石棺を越えて

 

2011年3月11日発生の東北地方太平洋地震と福島原発メルトダ ウンは大きなインパクトを人々に与えたと思う。さてこの混乱を乗り越えて、今後の日本の電力はどうあるべきかここで描いてみようと思う。

 

メルケル首相宛の連名公開状

ケルン在住の望月氏からドイツの自然科学、人文科学、社会科学の学者500余人が署名した2011年3月30日付メルケ ル首相宛の連名公開状「福島原発事故を受けてドイツは脱原発を急ぐべき」の要旨を送っていただいた。この公開書簡の筆頭署名者は、フラウンホーファ太陽エ ネルギーシステム研究所の所長 アイケ・ウェーバー博士(Eicke R. Weber)だという。

以下その一部を望月訳でご紹介する。

我々は、学問がドイツにおける原子力論争において余りにも長い間、沈黙を守りすぎたのではないかと心配します。とにかく、脱原発の完了までの間 に何事も起 こらないことを祈るのみです。今や、我々が声を出して、「安全な原発」というものは過去にも未来にも物理的・技術的な理由からありえないと明白に声明する 時が来ました。

すでにWindscale 1957, Lucens 1969, Three Mile Island 1979 , Chernobyl 1986ならびに深刻事故の一歩手前だったForsmark 2006が、残存リスクが過去においては約10年毎に現実となったことを示しています。先進的な高度技術の国、日本における現在の状況により、この悲劇的 な数列にさらに一つの深刻事故が追加されようとしています。複雑な技術の支配不可能の状態は、科学と技術が未熟だから起こるのではなく、それは、原理的 な、自然科学的の問題です。

物理学のカオス理論によると、複雑システムにおいては非常に小さな変化が非常に大きな作用を持ちえます。別の言葉で言い換えるならば、我々は自然科学的な 理由から、我々の原発が本当のところ、どれだけ安全かを知ることは決してできません。というのは、我々は、その安全性を計算することができないからです。 複雑な技術的システムに関する予測不可能性は、入手できる操業パラメータの量に起因するのではありません。なぜならば、システム全体は原理的に、いくらそ の個々の構成要素を分析しても、理解し尽くすことができないからです。まさにこのために、我々は、技術的なシステムがなぜ、そしていつ、機能しなくなるか を原理的に知ることができないのです。我々は、ここでまさに、人間の能力の基本的な限界に直面するのです。数百万人の人間にとっての危険を意味する原発の 場合には、このことは、これ以上、容認することはできません。

このような破滅的な事故のリスクを我慢する必要はまったくありません。我々は今日、水、風、太陽、バイオエネルギーそして地熱で十分な量の電力を発電でき るので、2020年まであるいはそれよりも早く、それによってドイツのそしてヨーロッパの原発の電力を代替できるのです。省エネ技術と再生可能エネルギー のエネルギー的ならびに技術的な可能性は、化石と原子力のエネルギーの可能性を上回るものであり、同時に、環境に調和しており、経済的であり、社会に受け 容れられるものであります。

・・・

オークリッジ国立研究所のAlvin M. Weinberg博士は1991年のISI (Institute for Scientific Information)のCurrent Contentsで「the evolution in time of systems governed by large classes of nonlinear equations. Poincare was the first to stress that the ultimate behavior of such system is sensitive to tiny perturbations in the initial conditions. Chaos is a manifestation of such Poincare instabilities. Brooks suggested that an analysis of such situations was beyond the power of mathematics.」と言っている。

原発の黎明期の1974年に米国のNRCは確率的リスク分析(PRA)という手法を採用したラスムッセン報告書'The Reactor Safety Study' An Assessment of Accident Risks in Commercial Nuclear Plant(WASH-1400 NUREG-75/014)を出した。米国に追従する日本の大学・政府・業界を横断する原子力村はこのPRAを確率的安全分析(PSA)と言い換え、 信頼性を安全性と混同したロジックを展開して安全神話を構築し、安全対策も講ぜず、住民を故郷から追い出すという悲劇的損害を福島県にもたらした。

OECDが2010年に行った原発事故を他のエネルギーセクターの事故と比較した報告 NEA No.6861 "Comparing Nuclear Accident Risks with Those from Other Energy Sources"ではFrequency-consequence(F-N)curveが使われている。(F-N)curveはべ き乗分布そのものである。ただ変数として死亡者数を使っているため、スローデスの原子力事故の重大性が軽く扱われ、土地の喪失が無視されていて適切ではな い。ただPRAを使ったスイスのMuhleberg原発解析とも比較しており、これはべ き乗分布より一桁低い確率を示している。

PRAとは構成する要素の故障確率を想定し、これを事前に想定するフォールトツリーに従い、ブール代数でシステム確率を合成する。要素の故 障確率が正規分布であるから、合成される総合確率も正規分布といってよい。これが日本の安 全神話を裏から支えた似非理論だということはMITのナンシー・レビソン教授が指摘していることである。

日本国政府が再スタートの条件としているス トレステストは基本的にこのPRAの手法はそのままにして材料の破壊確率にWeibul分布(べき分布)を使い。津波の高さはベキ分布を入れるという程度 のことで ある。ドイツの科学者や近代カオス理論の考えに立てばこれらの要素の確率にべき乗分布を採用したところでブール代数で確率を合成した結果がべき乗分布にな ることはない。原発システムを非線形方程式で記述し、初期値を与えて数値実験して挙動を見るという数値実験をしなければ本当のところはわからないであろ う。その数値実験の一つとして物理経済学で使われているエージェントベースモデリングがある。このような手法を使わないストレステストは安全神話の線上 にあるといって言い過ぎではないだろう。


カオス系とべき乗分布

1838年にベルギーの数学者Pierre Verhulst(フェルフルスト)によって考案された非常に簡単な微分方程式で表現されるロジスティックモデルは2次関数であり、放物線を描くので、非 線形である。非線形方程式はポアンカレの指摘の通り、カオス現象を示すことがわかっている。これを例にとっ て説明しよう。ロジスティックモデルの微分形は

df/dt = r0f(1-f)

時間を離散的にすると下式のような差分方程式になる。

ft+1=r0ft(1-ft)+ft

この式は下図のようにf0=0.01 r0=1.9のとき、収れんする。



しかしf0=0.01 r0=3の時はカオス状態になる。


さて50>t>16のカオス状態をプロットすると下図のようになる。これをポアンカレ写像という。0<f0< 1の時において1<r0<1.9で収束する。ところが1.9<r0<2.4で2点 リミットサイクルに分岐、2.4<r0<3で4点、8点、16点リミットサイクルに順次分岐する。



このように複雑な挙動を示す現象をカオスという。予測できないとは、決してランダムということではない。その振る舞いは決定論的法則に従うものの、積分法 による解が得られないため、その未来(および過去)の振る舞いを知るには数値解析を用いざるを得ない。しかし、初期値鋭敏性ゆえに、ある時点における無限 の精度の情報が必要であるうえ(コンピューターでは無限桁を扱えないため必然的に発生する)、数値解析の過程での誤差によっても、得られる値と真の値との ずれが大きくなる。そのため、予測が事実上不可能という意味(ローレンツのバタフライ効果)

さてr0=3 で 50>t>16のカオス状態で fとfの平均値favとの偏差f-favの正の値のみの対数log(f-fav)を縦軸に、-log fを横軸にプロットすると下図のようにほぼ直線となる。



このようにロジスティック写像のr0の偏差はべき乗分布を示す。すなわちカオス系または複雑システムはべき乗分布になるということ を示す。

このように簡単なロジスティック方程式ですらパラメーターによってはカオスに陥る。ましてや原発も含むプロセスプラントは当然非線形となる。制御系がセン サーも情報処理も弁 などのアクチュエーターもすべて電動でかつ自律分散システムとして設計されていないため、強烈な非線形系である。したがって制御棒を含む制御システムがだ めになれば、チェルノブイリの経験のように核分裂も停止できない事態の再現となり、崩壊熱除去系の制御システムがだめになればスリーマイルや福島の再現と なる。このことが物理経済学でいうミクロ・マクロ・リンクすなわち数学的には高次方程式という非線形方程式で 記述されるわけで これを世界500基の現在までの運転相当年分(1.2万炉運転年)運転すればカオス現象が必ず出現し、べき乗分布が得られるははず。では実際にはどうなの だろうか?


