平庭高原

「塩の道」をたずねて

2010年7月、グリーンウッド夫妻は平庭高原で2泊3日静養した。 梅雨真っ盛りの季節にあまり有名でないところになぜでかけたのかと聞かれるが夫妻それぞれに動機がある。

まずここに行きたいと数年前から言い続けたのはグリーンウッド夫人である。友人に紹介されて野草を題材にした絵画の展覧会にでかけた。マイズルソウを描い た三浦半島の住人にこの野草はどこで描いたのか聞いたのがそのきっかけである。北上山地の平庭高原で描いた。新幹線に飛び乗って沼宮内(ぬまくない)までゆき、そこから久慈行きのJRの路線バスで行ける高原だという。シラカバとレンゲツツジの名所だと いう。

グリーンウッド氏は江戸時代、平庭高原には「塩の道」が通じていたということを宮本常一の著書「塩の道」で知ったこ とが理由である。三陸海岸の野田村から一人6頭の牛を引き、平庭高原を通 過して北上川流域に塩を運び稗と交換して帰ったという。 明治10年に東北地方を旅した英国夫人イザベラ・バードが残した「日本奥地紀行」に東北地方の山中の人々は吹出物が多く、目が悪いと書き残している。塩分 の不足を示唆する記録とのこと。北上川流域の住民がいかに三陸の塩を必要としていたかが分かる。

 
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JRバスルート

平庭高原に滞在して散策するのが目的であるから車は断念し、新幹線とバスを選択。まずJRバスの時刻表を調べて、これに会う新幹線「はやて15号」を選ん だ。全席指定席で大宮から沼宮内まで仙台と盛岡以外はノンストップだ。宿は旧山形村(合併後は久慈市)の第三セクター経営の平庭山荘に予約を入れた。(Hotel Serial No.482)コテージは避けて本館洋室『さくらの間』とした。一つしかないスイートである。

 

第一日 7月11日(日)

10:56東京発に間にあうように出発。13:36いわて沼宮内着。13:55発のJRバスで久慈向けに出発。国道281号線は海抜640mの分水嶺であ る大坊峠を過ぎると、道は再び下る。沼宮内は北上川流域だが、峠を過ぎると八戸へ下る馬淵川の流域にh入ったわけだ。この谷は全て葛巻町である。志民沢(ふたみざわ)、五葉窪(ごばくぼ)、江刈川(えかりがわ)など珍しい地名が多い。海抜400mの谷は酪農が盛んである。葛巻牛乳ブランドはスーパーで見かける。 タカナシ乳業の岩手工場もここにある。龍泉洞への道を分けて再び坂を登り平庭高原バス停で下車。標高760mである。少し歩いて平庭スキー場の中にある平 庭山荘にチェックイン。

曇りだが雨は降っていない。小休止後、周辺のシラカバ林の中を散策。シラカバ林は純林で昼でも暗い。散策道の草を刈ってないため、早々に林間散策は断念 し、アスファルト道路を平庭キャンプ場に向かって歩く。周りのシラカバ林は見事だ。

平庭高原のシラカバ林

路傍には結構草花が咲いている。ウツボグサ、ヤマオダマキ、サンカヨウの実、オカトラノオ、カラフトマンテマ、ミヤコグサなどである。

ウツボグサ

ヤマオダマキ

サンカヨウの実

オカトラノオ

カラフトマンテマ

ミヤコグサ

PM6:00の夕食に間に合うように帰る。 当日の宿泊客は我々2名だけ。梅雨時期に遠路はるばるここまでやってくる酔狂な客はいないと見える。山形村は赤字経営に辟易して久慈市に吸収合併されるこ とを選んだのかなと邪推する。殆ど宿泊客のない部屋は内風呂のシール水が蒸発して下水の悪臭が室内にもれ出ている。水をバスタブに流し込んで補給して臭気 を止め、フロントに定期的に風呂には水を流して臭気が上がらないようにせよと注意する。第三セクターの役人経営ではこの程度だ。かってのソ連のレストラン のようなものである。

夕食はレストラン「やまぼうし」で摂る。

平庭山相荘の「しらかばの湯」は地元の人も愛用しているとみえて若干名が入浴にきている。「しらかばの湯」は木材チップを燃料にした沸かし湯である。

 

第二日 7月12日(日)

7:30の朝食後、富士見平に向かって昨日のアスファルト道を登る。トチの巨木が実をつけている。平庭峠から富士見平に向かうべく山道にはいると「塩の道 旧道入口」の標識が立っている。野田村から登ってきた「塩の道」だ。

