メモ

シリアル番号 表題 日付

1147

訪問希望リスト

2007/08/14

フランス

●階段のあるフォンテンブロー宮殿の正面玄関

●フランス出発のサンチ アゴ・ デ・コンポステーラの巡礼道。より詳しくは白洲次郎が青春時代に走ったパリ発の巡礼道「トゥールの道」はパリ訪問でOKとする。

ツールーズのサン・セルナン教会の身廊の南側にある、有名なミェジュヴィル扉口の、タンパン、聖ペテロ、聖ヤコブの彫像は、サンティアゴ・デ・コ ンポステーラ教会(スペイン)やレオンのサン・イシドロ教会(スペイン)の扉口と類似しており、それらに影響を与えたとされるタンパンであるが、サン・ピ エール修道院のそれほどではない。この教会の見ものは内部空間と150メートルの高さの鐘楼である。

●ヴェズレー発の巡礼道、「リモージュの道」はヴェズレー訪問でOKとする。

●2007年の映画 「サ ン・ジャックへの道」 に描かれたル・ピュイ発の巡礼道「ル・ピュイの道」。アルルとならぶフランスの4大巡礼の出発点の一つだ。ル・ピュイ・アン・ヴレを出発し、もっとも自然 が残る風光明媚な オーブラック、ロゼール、ロンスヴォーを経て聖地サンチアゴ(サ ン・ジャック、セント・ジ エイムス)に至る。

TVの旅番組で南仏ラングドック地方(Languedoc)セヴェンヌ山脈での山羊の放牧を観た。このときスチーブンソンの「旅は驢馬をつれて」 (岩波) に描かれて以来スチーブンソンの道と呼ばれると知った。早速復刻版をてに入れて読む。スチーブンソンはル・ピュイ(Le Puy)の南15マイルのル・モナスティェ(le Monastier)を出発。なれない驢馬の扱いに苦労しながらこの荒涼たる高原西へ向かうのだ。南仏なのにここは海抜1000m以上の高原で、ロワール 河の上流に当たる。山羊の放牧地帯で山羊のミルクで作ったチーズで有名。ユネスコ世界遺産

●カルカソンヌ (Carcassonne) :フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設された。

●ケリビュス城(Château de Queribus)、ペイルペルテューズ城Château de Peyrepertuse:排斥されたカタリ派信者の最後の砦となったと言われる石灰岩の上に立つ城。

「ル・ピュイの道」の経由地、ツールーズ近郷モアサック(Moisac)のサン・ピエール修道院付属教会の回廊(Abbaye Saint-Pierre et cloitre)は巡礼路いちぶとして世界遺産。伝説ではフランク王クローヴィスによって創建されたと言われているが、7世紀半ば、カオール司教サンディ ディエ(Saint Didier)によって創建されたのが史実とされる。南側には彫刻で飾られたロマネスク様式の入口の半円形のタンパンが、フランス南部で最も美しいとこと で名高く、世界遺産に登録されている。タンパンのモチーフは聖書のヨハネの黙示録によっているのである。

●ヴェルドン渓谷:グランド・キャニオンにも例えられる規模が大きく深い峡谷。ヴェルドン川の両側は切り立った崖。それも100m〜200mという とんでもない高さの崖。南フランスに位置し、ニース、カンヌ、マルセイユからデイドライブでゆける。

●アルル発のトゥールーズの道は未達

●プロバンスの三姉妹といわれるロマネスク様式のシトー派修道院であるシルバーカーヌ修道院回廊(Abbaye de Silvacane)、セナンク修道院(Abbaye Notre-Dame de Senanque)回廊、ル・トロネ修道院(Abbeye du Le Thoronet)回廊

●ブルゴーニュ地方のCollonges-la-Rouge村:鉄分を含んだ赤色の石造りの村、ならびにChateauneuf-sur-Auxois 村:ドイツとの共通点多し。