原発事故確率はべき乗分布となる

カオス理論によれば原発は非線形方程式で記述されるような複雑なシステムだから事故はべき乗分布になると予想される。 べ き乗分布は別名パレート分布、ゼータ分布、ジップ分布、ワイブール分布、ファットテールとも呼 ばれるものであ る。そこで過去の原発事故の確率と放出放射能量を両対数目盛りにプロットしてみたら下図の褐色のプロットが得られた。電力出力当たりの 放射能放出量(キューリー)の対数を横軸に確率密度(1回/炉運転年)の対数を縦軸にした。べき分布の確率密度

p(x)=Cx-α-1

式で表せる。xは放出される放射能で単位はキューリー。p(x)は確率密度関数である。αはス ケーリング指数 (scaling exponent)とよばれる。原発事故は空色の右下がりの直線となる。C=0.01411、α=0.2892となる。xが小さいとα=0となる。


確率密度関数

べき分布に平均値は存在せず、スケール・フリー(スケール不変性)である。とはいえ崩壊熱事故の場合は放出される放射能 の 最大値は炉内にあった核分裂物質量を超えることはない。ただ核分裂暴走事故の場合は最大値は装填した4%のウラン235全量に相当する核分裂物質に等しく なることを否定できない。

上の確率曲線作成にあたっては公表されている放射能放出量をそのまま使ったが、チェルノブイリや福島はヨウ素とセシウムの合計だけだ。希ガスは無論全て放 出されているが算入されていない。スリーマイル島の放出ガスは希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)が大半で92.5pBq(250万キュリー)。ヨ ウ素は555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。こういう意味で公平に比較するためには。チェルノブイリや福島に希ガスも算 入しなければいけない。

チェルノブイリ級以下なら再稼動し たほうが安くつく、ただチェルノブイリ級以上では高くつくし、事 故補償費には原発立地による他産業の逃避、住民離散による間接損失が含ま れていないため、再稼動は国家にとって割に合わないといえるだろう。


確率論的リスクアセスメント(PRA、PSA)の問題

原発の事故確率は隕石に当たる程度の50億分の1だという数値は1974年のラスムッセン報告書で使われたFT分析に よって計算されたものである。システムの信頼性を要素の信頼性からブール代数を使って合成するものである。これを確率論的リスク分析(PRA)という。 PRAは要素の信頼性として通常ガウス分布またはポアッソン分布で整理された確率を採用する。システムは多重化すると信頼性が増すという原理を利用して目 的の信頼性を確保するために多重化を行う。日本ではPSAを確率論的セーフティー・アセスメント(PSA)と言い換えて、信頼性を安全性の代用にした。 PSAはシステムの安全性=信頼性が社会にとって受 容できる信頼性になるようにシス テムが事故時辿ると推定されるルート、すなわちイベントツリーを想定し、多重化で目的の信頼性=安全性は隕石 に当たる程度の事故確率だと住民に説得したのである。

アインシュタインやバートランド・ラッセルがよく寄稿したという"Bulletin of the Atomic Scientists"の最新号(2011/4/21)にM. V. RAMANAのBeyond our imagination: Fukushima and the problem of assessing riskという論文が載っ た。

ここで従来の確率論的アプローチはまちがっているとだけいって、べき乗則とは言っていないが、シビアアクシデントの確率 について

The actuarial frequency of severe accidents may be as high as 1 in 1,400 reactor-years. At that rate, we can expect an accident involving core damage every 1.4 years if nuclear power expands from today's 440 commercial power reactors to the 1,000-reactor scenario laid out in the MIT study. In either case, though, our experience is too limited to make any reliable predictions.

としている。ここでいうシビア・アクシデント確率1回/1,400炉・運転年は我がべき乗分布によれば福島級では1回/2,100炉・運転年にということ になる。これは従来政府や電力業界がいってきたような1回/100,000炉/運転年という小さな数値では ない。ラマナはさらに続けて

Theoretically, the probabilistic risk assessment method suffers from a number of problems. Nancy Leveson of MIT and her collaborators have argued PDF that the chain-of-event conception of accidents typically used for such risk assessments cannot account for the indirect, non-linear, and feedback relationships that characterize many accidents in complex systems. These risk assessments do a poor job of modeling human actions and their impact on known, let alone unknown, failure modes. Also, as a 1978 Risk Assessment Review Group Report to the NRC pointed out, it is "conceptually impossible to be complete in a mathematical sense in the construction of event-trees and fault-trees … This inherent limitation means that any calculation using this methodology is always subject to revision and to doubt as to its completeness."

といっている。FT解析こそ1回/100,000炉・運転年というまやかしの数値を出すトリック とここで認めている。これは今後世界の認識になるだろう。

実際に事故が生じると、想定外と言い訳して法律の罰則の圏外に立てると踏んでの悪質な背任行為なのだ。

ちなみに原子力村の住人かどうかのリトマス試験紙は隕石という言葉とおぼえておけばよい。

隕石と 口にするのは 村出身

ラスムッセン報告書は1975年代の古いものだ。「スリーマイルもチェルノブイリもヒューマンファクターのほうが大きい。そういう意味でもラスムッセン報 告書を批判しにくいところがあった。ところが今回はヒューマンファクターどころか、なにもしないで呆然としているうちに事態は進行しまった。ということで ラスムッセン報告書のFT分析手法は理論的に全く意味がないということになる。


現在のストレステストは安全神話の延長上にあり

2012/2/1保安院は立地自治体が求めていた福島事故をふまえた30項目の対策の中間報告をまとめ専門家に意見を求めたという。これは無論ストレステ ストの条件にはなっていない。今後、長期の工事をして初めて実施できるものばかりだ。おもなものに対する疑問を以下列挙。

(1)ベントは別系統とするとある←これはベントスタックも独立 としなければ逆流が生じて意味がない。地 震にも耐える高いスタックの建設は時間がかかる。

(2)ベントを遠隔操作できるようにする←遠隔操作にはDCとか計装用空気が必要。どう供給するのか?

(3)メルトスルー後必要となるベントガスの無害化装置に言及なし。化学プラントでは環境を汚染するおそれがあるガスのベントには吸着または吸収操作による除害塔を設置するのが常識で ある。しかるに化学プラントに要求する無 害化装置をなぜ保 安院は電力会社にその設置を要求しないの か。ルトスルー後は放射性粒 子は格納容器内プールでスクラッビングされない。だからベントすれば放射能は環境に排出され る。そのときは損失のほうが対策費より巨額なのだが。保安院が外付けの除害塔を原発に追加装着せよと要求し ない のはなぜか。原発事故はおきて はならない事故だからそのようなものを要求してはならないというタブーがあるのか?本当の理由は仮に無害化装置をつけてもメルトス ルーが発生してしまえば、ペデスタルに落下したコリウム が発する放射熱で格納容器のケーブル 貫通部は損傷し、放射能が建屋内にもれでることは防止できず、予め建屋を窒素置換しておかねば漏 れ出 る水素は建屋を吹き飛ばすから無駄であると考えて いるためなのだろう。だから除害塔は無駄な 投資というわけだ。→打つ手がな い。→脱原発しか手はない?しかし自ら考える能力のない政府と国民は決断できない。次回はフランスか米国か日本かというチキンレースをして、だれかが崖か ら落ちてようやく脱原発するのか?

(4)圧力容器に水を送り込む揚程の高いポンプの確保をするとある。←この動力が電力では意 味がない。エンジン駆動であるべき。そしてその水のラインが格納容器を通過するところにある隔離弁をDC電源喪失のときどう開けるのか不明。これがあけら れなければ宝の持ち腐れ。

(5)圧力容器の圧を下げる逃し弁が電源喪失時でも建屋の外から操作できるようにする。←遠隔操作のために は手動の空気操作弁を原子力建屋の外に設ける必要 があるが、現在の圧力逃し弁は空気配管破断で弁開となるようなバネ式ではない。または可搬式ボンベで空気を注入すつとでもいうのか?

(6)送電線の耐震性向上など外部からの給電の容易化と迅速な復旧←どうして可能か??

(7)電源設備の多重化←多重化しても切り替えスイッチが必要。そこがこわれたらおしまい。システムが複雑 になってかえって故障が増える。そしてスイッチはDCで動く。配電盤内にDC電源を内臓するのかどうか?ケーブル火災にどう対応するのか別ケーブルルート をつくるのか。

(8)非常用発電機は水冷式、空冷式の異なった方式を採用

(9)非常用蓄電池の強化←蓄電池と開閉器、機器をつなぐケーブルなどのシステムとしての経路については触れら れて いない。分散配置でも不十分で重要機器、開閉器は蓄電池を内臓しなければ意味がない

(10)配電盤は建物の高いところに分散して設置。←これはベターであるが一般論過ぎる。分散配置など中途 半 端。配電盤のスイッチギアは直流で作動する。した がってそれぞれの配電盤内にDC電源を内臓するなど直流電源について特段の注意があるのか不明?

(11)B5bで指摘していた可搬式バッテリーはどうなっているのか?

(12)津波の浸水対策、建物の水密化、ポンプの浸水防止

(13)水素爆発防止←どうやって?

(14)原子炉の熱を逃がす仕組みの多様化←いまでも十分用意されて い る。それすべてがDC電源喪失でダメになる

というわけで2012/1にIAEAのお墨付きをもらったストレステストは安全対策としては不十分なものと断言できる。

水冷却の軽水炉はPWRにせよBWRにせよ、制御棒挿入失敗、ホウ酸水注入失敗、冷却水損失などで炉心熔解に至ると、発 生する水素ガスは圧 力抑制漕に備蓄されている水では凝縮できず、高圧力となり、格納容器が破 壊され、閉じ込め機能が失われ、炉に近寄って手動操作も不可能になる。すなわち万一の時、フェイルセイフではなく、多重防護思想は破たんしていることであ る。バックアップとして発電者や消防車をはべらせても遮断機やケーブルが1系統のままでは不測の事態による制御系電源喪失のリスクは残ったままだ。すべて の制御機器に分散バックアップ電源を持たせなければ意味がないが、それを設置するスペースがない。ラプチャーディスクしかないということになる。ならばベ ント浄化設備をつけなければならないということが筋だろう。保安院はそれを想定しないのだ。また事故が起こったら想定外というつもりなのだろう。電力会 社はすでに気がついて極秘で検討はしているが保安院がいいださないので知らん顔である。したがって 政府が言っている津波と地震だけを想定したストレステスト程度で停止中の原子炉を再開すれば、同 程度の事故が再発する可能性は、いままでと同程度あることになる。すなわちもう一度あるのである。次回は保安院が想定した津波と地震以外の原因、たとえば 制御系、DC電源などの故障でメルトダウン と格納容器破壊が発生するので はないか。なぜなら保安院が想定していないからである。水は低きに流れる。すなわち想定しないところに流れるのだ。


