2000年10月グリーンウッド氏の友人、ロンが奥様のコニーと2週間パリに滞在し、多数の写真を撮影した。そのうちグリーンウッド氏がかって訪れた思い出の場所の写真をここに掲載するお許しを得た。
ロンがパリで最も美しいと賞賛している建物はノートルダム大聖堂である。 氏によれば、時代が新しくなるに従い醜くなるという。このようにノートルダム大聖堂をシュベ側(放射状礼拝堂)から撮影した写真は少ない。シュベのフライイングバットレスが見事である。
ノートルダム大聖堂は1163 年着工の初期ゴシック建築であるが、ゴシック建築の原型は 1140年代初めパリ郊外のサン・ドニ修道院付属教会のシュベの構造においてはじまったとされる。
ノートルダム大聖堂はせむし男、カジモドの舞台でもあるが、ダビッドの絵のようにナポレオン・ボナパルトがローマ法王から王冠を取り上げて自ら戴冠した場所でもある。
ノートルダム寺院
ノートルダム寺院にメトロで行くとき、シテ島駅で降りる。地上に出たところに花屋さんがある。1971年12月にここを訪れた時と同じたたずまいが残っている。
シテ島のメトロ出口のコニー
ルーブル美術館は誰でも訪づれる所だろう。ペイのピラミッド以外は300年の古さをもつ。しかし、ノートルダム寺院にはかなわない。
ルーブル美術館
凱旋門もパリを代表する建造物である。その建っている場所がエトワール広場。右に行くとシャンゼリゼ通りを経由してルーブル美術館に至る。左に行けば新都心のデファンス地区に至る。
凱旋門 (エッフェル島から撮影)
1971年当時無かったものがシャンゼリゼ通りの東の外れ、オベリスクの向こう側のチュイルリー庭園に出現した。観覧車である。
シャンゼリゼ通り(凱旋門屋上よりルーブル方向に向かって撮影)
後ろを振り返ればここにも1971年当時無かったものが出現している。デファンス地区である。新ビジネスセンターでグ リーンウッド氏もビジネスでここを訪れたことがある。自動車道路と駐車場は地下にあり、地表(というか人口地盤)は遊歩道になっている。新宿副都心のよう なところである。ここにある四角いアーチの中にートルダム寺院は収まるという。
デファンス地区の遠望(凱旋門屋上より撮影)
エッフェル塔に登れば眼下に見えるのがショイヨー宮。それもそのはず、パリ万博のためにエッフェル塔とセットで建設されたのだから。
ショイヨー宮(エッフェル島から撮影)
ナポレオンの墓がある廃兵院の黄金のドームは1971年当時より輝いているように見える。2015年に入って知ったが、ここには若くして死んだナポレオン2世も葬られているという、かのアドルフ・ヒトラーがナポレオン崇拝者でオーストリーからナポレオン2世の遺骸を移したのだという。
廃兵院(エッフェル島から撮影)
パリを訪れる人々が夜ともなれば訪れるところはピガール広場。ここのムーランルージュも30年間変わらないところである。ピガール広場の生カキ専門の魚屋さんが経営するレストランで出会った海のスープの味は北京で味わった小龍包とともにさすが本場と忘れられない。
ピガール広場
ピガール広場の裏山を登るとサクレクール寺院だ。この界隈は芸術家の溜まり場。
サクレクール寺院
オペラ座もお化粧してきれいになった。
オペラ座
オペラ座のファサードを飾るレリーフは凱旋門のそれと同じである。
オペラ座のファサードを飾るレリーフ
パリにも運河がある。英国生まれのロンはさすが見逃さない。
サン・マルタン運河にかかる橋
ロック行くボート
カフェでくつろぐロンとコニー
2000/11/11
Rev. January 3 2015