ザ・クイーン・コンサート

英国から帰国後、ザ・クイーン・コンサートの模様を BSで観た。バッキンガムパレスの裏庭にしつらえた仮設舞台とバッキンガムパレス内の音楽室での演奏を、12,000人が直接、残り50万人が場外のバッキンガムパレス前とザ・モールの仮設スクリーンで観た。裏庭の芝生の上に観客席を設け、庭園が荒れることを覚悟した決断であったことがわかる。空撮でもほとんど宮殿とザ・モールが人で埋まっている。知人からトイレが少なくて困ったという話を聞いた。その時はピントこなかったが、今では理解できる。

バッキンガム宮殿も裏側から見るとコッツウォルド産のような琥珀色の石灰岩をつかっている。表は灰色の石灰岩であるので印象は全くことなる。サー・エルトン・ジョンがバッキンガムパレス内の音楽室で演奏したが、現役の宮殿はうらぶれたところがなくしっかりとしている。

帰国後、ロンドンで撮影したビデオを15分の私的ビデオに編集するにあたり、BGMにビートルズの曲を5曲選んだ。「ヘイ・ジュード」も選んだが、ビデオ 「衛兵の交代」 にはむかず、「愛こそすべて」に替えた。両曲ともザ・クイーン・コンサートの酉となったサー・ポールマッカートニーが歌った。なるほど良いものは良い。1973年の英国滞在時もパッキンガム・ロードの借家の隣で若者が朝までロックを大音響でかけてパーティーをしても、誰も苦情を言わないほど英国はロックのファンが多い。今回もハマースミスで夜中の12時近くロックの大音響が聞こえていた。ロックは今だ英国が中心である。ザ・クイーン・コンサートも英王室の新任の企画担当官が発想したものと新聞で読んだ。王室も協力して英国のロックを世界に輸出しているわけだ。工業製品の輸出は中国に任せておけばよいと思っているのだろう。昔はチャーチルのご先祖のように軍功で貴族に列せられたが、いまではポールマッカートニーやエルトン・ジョンのようにポップミュージックで世界を制覇して貴族に列せられる。

後半の女王のお出まし後は1960年代の英国オールドロックシンガーのオンパレードだ。米国の奏者を紹介する米国人の司会者がジョークでボストンティー・パーティーにつき、わびをいれても会場は静まり返るが、英国は米国のマザーシップだと持ち上げると津波のように歓声がわきあがる。TVで拝見したところによるとブレア首相夫人はロックがお好きなようだ、一緒におどりながら歌っている。「パレスチナで自爆する若者の心がわかる」と発言して政治的にはたたかれているが、表立って表明できない人々の心情を代弁したようだ。チャールズ皇太子の挨拶も軽妙でよろしい。

今回の我々の旅もゴールデンジュビリーの祭典をはずしたほうが良いだろうと判断したのだが、正解だったようである。

July 28, 2002


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