岳などは火口も良く残り、ピークのそれぞれがほぼ噴出中心に対応している。多くは安山岩〜デイサイト質の溶岩ドームまたは厚い溶岩流の最高地点 が現在の山になっている。標高は南よりも低く、新しい噴出物は主に西側の蓼科高原側に分布している。より詳しい形成史を知るためには、個々の火山活動の年 代を調べる必要があるのだが、北八ヶ岳は年代が若いので半減期12.5億年のカリウム・アイソトープ含有量から測定するK-Ar法が使いにくいこと、八ヶ 岳起源のテフ ラ(軽石や火山灰)がほとんど同定できていないこと、などの理由から、活動年代はまだあまり良くわかっていない」としていますがこれもよく理解できる。

信州大学の西来邦章教授は「K-Ar年代測定で鮮新世から現在に至る八ヶ岳界隈での応力場の変化は約4Maまでは比較的差応力がない状態で、約2.5Ma までには地殻歪速度の大きい引張場となった。その後、地殻歪速度は小さくなったものの約0.8Maまでは引張場であった傾向がみられる。そして約 0.8Maに引張場から圧縮場に応力場が大きく変化した」としている。引張場で褶曲はしないだろうから中村美千彦教授の説明でよいことになる。

侵食谷底には今日出発した赤倉鉱泉がみえる。

大洞心と小洞心と硫黄岳に発し赤岩ノ頭から峰ノ松目に伸びる尾根 左手は美濃戸中山 12:00

12:15横岳主峰発。三叉峰まではしばらく広い稜線である。大権現という横岳最高地点(2,829m)を通過する。穏やかな道だ。

三叉峰は横岳主峰側からみればなだらかな斜面だがピークをまいて杣添尾根との合流点を過ぎると、赤岳側は崖になっている。これを見て2006年9月杣添尾根か らみ上げたピークが三叉峰だったとわかる。下の写真がその時 、杣添尾根から撮影したものだ。杣添尾根も三叉峰直下ではかなりの勾配である。

杣添尾根2,600m地点で木の間よりかいまみた三叉峰(2006年撮影)

三叉峰を過ぎて振り返ると手前に三叉峰のピラミッドのような姿とその向こうに大権現と奥の院が一塊に見える。

三叉峰と大権現と奥の院 13:05

本日の最後の難所は石尊峰から二十三夜峰に至る難路だ。石尊峰を東側に巻くいてゆくと鉾岳の上にでる。尾根筋はそこで岩峰となって途絶える。眼下に日ノ岳 が見える。その向こうの雲の中は赤岳、そしてその右手に中岳そ して阿弥陀岳がみえる。ここにもツクモグサとオオヤマノエンドウが風に吹かれている。

鉾岳から日ノ岳を見下ろす 13:09

鉾岳の岩峰の東側を下って振り返ると鉾岳の岩峰が見える。

鉾岳の岩峰 13:28

しばらくゆくと日ノ岳のピークに出る。十三夜峰が眼下にみえ、眼前に赤岳がせまる。

日ノ岳のピークより細い塔状の十三夜峰と赤岳を望む 13:51

日ノ岳の南側のルンゼ状の一枚岩は避けることができない。クサリを頼って崖を下った。そして二十三夜峰という尖った岩塔の脇を通り、ようやく巨大な日ノ岳 の岩峰を下ることができた。

日ノ岳の岩峰 十三夜峰は手前の岩峰の上に頭を出している 14:18

狭いヤセ尾根をたどり地蔵仏を通過する。ここに行者小屋に下る地蔵尾根との分岐がある。

14:30赤岳天望荘着。(Hotel Serial No.418)赤岳天望荘には我が家にもあるゼファー社の風車が8基設置されていた。そのうち2 基は羽が外されて、1基を除きブレーキをかけていた。強風時、ブレーキをかけ忘れて羽を破損したのだろうか?ソーラーセルはセットになって新棟の屋根に設 置されている。