運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、………その場所へ、激しく襲いか かってくる・・・・ニコ ロ・マキアヴェッリ


高速増殖炉のナトリウム冷却など海水を注入することは火に油を注ぐとおなじことで軽水炉より危険である。そもそも増殖が できなければウラン235の資源量 は化石燃料より少なく、危険をおかしてまで増殖炉開発をする意味はない。さすれば原子力の魔術は霧散してしまう。軽水炉を無理して運転継続する意味もな い。悪魔に魂をうったファウストは誠に割に合わない行為をしたことになるのだ。先日亡くなった古川先生はトリウム溶 融塩炉こそ、安全性と資源量からみてベターだと言っておられたがはたしてそうか?化学プラントのように失敗しても安全な炉はありうるのか、という究極の疑 問についていくら考えてもありうるという回答は思い浮かばない。物理経済学がパレートの法則を証明したマルチ・ エージェント・モデルでべき分布のスケーリング指数αを計算できるかどうか。

あり得ないことだが、仮にあるとしても権力志向の自民党政権ですら不可能であった核廃棄物の捨て場を今後政権の座に座るであろう、いかなる政権が確保でき る というのであろうか?民主主義国家では核分裂エネルギーをつかうことはすでに破たんしている。

核廃棄物の捨て場として唯一解決可能性を思わせる方策は汚染された福島第一とその周辺を買い上げで核の捨て場とすること だが、福島県民 感情にとっては傷に塩を塗り込むようなことで政治的には不可能。それに安定な岩盤があるかのとか、技術的な問題もあり、むずかしい。ということは脱原発し ても出てくる廃棄物処理すら不可能という袋小路が待っている。結局、日本中にちらばる原発敷地内にそれぞれ(永久に)中間貯蔵するというハメになる。さす ればテロ リストの恰好の 標的となる。北朝鮮がその気になれば拉致で証明されているようにいともたやすいこととなる。中間貯蔵シェルターの建設は必須であろう。

GE Mark-Iの脆弱性

浜岡の停止は表向きは東海地震だが、隠れた理由は首都圏壊滅のリスクをさけることである。それはそれでよいが、事故はないも津波だけではない。現在米国の 原子力規制委員会(NRC)が識者にヒアリングして検討しているのがGE Mark-Iの脆弱性である。その脆弱性とは

@格納容器の容積は圧力容器の20倍しかなく、圧力容器の安全弁が作動するか底が抜けると設計圧を超えてしまうことが問題とされた。このために後付で ウェットベントを追加したが、操作前に格納容器が破れてしまった。(管 首相引きおろしのための国会でのベント論争は全く無意味な場外乱闘にすぎない。ついでに海水いれた入れないもメルトダウンしたあとのことで無意味な論争)

Aサプレッションチャンバーに備蓄してある水の量が少なく、温度があがり、スプレーポンプがNPSH不足に陥ってベーパーロックを生じ、炉心冷却ができな くなる。(これはアーニー・ガンダーセンが指摘しているが福島で生じたかは不明。1号機にポンプはなく、2、3号機では上手く作動していたと思われる。

Bサプレッションチャンバーとベント管は裸でベロー付き、そしてコンクリートで補強していないので設計圧通り壊れる(福島1,2,3号機で発生したこと)

したがって東通1号、女川1-3号、浜岡1-4号、志賀1号、敦賀1号、島根1-2号が同じ問題を抱えていることになる。

マークー1の格納容器の容量不足は横に大きな容器を作って連結するということをして容積を稼いでも、下半身はコンクリートで巻いてなく裸である、薄肉の蛇 腹型のベローがついているなどで改善できできない。せいぜい砂充填のベントシステムをつけることだが、それこそ自動にしておかないとまた電力会社の社長と 首相の首が飛ぶ。廃炉しかない。目下アメリカでマークー1の運転継続を承認するかどうか問題になっている。放っておいても米国はどちらかに決めるでしょ う。米国が決めれば技術者が皆骨抜きになっている文系天国日本はバカみたいに追従するであろう。


組織が抱えるリスク

今回の福島メルトダウンはFT分析では扱えないヒューマンファクターというか組織ファクターともいえるだろう。スペースシャトルが失敗する確率は10万分 の1とされたが、1986年のチャレンジャー事故はそうではなかった。リチャード・P・ファインマンによるスペースシャトル「チャレンジャー号」事故少数派 調査報告を 読むとトップダウン組織(設計)がボトムアップ組織(設計)に対し、信頼性がおとることを指摘している。NASAの肥大化した組織のトップには都合の悪い 情報は現場からは上がらなかった。「最大の敵は組織の制度疲労と人間の心」だとファインマン博士が参加した事故原因報告書は結論した。そしてNASAの仕 事は「一種のロシアンルーレット」であったと批判した。東電はNASAと同じだったわけだ。ファインマンは「技術が成功するためには体面より現実が優先されなくてはならな い。自然はごまかされない」とも言っている。兎角、文系は自然を忘れ、自らの体面だけを飾ろうとする。それしか権威を維持できないからだ。ここに 日本の組織の落し穴がある。


原発事故は領土を失うと同程度の損失をもたらし、かつモラルハザードが残る

一般の人に理解出来やすい修辞をつかえば原発事故は領土を失うことと同じということになる。よく原発は人を殺さないから 人道的だという。しかしこれもおか しな話だ。自動車による交通事故が世界で最大の死亡者数をもたらしている。しかしこれは不謹慎だが保険で命を金に置き換えるということで世界が廻ってい る。無論事故を起こした運転手は刑事的に罰せられる。

1989年3月23日のエクソンの原油タンカー、バルディーズ号のプリンス・ウィリアム湾での座礁・原油流出事故や 2010年4月20日のBPのメキシコ 湾海底油田のブローアウトのような石油の大量流出事故による環境汚染も流出した油は1年も経てばバクテリアが綺麗にしてくれる。だからBPも2兆円そこそ この損害で乗り切れた。しかし放射性物質は元素であるため 、化学的、生物的には浄化されない。物理的に隔離するしか手はない。ここが原発の本質的問題点なのだ。だから福島では10兆円の損失になるかもしれない。

放射能は即、死をもたらさない。ジワッと長期間作用するからだ。特定の遺伝子修復機能の高い人はかなりの放射線を浴びても癌にもならない。弱い人には早く 影響が現れるが、原因と結果が明確なるケースは少ない。そのため予防的にとられる規制で汚染地域とされる土地で栽培された食物、魚による内部被曝を避ける ために大勢の農業・漁業を生業にしている人々が損失をこうむり、あるいは転居を強いられ、収入を失い生活基盤を破壊される。この広域汚染は領土を失うに等 しいため、保険会社は戦争と同じく、保険の対象にしない。保険業がビジネスとして成立しないからだ。結局、その損失は加害者の電力会社という建前があって も電力という人質をとっているために潰すわけには行かないと国家が税金でやりくりすることになる。日本でも国策で原子力を推進した自民党と民主党、そして 財界、それを支持した国民に責任があるが、誰一人刑事責任を問われる人はいない。俺達は国民が必要としている電力を安く供給しているんだし、直接手を下し て殺していない、チョンボしても刑事責任をとられることもないという意味で電力会社はモラルハザードに陥る。これは米国でも同じ。米国ではスリーマイル島 事故のあと民間企業である原発会社は一斉に原発をとめようとした。そこで議会は プライス・アンダーソン法という免責の法を作り、国家補償として現在に至っている。実はこの度の疎開騒ぎで多くの高齢者が死んでいる。実態の多くは死期が 早まったということだが、人を間接的に死なせたことは同じ。いずれにせよモラルハザードを引きずっている国家は長くつづかないだろう。原子力村はモラルハ ザードでゆがんでいる特殊集団のように私には見える。中には日立製作所の原発の最高責任者だった方のように浜岡は直ちにとめなければならないと言う少数の 覚醒した人はいるが、大多数はモラルハザードに汚染されたままで 認識の修正しない。軌道修正すれば自分の全人格を否定しなければならないからそうやすやすと変えはしない。


原発は国防上のアキレス腱

米国がソ連との冷戦の防波堤にするべく戦争指導者であった岸らを釈放するばかりでなく、原発さえ与えた のは歴史的事実である。日本の左翼はこの初期の米国方針に無邪気に抵抗するという単純な構図できた。時は流れ、ソ連も共産中国も敵でなくなっ た今、原発体制を継続することの意味はうすれた。むしろ原理主義者、北朝鮮などゲリラ国家が脅威として残った。いまや原発は自国防衛という面では足手まと いになりにこそすれ、放射能被害も含めれば何の役にもたたないどころか重荷となった。原発よりむしろ、構造の簡単な原爆を持って、原発はすべて廃棄すると いう道を考えたほうがいいだろう。森永先生も面白い考えで、検討の机にのせるべきだろうとおっしゃっていた。問題は時の権力がこの原発をもつと暴走する危 険である。これを制御できない という大問題がある。日本では過去にも現在でも核を持つ資格のある支配層を持っていないし、今後も絶望的だ。なぜなら日本では民主主義は形だ けで中央官僚にハイジャックされたまま。国民の代表の政治家が今だこれをコントロールできていない。中央集権原発でこれだけ暴走したのだからいわんや原爆 をや。米国も フランスも今日本がどうするか、そして自国民のの意識がどちらに向かうか風向きをうかがっている。まず手始めに中央官庁に独裁の権限を与えている地方自治 体法の改訂から手をつけなければなるまい。


原発の是非

<基本的考え方>

<再稼働させる姑息な手段はあるか>

<原発なくて電力供給は可能か?>
<温暖化は大丈夫か?>
<日本の製造業は空洞化するか?>

原発事故は憲法の保証する権利の侵害となる

憲法前文は「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を宣言しているが、原発は放射能被害の恐怖と不安と人命破壊を引き起こして平和的生存権を侵 害していることはまちがいない。

憲法13条では「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」を保障し、22条で「居住の自由」を保障し、25条で「健康な生活を営む権利」を保障し 「公衆衛生の向上と増進」を目指しているが、原発は放射能汚染によって健康を破壊し、飲食物の摂取を危険にし、それらの生産者の生活を脅かし、地域住民を 転居させるなど、生命権と健康権と幸福追求権と生活権と居住権を甚だしく侵害する。

今回の福島原発事故は、原発周辺の福島県民に関して、日本国憲法の保証する、上記の一連の国民の基本的な権利を完全に踏みにじった。とくに第22条の居住 権の侵害は、強制転居の期間が数十年(?)に及ぶことを考えれば、きわめて重大な侵害である。

こうした日本国憲法の保証する国民の基本的な権利を踏みにじった行為に対する罰則と補償金の査定方法は憲法を遵守するかどうか見極める必要がある。もし踏 みにじることあれば訴訟に訴えることが可能である。


放射線は無害か?

