奥州

焼石岳・栗駒山

wakwak山歩会の メンバーの一人クリさんが15年前に岩手県の栗駒山(旧名;酢川岳または須川岳、1,627m)に登ったとき、北方に見えた焼石岳(1,548m)の残雪 の姿に魅せられた。どちらも古い火山とのこと。彼の永年の念願を果たすべく、2005年6月27-29日にWakwak山歩会の4名はこの両方の山に登 り、春の高山植物をめでようと企画した。

白ルート

東北なら梅雨入りも少ないだろうと考えたこともここを選んだ理由である。しかし目論みは見事にはずれ、東北地方だけに雨が降るというめぐりあわせになっ た。多少の雨は無視ということで計画の変更もしなかった。

第1日

旅費は節約しようとマーの車を交替で運転してゆくことにした。桜木町駅で全員集合。ランドマークタワー地下駐車場から車を発進させる。みなとみらい出入口 から首都高速、横浜ベイブリッジ、湾岸線、荒川土手の中央環状線経由で東北道に入る。

平泉を過ぎて水沢ICで東北道を下り、国道397号線で今日の宿泊地に向かう。素泊まりで予約した「やけいし館」はひめかゆスキー場の麓にある。(Hotel Serial No.314)宿の管理人によるとスキー場は市営で赤字のため、客がすくなくなると直ぐリフトの運転をとめてしまうという。登山客は我々だけだ。

石淵ダムの下にもう一つロックフィルダムを建設中で、遮水層形成のための粘土を山からコンベヤベルトで運び出し、宿の眼前の谷にストックしてある。この ロックフィルダムこそ、 政治がらみで有名な胆沢ダムである。2010年1月から、検察と民主党幹事長小沢が裏金をもらったかどうかで死闘を演じている。

雨のため、夕食は近くのレストランから車で迎えにきてもらってとる。レストランの客も我々4名のみ。

第2日

翌朝4:00起床すると雨は奇跡的にあがっている。アカショ ウビン(雨乞鳥、水恋鳥)が鳴いている。 「三屋清左衛門残日録」 の「梅雨ぐもり」の章に「けろろ」という名ででてくる鳥だ。マー さんによればアカショウビンの鳴き声がきけるなど非常にまれだとのこと。前日コンビニで調達したしたパンとミルクで朝食とする。宿の管理人がでてきて粘土 の採取場を提供している地主は大もうけしているという。民主党の小沢氏の地元ゆえか工事着手は大幅におくれたと言っていた。車で出発する。建設中のダムを 横目に見ながら尿前(しとまえ)から林道に入る。林道は未舗装で、かつ雨のため道面は荒れ、車の下腹を路面 にこすらないように登るのは一苦労。中沼登山口に駐車。車は我々だけである。

6:20中沼登山口(海抜720m)出発、急な尾根道を登る。キビタキクロジビンズイの 鳴き声が聞こえる。7:20中沼着。標準時間の1.5倍かかっている。ここで万歩計を紛失。

タニウツギが咲く中沼から残雪の焼石岳を望む

沼越しに雲の中から残雪の残る焼石岳が姿を現している。更に登ると上沼に着く。水辺の花が咲き誇っている。まさに百花繚乱。自然の巧みの驚かされ る。ここからの焼石岳の姿がよい。

コバイケイソウの咲く上沼から 残雪の焼石岳を望む

百花繚乱の上沼から残雪の焼石 岳を望む

小雨が降ったり止んだりし始める。暑いがカッパを羽織る。登山道が雨のため、川となっていて歩きにくい。途中から残雪が現れ、つぶ沼コースと合流する場所 では大きな雪渓が現れる。

