企業内技術士シンポジウム

1999年11月4日パストラル

組織における個、その新しい役割

―PM導入を契機に動き出す新しい企業活動―

グリーンウッド

本シンポジウムのキーワードは「プロジェクト」と「個」である。

先ず「プロジェクト」についてであるが、建設省が発表した建設産業界へのアンケート調査結果でもプロジェクトマネジメントを知っていると回答した建設会社は59%、建設コンサルタントに至っては43%に過ぎない。プロジェクトに対応する日本語がないことがこの概念の普及の最大阻害因子ではないだろうか?該当する日本語が無かったので英語をそのまま使っている。強いて訳せば「新規展開」であろうか、一語でぴったりするものがないので複合語にせざるを得ない。

該当する日本語がないのはそのような文化が無かったからとも考えられるが、言葉がないから普及しないこともあるのだと考えたほうがよさそうだ。というのはプロジェクトマネジメントという概念は人間の歴史と共にあった古い管理手法であるとプロジェクトマネジメントの英国規格BS6079にある。米国のプロジェクトマネジメントインスティチュート(PMI)が編纂した教科書プロジェクトマネジメント・ボディー・オブ・ノレジ(PMBOK)では人が複数集まって何かをする場合、恒常的な業務を行うものをオペレーション、新規で、始まりと終わりが明確ななものをプロジェクトというと定義している。いずれも1990年代半ばに再定義された考え方である。この定義なら人類が発生した時からあったといえる。すなわち今まで無かったことを発想し、実行するのは人類の発生と共にあったわけである。すなわちプロジェクトは変化のためのエンジンというわけである。

日本の文化にプロジェクトという行いが無かったわけでないことは明らかである。たとえば「普請」とか「普請奉行」という言葉があった。ただ全ての組織化された「新規展開」という抽象概念を定義する言葉がなかっただけである。

10年以上前、日本が一時米国をしのいだのは、米国が戦争に勝ち、勝ったシステムのオペレーションに安住していたときに、日本が多数のプロジェクトを立ち上げて生産設備を一新し、社会の生産性を上げたためである。そして世界の工場となった。今度は米国が新しいプロジェクトを次々と立ち上げて情報革命を行い、情報産業を立ち上げたため、日本に勝った。今、日本でプロジェクトというと生産設備や「はこもの」を作ってどうするという条件反射が出るのは日本では未だにプロジェクトの概念が「普請」の段階にとどまっており、新プロジェクト概念、すなわち「新規展開」という抽象化概念が普及していないためと考えられる。ちなみに米国のPMI(Project Management Institut)の会員の中心はかっての設備新設プロジェクト関係者から情報産業関係者に重心が移っている。

ここらへんの日米関係は太平洋戦争初期、プリンスオブウェールズが日本の航空機に撃沈されたことにショックを受けた米国が大艦巨砲主義から空母中心の機動部隊編成にシフトして日本に勝った歴史のアナロジーに似ていなくもない。

今、日本がしなければならないのは普請ではない。新しい産業を生むプロジェクトを立ち上げることである。

最近、役所が納税者にたいする「説明責任」を果たすためにPMを導入するとしているが、ここにも英語と日本語の微妙なずれによる誤解がある。「説明責任」はアカウンタビリティーの日本語訳とされているが、「説明責任」という語はアカウンタビリティーの一部の意味を表しているに過ぎず、BS6079ではワークブレークダウン・ストラクチャー(WBS)作成についての説明で「PMにとってアカウンタブルなタスクレベルまで分割し、ステートメント・オブ・ワーク(SOW)/タスクオーナー/タスクオーナーのコミットメント/タスクオーナーが使えるリソースが一対一に対応するようにしなければならない」と記述している。PMBOKでは簡単に「管理可能な成果物レベルまで分割」とある。実行可能な業務量に分割し、それを遂行可能な人または組織に与え、それを遂行する責任と権限(オーソリティー)を付与するという意味の方が重要である。(Memo Serial No.769)日本の社会が求められているのはアカウンタビリティーは無論のこと、トランスパレンシーすなわち透明性・情報公開ではないか。

