パリ、シャンパーニュ、ブルゴーニュの旅

第8日

オータン

6月13日(月)、シャンパーニュ・ブルゴーニュ地方観光

トロワを出発しN71に入る。セーヌ河沿いの 道である。入口が立派な立体交差であったため間違ってA5に入ってしまったかと心配したが、程なく間違いないと判明した。フシェール村に入るとセーヌ河が見えるところにでた。岸辺の駐車場に車を入れ、付近を散策する。

フシェール村を流れるセーヌ河

フシェール村を流れるセーヌ河

しばらく進むとムッシー・シュール・セーヌ村に至る。N71沿いの村々の名前はXXX・シュール・セーヌという名が多い。さすがここまでくるとセーヌ河も小さくなる。 事前勉強を2日かしなかったため、ムッシー・シュール・セーヌ村のちょっと手前にあるルノワールの眠る村エソワに立ち寄ることに気がつかなかった。

ムッシー・シュール・セーヌ村を過ぎればシャンパーニュ地方からブルゴーニュ地方に入る。シャティヨン=シュール=セーヌでセーヌ河とはおさらばしてD980に入る。広大なロッシュフォールの森を通過してモンバーを望む丘の上に出る。フォントネ修道院はもうすぐだ。 この丘陵がいくつも連なる地方はコート=ドール(黄金の丘)と呼ばれる。コート=ドールに入ったのだ。

コート=ドールの殆どの海抜は180-650メーターで最高地点はソーリューとオータンの中間にあるモルバン(Morvan)山地にあるメネセール(Menessair)村で海抜720メーターである という。ちなみにコート=ドール南端のソーリュー河に近いディジョンは海抜227メートルである。ディジョンはブルゴーニュ公国の首都だったところだ。

ムッシー・シュール・セーヌ村を流れるセーヌ河

モンバーを望む丘の上で

一旦モンバーのある谷に下り、少し南下し、左手の谷に分け入ると世界遺産のフォントネ修道院が谷間にしずかにたたずんでいた。1098年に聖ベルナルドに より創立されたシトー修道会により1118年に創立された修道院という。フォントネとは泉を意味するラテン語でたしかに水の豊富なところだ。フランス革命 時には国有化され 、製紙工場となったが、その後転売され、1906年リヨン銀行のオーナー一族が買いとり、修道院とそして復元、現在に至るという。世界遺産に指定されてい る。

フォントネ修道院 庭園

フォントネ修道院 回廊

フォントネ修道院 噴水 

谷を戻り、ジュリアス・シーザーがガリアの指導者、ヴェルサンジェトリックスと死闘を演じたアレジア(本文ではフランス風ににごって発音する)の古戦場のあるアリーズ =サント=レーヌ村に向かってD905を更にすすむ。ここが今回の旅の最大の目的地だ。ジュリアス・シーザー自身が筆をとった「ガリア戦記」でも最大の見せ場となっている。

アリーズ=サント=レーヌ村はアレジアのある丘の中腹にある村だ。坂を登り、村の駐車場に車をとめて、村に1軒あるレストランで腹ごしらえ する。食後の運動を兼ねてヴェルサンジェトリックスの銅像のある丘の頂上にむかって急坂を徒歩で登る。丘の上のヴェルサンジェトリックスの銅像を訪れる人 は少なく、荒れた感じであった。ヴェルサンジェトリックスが降伏した後、ローマ人が築いたローマ式の街の遺跡発掘現場に車で移動する ため村の駐車場にもどる。フランスを英国から守ったジャンヌ・ダルクの銅像がこの村にある。なぜかは調べてないが、ヴェルサンジェトリックスがローマから の独立を指導したのにちなみ、英国からの独立を指導した人を記念したものかなどと軽く考える。遺跡発掘現場に付属するショップで歴史本 を売っている。Michel Reddeという研究者が書いたAlesiaと題されたフランス語の分厚い本を一冊仕入れる。

ヴェルサンジェトリックスの銅像

発掘中のアレジアのローマ円形劇場遺跡

ジュリアス・シーザーはガリア戦記、第7巻、7年目の戦争の章でアレジアを;

「アレシアの城市は、丘の頂上付近を占め、非常に高い位置にあり、そのため封鎖する以外に陥落させることはできないと思われた。丘の裾は、南北両側で川に 洗われていた。町の正面、つまり西側には、長さ4.5キロの平坦な土地が広がっていた。あとはどの側でも、町のある丘と同じ高さの頂をもついくつかの丘 が、かなりの間隔をおいて町を取り巻いていた」

と描いている。

現地にゆくと全くそのままの地形がいまでも残っている。下の航空写真の左下の水滴状の台地がアレジアである。丘の右側中腹にへばりついているのが昼食を摂ったアリーズ =サント=レーヌ村である。丘の頂上真ん中に発掘中のローマ遺跡がある。ヴェルサンジェトリックスの銅像は丘の右下の突端に建っている。 現在は頂上の平坦地を取り囲む森林に隠されているが、古図をみるとここは石灰岩と思われる岩盤が露出しており、垂直の絶壁となっていて城を築く適地ということがわかる。

ジュリアス・シーザーはアレジアの丘を15キロの封鎖施設で取り囲み、自らは右手の丘の上に陣地を築いて、長期間の封鎖を行い、ついにヴェルサンジェトリックスを下すのである。