銀明水に到着する頃は雨が本格的に降ってきた。ここで昼食とする。銀明水避難小屋はしっかりしている。コンちゃんの友人達は数週間前ここで一泊した という。

焼石岳の雪渓を登る

雨の中、雪渓をいくつか横断する。雪渓は雨で柔らかいのでもってきた軽アイゼンは使わずに慎重にのぼる。次第に勾配がゆるくなり、雪渓もなくなる。姥石平 分岐点手前の高度1,260mの地点に達するが、時間切れで登頂を断念してUターン。悪路と雨にたたられて540m登っただけである。 山頂までなら更に288m登らねばならない。お花畑を前にして残念なことだがやむをえない。われわれ中高年組がこの山をゆっくり味わうには銀明水避難小屋 一泊がよいようだと話し合う。下山途中 、登ってくる二組のパーティーに会った。初めの若いパーティーは金明水非難小屋に泊まり、経塚山経由、夏油(げとう)温 泉に縦走するのだといって多量の荷物を担いでいた。

登って来た道を逆行して14:00に車にもどる。予定では14:20着なので、登頂断念は正しい判断だったわけだ。水沢ICで東北道に入り、一関ICに向 かう。ここで国道342号線に入り須川温泉に向かう。ドライバー のマーさん以外は気持ちよく熟睡しているうちに須川高原温泉ホテルにつく。このホテルは秋田県との県境にある。(Hotel Serial No.315)建物は古く、ガ タがきているが、強酸性のみょうばん緑ばん泉は湯量が多く、源泉掛け流しのすばらしいものだ。源泉が川のようにふんだんに流れ、温泉はそのほんの一部を湯 槽にかけ流しているだけで、まったくもったいないような秘湯であった。白濁した湯は飲用可能で口に含むと酢の味がする。

目の前に見える栗駒山山荘は 秋田県側にある。モダンな建物で景色も良い人気の高い山荘だ。しかし人気が高いだけ早く予約する必要があり、天候に左右される登山基地としては使えない。

夕食後は疲れで20:00には寝てしまう。

第3日

5:00起床すると快晴である。須川温泉は海抜1,100mにあり、栗駒山山頂との高度差は527mで昨日の実績から軽く登頂できると心も軽くな る。栗駒山は岩手、宮城、秋田、山形の四県境にまたがるコニーデ型の休火山である。岩手県では須川岳、秋田県では大日岳と 呼ばれる。宮城県側はおだやかなスロープを持つが、岩手側は古い火口が散在して複雑な地形である。須川温泉はい わばその火口の際にあるといってよいだろう。360度眺望できる山頂からは、鳥海山、月山、蔵王連峰、秋田駒ヶ岳、早池峰山を望むことができる。
 

事前に用意したおにぎりを朝食とし、6:15出発。須川高原温泉の源泉が湯煙を上げている脇が登山口である。歩き出すと分岐がいくつかある。どこを登って も1本の登山道に収斂するためか、いくつかある登山道には案内標識がな い。戻って確認したため実際の出発は6:50になる。

源泉脇の登山口

名残ヶ原の湿地帯を行く

名残ヶ原の湿地帯を木道で抜ける。正面に栗駒山が穏やかな山容をみせている。振り返れば、昨日登った焼石岳は残雪を残した美しい姿で横たわってい る。

昭和湖

天狗岩と遠方に月山

帰路とする自然観察路を左に分けてガレ場の登りは那須岳登 山を思い出させる。8:00、火口湖の昭和湖に 到着。沼の底からはガスが泡となって噴出しているのが見える。振り返ると焼石岳の右手遠方に岩手山が見えた。 岩手山に残雪はない。昭和湖を過ぎれば潅木の中を尾根に向かってただひたすら登るだけである。ここで小休止したとき大雪山の黒岳登頂の折り、購入したクマ よけベルをベンチに置き忘れた。残念。

昭和湖から前日アタックした残雪の焼石岳を望む

尾根に達すると鳥海山がまだ真っ白な雪をいただいて富士山のような秀麗な姿を見せている。鳥海山の南方には月山がどっしりとした姿で残雪を頂いて雲のよう に見える。天狗岩を過ぎて緩やかな尾根をたどってゆくと9:45に広い山頂に出る。山頂から は360度の眺望を楽しめる。遠くに鳥海山、月山、焼石岳、岩手山を望むことができた。