●ブルターニュ地方のLocronan村

●プロバンス地方のCollobrieres村:かってコルクで栄えるが、スペインとの価格競争にやぶれクリで再生する。

●カミユの生誕地プロバンスはリュベロン山塊のルールマラン村

●コートダジュール地方のBiot村:70mの丘の上にあり、ピカソ、シャガール、ガラス工芸家お気に入りの村。

●コートダジュール地方のLe Bar-sur-Loup村。ル・バール領主は騎士の ランボー・ド・グラース(1351年頃没)であった。ル・バール=シュル=ルー近郊の村落では、有名な水道橋の残骸を見ることができる。1940年に工事 が始まり、1942年に完成した橋は、第二次世界大戦中に侵攻して来たドイツ軍が、戦争末期に退却する際に破壊されている。ケーリー・グラント、グレー ス・ケリー主演の1954年の映画「泥棒成 金」To Catch a Thief の空撮ロケがこの村で行われた。

●コートダジュール地方のVillefranche-Sur-Mer。映画「めぐり逢い」1959年の映画、ニューヨークから地中海往復航海にでたケー リー・グラントが親しくなったデボラ・カーを伴って後家となった祖母を訪ねるフレンチ・リビエラの別荘地。ニースの東側の入江に望み、丘の上には古城Fort du Mont Albanが見える。VILLA ROTHSCHILDはこの入江の東側の岬の上にある。



●アランドロンとジャンギャバンの黒白映画「地下室のメロディー」の映画の舞台はカンヌのPoint CroisetteにあるPalm Beachというカジノ。

●VILLA ROTHSCHILD Cap Ferrat Frankreich Côte d´Azur 

●Sete(セート):、ラングドック‐ルシヨン地方、エロー県の港湾 都市。地中海のリヨン湾に面し、潟湖であるトー湖に挟まれた砂州に位置する。塩分の多い海水で養殖する生ガキが特産。

イタリア

●ポントレーモリPontremoli:トスカーナ州の最北端に位置し、 イタリアを南北に縦断するアペニン山脈の北の端にある。

●テルニ(Terni)のマルモレの滝 cascata delle Marmore:ローマ時代、洪水防止のためヴェリーノ川の水をテルニの崖からネラ河におとしてできた人工滝。

●ウンブリア州のカステルッチョ(Castelluccio);アッシジの南東60kmにモンティシビッリーニ国立公園がある。この南側にピアーノ・グラ ンデという海抜1,500mの高原がある。この高原を望む小高い丘の上にある寒村で住民は殆ど住んでいないが、観光村として営業している。冬季は強い風が 吹き樹木が一切ない草原となっている。ポピーの咲く初夏の風景は美しい。

●チンクエ・テッレ(Cinque Terre 五つの村) は、イタリア北西部、リリグーリア海岸沿いにある5つの村を指す。イタリア語で「5つの土地」と言う意味で、観光地にもなっており、コルニリア、ポルト ヴェーネレや小島群などと共にユネスコの世界遺産

●ヴェルナツァ村 世界遺産

●ナポリのガゼルタ宮殿と庭:ブルボン家のナポリ王カルロ7世の命でルイージ・ヴェンヴィテッリが建造。ベルサイユを超える規模の宮殿と庭。カルロ 7世がスペイン王となって去ったあち息子のフェルディナンド4世が完成。40kmの水路が設営されその水を使うサン・レウチョでは絹織物の繊維工場が建設 された。

●Positanoはナポリの南、ポンペイからソレントのある半島の岩山を越えた南斜面にはりついた避暑地である。東隣はアマルフィ。




モンテネグロ

●コトル(Kotor):ドゥブロクニクの南東50kmにあるコトル湾の最奥の古い都市。背後は石灰岩の山。古い地中海域のコトル港の周囲にある印象的な 城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されている。コトル湾はアドリア海ではもっとも陸側にしゅ う曲した部分の一つで、リアス式海岸の一部である。世界遺産