アレジアの航空写真 Michel Redde著Alesiaより

アレジアとシーザーが布陣した丘の間を流れる オズラン川の谷底につけられた道路D9を通って、アレジアの古戦場の南側の丘の上の村、ジュリエット・ビノシュ出演の2000年の映画「ショコラ」の舞台となったフラヴィニー=シュール=オズラン村に向かう。この村はジュリアス・シーザーが布陣した丘に並び奥まった小さな丘の頂上全てを占拠していて、感じのよい静かな村であった。上の航空写真中央上にも小さく見えている。映画の舞台になった教会はすぐわかったが、 ジュリエット・ビノシュが開くショコラの店となった場所は記憶がうすれていて分からない。帰ってレンタルビデオを見てこの教会の前の広場に面する角の家とわかった。 映画では教会前広場の中央には銅像があったが、実際にはない。

フラヴィニー=シュール=オズラン村の教会

ショコラの店のモデルとなった民家(左のアーチ窓)

今日の最終目的地のオータンに行く前に要塞のあるスミュール=アン=オーソワに立ち寄ろうとD9をそのまま使い丘を下るとPoullenay村でブルゴーニュ運河を横断した。運河のロックも船溜まりも観光用に使われているようだ。

このブルゴーニュ運河は下流はサン・フロランタン下流でヨンヌ河に連絡し、最後はロアン運河分岐点少し上流でセーヌ河に合流し、大西洋に連なっている。

ブルゴーニュ運河をPoullenay村より少し遡ったところにあるシャシー村(Chassey)のシャシー城はかって画家のバルチュス(Balthus)が住んでいたところだ。ブルゴーニュ運河の最高地点は ロックの方向と全体の地形からこのPoullenay村より上流の地点にみえる。地図をつらつら見るに運河のロック運用を可能とする沢山の貯水池が用意されていることから もそうだろう。そしてコート・ドールの丘陵地帯の谷を経由してディジョンに至り、最終的にソーヌ河に合流している。かくして大西洋は地中海へと連なっているのだ。

映画「ショコラ」にでてくるジョニー・デップが水上生活する船は多分ブルゴーニュ運河という想定であろうが、フラヴィニー=シュール=オズラン村から歩いてこれる距離ではない。架空の設定であろう。

プジュリ村のブルゴーニュ運河の船溜まり

スミュール=アン=オーソワ手前の田園地帯

再び丘を登ってスミュール=アン=オーソワに向かう丘からみる田園地帯は牧草地に樹木が点在して美しかった。このかいわいの牛は白い。 スミュール=アン=オーソワの町の中心部を横断して西側に抜けると急に深い谷を渡る。対岸から見る城壁を振り返るとトレドを思い出させる景観であった。円筒状の塔に縦に亀裂がはいっている。

スミュール=アン=オーソワ

夕闇せまるなかフランス台地の最高地点に近いソーリューを経由して一路、アウグストウスが築いたというオータンに向けひ た走る。 辺りの景観は平坦で特徴のないところだ。台地を抜けて谷を下ると夕闇のなかにオータンの街が見えた。オータン市内は一方通行の上、工事中でなかなかレズュ ルシュリヌにたどりつけない。城壁外を大回りして裏口から一方通行の道を逆行してようやくたどりつく。中世の修道院を改装したホテルとか。町を囲む城壁上 に位置していて眺望はバツグンである。 遠くに羊が放牧されているのが見える。

オータンは大西洋にそそぐロワール河の支流の一つの上流に位置し、オータンから流れ出る川がロワール河に合流する地点で地中海にそそぐソーヌ河に連結すべく中央運河が分岐し、多数のロックで分水嶺へと向かって伸びている。オータンの南側の丘を越えた向こう側のジャンヌ・ローズの海抜は301メートルでセントラル運河が通っている谷の最高地点となっている。 これがブルゴーニュ運河に次ぐ二つ目の大西洋と地中海をつなぐ運河となっている。柏村勳氏はこちらをクルーズしたのだ。

オータンのレズュルシュリヌの居室からのながめ

レズュルシュリヌは名シェフ、アラン・デュカスが経営するシャトーホテルとか。ネクタイを絞め、ブレザーコートを羽織って夕食のテーブルにつく。 エスカルゴは美味だったが、ホタテはバター味がしつこすぎて残すハメになった。

第8日のコース

トロワ出発、N71、セーヌ河沿いのフシェール(Foucheres)村、ムッシー・シュール・セーヌ(Mussy-s-Seine)村、シャティヨン= シュール=セーヌ(Chatillon-s-Sene)、D980、 モンバー(Montbard)、フォントネ修道院(Abbaye de Fontenay)、D905、アリーズ =サント=レーヌ村(Alise-Sainte Reine)、D9、フラヴィニー=シュール=オズラン(Flavigny-s-Ozerain)村、ブルゴーニュ運河のあるプジュリ (Pouillenay)村、スミュール=アン=オーソワ(Semur-en-Auxois)、D980、ソーリュー(Saulieu)、D15、 N81、オータン(Autan)のレズュルシュリヌ泊、 (Hotel Serial No.311)

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July 10, 2005

 Rev. July 1, 2014


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