揣摩(しま)の術の悪弊

まえじまてつお氏が佐々淳行氏の著作に夢中になって折られる由、英国行きなどで忙しく「あさま山荘」の映画は見損なったが、今日、本屋でその「あさま山荘」と氏の最新の本「わが上司後藤田正晴」を買ってきて読み始めた。後藤田正晴氏も尊敬する人なので佐々淳行氏がどう料理するか楽しみである。

いま「あさま山荘」から読みはじめたが20ページ目で「兵力の集中投入」を進言するところから胸騒ぎがしてきた。佐々淳行氏は香港の英国政庁から学んだようだが、1980年ころ買って積んでおいた米海軍の理論的指導者で東郷艦隊の秋山参謀の師アルフレッド・マハンの「海軍戦略」を紐解くと、第3, 4章に「集中の原則」ということが書いてある。

一方、孫子の兵法の三篇には彼我の兵力の状況によって戦い方、逃げ方を書いてあるが、能動的に兵力を集中せよとは書いてない。むしろ将軍は君子の大切な補佐役だから、君子との間を稠密にして疑惑などしょうじないようにせよといっている。

小室直樹が「数学嫌いな人のための数学」の第2章で東西の論争技術を比較していっているように、中国では論争は活発だが、しかしそれは西洋の論争とはちがう。いわゆる「 揣摩の術」(君子の心を見抜き、思いのままに操縦する術)は論争で相手を追い詰めることはなく、お説にしたがうようにしようという気を起させる術である。 気功の国なのである。インド・ギリシアでは政治権力に独立して純粋に哲学を追求する階層を生んだが、中国では思想家は常に政治権力者から独立ではありえなかったのである。ながくその文化の影響下にあり 揣摩の術の悪弊にそまりそのうえ論争すら好まない日本はいわんをや。

マハンの教えに従った明治日本はロシアを破ることはできたが、その後の昭和日本は韓非子や孫子流の「 揣摩の術」にもどって敗戦となった。第二の敗戦と言われる1990年代の日本の事情も同じだろう。清沢洌(きよし)が戦時下につづった「暗黒日記」に「日本人は感情を食っている人間だ」とあるそうだ。感情を食っている間に真理は自己出現する。

次元は低くなるが、佐々淳行氏がその著「わが上司 後藤田正晴」で最近のキャリア役人やあらゆる組織でのノーブレス・オ ブリージの欠如、不作為、保身、驕慢の弊風は現場第一主義を忘れた人事政策にあると指摘しているが、現場第一主義とは真理を重視することであり、権力者の 感情を重視する「 揣摩の術」から最も遠いものである。

アングロサクソンと仲良くしている時の日本は安泰だが、そうでないときは危ないと岡崎久彦元大使は言うが、ギリシアの文 化を受け継ぐアングロサクソンは権力のしがらみなく冷静な判断をできる文化をもっているためであろうか。多分個人が権力から独立していることと、権力の行 使過程の透明性が維持されているために、本音の論争があり、結果として自ずから正しい判断と行動がでてくるのだろう。権力から独立でない個人が後藤田五訓を守るには相当の勇気ある人材が必要だ。勇気ある人材は得がたい。権力の行使過程の透明性が確保されていれば凡人でも不作為、保身、驕慢の弊風を避けることができるのではないか?

ところで戦いに勝ったはずの米国もこのところおかしい。ストックオプションによって経営と所有の一体化をさせて活力を出させたはずがブーメランとなって己にもどってきたのであろう。株主を君主にみたてた米国流「揣摩の術」が瀰漫した結果か?

佐々淳行氏によれば諷諫(ふうかん)というのがあるそうだ。これも「揣摩の術」の一つであろう。英王室にもスキル・アップワード(Skill Upward)の術の一つにホイッピング・ボーイ(Whipping Boy)というのがあるそうである。宮廷の重臣たちが国王を諌めるとき、王様を叱ったり、鞭うつわけにはいかないので、身代わりにその小姓をむち刑に処して間接的に国王を戒めたのだそうだ。 「揣摩の術」はなにも東洋の独占ではないわけだ。

August 18 2002

Rev. September 30 2009


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