スペイン

●モンセラット修道院:スペイン・カタルーニャ州の山の中腹にある修道院。アーサー王の聖杯伝説に登場するベネディクト会のサンタ・マリア・モンセラート 修道院付属大聖堂(Monasterio de Montserrat)のこと。

●アランフェス宮殿:世界遺産、アランフェス協奏曲

●エル・エスコリアル聖ロレンソ修道院:世界遺産

●カディス:フェニキア人が最初に定着。当初はイベリア半島の一部ではなく、半島から離れた小島だったと考えられている。土砂の堆積などによってや がてイベリア半島と結びついた。大航海時代、クリストファー・コロンブスがカディスより第2回目と第4回目の航海に出た。後にインディアス艦隊の拠点港と なった。 その結果、街はスペインの敵国、特にイングランドの主な攻撃目標となった。スペイン領アメリカとの貿易を独占してきた上流のセビリアから、大西洋へのアク セスの良いカディスに港を移った。20世紀には、人民戦線内閣に対してスペイン領モロッコで蜂起したフランコが、モロッコとイベリア半島を結ぶ重要な拠点 として早期に占領した。この町にあるバルを経営している元闘牛士はバル「ほろ酔いの懺悔室」と呼んでいる。

ポルトガル

●アルガルヴェ地方:ポルトガルの最南端の地方。エンリケ航海王がここのザグレスを拠点に活躍した。南端はサン・ヴィセンテ岬である。この地方を歩 くルートがある。ラゴス→ベンサフリン→バラン・デ・サン・ジョアン→バラン・デ・サン・ミゲル→フランシスコ・オルタ→ラポセイラ→ヴィラ・ド・ビスポ →ザグレシュ→サン・ヴィセンテ岬がそのルート。最後のまっすぐな道が印象的。

オーストリー

●オーストリー・アルプスの寒村、ハルシュタット:インスブルックからザルツブルグ、ウィーンを結ぶ皇帝列車で行ける。岩塩の産地。

●ウィーン郊外のアイゼンシュタット:ハイドンにゆかりの地。皇帝列車で行ける。

●ドナウ河のバッハウ渓谷、リンツ、メルク修道院、リラ修道院

●ドナウ河のバッハウ渓谷にあるグラフェネッグ城:ウィーンの北西 60kmにあり、ドナウ川のバッハウ渓谷北岸の田園のなかにある。城主・メタニッヒ侯のご先祖は会議は踊るの主人公のモデルとなったメッテルニッヒ宰相で ある。毎年夏にこの城の庭にしつらえられた屋外会場でグラフェネッグ音楽祭が開催される。佐渡裕指揮のトーンキュンストラー楽団が伴奏する。

●ボーデン湖畔の町、ブレゲンツ。ここで毎夏湖上劇場で音楽祭が上演される。レジデント・オーケストラはウィーン交響楽団。2015年はジャコモ・プッ チーニの『トゥーランドット』舞台は兵馬俑の塑像で囲まれている。

●オーストリアの人口第2の都市、シュタイアーマルク州の州都であるグラーツ(独: Graz)。人口は約25万人。郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)であるが、グラーツ=ウムゲーブング郡の郡庁が置かれている。ここの 郊外にあるエッゲンベルク城は州立博物館アルテ・ギャラリーとして公開され、ビザンティン美術から19世紀絵画までを取り揃えている。2007年には壁に 埋め込まれていた江戸時代に描かれた日本の屏風絵も再発見され、特に豊臣時代の「大坂図屏風」は、これまで豊臣時代の大坂を描写した絵画資料が少なかった ため、貴重なもの。

ドイツ

●ライプツィヒ(Leipzig)、ドイツ:

●ロマンティック街道:北のはずれのビルツブルグ(シーボルトの故郷)とアルプスの麓のフュッセンをつなぐ街道。ビルツブルグのマリーエンブルグ城 とマイン川、その南西のタウバー・ビショッフス・ハイム、ローテンブルグ