アルファ線やベーター線は強力だが貫通力はたししたことはなく、食物連鎖で内部被曝がこわい。もっとも多いガンマ 線は一種の電磁波であり、紫外線よ りは強く分子を揺さぶって電離させるものだ。ガンマ線より弱い紫外線でも長期浴びると老化が激しくなり、個人差はあるが皮膚がんにもなる。一時期日光浴は 金持ちの象徴ともてはやされたが今時、黒こげになる酔狂な人はいない。

日本では御用学者が放射線の害について低レベルなら一生浴びても修復機能があるため大丈夫だと主張しているがこれはまっ たくのウソであることは2009 年にニューヨークの科学アカデミーの紀要として発刊された「ヤブロコフ・ネステレンコ報告」を読めば一目瞭然。修 復機能が弱い人もいるのだ。

無論タバコや酒の害のほうがガンマ線20mSv/yより大きいだろう。でも彼らは自己責任でやっているのだから、健康保 険会社以外文句はいわない。きでも ないのに無理やりタバコや酒を飲ますのは人権侵害ではなかろうか?憲法により、人は自らの意思で安全に生きる権利があるのだ。そこを国家と電力会 社が安い電力だから我慢せいとおしつけるのは憲法違反ではないか?人は住む環境を選ぶ権利がある。もし日本中危険個所なら選ぶ自由はないことになる。

問題は福島の汚染地域の人はいやでもおうでもガンマ線を浴び続けることだ。ガンマ線は目にはみえないが、もし見えたら夜 間でも太陽のように輝く地面をみる だろう。森永先生がシンチレーションカウンターを持って新幹線にのり、福島から仙台に向かって北上していたとき、福島は安全とされているが結構汚染さてい る。メーターは新幹線のなかでもその数値を示していたのだが 、阿武隈川の鉄橋を渡っている間はゼロを示したそうだ。河川水が汚染物質を洗い流してくれたからである。

2011年の長崎市の田上富久市長の宣言案「人類が制御できない科学技術は放棄すべきだ」は文系的表現で心を打つものが ある。しかし理系的に冷静に考えれ ば、自動車も飛行機も新幹線も化学プラントもカオス的振る舞いするわけだから全てやめなければならないということになる。市長が言うべき言葉は「宇宙開闢 以来放射性物質が崩壊 して放射線が弱くなって初めて出現できた生命の敵、放射線を出す原子力というものを核兵器とならんで廃絶しなければならない」といわねば意味がありませ ん。宣言は大変あやまてる文系的考えです。いかに人々は無知であるか空恐ろしくなります。


ウラン資源は有限

そしてウラン資源は有限だ。海からウラン235を回収するくらいなら、PVの方が安くなる。高速増殖炉の高速は高速中性子を使う低速増殖炉だから故古川先 生 のご指摘のように資源的には全く役に立たない。トリウム溶融塩炉は福島の炉心で生じたことを先取りするだけのことだろう。

 

使用済み燃料の最終処分法が未定

六ヶ所村のプールも各原発のプールもあふれ、もって行き場がない。多分各原発のプールを増設して対応するのだろうが、ご苦労さんなこと。そのうちににっち もサッチもゆかなくなるだろう。最大受益者の東京の地下に埋設するという決断を東京都民がすれば話は別だが、当然そうはならない。


補償費用はどう処理されるか?

通産エネ庁は原発の1970年代の建設費規準の施設償却費しか原価にいれずに5.6円/kWhとし、石炭火力の6円/kWhより安い電源だと国民を欺いて きた。(詳しくはグ ローバル・ヒーティングの黙示録)しかし再処理、1基610億円する廃炉費、地方自治体を黙らせる補助金を含めれば9.6円 /kWhになる。

福島の放射能汚染の汚染マップをみれば 今回幅20km、長さ40kmの地域が高い放射線汚染で長期間居住不能になる恐れがある。この面積は800km2に相当する。全期 間土地損失補償費 または土壌反転費を1m2当 たり5,000円とすれば、4兆円となる。または20kmサークル範囲内の住人78,000人が20年間疎開する慰謝料と費用は1人200万円/年とすれ ば、3兆円。農業と漁業補償は月1,000億円とすれば2年で2兆円となる。原発の廃炉1.5兆円。合計ざっと8兆円となる。この一時金を4%の金利で借 り、10年間で均等払い返済には毎年借入金の12.33%、25年間で均等払い返済には毎年借入金の6.4%となる。東電の年間発電量を 280,000GWhとすると3.5-1.8yen/kWhの値上げが必要。 家庭用は15-7.8%アップ、商用は23-12%アップとなる。

見えなかったツケが廻ってきたわけである。要するにいままでツケで美酒を飲んできた国民がこれを精算しなければならないわけだ。

私は今回は福島住民の被害者救済に税金の投入はやむを得ないとおもうが、今後原発再スタートを黙認する地方の住民補償はモラルハザードになるのですべきで はないと思う。原発立地の地方の人々は自己責任で自分の土地は自分で守るべきと思う。ノーと主張すればよいことなのだ。

 

唯でさえ低い原発の稼働率が更に低くなる

原発の発電単価は稼働率80%を前提にしている。過去に福島第一の欠陥秘匿のために長期間原発がとまったため操業以来の日本の平均稼働率は76%であっ た。しかし地震で柏崎・刈羽原発が長期間とまったために2010年の日本の原発の平均稼働率は67.3%だったという。今年は福島、浜岡がとまり60%を 切るであろう。発電原価は稼働率の逆数に比例するから。原発は高価な電源となる。

 

発送電分離と一般家庭電力の自由化

原発の穴を自然エネルギーで埋めることには電力業界から強いアレルギーがある。そこで代案として電力事業の自由化を更におしすすめ、一般家庭まで拡大する ことだ。そして電力業界は託送とバックアップに専念させて解決する手がある。日本では発電の自由化は少しずつ(多分米国の圧力で)進んでおり、

2003年 >2MWの大口需要者
2004年 >500kW
2005年 >50kW

だという。そして電力取引所も開設された。その結果、東電はこれまで約280社の大口顧客を新規電気事業者に奪われてしまった。東京電力はかなりの危機感 を抱いて、神奈川支店では営業部員を増員し、顧客死守のための営業強化に動き出している。多分エクソンなどは川崎のIPP電力を周辺の工場に売り込んで、 東電の顧客を奪ったのだろう。彼らは石油を売るより、利幅の大きい発電事業を世界各地で推進している。中国も例外ではない。東京電力の没落はなにも福島原 発事故がなくとも始まっているのだ。ジャスコなど大型店舗もこの制度を旨く使っているようだ。ただ最後の砦でもっとも利益の上がる数kW程度の一般家庭は まだ自由化されていない。

しかし送配電は地域独占だ。その理由は高圧送電線をやたらに建てるわけにもゆかないし、道路に電柱を何本も立てることは出来ないし、何より2重投資になっ て不経済だ。フランスでは《第一次EU指令 = EU加盟国に電力市場の自由化を義務付ける指令》違反ではあるがEDFという国営の電力会社が一つあるだけである。しかし英国、米国は送配電は自由化され ている。ドイツでは送配電業は高圧の垂直統合大手送電業と中圧以下の配電業に分かれている。大手送電業者数は4社。配電業者は900社ある。この中には自 治体が経営するのもある。そしてこれら配電業者は4大送電業者により、系列化されている。潮流コントロールは4大送電業者が責任をもつ。1996年の第一 次EU指令を受けて1998年にエネルギー事業法を改正し、小売りの全面自由化をしている。そして送配電業は価格規制法に縛られている。

日本の電力自由化の実態は自家発電が余る会社が東電に託送料金を支払って別の会社に電力を売るという仕組みだ。託送料金は通産省が定める託送料金算定規準 によって計算される。その精神は実費という建前だ。60-20kVの特高送電線託送料金は2.25yen/khW、6kVの高圧送電線の託送料金は 4.24yen/kWhということになっている。

以上の託送料金と電力の価格構成を比較すると大口交流料金の15yen/kWhは産業界に国際競争力レベルの電力を供給するため なのか価格を上げると自家発になってしまうのが怖いのか大口ユーザーへの配電費を殆どゼロにして発電単価だけ徴収していることが分かる。

transmission cost and backup cost

電力会社は学者や評論家を使って風力は不安定でバックアップに金がかかると連呼するが、これは発電能力が余剰のため。これ以上の発電能力が要らないのを隠 蔽する目的なのである。またバッテリーによる風力のバックアップは託送料金に加えてバッテリー償却代金が2階建てになるのでペイしないにもかかわらず、ペ イしないことを宣伝するためか東大や東工大に資金援助して研究させている。こういう行為を「認識操作」 (perception management)という。