赤岳天望荘の風車発電 15:59

おどろいたことに赤岳天望荘には五右衛門風呂があった。口径4mはある鉄鍋をここに運び上げたのはヘリであろうか。ただし鉄鍋は単なる湯船でボイラーから 湯が供給されるしかけであった。風呂で汗を流し、 新棟の談話室で生ビールをいただく。談話室からは野辺山の宇宙電波観測所のバラポラアンテナが天空をにらんでいるの が見える、そして飯盛山はどれか判別で きないが、その奥にオムスビ型の横尾山、瑞垣山、金峰山がほぼ一直線に見通せる。その左に細長い谷は川上村だろう。川上村の北側に天狗山と御座山が見え る。ビールで眠くなり、午睡をとる。しかし高所恐怖症に起因する悪夢でうなされることになる。

新棟は個室専用でベッドが入り清潔な寝具である。これは少々高価なので我々は旧棟のたこ部屋を選ぶ。こちらは少し匂うシラーフである。シラーフだけでは寒 いので、持参したダウンのヴェストとウィンドヤッケを着込んでシラーフにもぐりこむ。ダウンのヴェストは値は張ったが、軽くて暖かいので助かる。

 

第三日、6月18日

本日のルートは赤岳天望荘から赤岳山頂を経て行者小屋に下る全長2.97km、累積登り174m、累積下り669mである。(ルートはまちがえて赤岳鉱泉まで引いてある)

赤岳天望荘6:50発で赤岳山頂に至る。岩盤を鎖に頼って登ることになり緊張した。7:40赤岳山頂着。

赤岳頂上小屋より横岳方面を振り返る 7:41

赤岳頂上小屋より横岳方面を振り返れば赤岳天望荘が眼下に見える。

赤岳頂上小屋から赤岳山頂 7:42

赤岳頂上は狭い。記念撮影したらすぐ他の登山者に場所を譲らねばならない。単独行の若い女性は阿弥陀岳経由できたという。それにしても早い。

狭い山頂で記念撮影 マーさん撮影 7:50

赤岳山頂からは眼下の森の中に長大な3階建の白亜の建物が見えるセラヴィリゾート泉郷清里高原ホテルらしい。その向こう は清里だ。その奥に両神山が雲の中から頭をだしている。御座山の左手には赤久縄山も同じように雲の上に首をだしている。その左手には荒船山浅間山も見える。至 仏や平ガ岳は霞の中だ。

赤岳山頂より行者小屋の俯瞰 7:56

西側の谷底には行者小屋と赤岳鉱泉が見える。遠方には蓼科山が八ヶ岳連峰の北端を締めくくっている。西方には北アルプス、中央アルプス、御嶽山が白い姿を 見せている。

赤岳山頂より権現岳、編笠山、遠方に南アルプスの北岳、甲斐駒ケ岳、千丈岳 7:56

そして南方には南アルプスの北岳、甲斐駒ケ岳、千丈岳が、 手前には権現岳、編笠山を見下ろせる。記念撮影をしてすぐくハシゴを下り、竜頭峰をの間の岩場を鎖を頼りに下る。凹部のため恐怖感はない。

阿弥陀岳に登る仲間3人と分かれ、文三郎尾根を一人行者小屋に下る。単独行は初めてだ。途中彼らが中岳に向かって行くところと中岳を過ぎ、阿弥陀岳の岩壁 に仲間が取り付く様を眺める。このようなのっぺりした急傾斜の岩盤を登るのは苦手だ。率直に尊敬の念をもった。望遠レンズで撮影した写真を見ると三人のう ち1人は荷物番をして中岳のコルに残り、マーさんとクリさん二人だけが登頂したようだ。マーさんの話しでは玉葱状構造の岩場でホールディングは悪くない が、雪渓が登山路に残っているところでは登山路の脇の岩場を登らねばならず、怖かったという。