「塩の道旧道入口」の標識

「塩の道」を横断して富士見平に向かう。途中ブナの巨木を見る。

ブナの巨木

樹林帯を出て富士見平の草原に到る。風が強い。左手に平庭岳(1058m)がみえる。富士見平は海抜840m位か。ここは西南西の方角にひらけており、右 手に岩手山、左手に姫神山が見えるはずと案内板にあるが、いずれも雲の中だ。富士山はすぐ横の平庭岳に登っても見えるはずもない。

富士見平より西南西を望む

カシミール3Dで調べると更に南の安家森(あっかもり)(1,239m) でもせいぜい早池峰山(はやちねやま)(1914m)が見える程度である。富士山をみるには更に安家森上空 15,000mに登らねばならない。そうすれば207度の方角に見えるはずである。というわけで富士見平という名称は夢の産物である。

理論的には地球が平坦な球形で富士山だけあるという状態では236kmが見える範囲だという。富士山最遠望の地は和歌山 県妙法山北西5q富士見峠で実際にカメラに収め た 人がいるそうだ。たしかに勝浦からは殆ど熊野灘の上でさえぎるものがない。距離は322.9kmという。可能性として京都は琵琶湖の西岸にある武奈ヶ岳の 北西4.5km地点の通称サイの角というが実証されていない。武奈ヶ岳のばあいも 直下は琵琶湖だから彦根越しに見えそうだ。

2017/1/17の朝日の記事では富士山が見える理論的北限は福島県の川俣町と飯館村の境にある花塚山 (919m)だという。地元の登山愛好家が800mmの望遠カメラを担いで55回の登山後はじめて富士山頂の撮影に成功したと報じた。距離は308km。 7年かかったそうだ。

安家森のすぐ南に袖山(そでやま)という山がある。平庭岳から袖 山までは遠別山経由の従走路が用意 されている。Googleの航空写真を見ると袖山にある袖山高原牧場には3基の風車がある。ここは馬淵川の源流である。馬淵川は葛巻町のある谷の雨水を集 めて八戸へ流れ下る。

風車といえば更に南南西の三巣子岳(みすごだけ1182m)にある上外川(か みそでがわ)肉牛牧場をGoogleの航空写真で見ると尾根にそって風車約12基が並んでいるのが見える。ここも北上山地の高所で風が強 い。富士見平も風の通り道だが 、葛巻町のテリトリーでないためか風車は設置されていない。

富士見平から近道をくだり、「塩の道」に出た。この道はシラカバ林の中を通っている。途中ヤマボウシの群落に会う。 道の真ん中に大きな糞がある。野いちごを食したと思しきタネがあって、クマのものと察せられる。途端に怖くなる。クマよけベルもスプレーを持参しなかった ので、笛を吹きながら歩く。路傍にはワラビが芽をだしているので、笛を吹きながら、これを採取しながら歩く。

ヤマボウシが咲き乱れる「塩の道」

下ってゆくとついに葛巻町のワイン工場と炭の科学館にでた。ここでワインの試飲をする。酸化していて、酸味が強い。

葛巻町のワイン工場

国道281号線を少し登れば平庭高原バス停だ。山荘に帰って、プリムスで湯を沸かし、持参した非常食を料理して昼食とした。カレーライスはよいがピラフは いまいちであった。

採集したワラビ

昼寝後、スキー場内の散策にでる。芝を刈ってパークゴルフ場としているところは歩けるが、草を刈っていないところは草が深く、歩けない。この草は秋に刈っ て牛の餌にするという。土地は私有地で山形村はこれを借り上げてスキー場としているようだ。草は土地所有者のものという。

平庭スキー場

レストラン「やまぼうし」で2度目の夕食を摂っているとき、夕日が平庭高原と平庭岳を照らし出した。 三陸海岸に向かって緩やかに傾斜している丘が心地よい。全てシラカバの純林に覆われている。密集しているため、白い幹は見えず、シラカバ林とは気が付かな い。これを写真撮影。

山荘前の駐車場から一段下がったところに生えている巨木はサワグルミのようだ。

平庭高原と平庭岳 右手の日の当たる丘は平庭高原が平庭高原でその上が富士見平、平庭岳が少し頭を見せている。塩の道は平庭高原をトラバース

 

第三日 7月13日(日)

チェックアウト後、昨日歩かなかったスキー場の上部の深い草の中をトラクターの轍を踏みしめて散策。山頂までの道に入るが途中で引き返す。

葛巻町のワイン工場と炭の科学館に移動して昼食をとり、平庭高原バス停で13:11のバスを待つ。以後逆廻りで帰宅。

July 16, 2010

Rev. January 17, 2017


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