風力やPVの不安定電源のバックアップ料金は3%なら11.66yen/kWhである。しかるにこれを越えるバックアップ料金は夏季昼間 40.69yen/kWh、その他の季節の昼間35.5yen/kWh、夜間32.42yen/kWhである。電力需要が減少している局面では余剰の火 力、原子力施設があり、償却済みの固定費は小さ く、バックアップコストは大きくない。しかるにこのように実コストの10倍と異常に高いのは風力やPVを算入させない悪意が感ぜられる。不当な権利の行使 であろう。これを見逃している官庁は公僕たる責任を放棄している。実際はむしろ風力 やPV分、燃料費が節約になるのだ。そして原発などが事故でとまったときは高価なLNG輸入をそれだけ節約できるのだ。

不安定な風力は電力会社に一方的に買い叩かれて死滅した。託送してもバックアップコストが不当に高く採算にのらない。そこで私は日本で風力業者が生き残る ためにLNGガスタービン発電、地熱 、蓄熱式CSPなど自前のバックアップ体制を持つべしと提案する。高温岩体発電は温泉業と競合しないため、地熱のポテンシャルは大きい。 しかしこれを風が止まった時のバックアップに使うのは将来の話で、当面LNGが安いうちは設備費の安いシングルサイクルガスタービン発電(GTG)でバッ クアップすればよい。LNG資源が枯渇して高くなった時点で地熱を利用すればよい。今世紀後半には蓄熱式CSPがバックアップにつかわれるであろう。コス トは風力発電+バックアップ電力費+託送料金のみとなる。または化石燃料のIPP業者とバックアップ契約をしてタグマッチすることも考えられる。

 

一般家庭のオフグリッド運用

一般家庭向けの低圧系託送料金は自由化されていないため、不明である。しかし私の解析によれば一般家庭向けの託送実費は8.5yen/kWhで、大口は殆 どただということになる。実際には大口でも6yen/kWhかかっているわけだから大口ユーザーが海外に逃げないように か自家発をさせないために電力料金を赤字にしてバーゲンしているわけだ。そして大口ユーザーへ安く売った赤字を埋め合わせるために 一般消費者の料金23yen/kWhに送配電網のすべてのコストを負担させているのがはっきり見える。これを指摘する評論家は何故かいない。電力料金の許 認可権を持つ通産省は産業保護を目的として戦後設立された。日本はまず仕事・職場確保しなければとこれまでやってきたのだからそれ相応の貢献はしたわけ だ。しかしいつまでもそのままというわけにはゆかないであろう。通産省は戦後日本の復興に役立ったが、日本が別のフェーズに相転移するのを妨げる、ネガ ティブ官庁になってしまった。思い切って廃止したらどうかとまで思う。これを作った武相荘の住人白洲次郎も何やってんだと墓のなかで怒っているのではない だろうか?いわばいまの産業立国は蛸足配当で成立しているのだ。

このような不公平なことを陰でしていたので一般消費者向けの自由化ができないのだ。ここに日本に住む人間にとっての大きな不幸があると私は思う。困窮した 消費者は金が無く、消費せずそして産業はますます落ち込むというデススパイラルに落ち込んでゆくのだ。

癒着した政治家とノブレスオブリージの精神を持たずただ腐敗した官庁と独占企業の裏取引、癒着の結果としてこういう不明朗なことが行われている。そのお題 目は産業を保護するためということになっている。逆だろう、産業は人々の幸せのためにあるのだ。この問題は政治がしっかり整理できそうもない。

貧乏な一般消費者は電力料金が高いからに消費に回す金が少ない。したがって国内消費が伸びない。産業は益々輸出依存になる。ために大口料金は上げられな い。したがって産業保護しか考えない通産省は福島事故の補償金の返済は一般消費者の電気料金にしわ寄せするだろう。そうすると庶民はますます貧乏になるの で国内消費は落ち込む、というデス・スパイラルに陥る。まさに正のフィードバックがかかっている。これを打破するには電力の自由化しかない。もし通産省は 産業にも応分な負担を求めれば電力費が安くないと成立しない産業は自前の風車や地熱を持つために東京電力管内を脱し、東北電力や北海道に移転するかもしれ ない。もしかしたら天然ガスが唯同然ののサハリンがよいかもしれない。

むかし蟹工船という小説があったが、日本が別のフェーズに相転移するエポックとなる小説をだれか力のある小説家が「福島フィフティー」とかいう小説に書く かもしれない。もう輸出型産業は中国にかなわないので日本の産業構造をかえる時だろう。

電力会社は学者や評論家を使って現時点のPV価格で高い高いと連呼するが、これは変化する世界を無視する、または見ようとしない、視野狭窄者の逆宣伝にす ぎない。こういう行為を「認 識操作」(perception management)という。 このスキームは言い換えれば太陽から直接送ってくる電磁波をアンテナ(PV)で受け、バッテリーに蓄えて使う電力の携帯電話化である。実は電力はいまだに 有線の時代という遅れた分野なのだ。

薄膜多接合のPVを100yen/Wで製造できる装置がULVACや東京エレクトロンなどによって開発され 、中国メーカーに輸出されている。韓国のサムスン電子なども後を追って中国に製造プラントを輸出するだろう。中国はこれを使って安い人件費を最大限つかう ため、組み立て工場を24時間操業するだろう。こうして近未来にグリッドパリティーを達成するPVが市場にでるだろう。 日本メーカーは完全に脱落した。(現在3$/Wで将来1$/W)一般消費者は自衛のために安くなりつつあるPVとバッテリーと組み合わせ、オフグリッド運 用にすれば、8yen/kWhという託送料金を電力会社に支払う必要はなくなる。この余剰金で家庭用バッテリーが買える。日本のPVメーカーは倍額買取制 度に保護されて安くは売らないから無視するしかない。家電会社は家庭用リチウムを売り出すそうだから期待できる。

 

首都圏に近い浜岡について

管総理が浜岡原発を安全審理がすむまで全面的に停止するよう要請をだしたことが報じられた。私は菅さんはなにもできずに 流されて結局やめる首相の一人かと 思っていたのでかなり驚きつつ、英断だと思った。ただこれも中途半端で、本当は国策で原発は段階的にやめるという決定の第一歩と宣言しないと中部電力に無 駄金を使わせることになる。その後、浜岡だけの例外処置でたの原発には波及されないと言明。原子力村の住民は管総理が支離滅裂な判断をしたと思い込んでい るようだが、3年以内に予測通り東海大地震は発生すれば地震がおこれば膨大な損失を防止してもらったと感謝するかもしれないのだ。

さて本日のテレビ朝日で青山貞一(所沢の焼却炉ダイオキシン騒動を起こした張本人だが、実は焼却炉は有害なダイオキシンを作らない)が米軍の圧力が極めて 強く、浜岡を停止せざるを得ない状況になったのだと話したと聞く。米軍は首都圏が機能麻痺し、かつ横須賀が使用出来なくなることを重要視しているようだ と。首都圏全体の麻痺は米国にとっても大問題に違いは無い。米軍司令部は私も米軍住宅の鉛ペンキ調査費の残金の支払い催促のために何度か出かけたことがあ るが、相模原の旧軍敷地内にあり、浜岡とは近い。そこから撤退しなければならくなれば、日本の防衛はだれが指揮とるのかということになる。中国とソ連に弱 みを見せられない?根拠があるか知らないがうがった見方だ。

私は浜岡も怖かった(過去形)が実は横須賀の原子力空母ジョージ・ワシントンの方がもっと怖い(現在形)。これは高濃度濃縮ウランで17年間も燃料棒を交 換せずに使うため中に溜まっている核分裂物質も通常の原子炉4トンの5倍の20トンくらい溜まっているはず。福島の1-4号機の合計と同じ量だ。ただこれ もって帰れと言えば、日本は中国の言いなりになる。それも嫌だから、困ったもんだと思って黙っている。空母の原子炉が暴走して、手がつけられなくなったら 曳航して日本海溝に沈めるという手があるからマーいいか?と思ってなぐさめている。

さて浜岡だが、海側に塀を作っても福島のように津波は建屋の裏側まで回りこむから敷地全てを囲む15mの塀が必要となる。それだけではない、海水取水ポン プは海と連結している池から取水している。だからこの池も海岸の延長とみなして塀で囲まねば片手落ちとなる。陸に海を持ち込んでいるのだからもっとも津波 に脆弱な設計だ。どうしてこうなるか?それは遠州灘の膨大な砂州のために、岸壁を海岸にそって構築 しようとすれば法外なコストがかかるからだ。まさに砂上の楼閣。こうして池の周りにまで筒のような壁を構築したら膨大なコストがかかる。海側だけで300 億円かかるというから発電所の周囲を全部囲い、池も筒状の壁で囲えば1,000億円はかかるだろう。