留守番をしていたコンちゃんによると赤岳鉱泉と赤岳展望荘の談話室で一緒だった我々と同年輩のご婦人が若いプロのガイドを雇い、ザックもカメラを担いでも らい、身一つでザイルで確保してもらいながら阿弥陀岳の岩に取り付いていたという。阿弥陀岳は急斜面の岩盤をよじ登らねばならないところだがそのチャレン ジ精神とプロのガイドを雇える資金力に脱帽した。このガイド氏はなかなか親切な男で赤岳展望荘では彼女に周辺の山についてのウンチクを傾けて説明してい た。興味を持って調べると八ヶ岳マンツーマンガイド料金は一日3.5万円とのこと。これに山小屋の料金2人分約2万円が加算される。3日で16.5万円用 意せねばならない。

中岳に向かう仲間3人 8:54

阿弥陀岳の岩壁に取り付く仲間2人  9:48

三郎尾根は下るほど斜度をまし、後半は金網製の階段を延々と下るだけとなる。11:10行者小屋着。ラーメンを食しなが ら仲間を待っていると30分遅れで仲間と合流できた。 ここで気が緩んで地図を行者小屋に寄贈してくる。南沢は洪水で橋が流されていたが何とか下る。花多し。くりさんが幻のランといわれるホテイランを見つけ動 かなくなる。 絶滅危惧種だという。

ホテイラン

ミヤマハンショウヅル

チゴユリ

行者小屋経由美濃戸口駐車場に16:15着。スパティオ小淵沢「延命の湯」(Hot-spring Serial No.250)にて一風呂 浴びて休憩。富士見高原にある「八峯苑鹿の湯」も登山後の湯としてはよさそう。(Hotel Serial No.420)

小淵沢ICより高速道。休憩も取らず移動し、開成駅で解散。


7月の初めになってコンチャンから次のようなメールをもらった。

最悪の天気予報でしたが、思い切ってこの3日、列車とバスを乗り継いで八ヶ岳の花に再挑戦してみました。ラツキーにも、いちども雨にあうことなく、花また 花の登山道を三日間歩きつづけ、かみさんは大満足、ガイドの面目もたちました。

ツクモグサは終わっていましたが、かわってウルップソウ、オサバグサ、ミヤマシオガマ、コマクサなどが盛りをむかえ、さらに、ミネズオウ、イワウメ、コケ モモなど小さな妖精たちがまわりの岩を埋めつくし、まさに見事の一語でした。いやぁ、ほんとうに凄い山だね。

ほかに、タケシマラン、ゴゼンタチバナ、オヤマノエンドウ、コイワカガミ、イワヒゲ、コメバツガザクラなどなど、この間見た花や見なかった花が咲き乱れ、 全山を覆っているという感じでした。

強風とガスのため鎖や鉄梯子は無理だろうと、今回は硫黄岳から横岳手前あたりにとどめましたが、来年は、ひたすらツクモグサ狙いで横岳を越えると意気込ん でいます。たしかにその価値はあるね。

赤岳鉱泉に連泊しましたが、ガラガラで拍子抜けしました。二泊とも個室を予約しておきましたが、一日目は、大部屋が空いているのでこちらでどうだと言わ れ、あの広い部屋を貸し切りにしてくれました。連泊缶ビールサービスだったりで、ずいぶん得をした気分です。いい小屋だね。

今回も、鳥がよく啼いてくれました。ルリビタキ、コマドリ、ミソサザイ、メボソムシクイなどなど。美濃戸口の森でキバシリが木をのぼる姿を家内が双眼鏡に おさめました。小生は見逃しました。

このルートを舞台にした新田次郎の「疲労凍死」がある。冬季中岳で倒れるストーリーだ。

2018年の春分の日の降雪時に阿弥陀岳に登っていたパーティーの先頭はスリップし、ロープでつながっていた7名が一緒に滑落。3名が無くなる事故があった。

June 22, 2008

Rev. March 28, 2018


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