さてもう一つのキーワード「個」についてであるが、オペレーションのためには個を埋没させ、集団を全面に出さねば成功しない。しかしプロジェクトは新規に何かをすることで、創造性とか社会一般にはまだ認知されていない全く珍奇なアイディアだが、もしかしたら社会を変えるようなうねりとなるかもしれないニーズをまめに拾い上げる仕掛けが重要となる。創造性は多様性と裏腹のところがあり、多様性を保証するということは個を重視することになる。

ところが、新しいことはうまく行かない可能性のほうが大きい。すなわちリスクが高い。したがって新規なことをトライすることを許容するが、うまく行かないときは損失が大きくならないうちに撤退するという仕掛けが重要となる。長期にわたる社会プロジェクトの場合、環境が変わり、ニーズが消えてしまうこともある。PM手法にはプロジェクトをいくつかのフェーズに分割し、フェーズの完成毎に評価して次ぎのフェーズに行くかどうかきめるというリスク管理を奨励している。

オペレーションになれ親しんだ集団が中心となると、このプロジェクトの途中で撤退ということを実行することが難しくなる。集団にはゲマインシャフト(運命共同体)とゲゼルシャフト(目的集団)があるといわれるが、オペレーション型縦型機能組織も本来は目的集団であるが、長年オペレーションばかりしている集団はゲマインシャフト化してしまい変化への抵抗は大きく、個人がどうこうできるものではない。ゲマインシャフト化した集団はバイソンとかムーの集団と同じで、暴走をはじめたら個としてこれに立ち向かうには場合によっては死を伴う行為となる。システムに仕掛けが必要となる。これが透明性とプロジェクト手法である。

透明性は運命共同体内部の利益とか当事者の面子を守る動機だけて事が決せられないようにする仕掛けである。企業は株主と社会に、行政は納税者に対しその決定と行為の透明性を高めなければならない。

プロジェクト型組織は有期臨時編成であるため、ゲゼルシャフト(目的集団)であり続けることが可能である。オペレーション型の縦割り機能組織は互いに壁で隔てられている。従ってすでに持っている技術の伝承と深耕には優れているが、それぞれの機能集団がムラ化し、分野外の新規技術の取得に抵抗するゲマインシャフト化する。玉砕の結末が待っている変革の先送り現象が発生する。欧米で発達したプロジェクト組織は機能組織とプロジェクトを管理する組織を縦と横に臨時にクロスさせるマトリックス組織を採用して、ゲマインシャフト化を予防する。(マトリックスという言葉に該当する良い日本語はない、交差組織とでも訳すしかない)ところが日本のように強くゲマインシャフト化した社会にプロジェクト手法を持ち込んでも、欧米ですら運営のむずかしいマトリックス組織はどうしてもゲマインシャフトの方に大きくふれてしまう。すなわち限りなくオペレーション型になってしまう。機能組織の方が権限、意識の面で力が強くなりがちである。したがって有能な人材も機能組織の方に多く、力のある(アカウンタブルな)プロジェクトマネジャーが育ちにくい。

欧米人ですら、長年プロジェクトに携わった人のなかでバーンアウト症候群に悩まされる人がいるくらいである。企業の中だけでなく、社会の大きな意識まで変えないと弱い人間の常としてプロジェクト運営を積極的に受け入れようとは思わない。だが、抽象化し拡大された新プロジェクト概念が日本で抵抗なく受け入れられるまで世界は待ってはくれない。やむを得ず、後ろ向きな気持で受け入れざるを得ないところまで事態は進行してしまっているように思えてならない。新プロジェクト概念の普及に失敗し、バイソンの群れが崖から落ちるような事態をさけなければならない。JPMFはこのような危機感を持って発足した。過去10年間に再定義された新プロジェクト概念、リスク管理手法、有期臨時編成組織運営の普及が使命だと考えている。


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