中部電力はこれまでも800ガルに耐えるようにするために膨大な追い金を使ってきている。更に1,000億円追加投資するというのは原発の本当の怖さを 知って居る人にとって難しい判断となるだろう。なぜかという仮に運転を強行しても無論、津波では壊れないけれど別の原因、未知の想定しなかった原因、例え ば制御系の故障で制御棒挿入に失敗する可能性はあるのだ。これをシビアアクシデントというのだが、"Bulletin of the Atomic Scientists"の最新号(2011/4/21)記載のM. V. RAMANAの論文に統計ではシビアアクシデントは1回/1400年炉の発生確率という。所詮原発といえども経済システムだから、金のかかることは想定し ないし、万全を期すこともしない。仮にすると決意したところで神ならぬ人間には未知のトラブルを想定出来ない。私の「べき乗則」による解析では福島型の事 故確率は1回/6,600年炉となった。これは電力業界がいうようなインチキFT分析による、多重化で数値を下げて1回/1,000,000年炉よりよほ ど確率が高いのだ。塀を高くしてもこの確率が変わるわけではない。読者は地震と経済クライシスが「べき乗則」で説明できるというデヴィッド・オレルの「な ぜ経済予測は間違えるのか」を参照されたし。

中部電力の経営者が賢ければ、ここで改造して再スタートせず原子力からキッパリと撤退するであろう。だが凡人は自分の任期中は大丈夫だと思いたいのが人間 の悲しきサガ。マー!大丈夫だろうと無駄な金を使うかもしれない。株主の金をドブに捨てる行為で株主代表訴訟に該当するはずだが、愚かな株主は気がついて いない。また銀行も同じ。自動車は事故を起こし最悪人が死ぬ、化学プラント、製鉄など皆同じ、そして命の損失は最低限、保険金でバランスが取れる。原子力 でも事故確立は同じで死亡者はそう多くない、しかし土地喪失、農業、漁業の広域、長期にわたる損失の規模が大きすぎて保険制度が瓦解してしまう。そこで建 前は企業責任というが、最後は国家補償ということになる。ここにモラルハザードが生じるのだ。モラルハザードを背負って生き延びた国家はないのではなかろ うか。



べき乗則考察

私が原発汚染事故はべき乗則分布にのると気がついたのはニコラス・タレブの本を読んだからなのだが、デイヴィッド・オレルも 同様の本を書いた。イントロで2007年のリーマンブラザース破綻の1年前サブプライム問題に端を発する市場暴落のとき、業界関係者はモデルで1万年に1 度の出来事が3日続けて起こったといった。同じときゴールドマンサックスの最高財務責任者は平均から25標準偏差(25シグマ)ずれた出来事が何日か続け ておきているといったように市場の崩壊、バブル現象はガウス分布よりべき乗則分布にのる。

さて原発に適用すればべき乗則分布にのるということは相変化を生じたということになる。交通事故にしても化学プラント火災事故にせよ、確率が正規分布で表 現でき、損害規模が保険で処理可能であるに大して原発事故の確率は正規分布で記述するにせよ100標準偏差(100シグマ)でも不足するほど、スケールが 大きい。ゆえに放射能による広域かつ長期にわたる汚染の補償は保険の対象にならない フェーズに入り込んだということになる。

もう一つ、なぜこの危険性が認知されないのかということも原子力でメシを食う集団、即ち原子力村が一旦形成されると、経済的行為者(エージェント)は全世 界を鳥瞰して見えることではなく、自分の手に入る情報だけを元にして意思決定しているためと認識すれば理解できる。この原子力村の形成と行動様式をエー ジェント・ベース・モデルなどの手法でシミュレートする価値はありそうだ。

JPモルガン証券日本株ストラテジスト北野一氏が 「原発バブル」が崩壊したという見方をしている。ちょうど、1990年代に、日本の資産バブルが崩壊したのと同じイメージだというのだ。バブル現象はガウ ス分布よりべき乗則分布にのることはもう常識だ。 総合知学会のメンバーで千葉工業大のエージェントモデリングで既存の経済学が予測できない経済危機を記述しようとしている荻林成章先生も原発の事故統計は 物理学のカオス理論から導かれる「べき乗則分布」で表現できることは経済のバブル現象がべき乗則分布にのることから容易に類推されるとされている。

1990年代に資本コストが上昇したよう に、今後原発にかかわるコストも急上昇することだろう。その意味では、経済合理性とリスクは、表裏の関係にあるといえる。リスク評価の見直しを余儀なくさ れる ことから、その経済合理性にも疑問符がつくということだ。原発バブルが崩壊したと思うのは、例えば、次のようなバブル特有の共通項を見出せるからという。 ある事業を推進する主体と抑制する主体のバランスが崩れている。1980年代の銀行では、営業推進部門のなかに、審査部門が取り込まれていた。ITバブル 後に消滅した米国の監査法人でも、同じように、審査部門がコンサルティング部門の風下に立たされていた。今回も、同様に、本来、リスクを管理すべき保安院 が、原発推進部門に事実上包含される組織になっていた。

ミネルバのフクロウは夕暮れに飛び立つ   ヘーゲル

原発が 無事に動いて いた奇跡   今思えば、肝が冷える   朝日川柳(2011/5/21)

原発でなくとも、石油の大規模漏洩、水俣の有機水銀被害など事故の確率をFT分析で計算しても意味がない。ダイナミックFTはベターであるけれど、本当の 確率は計算できない。 だから世界中の化学会社はFT分析もどきのHAZOP(Hazard and Operability Studies)やFMEA(Failure Mode and Effects Analysis)の手法を使いはするが、確率計算は無意味と割り切り、プロセスパラメータの目標値(目標状態)からのずれを想定し、そのずれの起こる原 因と発生する危険事象を解析し、さらにその原因から危険事象に進展するのを防護する機能を評価し、対策を検討するという定性的なもので すませている。残余のリスクは保険会社に依存するということにしている。これが西洋が大海原に乗りだした大航海時代から積み上げてきた人類の英知なわけ。 すべてカオス理論で説明できる。

米国のNRCを含め、原発村の住人がFTAが計算する数値を実際に達成できると錯覚したところに、大きな不幸があった。彼らは実経験がなく未熟のため、原 発が昔からあるプロセス工業と全く同じ原理下にあることに気がつかなかったのが不幸の始まり。自分達は原爆も作れた特別な存在だ。神のように全てをコント ロールできると思いあがったこと(不幸にして世界中の原子力村の大部分住民はいまだにこの夢の中でまどろんでい る)に全ての原因があると思う。

多分、原発も石油の大規模漏洩、水俣の有機水銀被害も横軸に長期間に渡る人命の損失も全て金に換算して横軸に、発生頻度を縦軸にプロットすればべき乗則分 布になるであろう。原発は汚染物質の半減期が長く、無害化不可能だから長期間にわたって被害が継続し、結果被害額が大きくなるというだけの違い。石油の大 規模漏洩も、インドのポバール事故も水俣の有機水銀被害(大学の同期はチッソで苦労し、結局早死にしました)も企業が倒産すれすれでも補償をやりおおせる ことができるのに対し、原発は政府の支援がなければ電力会社は倒産する。電力会社は倒産しますよという脅しで政府をコントロールできるのでモラルハザード に陥り、好き勝手できるわけ。大分脱線してしまった。本論の戻ろう。

東電の原発の権威、榎本聡明という東大原子力工学科出のエリートが書いた教科書を 大分前に読んだことあるが5重のコンテインメントだから絶対大丈夫としか言っていない。この本は鎌倉図書館にあるが全くの価値の無い本になった。この人、 まだ東電の顧問して影響力を及ぼしているらしいが、自分のしたことが何であるかまだ分かっていないと思う。榎本聡明も隣百姓の一人、米国のサル真似。

日本の社会システムは農耕民族のそれで隣百姓だ。隣の真似してればそこそこ食える。非知と苦労して既知にすることもな い。だから隣の人が原発が安いといえ ば皆飛びつく、これですね。付和雷同、理屈なんてない。それで弥生時代から2,000年やってきたのだ。田吾作は遊牧民族の牧童のように自分の羊を狼に取 られないように認識能力を高めていないからいざという時にはパニックになる。


原子力事故はフラクタルな現象

フランスの数学者・物理学者ラ プラスは、 ニュートン的視点にたって、宇宙の全ての粒子のある瞬間の位置と速度が与えられれば、超知性体はその後の全ての粒子の動きを完全に予言しうるという主張を した。これを決定論的機械としての宇宙という。現在のカオス的見方は宇宙はそれ自身の小さな部分の将来の振る舞いについては予言できないのではないかとい うことで一致している。早稲田大学の相沢洋二教授は「確率」とは、我々の無知(または知りえな い不確定な要因)に由来する偶然の概念ではなく、力学という決定論に支配される必然性の一つの概念であるといえるとまで指摘している。

原子力発電所にしろ、化学プラントにしろ 人工システムはチョットした小さなトラブルが大事故に至るのは複雑性理論またはカオス理論が言うところのフラクタルな相転移現象が生じるためだ。福島原発 プラントも2010年に電源損失で炉内水位が2m下がったことがあったという。にもかかわらず何の対策もとられていない。 なぜならそのようなことは日常茶飯事であるから燃料棒が露出すれば相転移が発生することは分かっているがその前で止めることができたので問題とは認識され なかったためだ。しかし燃料棒が露出すれば高々崩壊熱だが、その暴走が始まる。始まったら終り、フォールトツリー ・モデルで正当化した5重のコンテインメントなど紙風船のようなものであっという間に破れてしまった。そして放射性物質が環境に拡散した。フォールトツ リー ・モデルで想定したシナリオの確率は計算できるが、その確率は正規分布を超えることはない。なぜなら想定しなかったことは計算できないからである。解析の まえにまず認識がなければ意味がない。そして認識は不完全な 人間には不可能である。この「想定外はかならず起こる」ということは永遠の真理だ。人間が想定できる能力はその認識能力により限界がある。しかし自然は無 知な我々の想定していないところを水が低きに流れるように見つけ出す。これを「非知はかならず既知となる」ともいう。