●レーゲンズブルク:ローマ時代からの都市。旧市街とシャタット・アム・ホーフというドナウ河の中州が世界遺産。

スイス

●ベンゲン(Wengen)、スイス:

●ルツェルン(Luzern)、スイス:

●ユング・フラウ(Jungfrau)、スイス:

チェコ

●ミクロフ(Mikulov)チェコ:1866年に起こった普墺戦争においては、この地で暫定的な講和条約としてニコルスブルク仮条約が結ばれた。 かつてはこの地に大規模なユダヤ人コミュニティがあったが、戦間期から第二次世界大戦における迫害で壊滅的な打撃を受けた。

●モラビア地方のテルチ

歴史地区が世界遺産に指定されている。13世紀には村が存在し14世紀の半ばにフラデツ家によってお城が築かれ、街として発展した。16世紀の半ばに火災 により街の大半を焼失、時の領主ザハーリアシュが再建に力を注ぎ、現在のようなルネサンス風の街が築かれた。

●チェスキー・ラーイ
奇岩都市、深い針葉樹林、壮麗な城郭や城館が見事に調和した地域。散策路沿いにはマリアテレーザが植えさせたリンゴの木がある。これは軍団移動時の食料と するためであった。歩く村々はオトーン、ロベチュ村、クルツコベチェ村、セケルコービー・ローチキ村、トロスキー城

北ヨーロッパ

北海から黒海への船旅

●ノルウェーのアウルラン・フィヨルド、5日間のウォーキング。フィヨルドの長さは200km。

イングランド

●イングランドのフェンランド地方 のヘミングフォードグレイのマナーハウス


●ノーフォーク州のノーフォークリバートラストが狩猟場の地主Eddie Anderson(エディー・アンダーソン)とRiver Mun 自然保護区で森を育てている。


ナローボートをチャー ターし、Oxfordからコッツウォルド地方東縁を運河で北上

●ジェーン・オースチンの「高慢と偏見」の世界を求めてダービーシャーのChatsworthPeak District。チャッ ツワースはデボンシャー侯爵の屋敷。そのカスケードは有名だが、風景式庭園で価値がある。鉛鉱山からの収入を投入し、ブレナ ム宮殿の庭も手掛けた庭師のラ ンスロット・ブラウンを雇い、城から見える風景を全て変えてしまっことで有名。川にダムを作って湖水のようにみせ、石橋を引っ越し、水車小屋を作った。



●ドーセット州のミルトン・アバスMilton Abbasも庭師のランスロット・ブラウンの成果。村ごと林の裏側に引っ越しさせ、引っ越した村もきれいに作り直し、今もある。

●TorpointのAntony Houseも風景を作り替えた例でランスロット・ブラウンの弟子がてがけた。(National Trust)

●King ArtherのCamelot城かと言われるCadbury Castle。A hill-fort beside South Cadbury, down a small road which leaves the A303 at Chapel Cross, 1 1/2 miles east of Sparkford.

●Dart Moor National Parkの入口の村Moretonhampsteadがある。この村の丘の上には古い石の教会があり、その裏手の丘を下った谷底にこの界隈の地主の邸宅 Little Mardonがある。

●Dart Moor National Parkの入口の村Moretonhampsteadから少し入ったところにChagfordという同じくらいの村がある。この村は400年前の王党派と の内戦のときお互いに反派につき争って以降反目しあっているという。

●コルチェスターのベスのガーデン

●バトラーズ・ワーフ(Butlers Wharf)、タワー・ブリッジ(Tower Bridge)の南東すぐの地区。バトラーズ・ワーフはもともと周辺の地域のなかでも最も貧しい地域であった。1890年におけるロンドンの貧困地図とい うのを見ると、バトラーズ・ワーフを含むバーモンジー一帯は、50-59%の住民が貧困層だとして、寒々とした青色で塗られている。倉庫群があったという ことで分かるようにここはもともとテムズの河港の港湾地区。住民の多くは、港湾荷役などの日雇い労働者の一家だったのである。しかし、第二次大戦後は、ロ ンドンのこれら地域の港湾機能は他の海港やあるいはテムズのもっと下流にできた新しい港に奪われ、1970年代にはほぼ完全に失われてしまう。そうした中 で、バトラーズ・ワーフの再開発は、サッチャー政権下でのドックランズ(Docklands/バトラーズ・ワーフからさらに東に広がるロンドンの旧港湾地 区の総称)全体の再開発計画に組み込まれる形で推進されたのである。

