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その6
ナスカ・リマ

2004年5月6日(木)
 朝食を4時にとり5時にホテルをでる。まだ、周囲は暗い。この旅行2度目の早朝出発。

 イカを出ると砂漠が続く。6時頃砂漠のかなたに日の出を見る。7時過ぎにナスカのアエロ・コンドルの待機所に着く。霧の状態などによっては飛行が遅れることもあるとのことで早朝一番の飛行をエントリ−されていた。幸運なことに待つことなく乗機することになった。

 セスナ機に5人づつ分乗した。はじめに12の地上図を漫画的にかいたパンフレットで飛行の順番を操縦士より説明を受ける。フライトは約30分。ビデオだけをまわし続けた。2、3度写真機に切り替えたが、忙しい。TV放送などで見るほどには、はっきりとは見ることは出来なかった。12のうち6つばかりは見ることが出来た。他の人たちが見学飛行をしている間、待機所のTVでNHKTVのナスカのTVを見る。10時半よりマリア・ライヘ女史のミラド−ル展望台に登り、地上絵の手と樹を見る。
 
 マリア・ライヘ博物館を30分ばかり見学する。女史が研究の基地として使用していた家屋や庭園が博物館として公開されており、女史の観察した地上絵の写真やナスカ文化の土器やミイラが展示されており、庭には女史の使用した自動車が置かれていた。

 イカの町砂漠のオアシスのワカチナ湖でお弁当の昼食をとる。途中カニエテで休憩をしてパンアメリカンハイウエイを一路リマに。日の暮れない内にリマ到着の予定がバス運転手の不注意(燃料切れ。幸いスタンドのそばだった)で30分ばかり遅くなった。
 
 シェラトン・ホテルで遅いホテル出発までの時間を部屋でとり、休憩をし、買い物をしたりして過ごす。寿司の夕食をいただいた後、ガイドのONOJIMA氏の見送りを受けリマ・ホルエ・チャペス空港に。空港での荷物の審査は厳しく我々一行の数名がス−ツケ−スを衆人の前で空けさせられた。
5月9日(金)〜5月10日(土)
 リマ空港5月9日0時のデルタ航空でアトランタに8時。10時20分アトランタ発。翌日5月10日(土)13時30分成田空港に無事着く。成田17字55分、伊丹空港19:10着。
頼んでいたMKハイヤ−で帰宅。 
アエロ・コンドルのセスナ飛行機 くも ハチドリ コンドル
飛行機の待合場 ミラド−ル展望台
パンアメリカンハイウエイ マリア・ライヘ博物館 マリア・ライヘ女史の仕事場 マリア・ライヘの使用したベット
ナスカの地上絵:1994年世界遺産
 それまでインカの道と考えられていた地上絵を、1941年アメリカのポ−ル・コソック教授(天文学と古代灌漑の専門家)が飛行機を使用して単なる道でなく地上絵であることを発表した。
 コソックの発表前にもハイウエイの測量が行われているが殆ど重要視されていなかった。コソックは地上絵の研究に協力者を求めていた時にマリア・ライヘ(ドイツのドレスデンに生まれ、数学、天文学を専攻した。1903年〜1998年)と出会った。 女史は砂漠に住み込み、わらぼうきで地上絵の線を掃き清め、研究にその一生をささげた

  紀元後約800年にわたって栄えたナスカ文化の時代に描かれたこれらの絵は直線や幾何学的図形、動物、魚、無視、植物などさまざま。このような地上絵がなぜ描かれたかは現在も不明である。
 宇宙人の着陸滑走路説やインカの道で巡礼者の儀式を行う場所という説など。
 コソックとライヘはこの巨大な地上絵の図形は星座に関係があり夏至や冬至を知る古代天文学の暦として使用されたのではないかと
えている。
 
仕事に使用した車 マリア・ライヘ博物館の庭