化学プラントは原発より複雑なシステムのため、事故は頻繁に発生する。しかし燃えてしまえば不謹慎な表現だが火葬したと同じ。綺麗な更地がのこる。だから 保険会社は保険金を支払ってもビジネスは継続できる。ところが原発は放射能汚染を残す。放射能は放射性物質という元素によるもので、半減期が数十年から数 万年というものだ。その除洗は化学的におこなうことはできず、物理的にどこかに隔離せねばならない。これには金がかかる。したがって保険会社はビジネスと してこのリスクを引き受けることはできない。唯一の解決策は国家賠償ということになるが、リスクが国民全体に分散されるため、モラルハザードが生じる。複 雑性の原理は原 発にも化学プランにトも差別なく作用する。しかし原発は汚染というメリットとバランスしないデメリットを国家にもたらす。

経済学がアダムスミに始まって人は神のような視点をもたなくとも合理的に行動するという前提で構築されていたが、じつはまったく違う。人は見える範囲の情 報に基づき行動を決めている。だからかマクロ経済学はバブルやサブプライムのリスクを予測できないし、原子力村という村が出現して原発バブルが発生するこ とも防止 できない。社会は特定の利害に結ばれた部分から構成されている。原発という狭い世界に入ってしまった人は原発は大丈夫だと主張しなければメシを食えない。 そして万一事故が発生してもその損害は社会に担保させるという不道徳な行動をとりがちである。気象学者もにたようなものだ。二酸化炭素温暖化説も分子同士 の衝突による熱伝導まで含めた地球規模の方程式は解けないことをいいことにし、恣意的なパラメータを使った簡易モデルで温暖化するという詔をでっち上げて メシの種にしている。この利害にどっぷりとつかった御用学者連中は学会にただよう権威を振りかざして社会に害悪を垂れ流しているのだ。

問題は原子力学者も気象学者も国家の官僚機構と結託して国を自らの利害に誘導する構造にある。政治家は民意を代表して動かない間接民主主義のため、この癒 着構造にメスを入れることができないところが問題である。まず首相公選制にしないと日本の衰退にブレーキがかからないであろう。

 

原子力村住人を識別するリトマス試験紙

長年原発懐疑派は差別されてきた。今原発村の住民を逆差別する目的でも言葉狩りするのも本意ではないが、長年日本国家を乗っ取って好き勝手してきた原発村 の住民を識別することばがいくつかある。それは

原発は安い

原発事故のリスクは隕石くらいである

再生可能エネルギーは不安定で高価でかつ量的に日本のエネルギーは賄えない

自由化すれば停電する

これすべてウソである。この言葉は原子力村の住民か否かはたまたはシンパかを見分けるリトマス試験紙となる。独占のご利益を守るための決まり文句だ。これ で反対派を封殺してきたのだ。無知な人々の認識操作に有効だったからだろう。

原発は安いは大昔の安いプラントコストで計算し、かつ安いは廃炉と使用済み燃料の処理費は一切はいってい ないというトリックでウソ。

原発事故は隕石くらい安全であるはインチキFT分析ででっち上げたウソ一杯の数値。これは米国のMITも NRCも有罪だ。

風力は不安定だ。廃炉と使用済み燃料の処理費原発より安し地熱などでバックアップ可能だだから電力は手を出さなくても結 構。電力会社は土地をもっていないのでPVも風力も推進はむずかしい。でも日本の60%は治水目的以外に有効利用されていない山地なわけで、PVを設置す る土地はふんだんにある。電力会社が社会公共財である送電線を一般家庭まで誰にでも公平に使えるようにしてさえもらえれば、電力会社がPVや風力に手をだ さずとも資本主義の原理にしたがい 、自然に普及する。バックアップ電力?それも再生可能エネルギー供給企業が自前で行えば電力会社には迷惑はかけない。ご心配なく。バックアップは当面は LNGだろう、そして地熱、蓄熱式CSPと続く。こうして風力、PVは普及するであろう。要するに政府がお節介なエネルギー方針を出さないほうがよいの だ。 今は高価だが急速に安くなりつつある。

量的に日本のエネルギーは賄えないと国家をだましてきた勝俣某は原発1基分に環状線内部一杯必要という。しかし国家の1.8%で日本の電力は全てまかなえ るのだ。

自由化すれば停電するというが東電は原発がいかれて停電したではないか。 自由化がいけないのではなく原発が停電をもたらしたのだ。原氏は原子力村の住民は発電・送配電の分離をすると停電する証拠としてNY・カリフォルニアにお ける停電をあげるが、この停電は自由化とは無関係。NY停電の直接的な原因は送電網の不備に運転ミスが重なったものだし、カルフォルニアの停電は州議会の 行き過ぎた環境保護政策が招いたものである。議会が発電会社に過度な環境規制(主にSOx・NOx規制が世界最高水準で発電会社は燃料転換をせざるを得な かった、と記憶している)を課した事に依り発電コストが急上昇し料金値上げを発表。が、市民は差額料金支払いを拒否。このままでは経営が成り立たないこと 明白で、発電会社がこぞって発電停止した。Anti-trust Law 違反ではないか、と捜査が入ったが、法違反の証拠は掴めなかった。結局、議会が規制をいくらか緩和して料金値上げを最小限で認めたため事態は収まった。 (当時 Chevron・Bechtel の幹部と会う機会がありこの件を話したところ、彼らは揃って人気取り政治家には負ける、と明言していた。)その後これ程の停電は聞いたことないし、まして や米国で発送電一体にすべきと言う議論が起きた話は聞いたことない。後者のケースが日本で起こった場合どうなるであろうか? 経産省・東電が話し合い当初 の方針通り(高い環境基準での規制と高額料金の組み合わせ)に実施され、力のない市民だけが泣き寝入りする、と言う構図になるのは明らか。

電気事業法の本当の目的は電気事業の独占をまもるために参入障壁を高めることにあるとさえおもう。建設業者は儲かる構造 だ。だから世界最高の電気料金になってしまう。電気事業の自由化とこの事業法の改正をしなければならない。

エネルギー産業に国家が口出しすることをは勿論しなければならない。 国内にエネルギー資源を持たずその殆どを輸入に頼らざるを得ない日本においては国の支援なしに民間だけでエネルギー源確保をするのは困難。特に、資源が中 東・ロシア等に偏在し英米メジャーの後追いせざるを得なかった石油・ガス開発部門ではこの傾向が著しい。こう言った事情から取られた日本のエネルギー政策 は間違っていなかった。が、約30年後の結果は数兆円も使って“日の丸原油”は消費量の一割以下に留まり、国の政策実行の中心であった石油公団を解体する 破目になった。国の支援・介入が最も少なかったアラビア石油が最も成功したケースと言うのは何とも皮肉なことだと原氏はいう。運用は民間の市場競争にまか せ、国の支援・介入は民間活力を最大限引き出すような仕組みに留めることが肝要。

現在の米国のオバマの政策には私は不審の目を向けている。でも米国では大統領の直接選挙制だから米国民が数年後に最終的 判断を示すことができる。日本はし かし表向きは英国式の議員内閣制をとっているが、政治家は自分で政策立案をせず、すべて官僚に政策を任せ、政治家は政局だけしているという後進国だ。かく して日本は一見民主的国家の体裁をとっているが、国民と国際社会を騙していますが全く異なる構造をもっているのだ。

かように日本の本質は官僚独裁国なのだ。これを巧妙におこなうので大部分の国民は騙されている。そのような国家が石油に 興味をもつと石油公団のように税金 垂れ流し、石油は一滴もでない開発をし続ける。原発やるならしっかりしなければいけないのに、政府(官僚が後ろで操っている)はメディアをつかって国民を 騙し、税金をばら撒いて貧しい地方の住民を買収しとやりたい放題。そしてみずからつまずいた。これで石油と原発にかんする官僚の大罪があば かれた。業界誌の週刊東洋経済6/11暴走する国策エネルギーを読まれればよーくなぜ日本では国策では国策が暴走するのかわかる。菅さんは確かに統治能力 が劣るが、彼が浴びた批判は長年自民党を裏であやつった官僚にむけられた批判のはず。だからこそカン違いして自民党がふらふらと立ち上がったと私は分析す る。マスコミはこういう見解をだしません。なぜなら官僚が執拗な嫌がらせをするから怖いのです。国家はマックス・ウェバーが喝破したように合法的暴力機械 なわけで、いつでも検察力を動かせるのです。

小沢なんて人事だけで、政策論議したのを見たこともない。次期は原口とリークしたのは原口に借りをかえしただけで、心の 中は別でだろう。それも人心掌握術 だが、術で国家と動かしてほしくない。政策で選挙という構図がなければ。官僚の利権をそぐ政策を掲げて当選しても無言のサボタージュで国は動かない。首相 公選制で民意を後ろ盾にした強力な指導者に短期間の独裁を任せる智恵しかないのでは?韓国はここを上手くやりました。韓国の成功をみれば明らかでしょう。 それをしないかぎり、誰がトップに来ようが官僚は面従腹背で動かないと思う。

オバマのスマートグリッド構想は集中発電から分散発電への技術のながれからみれば、死にに行く産業システムの救命カンフル剤技術に過ぎない。わたしは日本 はこれから原発後始末費を電気料金に乗せざるをえないのだから集中発電から分散発電への動きが加速すると思う。わたしはPV+リチウムイオンバッテリー+ プラグインハイブリッド+直流家電が家庭向け、事業者は都市ガス自家発に移行すると予言してきましたが、今日の朝日にシャープが試作機を作って実証試験を 開始したと発表しました。技術標準を作って10年後の普及を目指すと発表しました。倍額買取制度などつまらぬ政策を国家(とある通産官僚の思いつき)ださ ないほうがいい。