●ロンドンの北にあるエリザベスI世が娘時代に生き延びたデーヴィッド・セシル卿のハットフィールド邸(Hatfield House Great North Rd, Hatfield, Hertfordshire AL9 5NQ)ここにフレイヤが招かれて滞在した。

●ノトレー荘:ローレンス・オリビエとビビアン・リーが伴に住んだ家。オックスフォード東にあるNotley Abby Buckinghamshire。現在はbijou weddingが結婚式場を経営

●ティーカレッジ荘(Tikeridge Mill Cottage):ビビアン・リーがローレンス・オリビエと分かれた後、ジョン・メリヴェールと同居した家。Tickerage Ln, Blackboys, Uckfield, East Sussex TN22 5LU, UK


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●ノラム城(Norham Casle)

北イングランドのトゥイード河畔近くにある。イギリス・ロマン主義の大画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの類稀な傑作『ノラム城、日の 出』である。印象派の名称のもとになる。

●ノースヨークシャーのリポンにあるシトー会のファウンテンズ修道院(Fountains Abbey)跡。周辺のスタッドリー王立公園 (Studley Royal Water Garden) とともに、ユネスコ世界遺産に登録されている。

●湖水地方のバターミヤ湖(Buttermere Water)、クルモック湖(Crumock Water)、Keswick

●ヘイスタック山(Heystacks, Cumbria)レイク・ディストリクト国立公園, バターミア湖の南方2km。標高500m程度だが結構険しい山。

●ウェールズのアングルシー島からコンウィまでの歩き。アングルシー島に日立がABWRを4基建設するという。正気か?

●マン島:馬車鉄道や最古の路面電車などが動態保存されている。

●セントヘレナ島:日本からケープタウンまで20万円、ケープタウンから船で5日14万円、次の船まで6日間の滞在費16万円。

スコットランド

●グレンフィナン橋(Glenfinnan):シェイ湖の北端の谷にかかる陸橋。ハリーポッターにも登場。英国のトライデント弾道ミサイル(核弾 頭)を搭載する4隻のヴァンガンード級原子力潜水艦の母港クライド海軍基地(ファスレーン)はこの南のグラスゴーの西の入り江にある。

ツイード川(River Tweed)

イングランドとスコットランドの境界の川

●スコットランドのバルモラル城(2007年映画The Queen

●グレンコー(Glen Coe):英国スコットランド西部、ハイランド地方南西部にある渓谷。ハイランド地方屈指の観光地の一つ。17世紀末、スコットランドの親イングランド勢 力であるキャンベル氏族がマクドナルド氏族を殺戮した「グレンコーの虐殺」の舞台。

●アイラ島(Islay)モルトウィスキーの産地。

アイルランド

●タラの丘

●W・B・イェーツの終焉の地アイルランドのゴールウェイ。クール・パークでバーナード・ショウと交わる。墓はベンバレー山の麓の教会にある。ゴールウェ イから北東にあるスライゴーは生誕地。 アイルランド西端のダンキンと いう町も候補。

●アイルランド北西部・ドネゴール(Donegal)地方南方のマラックモア半島(Mulaghmore)にたつクラシバウン城。ドネゴールとはゲール語 で「外国人の要塞」の意味。(朝日be extra 2003/2/2)

●アダグール(Addergoole)この村の14人がシカゴに移住すべくタイタニックの3等船室の乗客となって3名を除き命を失った。しばらく人 々の記憶から抹消されたが、最近Addergoole Titanic Societyを作って記念している。


ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス

●ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれるサマルカンドからタシケント経由で大回りでアザフ スタンに入り、天山山脈にそってイシク=クル湖まではしる鉄道の旅。イシク・クル周囲には多数の鉱山が存在するのと魚雷の試験場があったため、ソビエト連 邦支配下では、外国人の湖畔への立ち入りは禁じられていた。しかしキルギスが独立した後は、貴重な観光資源としての活用が行われている。イシク・クルの湖 底には、多数の遺跡が水没している事が確認されている。

ニュージーランド

ボールドウィ ン・ストリート:、ニュージーランド南部の都市ダニーデン郊外の住宅地にある街路(ストリート)。最大勾配は35%で、ギネスブックに「世界一急な通り」 (the steepest street in the world)として認定されている。

インド

●ダージリン:ダージリン・ティーの産地。海抜2,134mで北方に標高世界第三位の高峰カンチェンジュンガが遠望できるダージリンはインドの平野 部 に比べて冷涼な気候であり、夏は過ごしやすい。イギリス領の時代には、インドに住むイギリス人のための避暑地として栄えた。ダージリンと平野部をつなぐ ダージリン・ヒマラヤ鉄道は、インドに残る蒸気機関車が走る数少ない路線の一つであり、8時間かけて2,000mを登る。1999年にインド山岳鉄道群と して世界遺産。狭軌。

●カルカ・シムラ鉄道:インド山岳鉄道群として世界遺産。狭軌。

●カングラ渓谷鉄道:インド山岳鉄道群として世界遺産に申請中。狭軌。


アフリカ

●ウガンダにある滝「マーチソン・フォールズ」Murchison Fallsは白ナイル川の上流にある滝で高さ43m、幅7mの滝でビクトリア湖からの300t/sの水が落下している。ヘミングは小型機をここで墜落させ ている。


フィリピン

●ビガン:ルソン島のマニラの北、約400kmにある都市。16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄えた。スペイン統治時代 の街の名前は、シウダー・フェルナンディナ (Ciudad Fernandina) 。このころ築かれたユニークな街並みは、スペイン、中国、ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。マニラやセブにも同様の街並みが存在したが、 太平洋戦争時失われたがこの町が生き残ったのには日米の秘話がある。世界遺産

韓国

●水原華城

世界遺産スウォンファソン。水原の華城は水原市の町を取り囲んだ全長5.8Kmの城。18世紀後半、朝鮮王朝第22代王である正祖大王は若くして非業の死 を遂げた父、思悼世子の墓を水原に移した。正祖大王の親を敬う心が込められており、当時の政治状況を考慮して築かれた華城は、朝鮮王朝の都だった漢陽(現 在のソウル)の南部を守る要塞としても活用された。当代最高の実学者が集まり、東・西洋の軍事学的な理論を参考にして科学的に設計された、韓国初のレンガ 造りの近代的な城。水原華城は、築城当時の城郭がほとんど原形のまま残っているだけでなく、北水門(華虹門)を通じて流れる水原川が今も流れており、築城 当時に作られた街路網が現在も都市内部の街路網構成の主要骨格を維持しているなど、200年前の様子をとどめている。

