クスコ オリャンタイタンボ ナスカ
マチュピチュ シルスタニ・ティティカカ 日程
HOME 旅行記のペ−ジ

その1
リ マ

2004年4月30日(土)
 
昨日4月29日は30時間のフライトと長い一日だったので、ホテル出発は遅く10時30分。

 高級住宅街のサン・イシドロ地区にある天野博物館を11時より約1時間佐藤学術員の説明を受け見学する。故天野芳太郎氏が1953年より長年にわたり収集された土器、織物などが展示されており、特に1000年頃チャンカイ渓谷付近で発生したチャンカイ文化のものが多い。チャンカイ文化の織物(ミイラに着衣されたもの)はすばらしく、またその収納には大変気をつけておられ、保存状態もすばらしい。

 太平洋に面したミラ・フロ−レンス地区のナスカ地上絵の研究者の名前をつけたマリア・ライヘ公園、マドリッドのグエル公園を真似た恋人たちの公園を下車見学してから昼食を。ブドウの蒸留酒にレモンと卵白をくわえた名物アルコ−ル飲料ピスコサワ−、ホタテのセニッチャ、白身魚コルヒナを。レストラン近くのス−パ−マ−ケットで小買い物。

 その後、リマ歴史地区(1991年世界遺産)へ。征服者ピサロの建築した(1535年1月18日礎石を置く)大聖堂に入り見学する。ピサロの遺体が安置されており、その部屋にはピサロの遠征の模様が描かれている。別室にはキリスト教に教化された原住民のキリスト絵画が展示されている。それらの絵画にはマリア像が三角形にかたちどられ(山への信仰)、また額縁などには金色が多く使われている(太陽への信仰)。( )で記載したようにガイドONOJIMA氏の説明。

 大聖堂のある旧市内にはメスティソ(白人とインディヘナの混血)もいたが、イシドロやミラ・フロ−レンスの住宅街はほとんどがヨ−ロッパ系の人であった。ペル−全体ではインディヘナ(先住民)52%、メスティソ32%、ヨ−ロッパ系12%、その他4%とのことである(地球の歩き方より)

 旧日本大使館は銃痕の残った玄関扉のみがあり、新しい大使館は広大な敷地を占めていた。ガイドによると4月末の世論調査で望まれる大統領は現トレド大統領は7%、フジモリ元大統領が38%とのこと。

 5時過ぎに旧市内近くのシェラトン・ホテルに帰る。ヴァイキングの夕食後、太陽の祭りインティ・ラミを模したショウを見る。
ペル−の通貨のことなど:
 ペル−の通貨はソル(s/.)。自分は両替しなかったがUSドル1ドル=s/.3.4位だった。添乗員から日本円はほとんど使えないので、USドルを使用してくださいとの旅行前に説明があった。個人で美術館やタクシ−をりようすればソルが必要だが、原住民が物品を販売するのもドルで言ってくる。クレジットカ−ドもそれほど歓迎されなかった。
ペル−の電源とプラグ(デジカメやビデオカメラを利用する場合):
 220ボルト。宿泊したホテルのプラグは日本と同じ平2つ穴のAタイプだった。
土器 土器
天野博物館玄関 鉢巻・褌の漁師 土器の展示        天野博物館
チャンカイ文化 と 天野博物
 
ペルー中部海岸のチャンカイ 川流域を中心に1000‐1400年ころ栄えた文化。考古学の調査が十分に行われておらず,詳細について不明なところが多い。
 1953年から天野芳太郎氏が研究を始めた。土器は壺,鉢の類で,つくりはやや粗雑である。人をかたどった大型の壺の顔や土偶にはユーモラスな表情がある。
 遺体を包む織物類にみる技術は高度で,綴れ織,描き染,絞染など種類も多く,特にレースの発達はみごとである。
 土器は白地黒模様のものが多く、大型の人形壷にはひょうきんな表情をしたもの多く面白い。模様のモチ−フは鳥、魚、果物、幾何学的なものがおもである。
 天野博物館のコレクションが世界随一であり,この分野の研究に欠くことのできない資料を提供している。見学は予約制で無料で開放されており、館内の売店の売りあげで維持されてい

リマ歴史地区:
1991年世界遺産
 
征服者ピサロの建てた大聖堂ヤサンフランシスコ教会などは旧市街に集中している。       
        
チャンカイ文化の土器            酒器
くすんだ空と太平洋 マリア・ライヘ公園 恋人たちの公園 ホタテのセビッチェとピスコサワ−
旧日本大使館。銃痕のあとあり サン・マルティン将軍像 アルマス広場 大聖堂
大統領官邸 フランシスコ・ピサロの墓 ガヨ島でのピサロ。黄金の国か貧窮のパナマかこの線をと剣で線を引く。 キリストに教化された原住民の宗教画