奥多摩

檜原村訪問

1999年4月17日(土)、東京都の西の端、檜原村(ひのはらむら)を訪問した。以前鉄馬で訪問した陣馬街道と青梅と塩山を結ぶ青梅街道の間に横たわる谷筋である。爪生卓造の 「檜原村紀聞」を読んで準備を整えておいた。

朝7時半七里ヶ浜を出発、16号線経由、3時間で本宿到着。秋川渓谷、数馬(かずま)の「蛇の湯」経由、檜原都民の森に到着。約3時間、三頭大滝(みとうおおたき)、野鳥観察小屋周辺の丁度芽吹きのシーズンの林間を散策した。帰路は奥多摩湖、小菅村、上野原町、相模湖、八王子経由とした。16号線沿い淵野辺での夕食を含め、帰宅したのは夜8時であった。

数馬蛇の湯、兜造りの「たから荘」

檜原村紀聞によれば、数馬の蛇の湯「たから荘」は中村家の経営だが、ご先祖は中村数馬といい。数馬の殿様といわれる山地主とのこと。この地名もここからきている。数馬は鹿妻とも書き、三頭山(みとうざん)は鹿妻山ともいわれたそうである。

秋川沿いの谷は丹沢と同じく、風化しやすい石英閃緑岩でできており、谷は深く、斜面は急である。「かって秋川沿いの谷は馬も通わなかった。北秋川と南秋川に挟まれた浅間尾根(せんげんおね)が交易路であった」と檜原村紀聞にあったが、なるほど、秋川渓谷のあたりは人家も途絶え、崖がせまる。檜原都民の森から見える浅間尾根は木々に覆われ、ここから富士がほんとに見えたのかと思った。

檜原都民の森にはカタクリの花が満開であった。大きなトチノ木の下で芽がチョッとでたトチの実を数個拾って帰る。

五日市で給油したとき、SSのお姉さんがここはバイクとダンプ街道だという。バイクはわかるがダンプの理由がわからない。聞くと、砕石場があるため という。本宿を過ぎてすぐ右手にそれらしいところがある。浅間尾根が南北秋川合流点で終わる先端部を削り取っているかっこうである。風化しやすいという石 英閃緑岩をコンクリートの骨材にして良いのかとも思う。

三頭山と御前山の鞍部を超えて多摩川流域の斜面を下っても奥多摩湖は見えない。それだけ急斜面だということだろう。奥多摩湖は桜の満開であった。秋川、陣馬街道から流れ出る淺川などはみな多摩川に合流する。

天候不順な4月のためか、車は少なく、渋滞は皆無。特に小菅村から上野原町に出る上野原・丹波山線は対向車もまれであった。小菅村の小高い峠(鶴 峠)を越えると相模川流域となる。三頭山から東南に伸びる笹尾根が切れて勾配がなだらかになり平野となるあたりが突然切れて急に落ちこでいるところが上野 原であった。落ち込んだ下は相模湖である。多分この地形の故に上野原という名がついたのかと思った。

1999年4月17日

後記:後にもう一つの数馬という地名は多摩川上流にもあることを知る。

Rev. May 10, 2016


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