日本

●岩手県の平庭高原、シラカバの純林;これは2010 年に訪問

(お し):行田市の中心にある郷土博物館が忍城の跡。秀吉の命令により、小田原攻めと平行して行われた水攻め。石田光成が指揮官。 10日で28キロの堤をき ずいた。実際には自然堤防や微高地を巧みにつなぎ合わせたものと思われ、現在残っているこの堤も、自然堤防上に1〜2m程盛土をしたもの。堤が完成し、元 荒川の支流忍川から水を引き込み堤防内を水で満々に満たしたが、地形的に忍城や城下町よりも現在の下忍(しもおし)や堤根(つ つみね)方 面に水が溜まってしまい、遂には堤が決壊し、水攻めは失敗に終わる。実際忍城の本丸付近は、三成が堤を築いた下堤、堤根付近など比べ、地形的に僅かに高地 になっている。このことは城を完全に水没させるには、極めて大規模な築堤が必要なことを意味する。忍城は、別名浮き城と呼ばれていた。水害の際でも水を被 らないことから、その名がついたという。この城は、水没させるのは困難な城だったのである。忍城は元々、周囲を湿地に囲まれたうえ堀を水で囲み「水に囲ま れた城」であったため水攻めにあまり意味が無かった。高松城と違い十分な兵糧が城内にあり持久戦に耐えられる状態だった。「水攻め」の効果が出ないまま時 がすぎ「梅雨」の雨がたまり、ついに「堤防」が決壊した。

石田堤: 石田堤は現在は市内堤根(つつみね)に約250mの堤を残すのみだが、江戸時代は堤に沿って日光裏街道が通じており、堤に 植えられた松並木に往時を偲ぶことができる。行田市堤根の堤に隣接する形で鴻巣市袋(ふくろ)地内にも堤が残っており、鴻 巣市によって石田堤史跡公園として整備されている。

●古代蓮:行田市にある。

埼玉古墳群: 忍城の近く。稲荷山古墳、双子山古墳、丸墓山古墳(石田光成が忍城水攻めの本陣をおいた)など5世紀ころの古墳の数々が残っている。

関宿城: 利根川と江戸川が合分流する地点の微高地に築かれ、水に守られた要害であるとともに古くから水上交通の要衝として栄えた。利根川水系等の 要地であり、関東の水運を押さえる拠点であった。戦国時代には関東の中心部における最重要拠点であった。関東の制圧を目論む北条氏康は「この地を抑えると いう事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評した。現在は、河川改修とスーパー堤防によって城地の殆どは河川や堤防の下になっている。

●鉢形城址:埼玉県大里郡寄居町、長尾景春(ながおかげはる)築城、北条氏、深沢川が荒川に合流する付近の両河川が 谷を刻む断崖上の天然の要害に立 地。小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となった。城跡内には町天然記念物に指定されているバラ科サクラ属 の植物の一種「エドヒガン」が生存している。

●権現堂調整池:

●箱根湯本温泉:岩崎弥之助の別邸だった吉池旅館、紅葉は11月中旬から12月上旬。井上馨、犬飼毅が滞在した箱根湯本最古の温泉が湧いている平賀 敬美術館。

●箱根宮下の箱根吟遊‐Spa

●応仁の乱ゆかりの場所

上御霊神社;1467年1管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われた(御霊合戦)。この戦いは応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱発 祥の地とされる。

相国(しょうこく)寺;室町幕府三代将軍の足利義満により創建。夢窓疎石を開山。 金閣寺、銀閣寺はともに相国寺の塔頭寺院。東軍の中心。

舟岡山;応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった 船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。

西陣;応仁の乱の際に西軍総大将である山名宗全らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来する。

百々(どど)橋の合戦跡;西軍と東軍を隔てる小川にかかっていた百々橋はしなしば激戦の地となった。その礎石の一つが現在 の百々町に残されている。

等持院;尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。霊光殿には足利歴代将軍木像が安置されている。

龍安寺:枯山水の方丈庭園で有名。室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が1450年に創建した禅寺。

●朽木(くつき)街道:信長が羽柴秀吉や徳川家康ら3万余の軍勢を率いて、朝倉氏を攻めるため敦賀に進攻し、朝倉氏 の前線基地であった手筒山城・金ヶ崎城・疋 壇城を陥落させた。そして、ここから軍を北上させ朝倉氏の本拠一乗谷に向かおうとしていた矢先、妹婿であった湖北の同盟者浅井長政が突然に朝倉氏方につ き、信長軍を北と東からはさみ打ちにしようとした。信長は京都への撤退を決意すると、わずかの兵をつれて丹後街道を南下し、保坂から朽木街 道に入った。 信長は葛川(大津市)・大原(京都市)を経て、清水寺まで無事に帰還することができた。朽木庄といわれたこの地は、日本海の若狭と京都の都を結ぶ重要な交 通路で「鯖街道」とも呼ばれる。司馬遼太郎の街道シリーズ「湖西のみち」に描かれている。