 

腹切りしないですむ武士階級の出現

問題はキャリア制という身分制に胡坐をかいている文系官僚(それも東大法学部は高級官僚製造の目的で明治政府が作った特別の存在)である。江戸時代と同じ 武士という身分制を血統ではなく、中国式の科挙制に変更しただけで温存したのは下級武士の革命であった明治政府であった。このシステムが暴走して米国に負 けたのはまだ記憶に新しい。 しかし文系優位という事実は巧妙に隠蔽されてていたため、残念ながら米国がその存在に気がつかなく、国民も気がつかず戦後も温存された。かくして特権的な 身分制は今も継続している。そして元三井化学の玉木悠二氏の指摘の通りアメリカの影響で切腹というペナルティーもなくなり、この身分制はチェック機能もな いまま暴走を始めた。こうして日本政府の中枢部のパーフォーマンスは劣化の一途をたどる。いくら首相の首を挿げ替えても結果はおなじことが何よりの証拠、 NHKのディレクターをしていた友人Oが教えてくれたが自民党の石原ジュニアはこれに気がついている。

考えてみれば、東条英機の定めた「生きて虜囚のはずかしめを受けず」の戦陣訓は東条が自決に失敗して米軍につかまったことからも毛嫌いしていたが、これも 武士という特権階級のブレスオブリージのひとつであると気がつく。我が伯父は 最若年大尉の爆撃隊長として広東省西江遡航中の武装ジャンクに急降下爆撃を加え、熾烈なる敵防禦砲火を指揮官機にあび、終に壮烈なる自爆を遂げたという。 万一生き残らないように河岸の砂地に突っ込んだと無事帰還した副隊長の遺族向けの報告の手紙の写しを持っている。2006年にクリント・イーストウッドが 製作した映画「硫黄島からの手紙」の主人公は同じ長野中学の先輩の栗林中道中将についでてあったが、彼は硫黄島で最後まで降伏せずに玉砕して

国のため重き勤めを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

という辞世の句を のこした。これが武士の腹切りと同じブレスオブリージだったのだろう。でもこれがなくなった。政府中枢の人間にはブレスオブリージの義務感はゼロである。 製作したクリント・イー ストウッド自身「政治家たちは最前線にいる者の運命より、自らのちっぽけな権力を行使し、保持することに関心がある 」という言葉を残している。

さて文系と理系の関係だが、通産省、建設省、厚生省は事業官庁です、事業は利益を生む実業で理系中心の事業である。人間は万能ではないから理系でも文系で もとある専門分野を非常に深く掘り下げて理解するとことと他の分野も広く浅く理解する、いわゆるT字型理解をしなければ役に立つ人材とはならない。さても 問題は数年前、とある農水省の高級役人だったY人と親しく志賀高原でスキーで遊びまわったとき、彼が吐露した心情で悟ったのだが、高級官僚はT字型の能力 を磨いてはいけない、ー字型のように広く浅くなるように心がけているというところだ。まー!公平な立場に身をおいて万民のためという建前でしょうが、これ がいけない。私から見ればなにもわからないボンクラになるだけという結果と相成る。とある私学のO教授と酒を酌み交わしていたとき彼がつぶやいた一言はい までも忘れない。理系は文系分野を理解できるが、文系は理系の頭の中が理解できない。対称ではない。ということ。ここに行政や企業経営における日本の文系 優位の伝統の問題があるのだ。理解能力または認識能力の低い人間が能力の高い人間を虐げていて全体として機能不全に陥っているという構図である。 このように日本では武士道が失われて久しいが、米国では騎士道がすたれた。どちらも先行きは真っ暗である。

さて日本の理系にも問題がある。T字型理解ではなく、I型で良しということになる人間が大部分という、なさけない実態だ江戸時代から伝統の差別社会でその ような野心を持つ人間がでてこなくなったというのが実態であろう。能力を広くしてもチャンスもないと人生の初期の段階でそう教え込まれ、あきらめたという ことではないか。野心あるやつは文系を目指すが、怠けるので必要なレベルに達しない。理系でI型になるのは特に大学教授にこの傾向が大きい。米国で日本で も技術中心の企業は殆どが理系創業者が始める。そして理系は自分が弱い金と法は深い専門知識を持つ文系の弁護士と会計士を雇ってまかせる。組織、人事は全 て理系でT字型のー字部分が強い人間が担う。I部分しか能がないがそれも衰えた理系は営業などに人事移動する。そうしないと創造的現場で老害を撒き散らす からだこれが米国のやりかた。仕事でつきあった米国人から聞いたノウハウだ。日本でも花王は研究所長が創造性を失えば経理部長に移動させると聞いた。金勘 定なんてだれだって3ヶ月もあればマスターできると長野社長はいう。とはいえ成長が鈍化して新しい技術の芽の発芽に失敗した企業は無論、財務系が立て直し に賢明になるがが大方は消えてゆくというのが大部分であろう。シェルは現在殆ど財務系が支配しているがが、もしかしたら末期症状。でなければEUの影響が 大きいと思う。いずれ消えてゆく運命かも。そういえばアンコンベンショナル・ガスへの取り組みは弱いのではんばいか?

そもそもEUの中心はフランスで、フランスはナポレオンが作った管理養成学校卒業者が国を牛耳りっている。結果としてフランスには原発と農業だけでめぼし い産業はなく、いずれ破綻すると読んでいる。EUもフランスの影響で選挙で選ばれた政治家ではなく、EU官僚が牛耳っている。いずれ金融崩壊で自滅するの ではないか 。米国も文系金融業者に国を乗っ取られた感じで没落をたどるかもしれない。どだいマクロ経済学は金融危機の発生を止める理論をもっていない。これはニュー トン力学をまねた静的エセ理論だという認識が米国ででてきて、理系が物理経済学 などに取り組んでいる。あるいは米国は復活するかもしれない。でも日本の文系は痴呆のままのようで救いようがない。

さて日本の原子力村について一言、ここで東大原子力工学科の全ての教授とその右代表デタラメ教授はおのれの利益のために魂を売り渡してしまった倫理も欠如 した人間だということ。東大卒の物理学者で仁科博士の系列に属する森永先生は日本の文系優位社会に嫌気をだしてドイツの国立大の終身教授にな ったが東大原子力工学科の教授は全員絞首刑にすべきだといきまいている。デタラメ教授は少し反省したかもしれないがさもしい心はおなじではないか。あまり 期待できない。文系優位の組織では建設省もそう だが、理系が狂ってしまい、倫理がどこかにとんでしまう。低収入に喘いで一瞬の迷いでインチキ設計した某建築士とは次元が違うが、倫理感がないことは同 じ。これが人間の弱さ のなせるわざ。だれがそのポジションに置かれても同じタイプが復製されるようだ。函館で最後まで新政府軍に抵抗した中島三郎助の ような人物はそういるものではない。海外から原発のチェック機構たる保安院を独立させろというアドバイスがあるが、その本質はこの独立の組織のトップを高 潔な理系にしないと機能しないのではないか。海外のアドバイザーが明確に言わないのは、それはあたりまえだから。日本では保安院を独立させてもまたキャリ ア文系が乗っかっ て予算を握り骨抜きにするのだろう。百害あって一利なし。あるよりないほうがまし。いっそ廃止したらどうか。

どの国でも組織のボスの一声は絶大な力がある。それに立ち向かえるのはボスと同程度の力があるものでなくてはならない。だから理系中心の組織ではトップは 理系でなくては組織に倫理はなくなる。ここでひとつの逸話を披露しよう。1961年の米映画「ティ ファニーで朝食を」製作の逸話です。ヘンリー・マンシーニが作曲を担当した。マンシーニはオードリーに適したテーマ音楽に悩んで1ヶ月なかなか出来ない。 だが考え抜いて、ふとピアノの前にすわるとかの有名なムーンリバーがすらすらと出てきたという。いよいよパラマウント社の社長による試写会のとき、社長は 「素晴らしいできばえだ、ただちょっとテーマ曲は気に入らない」と一言つぶやいた。スタッフにとってはこれは天の声、やれやれと思っていたところオード リーがすくッ立ち上がって「私は差し替えさせません」と叫び、生き残ったという逸話があるそうだ。彼女の人気なくしてはこの映画は成立しない。だから彼女 は社長より強かったということだ。オードリーに比べ東大原子力工学科の教授などはまことに弱い存在で技術の本質を理解しない素人のボスの声には逆らえない というわけだ。

田中秀征の「問題の根源は偽装民主主義だ」で論じられる「東電を上回る行政の罪」、「非科学的な想定」、「人災の核心」、「単純小選挙区制にあり」は私の 赤裸々な文系行政の弊害論を品良く表現したものと同根の表れだ。かなりニアミスですがここら辺が文系である田中秀征の限界かなと。どうもわが郷里は文系が 多いのも産業基盤が農業しかなく貧しかったためかと。

日本の司法がだらしなく行政の追認に終わっていると海渡雄一弁護士が激しく告発しております。日本では三権分立どころか行政権独裁の様相を呈しているとい うのが岩波「世界」をおおう雰囲気である。

軽水炉事故ダ イナ ミック・シミュレーター

原発メルトダウン

福島の放射能汚染

石棺の福島

ヤブロコフ・ネステレンコ報告

原子力から再生可能エネルギーへ

グローバル・ヒーティングの黙示 録 ー政策研究所・マスコミの一歩先を行く予測

原子力へ

原子力村紳士録ー福島原発メルトダウンのA、B、C級戦犯ー

to Fukushima Meltdown

May 9, 2011

Rev. June 3, 2012

 


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