栗駒山尾根より雪を いただく鳥海山を スームアップ

栗駒山は宮城県との県境をなしている。宮城県側は揚石山(あぐろしやま869m)がゆったりとした曲線を描 いて雲の下に見える。その左手に荒砥沢ダムがつくる人造湖が見える。揚石山(あぐろしやま)の手前には大地 森(1,155m)が見える。この大地森と揚石山の間には世界谷地の湿地が広がる。ほかは何もない自然が広がっている。このたおやかな山塊の中に国道 398号線沿いにランプの宿として有名な湯浜温泉、温湯(ぬるゆ)温泉が隠れているらしい。そしてその向こ うには大学生時代、卒業のお別れ旅行をした鳴子温泉そして近くの鬼首(お にこうべ)。鬼首にはリゾートパーク・ホテル オニコウベがある。(Hotel Serial No.385)いつかここに泊 まってみたいものだ。

宮城県側の左から いわかがみ平、いこいの村、荒砥沢ダム、揚石山、世界谷地 湿原、大地森

山頂で昼食を摂り、記念撮影をする。マーが来年には鳥海山と月山を計画しようとしきりに言い出した。

産沼(うぶぬま)、自然観察路経由下山する。13:15帰着。須川高原温泉のこれも豪勢な露天風呂で汗を流 す。露天風呂はブヨがいるのでご用心。7時間のドライブで無事帰宅。

焼石岳では花が豊富であった。栗駒山には喧伝されるほど花はない。 自然観察路に期待したがそれほどでもなかった。焼石岳にあったリュウキンカなど黄色の花は全くない。むしろ秋の紅葉がすばらしいらし。栗駒山はアクセスが 容易なので人気があるのだろう。高山植物にくわしいクリさんに二つ の山で今回見た植物を教えてもらった。

タ ニウツギコ バイケイソウ、コブシ、マ イズルソウ(白)、リュ ウキンカ(黄色)、ヒ オウギアヤメ、サラサドウザン(ピンク色)、タ ムシバミツガシワショ ウジョウバカマエ ンレイソウツ マトリソウ(白色)、ヒナザクラ、ウラジロヨウラク、ツガザクラ、ハ クサンチドリゴ ゼンタチバナタ テヤマリンドウイ ワイチョウ、サンカヨウ、ムラサキヤシオ、ヒ メウメバチソウ、キバナノコマノツメ、オオバキスミレ、ホソバイワベンケイ、ヒメカイウ、シ ラネアオイコケモモイ ワカガミなどである。

花は沢山撮影したが、紹介は又の機会にしたい。

July 06, 2005

Rev. January 27, 2010


2008年6月14日に2005年に断念した焼石岳に再挑戦しようと計画していたのだが、直前の6月15日に岩手・宮城内陸地震M7.2が発生して 栗駒山東斜面一帯が大きな被害が生じて登山は中止せざるを得なかった。防災科学技術研究所:一関西観測点(岩手県一関市厳美町祭畤(げんび ちょうまつるべ):4,022gal (4.1G全方向合成)、日本国内観測史上最大値で、世界最大の加速度としてギネスブックの認定を受けたという。

祭畤は南北に走る北上低地西縁断層帯に近いためこの加速度が記録されたと思われる。断層の南端40kmが4mずれたという。いわゆる圧縮力でずれる 逆断層で北上盆地が奥州山脈の下にもぐりこみ、奥州山脈が押し上げられたことにな る。そもそも奥州山脈はこうしてできたようだ。
その後の調査で北上低地西縁断層帯に平行してはいるがその山側に今まで知られていなかった断層が動いた物と判明した。

一関から須川温泉にゆく国道342号線が土砂崩れで寸断されたし、焼石岳の東北山麓にある夏油温泉に行く道も閉ざされたようだ。しかしなんといっても荒砥 沢ダムの北側にある世界谷地にゆく道路が1km四方に渡って大崩壊した。148m滑落し、その上にあった道路が横に300m流れた。荒砥沢ダムにせき止め られた水地下水が滑り面となったのかもしれない。荒砥沢ダムの水位は流れ込んだ土砂で2m上昇したという。

Rev. June 21, 2008


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