読書録

シリアル番号 1145

書名

情熱のノマド 女性探検家フレイア・スターク

著者

ジェーン・フレッチャー・ジェニス

出版社

共同通信社

ジャンル

伝記

発行日

2002/6/20第1刷

購入日

2013/05/22

評価



原題:Passionate Nomad  The life of Freya Stark by Jane Fletcher Geniesse

鎌倉市腰越図書館蔵

ジャネット・ウォラック著「砂漠の女王 イラク建国の母ガートルート・ベルの生涯」 に描かれたガートルート・ベルより10年遅れで中東を探訪し、論文を書いた。ベルのような貴族出身ではなく両親は離婚して困窮しており、彼女は母に連れられてイタリアに住み、公式な高等教育を 受けずに、独学で教養を身に着ける。母からにげるように現地人の親切に依存して中東地方を探検する。ヒッチハイク的な旅行とはいえ、その資金元は本人は投資というだけで不明 だった。死後、そして本著がでてから親戚からその資金は実の米国人の父親からでていたものと明らかにされる。著者の関心は探検旅行そのものよりも主人公やその関係者の感情関係に重点がおかれているのでその方面の記述がだらだらと続く。

1回目の探検ではフランス領シリアのダマスカスにゆき、ラクダとガイドを使ってドルーズ派の本拠地ドルーズ産地に入り込み、フランスの官憲に捕まるがなんとかごまかして釈放され見聞記を偽名で出版。

2回目はイラクのバクダードに滞在。テンプル騎士団、フリーメーソン、ハマス、ビン・ラディンの母型となったとなった暗殺教団(アサッシン)の本拠地アラ ムートを目指す。暗殺実行者にハッシッシという幻覚剤を与えたことからこの名前がついた。マルコポーロの「旅行記」にもアラムートが記録されている。ザグ ロス山脈の北稜の麓にあるハマダーンで休み、現地人の自動車でガズウィーンに着く。そこの医師の協力でカスピ海南岸にあるアラムートの岩山地帯にラバで入 り込む。そこでマルコポーロが庭園の廃墟があると書いたラミサアル城は高度3350mにあり雪に覆われていることを発見し、地図の誤りを沢山見つけた。同 じ道をヒッチハイクでバクダッドに帰った。こうして探検家として認知され、シーア派分派のイスマーイール派の教主アーガー・ハーンにロンドンで紹介され、王立地理学会のヒンクス事務局長に認められる。ドルーズ派も暗殺教団もイスマーイール派の分派なのだ。

1931年ガートルード・ベルの後任のホルト大尉の支援で前回目撃したラミサアル城の調査にでかけた。このときマラリアに感染した。病が直った時の帰りが け、ロレスタンに立ち寄る。王立地理学会からバック賞を受賞しその業績が評価されフレイア・スタークは名士となる。1934年「暗殺教団の谷」をマレー社 より出版する。アラビアのローレンスも絶賛する。

フレイア・スタークの次の目標はシバの女王、乳香の産地、イェーメンである。船でアデンに上陸して内陸に向かって出発したが持ってきた薬を飲み合わせた結果、狭心症になり英空軍機で救出された。

1937-8年の5回目は考古学者ガートルート・ケイトン・トンプソンとエリノア・ガードナーと一緒のイェーメン遺跡調査のためのウィークフィールド卿が 資金を出した探検隊を編成した。ここで フレイア・スタークは再度病に倒れ、アデンに帰って静養するが2人の考古学者は砂の山から異教徒の月の神シンにささげられた寺を掘り出し、洞窟墳墓を発掘 した。 フレイア・スタークは発掘現場にもどったが3人はウマが合わず、考古学者は帰り、 フレイア・スタークは探検を続行してカナの港を発見する。カナとはアラビア半島で最も古いアラブの王国の一つがあったところで香料貿易で栄えた。積出港の カナQanaが有名で、ローマ帝国と東方世界との海上貿易の事情を記した書物《エリュトラ海案内記》にカナの繁栄が記されている。この探検報告は1940 年発行の「アラビアの冬」である。貴族階級が彼女をストアヘッド(Stourhead)のヘンリー卿の屋敷やエリザベス1世が娘時代を過ごしたハットフィールド邸に滞在した。

第二次大戦がはじまるや英国の南イエメン工作のために単身、ボディダで上陸し、南の首都、タイズに赴く。そしてイタリアが入り込まないようにハーレムを通じて工作するのである。イマーム自身、彼女の宣伝映画を見る。これが功を奏して大戦中、イェメンは中立を保つのである。

彼女はこの業績により給料を2倍にしてもらってカイロに赴任する。彼女がいなかったらロンメル将軍はカイロに入場していたかもしれない。カイロではモスリ ム同胞団を組織した。ここで育った人材にナセルやサダトがいた。イラクのバクダードから一時的に手伝ってほしいと要請されて出かけたらクーデターが発生 し、彼女は大使館に籠って地元民と友好を保った。

その後インドからも短期間の活動依頼がきて出かけたが、そこで自動車を私費で買ってテヘランまでドライブし、そこで5倍の価格で売り払って、暴利を得たために、外務省官僚は彼女を敬遠するようになった。

終戦が近くなったとき、米国への講演旅行にでかけた。彼女はアメリカを好きにはなれなかった。

終戦時にはインドに居た。かっての同僚スチュワートと結婚したが、相手はホモでうまくゆかず別居。そのごトルコに興味をもって単身旅行し、沢山の本を書く。文才があり絶賛される。82才でナイトの称号をもらう。

Rev. May 26, 2013


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