29年前の写真は色あせてしまったが、辛うじて色褪せが少ないものをここに収録した。
1971年9月21日、アラビア湾に建設予定の天然ガス液化プラントの設計のため、ロンドンのコンソーシアム相手のベクテル設計事務所に長期間滞在した。顧客のBPが ロンドンに設計事務所を設立するよう要求したからである。初めての英国滞在であった。その折の週末の余暇の旅行・散策の記録を古いアルバムから紹介しよう。
設計事務所はオックスフォードストリートの裏手にあるポートマンスクエアに面したところにあって、チャーチル・ホテルもスクエアの対面にあった。
1971年10月5日、単身赴任のため、週末には天皇陛下御訪英を歓迎する日章旗が翻るバッキンガム宮殿前のモールを散策。
モール
モールが終わるアドミラルティー・アーチ。この向こう側はトラファルガー・スクエア。ネルソン像がアーチの中に見える。
アドミラルティー・アーチ
大英博物館見学。
大英博物館
1971年10月22日、家族到着。マーブルアーチ駅の近く、エッジウェア街に面したパーク・ウエスト・プレイスに住む。タウンライフを満喫。
パーク・ウエスト・プレイス
1971年10月24日、ビッグベン、ハイドパーク、 グリーンパーク、 バッキンガム宮殿 、セントジェームズ・パーク、 ホアイトホール、リージェント・パークなど散策。
ビッグベン
1971年10月31日(日)、午前中リッチモンド・パーク散策。午後ロンドン塔、サウスワークを散策。
1971年11月6日(土)、週末をリーズ、 ブロンテ姉妹のハワースを訪問のため、レンタカーで出発。ハワースのブロンテ牧師館博物館を訪問。牧師館に至る旧炭坑夫であふれていたであろう町並みや牧師館裏手のヒースに覆われた荒涼たるムーアの風景はわすれられない。
ハワースのブロンテ牧師館
リーズ郊外セルビーのホテル泊。ここの水がうまかったことは忘れられない。
翌日はスコッチコーナーを周り、湖水地方に抜ける旧ローマ街道を西行する。アップルビー・イン・ウエストモーランドを通 過する。このスコッチ・コーナーから湖水地方へ抜ける田舎道は荒涼としている。石積みの牧場境界がこの地方の特色。ペンリスへ入る直前にブロウ城という廃 墟があった。湖水地方のウインドミーアはワーズワースが愛した土地で彼の住んだDove Cottageなどが保存されているとのことだが又の機会とする。夕闇の中、湖水地方を通過し、夜半ロンドンに帰着。
1971年11月13日(土)、午前ロンドン市長パレード見学。セントポール大聖堂訪問。午後ウィンザー城、ハンプトンコート宮殿訪問。
1971年11月14日(日)、カンタベリー大聖堂訪問。 ドーバーとヘイスティングを回ってロンドンに帰る日帰りドライブ。
カンタベリー大聖堂
ドーバーの崖
ドーバーの崖も結構迫力があったがこれより西にセブンシスターズという白亜の崖がある。同じものがフランス側にある。こ
れは温暖期に海水面が今より270m高かったとき、イングランドとフランスが水面下に沈み、円石藻などの化石が海底に積もってできた未固結の石灰岩からで
きている。円石藻の化石は2億年前の三畳紀から現代に至る各層から発見されている。円石藻が最も栄えたのは1.8億年前のジュラ紀から白亜紀にかけてである。パリも水面下でパリの地下は凱旋門などを作るために切りだした石灰岩採掘場となり穴だらけという。氷河期が始まって海面が下がって英国とフラン
スは海面上に現れ、1万年前に氷河期が終わると溶けた氷河の水でこのチョーク層が浸食されて英国海峡ができたという。
1971年11月21日(日)、アベベリー、ソールスベリー平原のストーンヘンジへ日帰りドライブ。ストーンヘンジは紀元前1,800年頃完成したということだが、ジョーゼフ・B・ランバートによるとこれらの石は氷河がこの平原に残した迷子石を5キロの範囲内で移動して構築されたとされている。 藤森照信によればストーンサークルが建設された当時この一帯は森で、樹木を円形に伐採して庭を作り、付近の石を集めて囲ったらしい。このサークルは野生の動物の侵入を防ぐものであったのだろう。
ストーンヘンジ
1971年11月28日(日)、ストラトフォードアポンエイボンを中心とするシェークスピア・カントリー、ラクビー校、コベントリー大聖堂を回る日帰りドライブ。
1971年12月4日(日)、ロンドン塔、ナショナル・ギャラリーを散策。
1971年12月12日(日)、オックスフォードへの日帰りドライブ。
1971年12月25日、ヨーロッパ、地中海主要都市経由帰国の途につく。
2001/7/14追補
Rev. September 19, 2020