地形図をみるとこの街道は谷底に在るにも関わらず一直線である。断層があるのではないかと調べると三方・花折断層帯が作った谷だと言う。そもそも琵琶湖西 岸に沿って断層帯平行している。京都盆地そのものが三方・花折断層帯の延長上に在る。大原がその入口。

● 木ノ芽峠
国造が分立した時代には、木ノ芽峠以北が越国の領土で、木ノ芽峠以南がヤマト王権の領土であった。従って、現在でも木ノ芽峠を境にして、北側が 北陸文化圏、南側が近畿文化圏となっている。官道の北陸道の一部として、天長7年(830年)に道が開かれた。しかし、道の険しさや冬の厳しい気候のため に、中世には、北陸道(北国街道)は東の栃ノ木峠(現在の国道365号)のルートに移動した。

源義経主従、新田義貞、道元禅師、本願寺蓮如上人、松尾芭 蕉、数知れない人々がこの木ノ芽峠を越えた。 いまでも毎年、「蓮如上人御影道中」が行われる。福井県あらわ市の吉崎別院での蓮如上人御忌(ぎょ うき)法要に際して、本山本願寺から上人の御影をお迎えして勤められたことが始まり。以来、毎年、吉崎別院で蓮如上人御忌法要が厳修され る時期に、上人が歩いたといわれる、吉崎別院までの約240キロの道程を、随行教導や、宰領(さいりょう)をはじめとする 供奉人(くぶにん)方が、会所に立寄りながら一週間かけて歩き、上人の御影を門信徒の待ち受ける吉崎の地へ運ぶ旅(御下 向)が連綿として続けられている。峠にある前川家で休憩する。琵琶湖西岸を通っている。

●「日本の道ランキング(2/16朝日新聞)」哲学の道だけが未踏である。
第1位「哲学の道(京都)」:明治期に琵琶湖疏水の管理用として設置され、哲学者西田幾多郎らが好んで散策した。春は桜並木のトンネルとなる
第2位「オランダ坂(長崎)」:幕末の開国後、外国人居留地ができた東山手地区の石畳の道。当時は東洋人以外を「オラ ンダさん」と呼んだのが名前の由来
第3位「角館町武家屋敷通り(秋田)」:「みちのくの小京都」と称される城下町。黒板塀、茅葺屋根の武家屋敷が並ぶ通 りは国の天然記念物のシダレザクラでも有名
第4位「札幌大通」(北海道):市街を南北に二分する幹線道路。中央帯は公園として整備され、雪まつりやソーラン祭り 会場としても親しまれる
第5位「山下公園通り・山手本通り」(神奈川):横浜港の臨海公園から、外人墓地や洋館の点在する丘へと続く。付近に はマリンタワー、氷川丸、中華街など観光スポット多い
第6位「天橋立線」(京都):日本三景の一つ、天橋立の中を縫うように続く。景観を保つため砂利道で一般車両は通行で きない
第7位「いろは坂」(栃木):1965年に第二いろは坂が造られ上り下りが分離されたが、紅葉時期の渋滞は相変わらず
第8位「天城路」(静岡):伊豆の踊子」をはじめ、文学にゆかりが深い。ハイキングコースや温泉も数多い
第9位「日光街道」(栃木):延長37kmの杉並木は日光が将軍家の聖地となった江戸時代に植樹。国の特別天然記念 物、特別史跡)
第10位「高野山道路」(和歌山):真言密教の総本山、高野山への主要道路。約17kmの道程で標高差約800m

Rev. September 29, 2018


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